08


コガネシティの騒動が治まったのは一日置いた翌日だった。案外時間が早かったように思える。

ジュンサーの話しによるとロケット団は街の全てに渡り行き渡り、街の人間からポケモンを奪っていったらしい。
その中でも交番と育て屋は真っ先に狙われたらしい。交番はジュンサーの足止めと応援を呼ばせない為に。育て屋はトレーナーの育てたポケモンを奪う為に襲撃されたらしい。
大勢のロケット団の対応に追われていたジュンサー達はすぐにその場に向かうことは出来なかった。
悔しさで歯噛みする中、絶望的な状況を救ってくれたのは一人の少年だったらしい。占拠されていたラジオ局と社長を救い出し、幹部の人間達を圧倒したらしい。
その少年のお陰で育て屋のポケモン達も無事取り返されたと真剣な表情で話す彼女の表情は疲労が色濃く見えた。

「本当にごめんなさい」
「…いいえ…態々ありがとうございます」

今更そんな後事報告をされても何とも言えないが、忙殺され疲労している中態々来てくれたことに関して礼を述べる。

「それでは私はこれで失礼します」
「お疲れ様です」

ジュンサーを見送り玄関に入るとずるずるとその場に座り込む。体力的にも精神的に憔悴しきっていた沙那は、面倒臭そうに溜息を吐いた。

あの後ヒサコは病院に運ばれた。出血が酷く一刻を争う事態だったが今は何とか持ち直したらしい。フジキも怪我をしていたのでヒサコと共に搬送されていった。
唯一無傷だった沙那は育て屋に残り損壊した家屋の片づけとポケモン達の様子を見ることに専念していた。

ようやく区切りが着いた所でジュンサーが尋ねてきたので、今やっと蓄積されていた疲労感がどっと体に圧し掛かって来た。
思い出されるのは生々しいほど鈍い感触と倒れて行く人の姿。

「…あーもー…疲れんなぁ…」

左手で目元を覆う。込み上げてくる感情は酷く冷たくて、それでいて熱い。

人と接することは苦手だ。仕事やバイトだと思えば意識を切り替える事は出来るがそれでも根付いたものは簡単には治らない。
それなのにそれを余計に悪化させるようなことをしてしまった自分。あの時の光景を思い出すと恐怖感から情けなく手が震える。

他者を傷つけてしまった。しかも精神的にではなく物理的に。

一人目を縄で縛った後、自分は二人のロケット団の人間を殴りつけた。物陰に隠れて団員達の背後から金属の棒を力任せに振り翳す。
団員は何人もいたのだが招集が掛ったのか引き上げて行った。その様子を物陰から見守っていた自分は彼らの後姿を見るとふっと体から力が抜けるのを感じた。

同時に恐怖とも焦燥ともとれる感情が胸の内に広がって行った。

他者を殴りつける自分。まるで感情も理性も凍りついたようにただ目の前にいる存在を傷つけていった自分。
見えていたのは笑う黒い男達。聞こえるのは自分の激しい心音と自分の中に循環する血液の音だけ。
憎悪だけが…渦巻いていたのだ。排除しなければならないと、自分と同じ声音で機械的な命令が頭を満たしていた。

『…沙那…』

唐突に声が聞こえた。俯かせていた顔を上げるとそこには空中に漂うケーシィの姿。
はっとしたように強張り無表情になりそうな表情を取り繕うように弱々しく優しげな表情を向ける。見ている相手に不信感を与えない今の状況に適した表情を。

「…なんだ。卯月か。大丈夫だった?」
『…うん。森の方には来なかったから…』
「そっか。こんな状況じゃあ不謹慎な言葉だけど卯月が無事で良かったよ」

これは心からの言葉だった。仲良くなれた存在がいなくなることは自分には耐えられない。

笑顔を向ける沙那に何の反応も返そうとしない卯月に内心首を傾げる。いつもなら寝ていた場合以外、きちんと反応を返す卯月だというのにどうしたというのだろう。
笑ったままでいると卵月が動き出した。取り敢えず動向を伺っていると予想外のことが起きた。

「ひったたたっ!ひひゃいっへふぁ、ふうぇふっ!」

何を思ったのか沙那の頬を思いっ切り引っ張り始めたのだ。いきなりの事態に抵抗することが出来ず、卯月の腕を軽く叩くことで静止を掛けるがいっこうに放そうとしない。
一体何なんだろうが。こちらは心労で苛々しているというのに何故何もしていない卯月に頬を引っ張られなければならない。

ささくれ立った心境で卯月の腕を振り払おうとしたが、不意に脳裏に過ぎるのは人を殴りつける自分の姿。

熱くなっていた感情に冷水が掛けられる。

振り払ってはいけない。頭の奥で聞こえてきた声が一瞬伸ばしていた手を硬直させた。
(駄目だ。変な間をつくっちゃいけない。自然に接しろ。いつもみたいに…)

途切れ掛けた思考で記憶を繋ぎ止めるといつもの自分と卯月の掛け合いを思い出す。いつもの自分ならどういった行動をするか。

一瞬の間のあと、卯月の頭を笑いながら左右に揺さぶった。

「ふぁひふふんはよー」
『…沙那…』
「ふ?」
『…どうしたの?』

卯月の言葉に瞬きを繰り返すと可笑しそうに笑い出した沙那はやんわりと自分の頬を抓っている手を外させた。

『…いつもの沙那なら、面倒臭そうにされるがままでしょ…?』

卯月の言葉に内心しまったと呟く。どうやら選択を間違ったらしい。
乱暴に頭を掻くと深く溜息を吐いた。落ち着け。まだ隠すことは出来る。

「んー。まぁぶっちゃけると疲れたかなぁ」
『…ほんとうに…それだけ?』
「いやいやそれだけってあんたね。こっちは心労とポケモン達の様子見でくったくただってば」

苦笑しながらそう言うと卯月は首を横に振った。

『…違う…それじゃない…』
「それじゃないって…本当のことだなのに」
嘘は言っていない。疲れているのは本当のことだし精神的に参ってるのも本当のことだ。
ただ言いたくないことを言っていないだけで嘘は吐いていない。

『…ボクの特性…はシンクロ。だから、さっき沙那の心を感じた…』
「…?」
『…今…沙那は、真っ黒で真っ赤だ…』
「…っ!」

そういえばケーシィにはそういった特殊な能力が備わっていたのだった。そんなことを思い出すと沙那は血の気を引かせる。

知られてしまった、と。

『…だから…今言ったことじゃないことが聞きたい…』

覗き込んでくる卯月の顔から意識を反らす。

言える訳がない。本当のことを言ってしまったら自分は理性を保てない。言ってしまったら何かが壊れてしまう。口に出すことほど恐ろしいことはないのだ。

「…無理だよ…」

口元を抑える。

『…沙那…』
「…ごめん…私には無理だ…言えない」

消え入るような言葉に卯月は口を噤んだ。
誰かに露吐出来るほど自分は強くない。誰かに自分の中にある感情を背負って貰うほど自分は弱くない。
自分の中にある罪悪感を誰かに話せるほど、罪を告白するほど自分は強くはなれない。
いや、何よりも。他者に自分の事を話せるほど周りを信用していない自分が、どうして自分の負の感情ことを言えようか。

理性と感情がせめぎ合う。自分が人を殴りつける様子を思い出す。

「…無理だ…ごめん…」

ごめんなさい。卯月を信用することが怖い。他人を信用する自分が怖い。周りが怖い。怖くて、誰も信用出来ない。

「聞かないで、お願いだから…」

この胸の内にある恐怖を言ってしまったら、積止められた凶器がまた噴き出してしまうかもしれない。狂暴なまでのあの時の自分が、今度は自分以外を傷つけてしまうかもしれない。

(お願い、だから。何も聞かないで)

声のない慟哭が沙那の胸の中で弾けて消えた。

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