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卵の孵化を促す為に布を何枚も重ね巻いた籠を見て苦悩の唸り声を上げるのは沙那だった。
何れ生まれてくるだろうポケモンのパートナーとなるだろう沙那は壁に掛けられているカレンダーを見つめ深い溜息を吐く。

「うーん。やっぱりまだ駄目か」

ポケモンの卵を貰ってから既に一か月。未だに卵が孵る気配は未だなかった。

仕事がない時間は尽きっきりで世話をしたり膝の上に置いてみるのだが卵は時々動くだけで生まれる様子はない。

ヒサコとフジキに貰ったポケモン育成ノートをぺらぺらと読みつつ、籠から卵を取り上げ赤子をあやす様にゆっくり揺すってみる。
目を回さない程度のゆっくりとした動作で左右に動かすと僅かに卵が震えたように気がして思わず口元に笑みが浮かぶ。

日々自分の中に母性のようなモノが育まれつつあることをひしひしと感じている。
生まれ来る新しい命に愛しさを覚え仕事の合間もふと卵のことが気になって仕方なくなるのだ。

生来、面倒臭がり屋な性格をしている自分がまさかここまで卵の世話をしたり思い悩むようなことになるなど思いもしなかった。
今では怪我が完治したヒサコにその事をこっそり言ってみると彼女はそれは可笑しそうに笑った。
自分の性格にてっきり不快感を顕わにすると思っていた沙那はヒサコが笑う意味が分からず首を傾げる。何故笑うのだろうと。

すると彼女は言った。沙那は育て屋向きの性格なのだ。よく言えば面倒見がいい。悪く言えばお節介焼きなのだと。

自分では分からない無意識の性格を指摘され最初こそ首を何度も傾げたが今では納得している。
確かにヒサコの言っていたことは当たっているのだ。

「…ただの面倒臭がり屋だったのになぁ」

ぽつりとそんなことを零すと卵を籠の中に戻し部屋の灯りを消した。
既に夜も十時過ぎで寝なければ明日の早朝に起きられなくなる。

「おやすみ」

小さな声で卵に呟くとすぐそこまで来ていた睡魔に意識は奪われていったのだった。

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夢の中はあの日から変わらず赤い月が煌々と世界を照らしていた。滴る赤い水の色が地平線まで続く大地のない世界。暗い空はその赤を否定するかのようにその漆黒を存在させる。

そこにはもう一人の自分がいて微笑みながら止まらぬ涙を流しているのだ。
赤い月をうわ言のように何度も「大丈夫。まだ大丈夫」とひたすらその言葉を繰り返して透明な涙を流している。

最初はただ笑っているだけだった自分と同じ顔をした彼女。だけどその頬には涙を伝わらせている。

どうして彼女が泣いているのかは自分にも分からない。ただ苦しそうに月を見上げては何かに怯え続けるのを見ているのだ。

一見、害のないように思えるが、一か月以上夢に出てくる同じ映像に目覚めが悪くなってきたのも事実だった。
今日こそは別の夢を見たいと切実に思っていると不意に違和感を感じた。

いつもの赤い月と水、漆黒の空。そこまではいつも見る夢と同じだった。
けれど今日は一つだけ違った。彼女がいないのだ。
いや違う、彼女は目の前に居る。
ただその姿は息をしておらず虚ろな目を開き涙を流しているという変わり果てた姿であった。

思わず言葉を失うも、覚束無い足取りで彼女の元まで行きその体に触れてみる。
感触はないけれどぞっとするほどその体は冷たかった。
どうしていきなりこうなったのか理由が分からず俯くと涙が頬を伝った。

「…なんで、しんだの…?」

そう言う自分の言葉が理解出来ず内心首を傾げたくなった。何故涙を流しながらそんなことを言うのだろうか。

どうしてただの夢だというのにこんなにも胸が痛むのだろうか。

夢にしては違和感だらけの感覚に疑問が沸く。すると不意に背後からぱしゃんと水が跳ねる音がした。
聞こえた水音に誘われるまま沙那が振り返ると必然的に音を立てた原因が視界に入る。
魚か何かだろうかと思いそれにぼやける視界を向けると、思わず息を呑んで体を硬直させた。

そこには驚愕の光景が広がっていたのだ。

「っぁ…っ…」

悲鳴を出しそうになる口元を抑え沙那はその場に座り込んだ。

視界に映るモノ…それは自分と同じ顔をした無数にも及ぶ彼女と同じ亡骸が転がっていた。

そう…人間の動かぬ肢体だった。転がるそれらは全てに生気は感じられず、瞳だけが虚空を見つめるように見開かれていた。

噛み合わぬ歯がかちかちと音を鳴らせる。

赤い水に半分沈んだ躯たちが波紋を広げる以外無音の世界。
いつもならばただ気味が悪いと思うだけなのに、どうして突然このようなモノになってしまったのか。

分からない。そう思った。

「…そんなわけ、ありませんよ…」

ふと背後から声音が聞こえ、温かな体温に包まれた。視線を下ろせば自分の肩から下に細い腕が抱きしめるように伸びている。
沙那が誰なのか問いかける前に相手は続けて言葉を続ける。

「…知らない筈がありません。だってこれはアナタが望んで出来たモノの残骸なんですから」

背後の人物が何を言っているのかわからなかった。
しかしそれに反して自分の体は小刻みに震え唇を戦慄かす。

相手は沙那の様子を感じ取ったのか笑った気配がした。そして片腕だけ拘束を解きゆっくりと浮かぶ躯達を指差した。

「あれは………なんです」
「?」

話す声にノイズが入り聞こえず首を傾げる。一体何を言っているのだろうか。

「全部………ですよ」
「…なに?」

再びノイズが入り混じる。まるで態と自分に聞こえない様にしたような感じに眉根を寄せる。

小さな笑い声が立てられると体の戒めが解かれた。
それにほっと安堵の息を洩らすと不意に赤い光を遮るように影が差す。多分背後の人物が前に来たのだろう。
そう思った時、視界の両端に掌が見えた。

「だからね…」

そのまま前に回り込んだ相手に頬を優しく掴まれ顔を上げさせられる。
相手は微笑んでいた。

「あれは全部…アナタが廃棄した(ころした)沙那達なんですよ」

その頬に誰かの鮮血を滴らせ、ただ優しく微笑んでいた。
そしてその顔は紛れもない沙那の顔であった。

言葉を失う沙那に沙那と同じ顔をした彼女は視線を逸らし赤い月を見上げる。

今までの夢で満ちることのなかった月が初めて完全な姿を現していた。
沙那は何故か目の前にあるそれが危険だと判断した。これは在ってはならないことだと本能が警告するのだ。

血に濡れたような赤い月。それを見上げていた彼女は不意に視線をこちらに向ける。
自分も彼女の視線に応えるように彼女へと視線を向けると彼女は口を開いた。

「決して、あの月を喰われてはいけません。いいえ…蝕んではいけませんよ」

そう言った彼女の眸はあの月と同じように猩々緋の色をしていた。


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