07


例えばこの世界が優しいだけの世界なら私はこの世界そのものを信用しなかっただろう。綺麗なだけの世界なんて有り得る筈がないと知っているから。
けれど信じたくなってしまった。綺麗な世界だってあるのかもしれないということを。綺麗で楽しい世界があるのかもしれないということを。

そんな幻想を信じたく成る程…ヒサコやフジキや街の人達が笑っているこの場所はあまりに心地よすぎたのだ。

だから…いざ現実を突き付けられるとこんなにも弱い。

何故今まで忘れていたのだ。現実なんてこんなものだということを。いつでも警戒しなければならなかったのに。
この世界にいるからこそ警戒しなければならなかったのに自分は忘れていた。

あぁそれとものこれは報いなのだろうか。私への。忘れていたから。

怯えるポケモン達を我が身を呈して守っているフジキ。
凶刃を受けて倒れているヒサコ。彼女の体からは至るところから温かな体液が流れ出ていた。広がる血溜まりは今もその面積を広げている。止血をしなくてはヒサコは死んでしまう。

(あぁ…でも)

そもそもあの傷は誰の所為で受けたのだろうか。視界に入るのは黒い色にRの文字が入った服装。

あぁそうだ。この黒がヒサコを傷つけたのだ。育て屋にいるポケモンを奪う為に来たのだと言っていた。必死に抵抗したが半分がこの人達に囚われた。

残るポケモン達を奪われまいとヒサコが立ちはだかると彼らは何の躊躇いもなく彼女を殴り手持ちのポケモンで攻撃したのだ。

奪われることの恐怖を。引き裂かれるような苦痛を私は初めて知った。

「……っ」
「オラッどけよジジィッ」

フジキが殴られる光景を目にした瞬間、沸き上がるのは何とも形容し難い感情の本流。それは今まで味わったことのない憎悪と呼ぶべきモノだった。
初めて味わうどろりとした黒い感情。あぁそれはなんと気持ちの悪い不快なものなのか。

しかしその感情の矛先は黒服の人間達だけでなく自分自身にも向けられていた。

自分の大切なモノを傷つけたことは許さない。奪われたことはもっと許せない。
けれどフジキとヒサコが必死で戦っている間に自分は何もしなかった。何も出来なかったのではない。何も、しなかったのだ。

目の前にいる連中は憎い。けれどそれ以上に何もしなかった自分が酷く疎ましい。

背後にポケモン達を庇いながらそれでも守ろうとするフジキの姿を見て、ぎりっと唇を噛み締める。瞬時に血の味が舌に広がった。

(あぁ憎い。)

ふと硬い何かが手に当たった。視線を投じるとそこには金属の棒のようなものがあった。家を壊された時に破損した部分のものだろう。

幸いなことにあの男のいる場所から自分の姿は見えないらしい。

半ば無意識にそれを右手に握り締めるとこちらに背を向けている黒服を見る。フジキが庇っていたポケモン達を捕まえるのに夢中で気付かない男。男のポケモンもこちらの存在には気付いていないようだ。

重い金属の棒を頭上へ振り上げる。背後にいる沙那に気付いた男が驚愕の表情を浮かべた。

その男を無表情に見つめたまま額に振り翳す。

「な、お前ぐぁっ」
「…っ」

…鈍い、感触がした。

男の手持ちのポケモンはこちらを見て怯えたような表情を向けてくる。だがそれすらどうでもよく感じられ、呻きながら倒れる男の頭にもう一度殴りつけ、止めに背中目掛けて再び凶器を殴りつける。

「……。」

完全に気絶したかどうか足で転がして確認すると男からモンスターボールを奪い、中にいるポケモンを出す。
明らかに怯えた様子のポケモン達。それすらどうでもよくて無表情に告げる。

「……逃げたきゃ逃げて。」

こちらの言葉に警戒と困惑の表情を浮かべるポケモン達。

「それで二度とこっちの世界には関わらないことね」

冷めた視線を彼らに向けると急いでヒサコに簡単な応急処置に施す。倒れているフジキの容体を確認すると育て屋にいるポケモン達に向き直る。

すると皆一斉に体を強張らせた。その様子を見て当然かと思う。こんな恐ろしい光景を見せられたのだ。怯えない方が可笑しい。

「…ごめん。本当にごめん…」

怖がらせてしまって。本当は綺麗な存在じゃなくて。…幻滅させてしまってごめん。汚いところを見せてしまってごめん。

お願いだからこんな自分を見ないで欲しい。

引き攣れたような痛みを感じながら彼らに背を向けると出入り口の死角部分に身を潜める。

多数対一人はキツイが一対一でなら何とかいけるだろう。不意打ちを狙っていけば倒せる筈だ。

不意に金属の棒に付いた赤いモノが視界に入る。先程男を殴りつけた時についたのだろう。
よく見れば飛び散った赤色の飛沫が沙那の手にも付いている。

まるでその色は沙那が所詮異物なのだと言っているようだった。

「…汚い、なぁ…」

初めて赤い色が赤以外の色に見えた。

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