只でさえ湿気高い日本の夏だと言うのに、昼を過ぎてから一斉に始まった蝉の大合唱により追い打ちを掛けるようにドッと暑さが増したような気がする。


 典型的な日本家屋のタカオの家にはそれこそ扇風機はあるものの、冷房といった便利な電子機器は置かれていない。

 それでも襖や障子を開け放しておけば風通しはよく、時折鳴る風鈴の透き通った音が幾分か暑さを和らげていた。

……いたのだが、矢張り暑いものは暑い。


 昼飯時になり他の皆が食事の支度や練習に励んでいる中、ライは一人タカオの姿を探していた。
 丁度自分の手が空いた時に姿の見えないタカオを探してくるようヒロミから頼まれたのだ。

 普段使われている居間や剣道場、タカオの部屋その他…家中様々な場所を捜し回ったが、依然として探し人の姿は見えない。
 もういい加減諦めようかとした時、1つだけ――未だ仁の部屋を探してはいないことに気付き、くるりと踵を返し足早に歩き始めた。


 思った通り、今は使われていない部屋の襖が半分程開けられ、差し込む光で中の様子が伺えるようになっている。

 思い切って縁に手をかけ開けてみると、上着と帽子を取り去り眠っているタカオが其処に居た。
 中途半端にしか開けていないため風があまり入らなかったのだろう、部屋の中には熱が籠もり、それでもタカオが起きる気配は見受けられない。


 ライはそんなタカオを見下ろしながら、鳩尾辺りがチリリと焼けるような感覚に襲われた。


 今回ベイブレード界を掛けて行われる、対BEGA戦。その敵であるチーム側に仁がついた事は、弟であるタカオとそれ以外の者にとってもそれは衝撃的な事件だった。

 其処には弟の更なる成長を願う気持ちや、自立していく為に自分は何時までも傍に居ることは出来ないのだと自覚させなければならない……そういった様々な思いもあったのだろう。

 妹ではあるが同じ「兄」という立場から見て、ライにとってまったく共感出来ないという程の感情では無い。

 しかしこの事に一番驚き悲しんでいたのはタカオだ。
 怒り、悲しみ、一番頼りにしていた筈の兄が自分から離れてしまった事実に何故、と思う気持ちとそれでも信じたいという心がない混ぜになり、一時期見ていられないほどタカオは沈んでいた。


 今でこそ打倒BEGAと信念を掲げ前向きに練習に励んでいるものの、時折見せる憂いを帯びた横顔に、ライはタカオにまるで硝子細工が音もなく崩れていくような、そんな脆く危ういものを感じていた。

 確かに励ますだけなら簡単な事だ。今はそんな事に気を取られている場合ではない、くよくよしていたってどうしようも無いだろう?と。
 しかしそれはタカオ本人が一番よく分かっている事。寧ろ「元気を出せ」と軽い気持ちで慰めたって、逆に傷つける結果しか生まないことをライは知っている。


 出来るならその細い身体を抱き締めてやりたい。そして襲い掛かる全ての苦難から守ってやりたい……所詮驕りかもしれないがライはそんな事を半ば本気で思っていた。

 こんな風に考えるのはきっと自分よりも年下の彼を弟のように思っていたからだろう。
 だがそう思う反面何処か腑に落ちず、この所ずっとライはこんな不明瞭な気持ちを抱えて生活していた。


「……」

 起こすことを前提で探していたと言うのに、そうしてしまわぬようにと無意識で静かに跪いてタカオの顔を覗き込む。
 長い前髪を掻き上げると、表れた実際の齢よりも幼く見える寝顔。穏やかに寝息をたてるその姿にホッと胸を撫で下ろして、額に滲む汗を拭ってやった。

 そうして暫らく寝顔を眺めてから、急遽自分の役目が何だったかを思い出し慌ててタカオを起こそうとする。

 細い肩に手を置こうとして目に飛び込んできた白い首筋に、何故だか釘づけになる。


 今まで耳に届いていた筈の蝉の声や木々の騒めき。遠くから響いてくる仲間達の声が、まるで其処だけ空間を切り取ったように聞こえなくなっていた。


 ライはふらりと誘われるように其処へ顔を埋めていた。舌先に感じる体温と、汗による僅かな塩味。
 鼻腔を擽るのは、温かい太陽の匂いだった。

 ぼんやりとする頭で夢中になったように舌先を数p上へとずらす。

「っん…」

 スッ、と擦るようなその感触が擽ったかったのだろう、微かに身を捩り零れた小さな吐息にライはビクリと身を跳ねさせると、文字通り飛び起きるようにタカオの上から身体を引いた。


ドクン、ドクン、

 心臓が早鐘のように鳴り響き身体の奥からライの耳を襲う。


 自分は今、一体なにをした?



「……!」

 咄嗟に口元を掌で覆って、気付いたその衝動に辟易する。

 ぐるぐるぐるぐると思考が巡り、しかし決定的な出口へ辿り着けない。それでも今自分が"求めた"その行為が何であるのか。

 気付いてしまったらもう何もかもが終わりな気がして(実際何が終わりなのかは、ライ自身も解っていない)思考に慌てて蓋をして、ライは勢い良く立ち上がった。

 元来、ライは自分の感情には正直な方だ。
 腹が減ったら食べたいものを食うし、笑いたい時には笑い怒りたい時に怒る。
 落ち込みやすい性格でもあるし、ある意味で弱点とも呼べるそれの所為でベイバトルで危なくなる場面だって少なくはないけれど。

 寧ろそれでこそ己が己自身である由縁だ。
 仮令分かりやすいとか単純だとか言われようがそれを敢えて直そうなどとは思えない。

 そう、ライは自分の欲望という物に酷く従順なのである。


 唯、それが事タカオという人物に関してだけ、こうも消極的で己を抑制せざる得ないのはどうにも彼らしくないと言えた。


 兎角このままではどうにも不味い。
 ライは言葉もなく茫然と、寝苦しそうに寝返りを打つタカオを見下ろした。

 そのままジリジリと後退り、二三歩退いた所でパッと身を翻して逃げるように走りだす。
 途中すれ違ったヒロミに「タカオはどうしたの?」と聞かれたような気がするが、実際そんなことに構っていられないに程ライは悚然していた。


 己でも自覚していない、その感情が露見するのが恐いのだろうか。

 何故自分は、それを見て見ぬ振りをしようとするのだろう。
 もしもこの気持ちが爆発してしまったら、溢れてしまったらどうなるか分からない。

 分からないから恐い。


 それでも。

(俺は…)


 止められない。

 心の奥底から湧き出るように想いが溢れて止まらないんだ。

 嗚呼 ああ、何という事だろう。

 自分は、この幼稚な感情に付けられる名前が何と呼ばれるのかも知らずに



それでも君を愛していただなんて。







(愛しすぎて恐いなんて、なんて贅沢)


了.
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