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最近見る夢に赤い月が出てくる。戦慄が走るほど赤く染まった赤い月が。
日によって満ち欠けはすれどどの日も必ずと言っていいほど共通点がある。

決して完全な満月では出てこないこと。

これが毎晩見る夢に出てくる月だった。けれどその月を見る度に何故か安堵の溜息が出てきた。あぁまだこの月は満ちることないのだと、心から安堵の息を洩らす。
その夢を見る度に夢の中と確率された自分は疑問に思う。何故そんなことを思うのだろうと。
このような猩々緋の色の月、気味が悪いと思うのが普通なのにどうして夢の中の自分はこんなにも安堵しているのか。

冷めた思考で自分のことを他人のように眺める。情けなくも肩を震わせ涙を流す自分。
けれど自分の体だというのに現実味のない感覚だ。それがこれは自分じゃないのだと囁いているように感じられた。

まだ大丈夫。まだ大丈夫。

呪文のようにそれを繰り返す夢の中の自分はただ疲れたように笑っていた。笑うこと以外を忘れてしまったかのように微笑んでいた。
夢はいつもそこでふつりと切れる。彼女はいつも何を思っているのだろう。

自分の呼吸が聞こえてくると瞼が上がった。

「……」
『…おはよう…』
「…おはようございます。取り敢えず卯月、どいてくれ。」

起きると視界に飛び込んできたのは卯月の黄土色の肌だった。

寝雑で乱れた髪の毛を軽く撫でつけるといつものように支度を始める。
布団から出ると小さな引き出しに向かい歩き出す。これは育て屋夫妻に雇って貰った時に購入されたものだ。
洋服は最低限の枚数しか買っていないので春夏秋冬合わせて十二枚ほど。一番下から二段目までは洋服以外の私物が入っている。私物と言っても然程ある訳ではない。

あるのはポケモンの生態図鑑にメモ帳、ペン、髪止め、櫛、それに育て屋夫妻御手製のポケモンについての本くらいだ。

何故こんなにも少ないのか。それは生活するための最低限以上を買うお金がないから。
育て屋夫妻が拒んだのではない。自分が拒んだのだ。他人の金銭で贅沢をするほど性根は腐っていない。
自分の手で稼いだお金なら幾らでも使う。給金が出るようになれば抑圧されていた欲望を買い物に費やす。
それまでは雑草根性宜しく何が何でも生き抜いてやろう。

『…今日は、何するの…?』
洗面台で顔を洗い終わると同時に尋ねてくる卵月。タオルで水気を取りながら頭の中で昨日言われたことを復唱する。

「確か今日は午前までは昨日と同じ仕事内容で、午後はお客さんの接待だって」
『…初めてだね…』
「うん。あぁそれと今日はご夫妻の子供が帰ってくるようです」
『…写真に写ってた二人…?』

首を傾げて尋ねてくる卯月に頷き、一か所跳ねている部分を水で濡らす。
フジキとヒサコの間には二十歳を超える息子が二人いる。一人はブリーダー。一人はトレーナーを目指し何年か前に家を出たらしい。

しかし今回ヒサコが大怪我を負ったので育て屋稼業を手伝う為に一時帰宅するとフジキが言っていた。
自分の子供に久し振りに再開出来ることが嬉しいらしく仕事の合間に話してくれた。
いつもより饒舌に語っていたのでよく覚えている。

櫛で髪を梳かし変な所がないか確認して部屋を出る。現在の時間は早朝五時。良い子は寝ている時間だ。

「それで卯月はどうします?」
『…んー…今日は、帰るよ…』
「了解しました。ではまた明日」
『…うん…』

別れを告げるとすぐに前を向いて歩きだした沙那。いつもなら別れを告げたらすぐに消えてしまう卯月だが、何か思う所があるのか段々と離れて行く沙那の背中を見つめていた。

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眦を釣り上げ腕を組んだ状態のフジキ。輝く日差しが彼の表情を影で隠し、瞳に宿る怒りの色だけがぎらぎらとしている。今のフジキはまるで観音から仁王像になってしまったようだ。そんな彼に睨みつけられ床に正座させられているのは二人の男性である。

一人はおっとりとした雰囲気を醸し出す優しげな風貌。もう一人は明朗快活という言葉が似合いそうな風貌の男性。
見た目は整った顔立ちの二人だが、残念なことにそんな二人の頭には特大のたんこぶがついていた。

「まさか年甲斐もなく空から突っ込んでくるなんて思ってもみなかったよ…」

怒れるフジキ。その声は怒声を上げるのを抑えているのか震えていた。

フジキが怒る所を見たことのない沙那には彼が滅多に怒らない印象がある。
実際沙那が仕事を覚える上で何度か失敗した時もフジキは怒るのではなく、優しく笑って丁寧に教えてくれた。
ポケモン達が諍いを起こした際も彼は声を張り上げはしても声を荒げることはしなかった。あくまで穏やかにポケモン達を抑えようとしていた。

だからこそ現在沙那の目の前に見える光景は本当に珍しいものだった。

「本当にすみませんでした…」
「わりぃ…」

悄然と項垂れる二人に怒りの納まらぬフジキは憤然と言い放つ。

「お前達は手伝いに来たんじゃないのかっ!しかも人に怪我をさせるなど言語同断だ!」
「……」

その言葉に申し訳なさそうに二人がちらりと視線を寄越すので目線を泳がせる。
すると視界の端にちらつく白。それは真っ白な包帯で巻かれた自分の左腕だった。

「…全く。何でお前達はそうやること為すこと落ち着きがないんだ…」
「え?それは父さん譲りだから…」
「トキ。お前は少し黙ってて」
「だってさツムギ。父さんだって昔は結構やんちゃしてたって母さんが…」
「そうかそうか。トキは俺の話を聞く気はないんだな…?」
「……あ。」

怒りのあまり冷たい空気を纏うフジキに気付いたトキは冷や汗を流す。

「(…ご愁傷様でした)」
空気の読めなかった明朗快活な彼に黙祷を捧げると、沙那は穴の空いた天井から晴れ晴れとした空を見上げた。

「………。」

午後。日差しが中点より少し傾いた頃に彼らは突然現れた。それは嵐か暴風雨のような激しさを伴ってきたのだった。



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