5 彼女は戦場で夢を見たか?



 ああなんと、喜ばしい日なのだろう。
 第一印象はそれだった。総帥様の悲願である、北の海制覇への第一歩。四皇とはいえ海賊の力を借りるというハイリスク・ハイリターンの取引は、この婚姻を以って締結される。一般的な人間の幸福というものは理解できないが、全員が笑顔のこの場は確かに、幸福の極みなのだろう。感情を削られた我々であっても肌に感じる空気は、悪いものではない。事実、用意された食事はどれも一級品。更に飾られているもの全てがお菓子でできているのだから、まさに夢の国だ。確かどこかの御伽話にお菓子の家が出てくるものがあったっけ。子供だけでなく、甘味が大好きな人間にとっては楽園以外の何物でもない。それに何より、サンジの結婚相手がチョコレート職人だというのだ。ショコラタウンで購入したもののうち一番だと感じたものの作者とまさかお近づきになれるとは。いや彼女のもの以外ほとんどニジが食べてしまったから一番、と言うには少々賛辞に欠けるか。今までの人生で最上級、くらいはあった。式が終われば是非この書き連ねた感想文を差し入れよう。彼女の喜びそうなものは何一つ思い付かないからだ。海賊の娘とはいえ、多分制圧した島じゃあ喜ばないだろう。それ以外の物を探るにも彼女に関してはサンプル不足だ。
「おや、書司モンドール殿ではありませんか」
「む?ああ、指揮官フェム殿。楽しんでいるか?」
 シルクハットを被った男に声を掛ける。ただ菓子を楽しんでも良かったが、ここでコネクションを作っておくのも悪くはない。どうせ近い関係になるとはいえ、ビッグマムの子らは大勢いる。全員の顔と名前は一致しているが、会話をする機会なんてこの一度きりかもしれないのだから。
「はは。呼び捨てで構いませんよ」
「じゃあ遠慮なく。昨日の結納には姿が見えなかったが?」
「アタシはヴィンスモークの血筋を引いていないからね、招待されなかったのさ。だから今朝ここに来た」
 にこやかに話す彼もまた、億越えの賞金首である。彼の能力は観賞用にも戦闘にも使えるという優れもの。本に閉じ込めている間は劣化しないとあれば、これほど有用な悪魔の実はないだろう。
「そうだったか!いやあ是非ともコレクションを見て欲しかった!」
「ああ!世界各地の珍種を集めた世にも珍しい生きた本、噂には聞いていますが…式の後、見せて頂いても?」
「勿論だとも!」
 例えば今ここで。彼の能力を発動されればなす術もなくコレクションとして磔にされてしまうのだ。宝石のように綺麗に、昆虫標本のように残酷に。初手で遅れを取ってしまえば打つ手はないので、まず距離を取るか、先手で気絶させてしまうか。レイドスーツは持ち込んでいない以上、能力は十分に使えない。ああアタシの悪い癖だ。こんなめでたい日にまで戦闘のことを考えている。
「ありがとうございます、書司。それはそうと…将星クラッカー殿は来られていないのですか」
 そんな思考を拭い去るべく、彼にそう問う。ビッグマム海賊団の中で一番気になっていた(と言えば大変語弊があるが)。あの巨躯で彼はどのような攻撃を繰り出すのだろう。あれを崩すにはやはり足を狙わねばなるまいか。彼の姿は果たして本物なのか。情報収集にあたり感じた違和感の正体を確かめたかった。あれ、やはり戦闘のことしか考えられていないじゃないか。
「あー…麦わらの野郎に吹っ飛ばされてな。兄貴のことだし大丈夫だろうが療養中だ」
「まあ。とんだ番狂わせですこと。クラッカー殿とは一度手合わせ…いえ、お話ししてみたかったのだけれど」
 モンドールの言葉にあ、少し選択肢をミスしたかな、という気持ちになる。流石はドンキホーテ・ドフラミンゴを倒した男。カフェ食い事件を起こしていた印象が強いけれど、その強さは本物らしい。
「兄貴と?そりゃあ最高だ!」
 からからと笑って見せたモンドールを見る限り、先程の発言はそこまでまずくはなかったようだ。彼が海賊だからなのか、この場が結婚披露宴会場であるからなのかはわからないけれど。
「さ、新郎新婦の入場だ。ジェルマ王国の方々には良い席をご用意してるぜ」
「ふふ、本当に良い席だこと。標的を狙い撃ちにするにはここしかないもの」
 素直に褒めたつもりだった。標的を仕留めやすいということは、対象と近く見晴らしも良い。けれど今度ばかりはモンドールも怪訝な顔をしている。やはり人間の会話は難しい。アタシなりの褒め言葉ですよ、と笑いながら言って席に着いた。
「ってなわけで素直に祝福してたのにさあ。まさか本当に狙い撃ちにされるとは思わないじゃん」
「全くだ」
 めちゃくちゃになった披露宴、と言ってしまえば簡潔。どうしてだか誓いのキスの直前に崩折れた花嫁、ウェディングケーキから飛び出してくる麦わらのルフィの群れ、未来視のできる将星カタクリの焦る様。その動乱に混ざろうと本能の赴くまま立ち上がろうとすれば、身体はアメでガチガチにコーティングされている。ついさっきまで話していたモンドール書司がジャッジ様に銃を向けているのだから、滑稽なんてもんじゃない。嵌められたのだ、我々ジェルマは。だから総帥様はみっともなく泣いているし、レイジュも平静を装って恐怖を噛み殺している。
 さっさと撃ち殺してしまえば良いのに、長男のペロスペローはさんざジャッジ様を甚振っている。レイドスーツさえあれば、と言うが正直この状態でレイドスーツがあり身動きが自由に取れたとして無事この島から脱出できるかどうかは微妙なところだ。確率は一割どころか一パーセント未満。そんな冷静な判断はきっとこの場で喋るだけ無駄なので口は閉ざしておく。どうせ皆、わかっていることだ。
 さて。いざ死を目の前にすると随分、呆気なかったなあと思う。今まで数多の命を散らしてきたけれど、まさか自分の命がこんな情けないものになるとは思いもしなかった。あのとき死んだ雑兵たちもこんなことを考えていたのだろうか?面白い。ここにきて、削がれていたはずの共感が脳内に溢れ出してくる。そういえば通常、死に瀕すると未練や無念のことを考えるんだったか。祖国の妻子、叶えたかった夢、告げるはずだった恋。そんなものが我々に、この自分にもあるだろうかと考えた。チョコレートをもっと食べたかった?もっと蹂躙を楽しみたかった?出来る限りの好ましい事象を脳内に並べていく。アタシの未練は、と夢想に耽る。ああそうだ、もっと彼と、試合いたかった。
 別に死ぬことは怖くもないし、死ぬのが嫌だとは思わない。それでも、死ねばもう二度とヨンジと拳をぶつけ合うことはないのだ。ああ、引き摺り出した内臓のように未練は湧いてくる。アタシのチョコレートを勝手に食べたニジとの喧嘩も終わっていないし、イチジとのチェスは負け越したまま。ジャッジ様には次の作戦を提出していないし、レイジュに貰ったワンピースはまだ一度も身に着けていない。全部中途半端なまま終わる人生だなと思う。思うがそこまでだ。それに対して、この場で足掻いてでも助かろうなどという気は一切起こらない。総帥様のように泣き叫ぶのが正解なのだろうけれど、ベータ・フェムの頭は冷静にゲームオーバーを告げるだけだった。
 そのあとはもう暇なので、シミュレーションを繰り広げていた。どんな要素が噛み合えば助かるか。別に興味はないけれど、総帥様が生きたいのならばそれに尽力した方が良い。けれどもまあ、土台無理な話だ。ビッグマム海賊団が集結した今、何が出来る?味方はいるか?不確定要素が多い麦わらの一味はどうだ?何度やっても島どころか会場を出る前にアウトだ。それこそ、天変地異か何かでこの聳え立つ城が根元から崩れるくらいのことが起こって初めて生存確率はゼロから脱する。そんなもの作戦と呼べないし、さんざ神を冒涜してきた我々ジェルマには赦されない神頼みだ。
「……ッ
 走馬灯すら走らない最期に目を瞑った途端、会場に響く轟音。いやこれは、絶叫だ。狼狽て膝をついたビッグマムが、叫んでいるのだ。頭がぐわんと揺れる衝撃は、幼い頃から戦場に生きてきたといえど堪える。意識しなければ気絶してしまう程の声量、四皇の名は伊達じゃないらしい。
 ふと、耳に手が触れる。温かく柔らかいこれは、きっと女性の手だ。振り返る余裕もないが、轟音は和らいでいる。耳栓か何かをつけられたらしい。まだ揺れる頭でそんな分析をする目の前に現れたのは、白のタキシードに身を包んだサンジだった。彼がこちらの拘束であるアメを、バラバラに砕いている。恨んできたジェルマが滅びるチャンスだったというのに、彼はどうも優しすぎるらしい。レイドスーツまで手渡してくるあたり、彼の仲間までそのようだった。
 麦わらの一味の目的はサンジの奪還。ベッジも手を組んでいるのは恐らく利害の一致故だろう。ミサイルのようなものを構えているあたり暗殺を企てているのか。ああそうか、ギャング・ベッジとはそういう男だ。暗殺とそれによる混乱を楽しむ、悪趣味な男。利害の一致を考えるならば、ジェルマにも利はある。生還することが利ならば、我々もまた、彼らに協力せざるを得まい。ヨンジを見ればやはり考えていることは同じらしい。ただ頷いて、レイドスーツを起動させた。
 何度纏っても、このスーツほど着心地の良いものはない。伸縮自在で燃えもしない素材でできたこれは全てのステータスを底上げする。発現した能力を扱うにはこれ以上ないコスチューム。能力専用にカスタマイズされているので何も考えずに闘いに身を投じることができるのだ。ショートパンツにサイハイブーツ、見た目からは感じられない防御力を誇るこのスーツはごく軽い。視覚を最適に削るゴーグルは戦況を確かに映し出している。敵と味方、武器と人間、必要な情報だけがピックアップされた視界は単純明快なゲーム画面だ。無情で冷酷な指揮と言われようが、そんなものこの視界を共有すれば誰だってそうなる。今見えているのは人間ではない。ただの駒だからだ。ああ失敬。情報量の多さは削ってなお常人が見れば発狂するレベルだったか。ニヤリと口角が上がる。未知の戦場だった。勝ち筋はおろか死に様しか見えやしない。それなのに高揚感が全身を覆っている。やっぱり歪だ。感情を削いで完璧に近付いたはずなのに、人間の挙動からはどんどん離れている。総帥様の目指すものが化け物、或いは悪魔であればこれは良いことなんだろうけれど。
 さて。麦わらの一味は撤退する。ではその殿を務めるまでだ。ビッグマムの子らのうち、賞金首はイチジたちが担当するだろう。であればフェムの、いやセンチネルセピアの役割は雑兵の一掃である。並の銃弾であっても雨霰のように降れば脅威になる。ジッと頬をかすめていったものの威力は、ジェルマの皮膚にも傷をつける。いやあ、これはまずい。これでは戦場の銃火器全ての使用権を奪う程度の妨害しかできないではないか。できれば全て持ち主に向けて作動させたかったのだけれど、是非もない。
 ジャッジ様が撤退の合図をする。ああ、ベッジの中で籠城戦でもするつもりらしい。それに分があるかどうかはさておいて、現状の把握と作戦会議の時間くらいにはなるだろうか。
 ファイアタンク海賊団、麦わらの一味、ジェルマ66。全員が初対面である以上、あの壁を切り抜けられるほどの連携を取れるとは思えない。不確定要素が多すぎて自動演算機能は先程からエラーばかり吐いている。それにビッグマムの力が圧倒的すぎてそう長くはもたない。ベッジの言うとおり、絶望的だ。
「全員が生き残る方法は一つだけある」
 息も絶え絶えに言ったベッジの作戦は、あんまりに杜撰だ。それでも何も思いつかないし、現状それに頼るしかないのも事実。こういう場で悲惨な現実だけを告げるのは悪手のはずだ。
「一つ答えろ、サンジ」
 ジャッジ様はそう、サンジへ問いを投げかける。ああそうか、そのつもりならば構わない。連絡用の回線をオンにする。身動きが取れないだけで通信ができないのは致命的だった。レイドスーツだけでなく常に身につけられる通信装置の開発を依頼せねば。
「聞こえるか」
[フェム様!一体何が起こって]
「説明は後だ!全艦に告ぐ!コード・ラムダを発動。繰り返す、コード・ラムダを発動!此方らの到着までなんとしても持ち堪えろ!」 
[ハッ!]
 ブツン、と途切れた通信。これで準備は完了だった。転ばぬ先の杖と普段から訓練させていた甲斐があった。にしてもコード・ラムダなんて緊急も緊急、最高戦力が全員不在時にのみ発動させるものだ。非戦闘員のシェルターへの避難、攻撃は正当防衛のみに限る、ジェルマにあるまじき守りの態勢。こんなコード、使わぬまま済む方が良いに決まっているのだがそこはそれ。我々がここにいる以上、我々の脱出手段であり科学の粋を集めたあの母艦が攻撃されないわけがない。
「フェム」
「準備完了です。いつでも」
「……門を開けろ!」
 総帥様の考えはこうだ。空を飛んで逃げるのがシーザー一人では恰好の的になる。そこを我々ジェルマ66が護衛する。そうすれば彼らの生存確率は跳ね上がる。我々はまあ僅かに増えた程度だが、そんなことは良い。総帥様がそう決定したのであれば、従うまでだ。
 言葉は特に交わさなかった。目配せすればヨンジはへらりと笑う。それだけでいい。総帥様が、ジャッジ様が望んだのだから我々はサンジの生存ルートを切り開くだけ。ここに死ぬのが惜しいとか、最期まで彼と共にあれるのは嬉しいとか、そういった私情を持ち込んだ時点で作戦は失敗する。
 弾き出された瞬間、こちらを狙う無数の銃口。予測範囲内。一斉射撃、予測範囲内。レイドスーツのマントであれば防御可能。想定内。戦線離脱最短ルート、壁の突破。想定時間、最大十七秒。ポイズンピンクの離脱、修正可能。麦わらとサンジの乱入、想定外。ああ、だから貴方は甘いと言われるのだ、サンジ。
 妨害、ペロスペローのキャンディの障壁。想定内。スパーキングレッド、デンゲキブルー、ウインチグリーンにより突破。ジャッジ様の離脱、ビッグマムの足止め。それに伴うデンゲキブルー、ウインチグリーンの離脱。修正不可能。カタクリの妨害、想定内。スパーキングレッド単独では対処不可能。此方の離脱、審議、許可。
「火花フィガー!」
「演目:円舞曲」
 対象、カタクリの得物。操作、可能。三叉槍の操作、カタクリの首へ。斬首、予測通り効果無し。シーザーの逃走、ブリュレにより妨害。
「ぐ……ッ」
 全身の軋み、カタクリの足による地面への固定。脱出不可。周囲の探査……ジェルマ66、動作不能。演算停止。エラー。エラー。エラー。
「作戦続行、不可能……ッ
 冷静に紡いだ言葉を掻き消す音が響く。ビッグマムの悲鳴が耳を劈くものだとすれば、これは腹の底を震わせる重低音。何かの爆発による地面が揺らぐ音だ。少し遅れて傾き始めた城に、これはしめたと藻掻いて拘束から逃れる。何が爆発したのかはわからないが、それはまた後ほど検証すれば良いだけのこと。この機会を逃すわけにはいかない。幸い空を駆けることのできる我々だ。ニジとヨンジがジャッジ様を抱えている。このままアプリコッ湖の母艦へ向かう。話はそれからだ。
 イチジに視線をやればやはり同じ考えのようだ。混乱に乗じた戦線の離脱、母艦への追撃に対する防衛。その後、恐らく麦わらの一味の離脱支援を行うつもりだ。ジャッジ様はあれだけでけじめが果たせたとはお考えでないはず。滅びる運命にあってなお、全うするつもりだ。あの人は完璧主義であり、そして結局人間のままなのでサンジを見捨てることなどできないのだ。
 
 ***
 
「フェム、いけるか」
「問われるまでもなく命令を頂ければ。総帥代理」
 ジェルマ王国。追撃を難なく退けた後にイチジはこちらへ声をかけた。気を失ったジャッジ様が治療中である以上、現在王国のトップは彼だ。
 ビッグマム海賊団にとって一番警戒するべきは麦わらの一味らしく、彼方の最高戦力は全て麦わらを追っている。ジェルマに寄越されたのは一万の軍…といえど殆どが敵ではなかった。武器を手にした烏合の衆なんかアタシの恰好の獲物だ。雑に六割ほどを戦闘不能にし、残りは気紛れに蹴倒していく。隊長格と思われるビッグマムの子らはイチジたちが倒してしまうので、後は兵士への指示だ。
「優秀なジェルマ66の兵士に告ぐ!此方らは地獄への行軍の最中である!最後の一騎になろうとも、此方が屍となろうとも、その歩みだけは止めるな!徒花の一つでも咲かせて見せろ!生き様を誇れ!此方は地獄でも貴様らと共にある!ここに最終作戦開始を合図する!」
 兵士たちの雄叫びにふ、と息を吐く。従順なクローンである以上、彼らはこちらに歯向かうことはしない。こんな演説なんかなくてもその役目は果たすし、祖国のためと身を投げる。それでもこう言ったのは、自らを奮い立たせなければならなかったからだ。無論死を恐れるほど軟弱な精神はしていないし、そもそもそんな機能が存在しない。
「最後に。貴様達のような優秀な部下を指揮できたのは光栄であった」
 ああそうか、自分は彼らを誇りに思っているのだ。できれば失いたくない。これは彼らへの手向けであり、アタシ自身の思い残しだ。
 ビッグマム海賊団に対する工作は今ニジがやっている。あちらも混乱しているので、声帯模写程度で騙されてくれるだろう。ジェルマの科学力を低く見たのが仇になったなと、へらりとしたニジの表情はあくまでいつも通り。死さえ見えるこの作戦であっても普段通りが垣間見えるのは有難い。
「行くぞ!艦を出せ!」
「了解」
 ニジを味方と思い込んだビッグマム海賊団の言葉からするに、麦わらの一味は西に向かったようだ。その他傍受した情報をかき集めた限り、目的地はおそらくカカオ島のはずだ。その近辺で遊撃を担い、混乱を作れば良い。ああ、楽な作戦じゃないか。
 
 此度の一件、要因はどこにあるのだろう。
 海上を航行する国を見下ろすバルコニー、僅かばかりの自由時間の最中、ふと考えた。ビッグマム海賊団は何故我々を殺すことを選んだのか。科学力が目当てならば、我々を殺さないほうが得策だったはずだ。我々が消えた時点でそれらは、ただのオーパーツと化す。ビッグマムの望む世界に戦争屋は要らなかったのかもしれない。あれでいて、彼女メルヘンで少女みたいな理想を抱いている。
「フェム。貴様の挨拶、見事であった」
「それはどうも」
 今更考察したところでどうしようもない思考を掻き消したのは、聴き慣れた声。ぱきん、と音を立てて折れたチョコレート。ヨンジは労いの言葉とともに板チョコを割ってこちらへ差し出した。アタシの分よりも自分の分が大きいあたり彼らしい。
「未練でもあるの」
 ざあと流れる風は甘ったるく、それでいて慣れ親しんだ海の香りも内包している。手摺りにもたれかかってチョコレートを一口齧る。
「挙式はここでいいか」
「何さ、あの結婚式を見て憧れたとでも?」
「馬鹿か貴様は。地獄でも貴様とやり合うには少しでも結びつきを強めるのが良いだろうと思ってな」
「そ」
 いつものへらへらした顔で言うヨンジに、ズキリと胸が痛む。彼が死後の世界なんてロマンチックなものを信じているとも思えないし、彼の言葉を訂正するなら地獄ではなく来世だ。いや死後の世界で出会うには…なんていう話もどこかの国にはあるんだったか。まあ良い。結局ここで結婚式の真似事をしても死後行き着く先が同じとも限らないし、そもそもそんな世界が存在するとも知れない。それでも彼が提案したのだから、きっとそこには何かの感情があるはずだ。我々から削ぎ落とされて亡くなったはずの、何かが。
 ここまで来てもなお死に対する実感や、恐怖というものはてんで無い。ただ、もっとやりたいことがあったのになあと思うだけだ。深夜と似ている。まだやり残したことがあるのに日付が変わってしまう、少し残念に思うあの感覚。
「うん。結婚しよう」
 普段の彼であれば、こちらの返事は待たなかったはずだ。疑問形ではなく常に命令だった。調子が狂うなあと思いながら、彼の真意を探る。幸運にも拾った命をまた捨てようとしているからなのか、サンジに関することで何か思うところがあったのか。欠損した心でずっと生きてきて、二十数年目に何かが発現したとは思えない。だとすればそれは不具合だ。恋か、愛か、はたまた他の何かか。
「私、ベータ・フェムと」
「私。ヴィンスモーク・ヨンジは」
 咳払いを一つ挟んで、そう宣言を開始する。誰か適当な者を連れてきて神父まがいのことをさせるのが妥当だっただろう。けれど我々だけの関係に、そんなものは必要無かった。これは子供の遊びと同じ。そもそも観測者などいなくて良い。二人よがりの契約で良かった。泡沫の夢を再現できないように、微睡みの会話を覚えていないように。誰かが観測していたとて無駄だからだ。
「安閑に浸るときも、戦場にあるときも」
「蹂躙のときも、死を悟るときも」
「死が二人を分かつとも」
 彼がニヤリとして言う。ああ、それにしても酷い格好だ。互いの髪からは愛おしい火薬の香りが漂うし、頬には掠れた返り血のような汚れが目立つ。戦闘服をウェディングドレス/タキシードにしたならば、ヴァージンロードは戦場だ。或いは、血に彩られた真っ赤な道。なんとまあ、我々らしい。
「愛と忠実を尽くすことを誓います」
「誓います」
 彼の手がするりと角を撫でる。彼がこちらに触れるときは大抵殴り合いの最中だったので、こんな弱々しい感覚は擽ったい。
「お前の顔は嫌いではない」
「奇遇、此方も貴方の顔は嫌いじゃないよ」
 彼が背を折ってこちらに顔の高さを合わせているのがなんだか面白くなって、アタシらしくもなくそんな甘ったるい言葉を吐いた。戯れならば、全力でやるべきだ。人間の真似事をしてしまえ。それがきっと、この儀式においては正解だから。
 こちらからも彼の頬に手を伸ばす。僅かに凹みが見られる外骨格は手触りが良い。鮮やかな緑色の髪。四白眼のせいで黒に見える瞳も、この近さであれば僅かな青を視認できた。嫌いではない。好きだと思う。珍しく嗜虐的どころか笑みさえ忘れた彼の顔は、酷く心惹かれる。いつもこれと殴り合いをしていたのか。もう少し鑑賞してもよかったかもしれない。
 ここで困ったことが一つ。キスの作法は知らなかった。唇を触れ合わせることだけはわかっていたけれど、例えばそのタイミング、触れ方、時間。全部が未知だった。
[ヨンジ!フェム!いつまで遊んでんだお前ら!]
「いッ」
 迷いに迷って、ただ互いの髪なんかを触れていたところ。オンになった通信からニジの声が響く。どう考えても音量の調整に失敗している。ビリビリと痺れる耳に、顔を顰めた。
[邪魔してやるな、ニジ。あと三分は余裕があっただろう]
[お父様の目が覚めたわよ]
 矢継ぎ早に入る通信に、ひとまず返答をしようとこちらの音声をオンにすべく、ヘッドフォン型の通信装置を弾いた、はずだった。
「え」
 その手をヨンジが掴む。引っ張られれば為す術もなくバランスを崩し(きっと崩されてやったのだ。通常の自分ではこの程度どうということはない)、戸惑うままに唇が触れ合っていた。
 時の流れが減速する。一瞬後の彼の悪戯じみた笑み、吹き抜ける風。スローモーションになった世界は、この瞬間を続けたかった未練の現れか。なんにせよこれが誓いのキスなんて、我々らしい。ロマンも情緒も何も無くただあるかどうかすらわからない契約の接触。
「戻る!甲板で良いな」
「……っすぐに!」
 普段ならこんな隙見せることもなかったし、何をしていても通信にはすぐ反応できていた。それがこのザマ。これが例えば、恋なんてもののせいならば深刻なエラーだ。
「フェム」
「何?」
「やっと貴様の弱点を見つけたようだ」
「それ自分にも言えるってわかってる?」
 面倒でバルコニーから甲板へ飛び降りる。自由落下の最中にまで言葉をぶつけ合う。先ほどまでの空気感なんか、はるか上に置いてきてしまった。ヨンジだって今、どう表現すればいいかわからない顔をしているし、音声をオフにしたまま応答していたのを見逃してあげるほど、こちらも慈悲深くはない。
「約束を違えるなよ」
「もちろん」
 直前でブーストした浮遊装置。トッと軽い音で芝生の上に降り立つ。
 いつも通りに、イチジと立てた作戦。我々は戦場の撹乱を担う。傍受した会話によれば午前一時、麦わらはショコラタウン中央部に現れる。そこを救出しに来る一味の援護ができれば上々、できなくともビッグマム海賊団に一泡吹かせたかった。それが我々ジェルマの総意である。ビッグマム海賊団の中でも最高戦力と名高いカタクリに麦わらが勝つかどうかはわからない。しかし一味全員がその勝利を信じて動いているというのは非常に面白いと思う。分析にも盲信にも頼らない、そう思わせるだけの資質が彼にはあるのだ。こちらもそれに乗じるだけ。それに、サンジが助からないのは寝覚が悪い。あのジェルマ66が作戦を失敗したとなれば今後の評判にも関わるではないか。
「現在時刻二十四時五十七分十五秒。相違ないか」
[は。現在二十四時五十七分十九秒、相違無し]
「二十四時五十九分四十秒、ポイズンからセンチネルまで出撃。港通過時点で合図を送る。砲撃開始と同時にステルスを解除。相違ないか」
[相違無し]
「此度の戦は総力戦である。出し惜しみはするな。一味海域離脱以外の通信は不要。武運を祈る」
[御武運を]
 港が射程距離内に入る。全艦に搭載された迷彩機能など役に立つものかと思っていたが、最期まで使わず仕舞いでは開発者も報われんだろう。何よりいきなり現れる大船団ほど注目を集めるものはない。敵方の呆気にとられ悔しそうな顔を見ることほど楽しいことも無いのだし。
「特大の損害を与えろ。目を引く攻撃のみ認める。今回の作戦の達成条件は一味の海域離脱だ」
「それくらいなら造作も無ェだろうが」
「問題はその後ね」
「艦に戻るまではまあ確率五割。ビッグマム登場時点でパーミル以下だけど」
「これくらいでないと挑む甲斐が無いだろう?」
 口々に言う。視界の端、ゴーグルのグラスでは出撃へのカウントダウンが冷酷にも開始されている。全身がゾクゾクするのはこれが未だかつて無いほど難易度の高い戦であるから浮き足立っているのはその高揚感故。先の一件はあんまり関係ない、はず。あれで心を乱されているようでは、我々は失敗作ということになる。命のやり取りの中で足枷となる感情を削っているのに、こんな間際に無から生じては笑いものだ。
「……出るぞ」
 イチジの合図に、甲板を蹴る。浮遊・加速装置をフルバーストさせれば港までは十秒、中心部までは十一秒。頬を切る風を心地よく思うのを、もう全て投げ打ってしまったからだと気付くには少し、時間が足りない。あくまで普段通りだ。戦争屋は戦争屋らしく、へらへらと笑いながら血路を開くだけ。戦争は快楽。殺戮は愉悦。かくあれかしと望まれ生まれた悪役なのだから、その通りに在るべきだ。その通りにしか在れなかった。
「港通過!撃ェーッ!」
 通信を入れる。島中心部に我々が到着する直前に着弾する。その一瞬をついて中心部に現れるはずのサンジと麦わらを囲めば、鏡から出た瞬間に蜂の巣になることくらいは避けられるはずだ。
 見えた。姿見一つを完全武装した海賊達が囲んでいるのはどうにも面白くて仕方がない。
「次!砲撃用意!」
 港の爆発にどよめく群衆をよそに、母艦へそう指示を出す。アタシの指揮はここまでで、あとはジャッジ様がなんとかしてくれる筈だ。我々の提案に「好きにしろ」とだけ言った総帥様が。
「貴様ら……!」
 ああ、これだ。これだから戦場はたまらない!死んだ筈の敵が、ここにいない筈の敵が出てきて混乱している愚鈍を見るのはえも言われぬほど最高の気分だ。混乱した奴らが何をするかといえば、集中砲火。そうだ、これを待っていた。全部アタシの、獲物だ!
「いいぞ、フェム」
「了解」
 べろりと口角を舐める。我々がいかに非道な戦争屋であろうと、圧倒的な兵力で一掃する前に事情を説明してやるくらいの慈悲ならば持ち合わせている。それが終われば即、蹂躙の時間だ。
「総数…五百四十二、識別完了、接続完了。操作不可能、無し」
 過去最大範囲。ヂ…と脳が悲鳴を上げるほどの負荷。サンジに向けられた銃火器を、全て、支配下に置いた。ふわりと宙を舞う多種多様な武器。慌てる有象無象は、まさか銃口が持ち主である自分に向くとは思ってもいない。ニヤア、と表情が歪む。
「演目:葬送曲」
 一斉射撃。楽しい、楽しくて仕方がなかった。ここにある武器は全てアタシの支配下だ!此方は武器とともに踊る。ノイズを奏でるだけの奏者は必要ない。弾ける火薬の音と剣戟の音しか存在を許さない!有象無象はステージに上がる資格さえ無いのだ!
「行って、サンジ」
 何か言いたげなサンジの声を遮るように言った。銃口は全て水平より下。空中へ逃げれば船まで一直線だ。
 ショート寸前の思考回路。ベータ・フェムと名付けられた存在は、元々ヴィンスモーク・サンジの代用品であった。短い間ではあったが、そう育てられた。それならば、ヴィンスモーク家としての彼が背負う筈だったものを背負って然るべきだ。彼がここで死ぬ運命だったなら、それも、全て。
「フェム!貴様満足そうな顔をするな!それでもジェルマの指揮官か!」
 もう、感傷に浸ることもさせてくれないなんて…いや、アタシにそんなものは実装されていない。馬鹿だ。人間を見すぎたせいで挙動も人間に近くなってしまっているじゃないか。
「っは、当然!」
ヨンジの悪趣味な笑顔に噛み付くように言い返した。ああ、やはり彼とは隣にいたい。隙あらば蹴りを入れたいし、殴り返すその手を絡めてしまいたい。彼といれば、地獄だって楽園に違いなかった。
我々の力があれば、サンジは船長とともにこの島を脱する。海上にはジャッジ様率いる母艦も控えているし縄張りからも離脱するだろう。それくらいはやってもらわねば困る、といえばサンジはきっと嫌な顔をするだろうが、そうでもしなければ我々がここにいる意味がない。そのうち外骨格すら貫通する銃弾が持ち込まれるはずだ。それまでに縄張り離脱の知らせが来れば良いが、こんなもの神頼みだ。盤をひっくり返す機械仕掛けの神なんか反吐が出る。神に仇なす科学の国。我々に神はいないし、いるとすれば殺すものだ。我々がそのために生まれた武器ならば、戦場にしか存在を認められないのだ。死ぬのも戦場に決まっている。それを幸福に思えてしまうのも、我々が悪魔であるからに違いなかった。
地獄みたいな楽園で生きていたいと願う一方で、このきらめきが永遠になれば良いのにとも思った。彼と命を弾けさせるこの瞬間は何よりも愛おしかったのである。
 
夜更けの空に風が吹く。
 お菓子と火薬の香りに紛れ、
 蝋燭の火は揺れている。
 駆け出した子らに心は無く、
 されど夢見る一夜の恋慕。
 
 ヴァージンロードに屍を積んで
 新郎新婦はただ歩む。
 戦場に咲かせた徒花に、
 賛辞を贈る者も無し。
 
 地獄にあって夢を見る。
 楽園にあって夢を見る。
 
 彼らの明日を、知る者は無し。
 
 科学の子らはアバンチュールの夢を見るか? 終

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