4 戦闘兵器はルサンチマンを夢に見ない



 両腕に紙袋を抱え、フェムは足取りも軽やかにブーツの踵を鳴らす。石畳までカカオの香りに包まれたこのショコラタウンは文字通りチョコレートの街。建物も何もかも全てがチョコレートでできている。勿論、店は最上級のチョコレートショップばかり。この万国においては、駄菓子屋のような価格帯の店で取り扱っているものであっても他国とは比べ物にならないほどに美味。故に彼女は片っ端から店を訪れては「ここからここまで全部」と購入して回っていたのだ。その表情は目元が隠れているものの明らかに浮かれている。普段の彼女であればきちんと回る順番も考えていただろうに、今回ばかりは絨毯爆撃などという効率の悪い行動に出ていることからも明瞭だ。彼女に好きなものを挙げさせれば戦闘全般とチョコレートと答えるくらいには、彼女はチョコレートが大好きだった。
 彼女はジェルマ66の重鎮である。作戦の計画はほぼすべて彼女の立案であるし、戦場での指揮は専ら彼女の仕事だ。彼女に無いものはヴィンスモークの血だけと言っても過言ではなく、披露宴への参列は当然許可されている。しかし前日の結納はまた別。ビッグマムからの招待状は新郎であるサンジの親族のみに限られていたのだ。フェムとしてもアプリコッ湖に「停泊」させてある国を空けるわけにはいかないのでその決定に不満は無かった。勿論これは結婚式とその披露宴のための遠征である。これから親類関係になるというのに危害を加えられるなどということはないだろうが、何かがあってからでは遅い。レイジュと話し合った結果だった。総帥であるジャッジは彼女にも同行するように言っていたが、結局は渋々頷いている。
 その代わりとして与えられた自由時間がこの時間だった。僅か数時間ではあるものの、フェムにとっては何より嬉しい褒美だった。二時間もあれば大量のチョコレートを買い込むことはできるし、後は船に戻って片っ端から味わうだけ。まだイチジもニジも戻っていないし今日であれば自分とレイジュが船にいるからとジャッジが言えば、彼女が断るはずもない。彼女の好物を鑑みたうえの、総帥なりの報酬であった。
 弾む足取りのフェムの一方で、ヨンジはそれが面白くないようだった。披露宴は勿論、結納にも当然同席するだろうと思っていたのだ。彼だけに限ったことではないが、慢心とも取れるほどに用心するという考えが無いのだ。今回の決定にも「そんなもの必要か?」と首を捻っていた。負けるという可能性を考慮したことのない彼にとっては必要性が分からないのである。不服そうなヨンジを宥めるの流石の彼女も骨が折れた。聞き分けの悪い子供でもあるまいに、と呆れてみせればなんとか頷いたが。
「カフェ食い事件だー!」
 多種多様の人種に彩られたこの国で、ただ角がある程度の彼女が目立つことは無い。戦争帰りに寄る街ではどうにも見られている感覚がして嫌だったが、ここはそんな心配をする必要がない。国中に漂う歪、この国の異常なシステムが匂いになって漂って吐き気がする程度の不気味さはあったが、そんなもの最高級チョコレートの前には些末な問題だ、少なくとも彼女にとっては。そんな上機嫌のフェムの耳に届いたのは兵士か警官らしき男の声。国の全てが食べられる以上、こういった事態は観光者によってまま起こされるのだと聞いていたがまさか目にするとは。訪れる島のことは事細かに調べるという彼女のワーカホリック気味な癖はここでも健在だ。不謹慎な野次馬気質の彼女は人だかりに向かって歩き出す。
「ああ、誰かと思えば噂の一味。泥棒猫さんごきげんよう」
「ッ誰!?」
 騒ぎの中心は見るからに「カフェ食い」を起こした、麦わら帽子の青年。世界を騒がせる彼とその一味の顔を、戦争屋の彼女が知らないわけがなかった。つい先日も王下七武海であるドンキホーテ・ドフラミンゴを討ち破って世界を騒がせたばかりだ。それに橙色の髪の女はヨンジが手配書を持っていたからよくわかる。会ったと明言しなくとも、いきなり麦わらの一味の航海士が美人だのという話をし始めれば察することは誰にとっても容易だろう。レイジュは首を傾げて見せるばかりだったが。
「失礼、挨拶が遅れたようで。ジェルマ66指揮官、ベータ・フェムと言う」
 彼女が紳士じみてお辞儀まですれば、ナミはジェルマ66という単語に怪訝な顔をする。馬鹿丁寧な自己紹介はからかっているわけではない。それでも他人の感情をあまり理解できないフェムにとっては敬いとからかいの境がわからなかったのだ。
「マーお美しいお嬢さん!」
「ありがとう、ソウルキング」
 ブルックの賛辞を軽く流してフェムはにこりと微笑んだ。いくら操作されて真っ当な感覚を持ち合わせていないと言っても、褒められて気分が悪い訳がない。
「王子を迎えに来たワケだ」
「サンジくんはどこ?」
「おっと」
 天候棒に手をかけたナミに、フェムは声色だけで敵対する意志が無いことを伝えようとする。手が空いていれば両手を上げて無抵抗を示しただろうが、生憎今彼女の腕はチョコレートでいっぱいの紙袋で塞がっている。
「今はウチの城のハズだよ」
「そうですか…ところでパンツを見せていただいても?」
「はは、申し訳ない。この往来で下着姿になるわけにはいかないのでね」
 いつものセリフを発したブルックに、彼女はまたにこやかに返す。ついでに首を傾げればさらりと前髪が流れ、隙間からアイスブルーの瞳がチカリと覗く。上体を折っている彼を見上げながら、フェムはよそ行きの笑顔でもって応じた。感情はわからずとも、「こうすれば相手はどう思う」という傾向の分析ならば容易い。人間はこういう類の笑顔を見せれば敵意を失くすことを彼女は熟知していた。これを使えば最低限の労力で国の首を落とせるのだからチョロいものだ、と彼女は思う。いくつの国をそれで滅ぼしてきたかなど、「指の数が足りないくらい」としか彼女は認識していなかったが。
「そうですか…残念です」
 そんな彼女の背景も知らず、ブルックは穏やかに言った。
「それとアタシは今オフだから何もしないけど。万が一婚姻を邪魔するようならば我々はそちらを斃さねばならなくなる。戦争屋を相手取るのは些か厳しいぞ」
「そう。でもサンジくんは絶対に連れて帰るから」
 ナミは冷たく言い放った。その毅然とした態度は強い女そのもので、確かにヨンジが気に入るのも納得だな、とフェムは思う。それと同時に、あれだけの美貌が自分にもあったならばもっと効率的な国落としをできただろうな、とも。
「じゃあね、お気をつけて」
 にこり。また一味の敵意を削ぐ笑みを浮かべてフェムはその場を後にした。相変わらず背後で騒ぎは続いているもののもう十分だった。何よりも早く母船に帰還したかったのである。自分とすげ替えられた存在は、随分立派で心優しい仲間を得たらしい。それに関して考えるには雑踏じゃ煩すぎる。もちろん、買い付けた品々を味わいたくもあったのだが。
 
 ***
 
「十三年ぶりかな、サンジ」
「…フェムか」
 気を紛らわすために煙草に火を着けた。慣れ親しんだ味のはずが、万国周辺に漂う甘い香りと科学の国の異様な匂いのせいで違和感だけが口腔内を満たしている。青空だけは綺麗なもんだから、それだけを考えられるようにと肺に無理やり吸い込んだ。手首につけられた輪はまるで極小の断頭台だ。血管にヒタリと触れる金属の感触は氷のように冷たい。
「ぜひ貴方と手合わせをしたいなと思っていたんだけれど、女性は蹴らない方針なんだっけ?」
 そうだ、とだけ返事をして話す気力もないことを態度だけで示しても彼女はこちらの心情を汲む素振りも見せない。それどころか「あの蹴りは師匠がいるよね?」「摩擦で熱…すごいねあれ自分で編み出したの?」と口を動かし続けている。昔は人間の感情を理解できないアンドロイド、現在は根本で人間とは異なっている存在というような差異はあったが、あのとき鉄格子越しに会話したときと人間らしさの欠如レベルは対して変わらなかった。
「大丈夫だよ、貴方の席はまだ残ってる。結局アタシは貴方の代用品にはならなかったから」
 彼女はこちらから得られる返事に満足しなかったようで、話の主軸を報告に切り替えることにしたらしい。サンジ…いやステルスブラックの代わりとして過ごしたのはほんの半年の話で、それから先は指揮官になった。そもそもステルスの機能は自分に適合しなかった。自分専用のレイドスーツもあるし、サンジ専用のレイドスーツはチューニングされて残っている。そんなことを喋る彼女は、馬鹿みたいに楽しそうだった。彼女の話は大半が血腥い。だからそんな言葉を発しながら笑顔になるのはとてもおかしいこと。それなのに、正解なはずの自分の感性がこの国では不正解のように思えたのだ。昔からそうだった。自分と母だけが異常な国。それがおれの生まれた国だった。父も姉も一緒に生まれた兄弟も、この国を構成する全てが狂っている。けれど狂っているのがマジョリティならばそれは正常と認識される。嫌いというよりはただ、気分が悪かった。きっとこの国での記憶は夢だったのだと思っていたのに。悪夢の続きのようだった。目の前でべらべらと現在のジェルマ王国について語る彼女も、聞けば人体実験の産物だという。ならば彼女はこの国では成功例なのだ。元は戦争孤児である彼女をあの男が第三王子の代わりにしようとしたのなら、それは明確な事実だ。
「……この国について、どう思う」
 だから彼女に問うた。指揮官といえば事実上の戦争屋のトップ。彼女の目にはこの国はどう映るのか。ジェルマに作られた存在である以上彼女もこの国を礼讃するのか、或いは。
「アタシはこの国に拾われなきゃどこぞで野垂れ死んでたからね。その点じゃこの国に恩がある」
 アタシにする質問じゃなかったんじゃない?と続けた彼女は相変わらず、口を動かし続ける。
「数多の国を見てきたからわかる。この国は狂ってるよ」
 ニコリとした彼女の笑顔は、おそらく作り物だ。見た目の美しさと表情のバランスは完璧なのに、そこに感情が伴っていなかった。
「でもアタシは、この場所以外じゃ生きられない。戦闘にしか興味がない、人並みの感情も身体も持っていないのだから。ここでの生活は楽しい。それしか言えないでしょう?」
 思うに自分とこの国の住人は、生きる世界が違っている。今ここにいて苦しいのは、陸上の生物が水中で呼吸ができないのと同じ理由だ。彼らもまた、こちらの世界を理解できないでいる。もうそう思うしかなかった。そうとでも思わなければ、おれは自分が正しいと認識できなくなる。
「まあいいや。結婚前の新郎とこんな話するべきじゃないんでしょう?心から祝福しているとも」
 おめでとう、と手を叩いて言う彼女の仕草は、出来すぎていてやはり君が悪い。舞台の中の演技であれば受け入れられるが、それを現実でやれば冷めてしまうのと同じ。更に言えばオーバーリアクションが似合うのはギャグまでだ。こんな悲劇では、薄ら寒いだけ。
「貴方が帰ってこなかったらさ、アタシが代わりになるはずだった」
「そうか」
 おかしくはない話だ。ジャッジのことだ、いくら手塩にかけて育てたお気に入りの成功例でも、血筋が繋がっていなければ悪魔の巣に放り込むだろう。それでビッグマムが許すとは思えないが、彼女はジェルマの重鎮である。国の要を差し出すと言えば頷かないわけにはいかないだろう。それに加え、おそらくビッグマムが欲しているのはジェルマの科学力。繋がりが得られれば良いのだ。
「感謝してるよ、もしそうなればアタシはヨンジと勝手に結婚してるところだった」
「ヨンジと?」
 ああそういう仲だったか、と一人納得してみせる。彼女のことを知らない以上、ヨンジとの関係も全くわからない。そもそも彼らに恋などという真っ当な人間の機微が備わっているかどうかは判断しかねるが。彼らのことだし、合理性を突き詰めた結果だというのもありうるか。
「だってアタシが誰かと結婚したらもうアイツと試合えないじゃない」
 フェムは何が楽しいのか、上機嫌だ。いや、確かに自分が引かされるはずだった貧乏くじを他人に押し付けることができたのは嬉しいことなんだろうが…やはり彼女に人間の心は実装されていないらしい。それこそ、あのとき鉄格子を挟んで会話したときのように。
「あっでも安心してね。ジャッジ様は一応貴方のことを息子だと思ってるみたい」
「あいつが?」
 信じられるはずがない。能力の発現しなかったおれを「恥晒し」と断じて親子関係を口外するなとまで言ったあの男が?
「食事の席はいつだって五つでさ。アタシは五番の席に座ってた。貴方が戻ってきてからは五番が消えて三番の席ができてるよ。ジャッジ様も人の子だねえ、結局はよくできた他人の子よりも出来損ないの自分の子ってワケ」
 まあ一人の食事も悪くないけどね、とへらへらと笑う彼女に言葉を失う。あの男は、どれほど誰かを傷付ければ気が済むのか。彼女は手術を施されている以上、ジャッジに逆らうことはできず、そんなことで悲しむようにもプログラムされていないはずだ。それでも、これはあんまりだ。
「もうそろそろイチジとニジが戻ってくるからさ、昼食のはずだよ」
 こちらが黙ってしまったのを会話終了の合図と判断したらしく、彼女は小首を傾げてそう言った。彼女がこの国にいなければ、彼女がジェルマに連なる者でなければ良いのにと思うほどの美貌は、生憎その背景に漂う歪のせいで悪魔のそれだった。
「じゃあ、式当日にね。結婚おめでとう、サンジ」
 背中を向け、真上を見たままこちらを振り返るフェム。頬骨で切り揃えられた前髪のせいで普段は見えない額までもが明らかになる。アイスグレーの瞳は凍るほどに冷たく、ひび割れた皮膚や人間離れした姿勢はまるでアンドロイドのようだ。ここまで人間は、無機質な顔ができるのかと、粟立つ背筋に気付かないフリをするべく、また煙を吸い込んだ。

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