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育て屋の仕事をしながらふとこの世界の仕組みについて考えた。
戸籍のない人間の戸籍をつくれるこの世界は一体どのようなシステム社会なのだろう。自分の国では戸籍のない人間は国に存在しないものとして一切の権利を与えられず、働き口も住む家も得られないのだ。

自分の住んでいた場所は何もかもがシステム式で偽ることは許されなかった。それが当たり前のことだと思っていた為、何ら疑問を浮かべるまでもなく普通に過ごしていた。

フジキがこの世界で沙那の戸籍を作ると言った時はあまりに色々なことが有り過ぎて疑問にも思わなかったが、今考えれば常識的に問題がある発言ではないか。
今更そのことを本人に聞こうとは思わないが不安に思うことはある。いくら蓋をしても後から後から溢れてくる感情はうねりを伴って器から出てきてしまうのだ。
自然と多くなる溜息に周囲の人間は心配そうに話しかけてくる。申し訳なく思いつつ「大丈夫」と今日の与えられた仕事を着々と進めて行った。

夏も既に盛りまで来た。ぎらつく日差しの痛いほどの強さにうんざりしつつポケモン達にホースを掛けたり氷入りのプールを作ったりしている。対象は主に水に入っても大丈夫なポケモン達にだが。
業務用の大きな塊の氷に氷タイプの技を使えるポケモン達に手伝って貰い、三メートルほどの氷の山を作った。
使用方法は食べるもよし。遊ぶもよし。この暑さに溶けきるまでに使いたい放題という斬新なものだ。

止まらぬ汗を拭いつつ育て屋の全員は時間を惜しむように作業に勤しんでいる。もう少し経てば休憩時間に入れるからと気合いを入れていると何処からかブザーの音が聞こえてきた。

「誰か来ましたね」
「あぁ。そうみたいだ」

日差し避けの帽子を被り汗一つかいていないヒサコがフジキに言うと、雑草むしりをしていたフジキがタオルで汗を拭きながら一つ頷いた。汚れてもいいように作業着姿をしている二人は全身が土塗れだ。

「弱ったな。俺は今出られないんだが」
「私もです。それでは…」

困ったような表情を浮かべ顔を見合わせた夫婦は視線を走らせると温くなった水に氷を付けたしている沙那に声をかけた。声をかけられた沙那は作業を一旦止めると二人を見る。

「沙那さん。申し訳ないのだけどお客様を迎えに行ってくれませんか」
「わかりました」
「ありがとうございます。貴女の作業はトキとツムギに任せますから」
「はい」

笑って頷くと日陰に置いておいた新しい氷をトキとツムギに頼み玄関口へと小走りでかけていった。
半月以上育て屋をしていてすっかりその作業に慣れたかのように見える沙那だが実際は半分も馴染めてはいなかった。
失敗は数こそ減ったが何回かある上、一人作業を任させられるとフジキかヒサコのどちらかに二、三回は作業の流れを何回か確認を貰っている。
これでは駄目だとは思っている。二人には衣食住を保証して貰っているのだからその分はきちんと返さなければならない。
だがいざ本番になると不安ばかりが胸中を占めなよなよとしてしまうのだ。
もっとしっかりしなくてはと自分を叱咤しつつ玄関にいる人影に声を掛けた。

「あの…お待たせしてしまいすみません。どのような御用件でしょうか?」

背中を向けていた人物は声を掛けられると音もなく振り向く。その人が完全にこちらを向くと沙那は内心息をつめた。
人影は女性だった。長い金髪を下ろし、耳の横の髪の毛だけを後ろで結わえている。白い肌と整った顔立ちに素直に美しいと思える外見をしていた。

「突然伺ってごめんなさいね。実は育て屋に貰って欲しいモノがあってきたの」

ゆったりとした、それでいて涼やかな声音で彼女は旅行鞄を自然な動作で自分と沙那の間に置いた。

「貰って欲しいモノですか…」

女性の言うことに違和感を覚えた沙那は眉間に皺を寄せる。育て屋に貰って欲しいモノというと余りいい記憶がないからだ。
ほんの少しの間だが育て屋で働いていた間に様々なことを知った。嫌な予感がする。

「えぇ。生まれたばかりのポケモンを育て屋に託したいの」
「…恐れ入りますが育て屋はポケモンをトレーナーの方に変わって育てる場所なので」
「知ってるわ。だけど私には育てることが出来ないの。ここに置いておけないというなら捨てるしかないわね」

優しげな風貌をして随分と自分勝手な物言いをする。内心呆れた溜息を吐きつつ咄嗟に彼女へ返す言葉が出てこない自分に嫌悪した。
どんなに言いたいことがあっても自分には何も言い返すことができないのだ。
情けない。所詮自分一人では何も出来ないのだ。頬肉の内側を噛んで苛立ちを紛らわすと溜息を喉の奥に追いやった。

「少々お待ち下さい。只今上の者を連れて参りますのでこちらへお掛けになって下さい」
「…わかったわ。」

美しい笑みを浮かべたその人から視線を逸らすようにその部屋から沙那は出て行った。
その姿を見ていた女性は変わらぬ笑みを浮かべつつ、スーツケースから数枚の紙を取り出す。その紙には何十行もの文字が連なっており右上上部には小さな写真が張られていた。

そのどれもが違う人物の写真である中、女性は一枚の紙を取り出した。

「…一番面倒じゃないのはやっぱり、」

その写真には一人の女の姿が映っていた。
女の容姿は先程まで女の前にいた一人の少女と酷似している。書類には写真に映る人物の名前が明記されていた。

「アナタ…よね。」

指先で写真を挟み口元に持っていく。小さな弧を描く唇は甘く声音でその名を囁く。

「…沙那さん…」

透き通るような深い青の色の眸は濡れたように仄暗い輝きを放っていた。
軽やかな笑い声が誰もいない室内に響く。それはまるで何も知らない愚者を嘲笑うような調子に聞こえる。「ふふ…これから楽しくなりそう」

瑠璃色の揚羽蝶は毒を孕む燐粉で愛を語り、蜜を啜るのだ。
花は何も知らずに受け入れることしかしない。そしていつの間にかその身を枯らしてしまうのだ。

それが捻じ曲げられた運命だとも知らずに。

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