欠落による完成


それは吐き出す息さえ白く凍えさせる冷たい日のこと。

簡素な作りのベッド。数冊のノートと何かの図鑑が立てられた机と棚。その傍ではベージュ色のカーテンと白いレースカーテンが開け放たれた窓から吹く風でゆらゆらと揺らめく。
レース越しの部屋に入る柔らかな日差しがあまりに穏やかで、もしかしたら普段と変わらぬのではと希望を抱いた。
けれど視線を彷徨わせてもそこに望む存在は無く、再び枯れ果てたと思った感情を刺激する。
胸を掻き乱すそれに無理矢理目を反らし、起こり得ない奇跡を抱いた己を嘲笑する。
なんて愚かな望みのだろうか。最初からわかっていたことだ。これは初めから決められていたこと。それを受諾した時から割り切っていた筈だというのに、いざそれが現実に起これば受け入れられずにいる。

こんなことなら出会わなければよかったと後悔した。けれどそれ以上に沸き上がるのはこの結果にしか成り得ない状況をつくった存在に対する怒りと、その存在に対する切望。

本来静かな空間に満ちるのは自分以外の啜り泣く声とどうしようもない虚無感。

この部屋の主はもういない。

部屋のベッドにあるのは主の使っていたものばかりだけが存在するだけで、まるで精彩がなく抜け殻のように見えた。

「…どう、して…?」

不意に誰かが虚ろに言葉を発する。しかしそれに答えられる者はいなかった。きっと問いかけの言葉を言った本人も答えなど期待はしていなかっただろう。
『どうして』。そう問いかけたいのは口には出さずともこの場にいる全員が思っていることだったからだ。

置いていかれた悲しみ。変えようのない現実への不当な八つ当たり。綯い交ぜになった疑問と憤りは行き場を失う他に道はなかった。

思い出されるのはこの部屋にいた穏やかな主の笑顔。

(それじゃあ幾つか約束しよう)

決して綺麗な人ではなかった。可愛らしい人でもなかった。いつでも優しい言葉を掛けてくれる人でもなかったけれど、それでも眼差しだけはいつも穏やかだった。

(とっても簡単なこと。これ以外なら何を破っても怒らないし何も言わない)

この家を帰る場所と決めたのなら誰でも受け入れなければいけない約束事。
それを聞いた時は何と容易く下らない契約内容かと嘲笑ったものだが、こんなにも己を苦しめるモノであると分かっていたなら何をしても阻んだというのに。
それも今となっては後の祭り過ぎないのだが。

(まず一つめ。私が死んでも悲しまないこと)

どんなに望んだところでもうあの眼差しは自分達に向けられることはない。もう自分に向けてくれることは二度とないのだ。

「……、」

唇を動かし消え入るような声音で囁いたのはこの部屋の主の名前。己が主と定めた唯一無二の存在で、もうこの世には存在しない穏やかな眼差しの持ち主。

(二つ目。私が死んだら、貴方達のその枷を必ず破壊すること)

音にならずに空気に融けてしまったその名前を思い出した途端、不意に呼吸を無理矢理止められるに息が出来なくなる。

視線を見下ろせば右手に納まるのは赤と白の簡素な対捕獲用機器。人間が命名した名称はモンスターボールというこの世界の人間なら誰でも持っている捕獲機。
そして主が『枷』と言った自分達と主を一番強く繋ぐ枷。

これを壊せと主は言った。自分が死んだらもう縛られる必要はない。これを壊して野生になるなる新しい主を見つけるなり好きなように生きればいいと。

(んー。それでこれが最後かな…?)

この部屋の定位置で優しく笑いながら約束事を話す彼女の言葉を思い出す。

(三つめ。この約束事は絶対もので必ず遂行すること)

それは主と自分の交わした約束の会話だった。そしてこの場にいる全員が交わした共通の約束事でもある。

唇を噛み締め、振り上げた右手。これを壊すことで失う唯一の絆と繋がり。それを拒絶するかのように引き裂かれるような痛みを胸に覚え視界から色が消えていく。

せめぎ合う理性と感情に板挟みにされながらモンスターボールを床に叩きつける直前だった。

『雪白、』
「…クロト…?」

モノクロの世界で聞こえたのは主である彼女の自分の名前を呼ぶ声だった。
思わず口に出してベッドを覗きこめばそこにあるのは先程と変わらず眠る様に瞼を閉じた主の姿。温もりを失った冷たい体をした主の姿だった。
何も変わらぬ彼女の姿に雪白と名付けられた彼は力無く垂れ下がった右腕が掌に握られたボールを床に落とす。白い絨毯の上に硬い金属が静かに転がった。

それに重なる様に落ちたモノは、まるでそれを落とした主の悲しみを表すように小さく音を立てた。
それは吐き出す息さえ凍らせるような冷たい日のこと。失ったモノへの慟哭さえ凍りつかせてしまうような白い花が降る日だった。


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