青く大きな月が窓から部屋一杯に白い光を降り注いでいる。時刻は時計の短針が1を指し、辺りがシンと静まり返った夜半過ぎ。

 いきなり鳴り響いた携帯のコール音に、微睡みかけていた意識は急速に浮上させられた。

 少々不機嫌になりながら碌に相手の名前も見ずに出ると、聞き慣れたあの低い声で『今から来い』だなんて言われて。
 非常識だなぁ、などと思いながら一方的に切られた携帯のディスプレイを見つめていた。

 電源を切り再びベッドの上に突っ伏すが、先程の電話を思い出しまたノソノソと起き上がる。


 本当は疲れた身体を癒すために今直ぐにでもシーツに包まって眠りたかったのだが、普段からは考えられないあの男からの一言が何故か無性に気になって仕方がない。
 結局母親が眠っていることをそっと確認してから、足音を忍ばせて素早く家を抜け出すと、淡く星が照らす道を駆け出したのだった。


 そうして、彼がこの日本にいる間寝泊まりしているマンションへ着いたはいいのだが、電話を掛けてきた張本人はベッドヘッド近くに座った涼の腰辺りに腕を回して思いきり甘えん坊状態だ。
 動こうにも回された腕には結構な力が入っていて、苦しくはないけれど動くことは許されない。


 フゥと聞こえない程度に息を吐き出して、表情の見えない相手に苦笑いを零した。

 大概甘えたなこの男をほんの少しでも可愛いと思ってしまうのは、結局のところ相当惚れ込んでいる証拠なのかもしれない。


「なぁシルバー、何で俺のこと呼んだんだ?」

 兎に角このままでは何も分からないと、問い掛ける声は自分でも驚く程穏やかで。
 此処に来てからずっと男の頭を撫で続けている手は、少しだけ感覚が鈍くなっていた。


「――唄え…」


 ポツリ、落とされた一言で全身の力が抜ける。
 たった一言ではあったが、あの内容からしてもっと重要なことで呼び出されたと思っていたのに、涼は酷く肩透かしをくらったような気になった。


「唄え、って言われてもなぁ……お前結局何がしたいんだ?」

 ペシペシと男の肩を叩きながら呆れ気味に問う。
 それにちらと視線を向け、シルバーはまた直ぐに涼の胸元へ顔を臥せた。


「この頃仕事が忙しくてな……碌に睡眠を取れていないんだ」

だから、唄え


「…ええと、それはつまり」

(子守歌を唄えってことなのか…?)


 なんとなくではあるが、シルバーの言わんとすることは理解できた。

 敢えて聞こうとも思わないのでどんな就業内容かはあまり知らないが、確かに最近は仕事が忙しいらしくお互い会う時間など少しも無かった。
 故に眠る暇なんてほとんど無かったのだろう。
 今こうしている時でさえシルバーは微睡み掛けていて、其れ程に疲れているのだと言う事を教えていた。


 だからと言ってこんな夜中に呼び出された涼も十分に眠い。それを押して来たと言うのに、この男が望んだのは子守歌…

 それ程眠いのならさっさと寝てしまえばいいのに――そうは思っても、口にすることはしなかった。
 何だかんだと不平不満はありながらも、こうして甘えられること自体は嬉しくない訳では無かったからだ。


(何て言うかもう……)

 馬鹿だ。

 わざわざ人を呼び付けて子守歌を頼むこの男は本当に馬鹿だ。

 でもその馬鹿を愛しいと思ってしまう自分はアレだ、もっと大馬鹿だ。


「先に断っておくけど……下手だって文句言われても知らないからな」

 諦めたように溜息を吐いて、スゥと軽く息を吸い込む。
 紡がれる声はやがて明確な音を作り、シルバーにとっては馴染みのない言語の、しかし耳に心地よい歌となった。



 懐かしい、と涼は唄いながら思う。
 自分は其処まで母親に甘える方では無かったけれど、それでもうんと幼い頃、どうしても眠れなかった時にこうして子守歌を唄ってもらったことが確かにあった。

 こうやって頼ってくれるということは(頼り方が間違っている気もするが)、少しは自分を想ってくれているという事なのだろうか?


 頭を撫でていた手は無意識の内に背中へと移動し、まるで母親が泣いて愚図る子供をあやすように、トントンとリズムを付けて叩き始めた。
 シルバーの身体から、フゥ…と力が抜ける。


「なあ、シルバー」

 触れる手はそのままに。

「また眠れない時は、俺を呼んで?」

 涼はゆっくりゆっくり諭すように語り聞かす。

「何処に居ても、何をしていても絶対に来るから」


 答えは無い。だからシルバーに聞こえているのかは、もう分からないけれど。


「我儘も少しくらいなら我慢してやる。またこうやってお前の為に歌うから……だから、俺が傍に居るときくらいゆっくり眠ってくれ」



 応える代わり、抱き締める腕の強さが少しだけ増したような気がした。



fin.




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