〈幕間〉ビビッド・リインカーネーション





「髪を染めてほしい」
 三ヶ月音信不通になっていた幼馴染は、電話をかけてきたかと思えばそう言った。現状報告として、ローズさんに棄権を認められたこと、彼の紹介でダイマックス研究をしているマグノリア博士の下で調査を手伝うことになったこと。それを手短に伝えた後、彼女はそうこちらへ依頼した。暫く頭を冷やすと言ったからにはこちらからコンタクトを取るのも野暮だろうと彼女には何も触れなかった。それに丁度トーナメント直前でジムチャレンジャーが殺到していたのでそんな暇も無く。彼女のSNSアカウントが当然のように消えたのを皮切りに、彼女のことは考えないようにしていた。彼女がリタイアした場で輝く自分を意識してしまうのはどうにも辛かった。あれほど一緒にいて、同じバトルフィールドに立っていたのにいつから道を違えてしまったのだろうか。自分にあって彼女に無いものなんてこの世界に存在するはずがないと思っていたのに。
「オレさまで良いのか?初心者だぜ」
「…うん、君にしか頼めないじゃん」
 突拍子もない依頼だと思ったが、それでも少し考えれば納得がいく。ブランクはあれど彼女とはタッグを組んでいた仲だ。世間の知っているウェルという存在を捨ててしまう腹づもりらしい。見た目さえ変えてしまえば人の目は簡単に欺ける。それも髪色なんて目立つ箇所であれば尚更。こちらと同系色でなくなってしまうことは残念だったが、それも彼女の決定だ。こちらがとやかく言えることでもない。
「何色にするつもりだ?」
「黄緑にオレンジのメッシュ」
「難易度が高ぇよ」
 はは、と彼女の笑い声が漏れる。元通りではない。それでも、あの晩よりは遥かに彼女らしい。いたずらっ子の問題児が向こうにいるのだ。
「まあやるけど」
 流石、と言う彼女の背後にぐるる、と喉を鳴らす低い声が聞こえる。記憶にあるウェルのコドラがリラックスしているときに出す声より低いそれは、ボスゴドラになった彼のものだろう。見張り塔跡地の残骸に腰掛けて電話の片手間にボスゴドラの喉を撫でてやっているのが目に浮かぶ。
「準備できたら連絡する」
「ありがとう」
 こっちが先に切ることを期待した無言の数秒が名残惜しかった。通話が終了したとて関係が切れるわけでもないのに。彼女のいない生活に迎合した自分が誇らしいようで、少し虚無感を覚えた。彼女がいなくても案外平気に過ごせてしまえることに気づきたくはなかった。こう考える以上平気で過ごせてはいないのだろうが。でも怖かった。ただの幼馴染というのに、彼女に執着したくて堪らなかった。ナックルジムのジムリーダーとしての自分が本来の自分を塗り潰してしまっても、彼女がいればオレさまは、オレは「キバナ」でいられる。

***

 なんて、二人がそんな会話をしたのはもう八年近く前になる。
「いい加減プロに頼んだらどうだ?」
 ドライヤーの風に色鮮やかな髪が靡く。黄緑色にオレンジ、あくまで自然界に存在する色合いではあるもののどこまでも人工的。彼女を見れば誰もが「髪色の鮮やかな女性」と記憶するだろう。アヴァンギャルドな見た目をしていたのならば、例えば細かいパーツなんかは印象に残らない。元々地味な髪色をしていたのなら尚更。
「知らない人間に背中を預けるのはちょっと」
「オマエはサムライか何かか?」
 カラーリング、それもメッシュの入ったものとなれば美容師に頼むのが定石だ。それでも何年も定期的にやっていればそれなりの腕にはなる。そもそもそれなりに器用な方だ。人並みに出来ないことの方が少ないし、彼女の髪を染めるくらいどうということはない。いや、流石に初回は随分と手間取ったし今思えば酷い出来だったが。
「いつも助かるよ、今回のお礼もいつもどおりでいい?」
「そうだな、ヨプの実増やせるか?」
時間も手間もかかる。ルーティンと言うにはあまりに煩雑。彼女のためとはいえこれを拒否しないのにはちゃんとワケがある。街で過ごしていてはなかなか手に入らない珍しい大量のきのみ。普段から僻地で過ごす彼女にとってはありふれたものなので、店で買えばひっくり返るくらいの代金になるだろう量をどさりと置いていくのだ。まあそんなもの、建前の理由ではあるのだが。
「すっごい綺麗…」
 鏡の中の彼女が横髪を指先で摘む。彼は結局、髪を染める理由を彼女に直接聞いたわけではなかった。それくらい聞かずともわかっていたから。アッシュグレーのベリーショート、黄緑色のヘアピン。当時のボーイッシュな彼女のスタイルから一新して、黄緑色にオレンジのメッシュ、ツーサイドアップをおだんご状にまとめてしまえばもうどこにも面影はない。メッシュの位置はキバナの気分次第。以前一度インナーカラーに仕上げたこともある。今回は横髪と前髪の一部をオレンジ色にしている。常々ワイルドエリアで過ごす彼女にしてはヘアスタイルがいつも可愛らしく整っているのは彼女の手持ちであるエルレイドのおかげだ。彼女がマグノリア博士へのレポートを書いている間にヘアアレンジをしているのは想像に難くない。彼女はポケモンに対しては優しいので、好きにさせているのだろう。エルレイドはカラーリングをしているときにモンスターボールから出てきてはキバナの手元を見つめているし、キバナが髪色の塩梅を聞くこともあった。
「まあでも。君が面倒なら終わりで良いよ」
「確かにそろそろ皆忘れてるだろうしな」
 ジムチャレンジャー・ウェルの存在はもう随分前の話。半年前のドラマのタイトルすら覚えていない大衆なら、もうとっくに彼女のことは忘れているだろう。今更元の髪色と髪型に戻ったところで、少女から大人になった以上顔つきも変化している。
「さあどうだか。なんにせよ街に来る頻度が下がるだけ」
「それは困る」
 面倒事は避けたいし、と付け加えた彼女にキバナは口元だけで笑って言った。本来の目的を果たすためなら髪色の変更はもう必要ない。彼女がキバナに会いに来る口実になっていたし、それは彼からしてもそうだった。そんな約束がなければ会えない二人だった。気軽に彼女に会えば彼女は嫌いなはずの人間に注目されることになる。キバナは世間のものだから、独占なんかおこがましい。彼女も彼女でそんなことを考えているのだろう。もしもそう彼女に面と向かって言われればそんなことはないと言えるのだが、互いに言葉にできるほどもう我儘にはなれない。
 それに。彼は彼女が自分のあずかり知らぬところに行ってしまうのは嫌だった。今更とはいえ、彼女との繋がりを投げ捨てたくはない。彼女のことを世界で一番知っている存在でありたかった。何故って幼馴染だから。恋人同士でも滅多に無い特大の束縛心を彼女に向けている。書類に記された関係でもなしに、彼女の全てを把握してしまいたかった。だから彼女が自分のあずかり知らぬところで変貌することへの嫌悪感がある。そんな幼稚さを抱く代わりに、彼女からの同じような感情は許容するつもりでいる。もしも彼女がそんなものを抱いているのなら、の話だが。
「案外楽しいんだぜ、これ」
「ありがとう」
数ヶ月に一度、彼女は自分の手で生まれ変わる。それが嬉しくてたまらない、なんて決して口に出すつもりもなかったしそう本心から思っているとも考えたくはなかった。伝承の中のドラゴンが独占欲の酷いものであるとしても、ドラゴンストーム・キバナまでそうである必要はないし、そうあるべきではないのだ。

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