2 哨兵は静寂と夢を見る



 キッチリ整備された道、こぢんまりとした石造りの家々。街灯はオレンジ色の丸を一定間隔でぽっかりと浮かべている。その向こうには黒い夜空とチカチカする星。コツコツとブーツの踵をメトロノームのようにリズムを保って鳴らせばその音が街にこだまするばかり。静かな夜の街が好きだった。どんな季節であろうとうっすらと感じる、透き通るような肌寒さ、世界に一人きりになったような感覚、こちらを手招く路地裏の闇、人のいない静寂。普段ではありえないこの状況は、任務でしか味わえない。戦場という華々しい狂騒がメインディッシュなら、これはデザートだ。とびきり新鮮な果実が綺麗に食事の幕引きをするように、この静寂は余韻を味わうにうってつけだった。
 兵士たちは夜の街に近寄りたがらなかった。彼らにしてみれば不気味らしい。この街の住人を他へ追いやってしまったのは自分たちであるというのに、どこが気分を害するのか、何にも代えがたい戦果と褒章だろうに。今回は特に必要最低限の戦闘と損失で勝敗が決したんだからもっと自らの有能を味わったっていいじゃないか。
 戦争屋である我々は縁もゆかりも恨みもつらみも無い国を滅ぼす。別に殺しが嫌だと言うわけではないけれど(好きでも無い。好きなのはあくまで戦闘行為だけで生死なんていう勝敗に付随する結果にはてんで興味がない)、それでもこれは一種の縛りのようなもので。敵味方の損害もコストも最小限にした上での完全勝利ができたのならばそれは絶頂してしまうほどに素晴らしいし、あれやこれやと兵の動きを考えている最中なんて涎が出るほどに恍惚とするのが常だ。ゲームの類は難易度が高いほど成し遂げたときの快感が凄まじい。それは戦争だって同じだ。
 そんな完全勝利の物言わぬ証明の街。適当な塀に腰掛けてポケットからチョコレートを取り出す。銀紙を剥いてパキリと噛めばくどいほどの甘さと香ばしさが広がる。得も言われぬ幸福だ。高級品でもなくただのレーションである板チョコ。温かいミルクもないこのブレークが好き。ついでに漂ってくる火薬の残り香も手伝って最高の気分になれるからだ。
「こんなところにいたか」
「げ」
 そんな勝利の美酒ならぬ勝利のチョコレートを味わっている至福のひとときに横槍を入れたテノール。ふと振り向けばレイドスーツを着たままの緑色。王子様、なんて言葉がとてつもなく似合う甘いマスクと、王子様というより魔王が似合うほどの歪な性格をした彼は、王子であり戦争屋の主力であった。
「げ、とは何だ。折角迎えに来てやったというのに」
「報告会諸々まであと一時間はあると思うけど」
「その前に私から労ってやろうというのだ」
「何するか知らないけどチョコレートじゃないのなら一人にしてくれるかな」
 最高効率最短ルート、誰よりスマートに済ませたこの戦い。きっとまたちょっとした褒美が与えられるんだろうけど正直あまり関心がない。勲章は幾つももらってきたけれど戦場で纏うレイドスーツではなくたまにしか着ない軍服にしかつけないし、そんなものよりも次の任務の情報の方が心躍る。
「素直じゃないな。そんなに一人が好きだったか?」
「素晴らしい戦果に浸る恍惚を邪魔されるのが嫌なだけ」
「そうか、それでは」
 適当に話を流す彼にはいまた後でー、と手を振りかけたが、件の王子様は隣に腰掛けてしまった。そしてこちらへ手を差し出している。
「ヨンジ、この手は何」
「寄越せ。貴様の言う恍惚を私も味わってみたくなった」
 いきなり何を言い出すんだろう。彼を含めこの国にいる王子三人は感情を切り取られている。戦争には共感なんて必要がないからだ。だから彼から最も遠い概念こそが共感であるはずなのに、この男はそれをやってみたいと言う。確かに彼らはアタシと同様、感情の分析はできるけれどそこから先は不可能だ。
「甘いな」
「そんなもんでしょう」
 はいはい、と残っていたチョコレートを半分割って渡せば、彼はその甘さに顔を顰める。今回の作戦において、彼はあまり動いていない。そもそもアタシだけで十分だったところを暇だからとついて来ている。そりゃあこの甘さは堪えるはずだ。
「まあ精神の安定にはもってこいか?薬よりは美味い」
「至高の甘味を薬と比較しないで」
 アタシがチョコレートを好きなのは単純な趣味嗜好だが、これを食べ始めたのには理由がある。彼の言った通り、精神の安定を目的としていたのだ。彼らほど完璧でない精神干渉のせいか、狂う心も無いというのに精神に不調を来しがちだった。勿論投薬という解決策が取られるはずだったが、何故かこちらに与えられたのはチョコレートだった。オーバードーズしてもさして問題なく、比較的安価に手に入るからだろうか。ただ、ジャッジ様がそう指示したというのだから受け入れた。結局、あそこまで美味なものを治療の名目で与えられる立場になったことは最上級の幸福だと思っている。
「今回の作戦さ、貴方はどう思う?」
 隣の王子は立ち去る素振りもないので仕方なくそう切り出した。敵戦力を撤退させるだけという随分簡単な依頼だった。占拠された街から敵兵力を追い出せばそれで良いというのは、あまりに控えめだ。大抵はジェルマを頼る時点で「敵民族の殲滅」だの「敵国の制圧」だのと勝敗に直接関わる部分しか依頼しない。もしかしたらこの戦果を見てから判断するのかもしれないが。
「さあ。我々は仕事をこなすまでだ。それとも何だ?貴様は自らの手腕を問うているのか?それならば貴様自身の方が判断できるだろう」
「会話のキャッチボールをしようという気がないと見えた」
 彼の指摘通りだ。基本的に作戦に関しては自分で反省した方が早い。門外漢からの評価が盲点を突く、なんてのはこの国ではありえない。兵士どもは戦闘能力だけの木偶だし、ヴィンスモーク家の面々も、見ているのは結果だけだ。だっていかにスマートな戦にするかを拘っているのなんてこのベータ・フェムだけだから。縛りを設けないと楽しくないし、そもそも勝つだけなら難易度が低すぎる。十歳の頃楽々クリアした課題を、二十にもなって繰り返しているのは馬鹿だ。
「は、センチネルセピアはこの戦果に不満がお有りか?」
「いいえ、全然」
 口角を歪に吊り上げた彼がこちらをそう呼ぶときは、大抵茶化しているときだ。センチネルセピア。ジェルマ66の最高戦力に与えられる二つ名のうち、ベータ・フェムが名乗るのがそれだった。と言ってもそれは指揮官という役割を与えられる前、ステルスブラックの代用品だった頃の話。能力としてはサイコキネシスというわかりやすい代物だったので、臨機応変に対応しやすいと哨兵の立場を担っていた。しかしそれでは面白くないので戦場の武器という武器を操って攻撃に転じてばかりいたっけ。兎にも角にも、それはアタシにとって幼少期のあだ名のようなものだった。
「反省するとすれば…そうだなあ。ヨンジの見せ場を作ってやれば良かったか」
「言っておけ。私は貴様の監督役としてここに来ている」
「暇だったんでしょ」
 ぱきり。また一口噛み砕く。隣の男はこちらを見下ろしてへらへらと笑っている。腰掛けているというのにここまで差が生じるのは、どうも少し悔しい。身長の差は即ちリーチの差だ。小柄であることも十分な利点だが、彼との体格差を考えるとさしてメリットにはなりえない。
「そういえば全く労って貰ってないんだけれど」
「そうだったな…何がいい?キスでもしてやれば満足するか?」
「なるほど。アタシに投げ飛ばされてくれると」
「誰が地面にと言った」
 そう言うと彼は乱暴にこちらの頭を撫で付ける。彼の大きな掌では角に当たってしまうのか、頭頂部の髪をぐちゃぐちゃに乱すだけに留まっているが。珍しい、てっきり軽いジャブでも繰り出してくるかと思ったのに。彼はこちらが喜ぶことを理解して攻撃を仕掛けてくる。頭を撫でるという親愛の行為よりも戦闘行為を遥かに好むこの身体を、彼は十分に理解している。それでも今回このような行動を取ったのはただの気まぐれか、人間ごっこか、はたまたそれ以外の意図があってか。こういう答えのないことは考えても無駄なので、この論議は終了だけど。
「それはそうと貴様。何故わざわざここでチョコレートを食べる?火薬と埃の匂いばかりだ」
「自分の素晴らしい手腕により手に入れたこの街の静けさは最高の肴だと思わないかい?」
「狂っているな」
 私が言うのも何だが、と付け加えたヨンジは、残ったチョコレートを全部こちらの口に押し込んで立ち上がる。
「街の探索をする。付き合え」
「はいはい」
 こちらに拒否権は存在しない。一人勝利に酔い痴れるのも良いが、たまには二人で過ごすのも悪くないかもしれない。世界に二人きりの感覚というものはなかなか味わえるものでもなし、塀からとん、と飛び降りた。
 ここに好意が存在するか?その問いへの答えはノーであったけれど。
 
 ***
 
「フェム、お前サンジを覚えているか」
 作戦終了直後の船内はどうも浮き足立っている。ジェルマ王国というものは大船団から構成される国である。作戦の際も数隻を出撃させるのだが、普段と変わりない生活を送ることができる。勿論研究所などは母艦に備わっているため一部の行動は制限されるが。作戦が終了すればあとは自由時間なので、兵士たちも気を休めることができるのだ。特に今回は指揮を担当するのがフェムなのでそのきらいが強いようだ。父上やイチジが同行していたらこうはならなかっただろうな、とヨンジは思う。そんな船内の休憩室。シンプルなソファに腰掛けたヨンジはぴらり、とフェムへ紙を突き出して言った。
 四つ折りにされていた跡がくっきりと残るそれは手配書。サンジ、と書かれているからには恐らくこの国の第三王子だった彼なのだろうが、似ても似つかぬ人相書きにフェムはく、と笑いをこらえる。
「勿論覚えてる…でもこんな醜男じゃないでしょう?」
 君たちに似て美男のはずじゃない、という明らかに地雷となりうるセンテンスは飲み込んで、彼女は手配書を受け取って彼の隣に座りながら言った。
 フェムはそもそも、サンジの代用品である。情報として彼のことを把握してはいても、さほど面識も無く会話をしたのは数回。その時既に彼は牢に入れられていた。
「で、そのサンジがどうしたの」
「回収して、政略結婚させるそうだ」
 ニヤリとしてヨンジは言う。あの出来損ないにも使い道があったとはな、と吐き捨てて笑う。
「へえ?相手は」
「ビッグマムの娘。あの四皇の力があれば北の海完全制圧への近道だろう、って話だ」
 総帥様にしては少し急いた考えではあるような気もするが、まあ間違いではないか。ハイリターンならばハイリスクであるはずだし、とフェムは自身をそう納得させる。新世界を統べる一角、ビッグマム海賊団。それを味方にしてしまえば北の海の支配も問題なく進む。いや、それよりも敵対しないためか。万が一あれが敵に回ったらと考えるとそれだけで身の毛がよだつ。
「…確保できなかったらどうするんだろうね?」
「おれか…国の重鎮と言ってお前を嫁に出すか」
 へらりと笑ったままでヨンジは言う。同じ日に生まれたとは言え、彼が一番王位継承権から遠い。それが道理だろう。更に高貴な血はなくとも事実上ジェルマ王国の戦力の一端を担う彼女も考えられる。血筋を重視するビッグマムがそれで納得するかどうかは不明だが、ジェルマの科学力を提供するとなれば首を横には振らないはずだ。
「ビッグマム海賊団ねえ…あったあった」
 テーブルに置いていたタブレットを手に取ったフェム。スワイプを数回繰り返して、ヨンジと共に画面を覗き込む。戦争は情報、彼女がワーカーホリック気味に収集したデータの中にはビッグマム海賊団のデータも勿論存在する。ビッグマムの子供達は賞金首になっていることも多く、それに加え支配する海域も広い。更に言えば王族のように振る舞っているというのだから、「国民」に聞けば何だってわかるのだ。それでもまだ幼い子供たちについては年齢と名前、外見程度のデータしか存在しなかったが。そもそも情報収集の目的はほとんど趣味と化したシミュレーションのため。戦力にならないのであれば不要だ。
「こんなにいるのか」
「まあ果ては十つ子とかいるからね。貴方好みの強い女もいるでしょ」
「どれも可愛げが無い」
「アタシは強い男なら誰でもいいんだけど…あっこの八億の男とか好みだな!絶対手配書通りの見た目じゃないからね。毎日手合わせしてくれたら文句無いんだけど」
「それは貴様の希望的観測だろう」
 ヨンジは面白くなさそうに言う。人の判断基準が強いか強くないかの二つしかない彼女に対して苛立つのはお門違いに近い。彼女の基盤となる思考に文句を付けるほど彼も幼稚ではない。ないのだが、十数年の間毎日喧嘩してきた相手にそんなことを言われてしまうのは気分の良いものではない。
「そもそも誰ともわからぬ女と結婚するのは不本意だ。自分に相応しい女くらい自分で選ぶ」
「そりゃそうさ。だから選ぶなら誰がいいか、って空想をしてるんじゃない」
 あくまで空想だ。だって彼らが結婚する可能性はゼロに近い。ジェルマ王国は世界会議への参加権を持つ国。一方のビッグマム海賊団は言うまでも無く強大な力を持っている。サンジの所属する麦わらの一味はそろそろ新世界に突入するはずだし、そうなればいよいよビッグマム海賊団の縄張りだ。結婚式を始めとしたパーティを何より楽しみにしているビッグマムなのだから、新郎が確保できませんでした、という事態は何としても避けたいはず。だからヨンジかフェムのどちらかが結婚することなどありえない。
 そんなこと理解している。話題としては不適切だったなと、フェムは人生で初めて思った。彼の機嫌だけでなく、自らの精神状況もあまりよろしくないことに気付いたのだ。
 結婚する、もといビッグマム海賊団と血縁関係になるということは、誰かが互いの間に入り込むということだ。考えるだけで気分が悪い。ただ結婚しただけの輩が、互いよりも長い時間を過ごすことになるのだ。これから、ずっと。
「…嫌だな」
 どちらともなく言った。全て妄想の上での話ではあるが万が一そうなってしまえば、たった二人が抵抗したところで何も変えることはできないだろう。
「先に結婚しちまうか。なあ、フェム」
 どかりと背もたれに腕を広げ上を向き、ヨンジは呟いた。
「アタシに言われても女のアテなんか無いよ。それとも何?どこかから攫ってくるつもり?」
「馬鹿、お前を娶るんだ」
 突拍子もない発言に、は、とフェムは間抜けな音を発した。
「強い美女は好きだからな。丁度良いだろう」
「なるほど」
 ぺらぺらと妄想上の提案をするヨンジに、フェムは瞳を前髪の隙間から覗かせちろりと舌を出して茶化すような表情を浮かべる。アタシとこういうことするわけだ、と言ってするりとそのしなやかな肢体を絡ませ流体のように彼の腿へ向かい合わせに跨りながら。
「フ、」
 まるで情事へ向かう恋人同士のように視線を交わらせて数秒、もう堪えられない、とヨンジは笑いを漏らした。それにつられてフェムも大口を開けて笑う。
 万が一、どころか億が一の話だ。それでも互いに、それが一番だ、と思ってしまった。仮にそうなった場合でもそうでなくても、実行はほぼ不可能なことはわかっている。けれど、思っていたよりも遥かに互いの存在は互いの大部分を占めていたことが愉快で仕方がなかった。二人に共感というコマンドは無い。感情も正常に機能している範囲の方が少ない。それでも互いの思考の果てが同じらしいということは手にとるように理解できた。それが何よりも嬉しくて堪らなかった。戦場の昂りよりも、弱者を踏みつける愉悦よりも。
「抱き心地悪そうだがな、お前」
「お生憎様。貴方に抱かれでもしたらそれだけでプレス機行きだよ」
 そんな軽口を叩く二人は、恋人同士というよりも悪戯会議をする子供に近い。こんな馬鹿馬鹿しい日々がいつまでも続けばいいと思ったし、それでいて一秒後に終わっても構わないと思った。どうせこんな、バグ感情で戯れるのもじきに飽きてしまうのだから。
 
 まさか二年後に同様の戯れをするとは、両者夢にも思わなかったが。

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