それは正しく大人が子供へ何かを言い聞かせる時の言い方だったのだが、セルゲイの纏う雰囲気の所為なのか、普段殊更に子供扱いを嫌っているタカオも何故か微塵も怒る気が湧いてはこなかった。
渋々、と言った風に承知する。タカオが軽く頷いたのを確認すると、セルゲイは淡く笑ってするりとドアの隙間から出ていってしまった。
一人ポツンと取り残された部屋。暖かく快適だった温度も、それを自覚した瞬間にヒンヤリとしたものへ姿を変えたような気がした。
「一人は…嫌い、だ……」
呟かれた言葉は誰に聴かれることもなく周囲の空間に溶けて消えた。
ガチャリ、小さく響いた扉の開閉音に振り返ることなくボリスは声を掛ける。
「…何の用だ」
説教なら聞く気はないぜ、と悪びれた風もなく溢す彼に思わず苦笑を漏らすと、ギロリと自分の部屋に訪れた来客を一睨してボリスはまたすぐに手元に視線を戻した。
それを別段気にした風でもなく、腕組みをしたまま開け放った扉の横の壁に背を預け、セルゲイはただ重要な一言だけを告げる。
「姫が私の部屋に来ているぞ」
ソレを聞いた途端
ガタン!ドタッ、バタバタ……ッッ!!!
と、随分と派手な音を響かせながらボリスは慌てて部屋を飛び出していった。
随分あからさまな態度をとる彼を横目で見やりながら、セルゲイはクツクツ喉を震わせた後にやれやれといった風に肩を竦める。
「まったく…手助けしてやらなければ謝ることも出来ないほど子供だとは……」
だが
「微笑ましいことだな」
口元に穏やかな笑みを乗せ、温かな眼差しでチームメイトの後ろ姿を見送っていた。
ガッ、ガタ…バァンッッ!!
程なくして戻って来たらしい部屋の主は余程慌てていたのか、扉を開ける際に蹴破ろうとでもしたのではないかという風に立てられた荒々しい音に驚き、反射的にタカオはドアへと向き直った。
「へ…」
其処に居る筈の無い人物を見つけて、ポカン……と間抜けに口を開けたまま固まってしまう。
驚きに硬直するタカオの視線の先には、戸口に手を付いて俯いているボリスの姿。
セルゲイの部屋とは対して離れていない筈なのに、彼はゼィゼィと肩で息をしている。
只呆然とその姿を見ていると、ボリスはいきなりギッと顔を上げ、怒りの形相でズカズカと目の前まで歩いてきた。
そしてタカオの両肩を掴むと
「アイツに何もされてないだろうなッ!?」
などと的外れな問いを、怒鳴るように聞いてきたのである。
「は、え?何って…ナニが?」
聞かれた問いを確実に認識する為に、数瞬の間を置いてパチパチと瞬きを繰り返すと、タカオは心底訳が分からないというように首を傾げてみせた。
そんな姿に若干苛ついたのか、ボリスはそのまま乱暴にタカオの手を取ると強引に立ち上がらせ部屋を後にする。
勿論、すれ違う際に部屋の前まで来ていたセルゲイを睨むことは忘れずに。
「ボ、リス…っ痛ぇよ…!てか、早いって…ッ」
あまりにも強引に引っ張っていくボリスに着いていけず、途中で猛抗議をし何とか手を振り解こうとするタカオ。
腕をブンブンと振ってみたり足を踏ん張ったりしてみるのだが、如何せん力の差がありすぎてどうにも出来ない。
その声に漸くピタリと歩みを止めると、ボリスは勢いよく振り返り
「本ッ当ーに何にも無かったんだな!?」
再度、酷く焦ったように問いただしたのだ。
「だから…何にも無いって。ただ話聞いてもらっただけだよ」
その言葉に漸く安心したのだろう、ボリスは其処でやっと安堵の溜め息を溢した。
「…もしかして……ボリス、嫉妬?」
その様子を見てピンとくるものがあったのか、小首を傾げて見上げると、ボリスはぐぅと苦々しげに呻いた。図星…と言ったところか。
「悪いかよ?大体お前が…!」
其処まで息巻いた所で、ハッと動きを止めボリスは跋が悪そうに髪の毛をぐしゃりと掻き乱す。
「違う……こんなんが言いたいんじゃねぇんだ。そうじゃなくて、お前が、楽しみにしてたの解ってたのに…」
数回首を横に振り、言い辛そうに床に視線を投げポケットに余っていた手を突っ込む。
そうして僅かに俊巡を見せた後、聞き取れるかどうかの声量で普段の彼からは到底信じられないような台詞を聞いた。
「構ってやれなくて悪かった…」
呟いた顔が段々赤くなっていくのを見て、タカオは困ったように眉を寄せそれでも嬉しそうに微笑んだ。
「大丈夫……オレも、急に出てったりしてごめん」
ニコリと笑ってみせてから、ポケットに入っていた手を引きずり出し指を絡ませる。
ボリスはそれに照れ臭そうに微笑み返し、握った手はそのままにゆっくりと先を歩きだした。
「なぁボリス」
「ん?」
呼び掛けに振り向いて
「大好き!!」
――ゴスッッ!!!!
人けもないとは言え狭い廊下での大胆な告白に動揺して足を滑らせたボリスが、見事なまでに壁に額を打ち付け大きなタンコブを作ったとかどうとか……
.END.