1 指揮官はラブロマンスの夢を見ない



 ジェルマ66。そう聞けば多くの人は空想上の組織を思い浮かべるだろう。世界経済新聞に連載されていた人気作品、海の戦士ソラに登場する悪の組織。彼らは圧倒的な科学力を携えて正義の味方である主人公のソラに立ちはだかるのだ。その技のバリエーションやキャラクターはどれも魅力的で、ソラの読者の一定数はジェルマ派だとも言われている。決して愛すべき悪役でも無い。ロールとしてはどこまでも卑劣で、同情しようのないヴィラン。そんな奴らが実在すると聞けば、人々はどんな反応をするだろう。
 かつて北の海全域を制圧したヴィンスモーク王家。彼らの治めるジェルマ王国は国土を持たぬ海洋国家。悪の帝国とも揶揄されるその国は、恐るべき側面を持っている。ジェルマ王国の有する科学戦闘部隊「ジェルマ66」。戦争屋とまで呼ばれるその部隊は、その名を同じくする悪の組織と同じように卑劣で、どこまでも強力だ。何年と続いた戦争でさえ彼らの介入があれば数日と掛からずに幕を閉じる。金さえ用意できれば簡単に国を滅ぼす彼らを皆恐れ、その感情を正当化するためか蔑んだ。しかし卑しい奴らだと言いながらも頼らずにはいられない。それほどまでにジェルマの力は圧倒的だった。死さえ恐れぬ無限の兵士、人間離れした強さを誇る主戦力。空を駆け、銃弾さえ通さぬ皮膚、悪魔の実の能力にも等しい力を振るう彼らは、きっと前にすれば神にも等しく思えただろう。死の寸前に見る幻覚、太刀打ちできないその力に崩れ落ちながら。
 さて。ジェルマ王国の王族、ヴィンスモーク家の子息はジェルマ66の主戦力である。決して王族であるからという贔屓目があるからではない。彼らが改造人間であるからだ。ベガパンクの発見した血統因子。その応用によって、四人の子らは外骨格と呼ばれる鋼鉄並の皮膚を得て生を受けている。それだけでなく人工的な悪魔の実の能力の発言、更には高い身体能力及び知能指数から叩き出される戦闘センスまで持ち合わせている。人間として生まれたのではない、彼らは兵器として生まれたのだ。それに加えてレイドスーツと呼ばれる彼らの能力を底上げするスーツを纏ってしまえば向かうところ敵無しだ。特に王子三人については、哀しみであるとか憐れみであるとか相手の生命を奪う障壁になる感情さえ欠損させられている。おかげで完璧な戦闘兵器。可哀想に、と言う者もこの国にはいない。なにせ国民の殆どがクローン兵士であるからだ。当然ながら、この国は歪であると指摘する国もいない。ジェルマとはただ一度きりの関係である。そんな国のことをとやかく言うほどどの国も命知らずではない。
 
 ***
 
 船上に作られた芝生の上。クローン兵たちの訓練する様を一瞥して、女は満足げに頷いた。細身の身体はしっかりと引き締まり、ただ歩いているだけのその姿にさえ全く隙がない。メトロノームのように一定に、振り子のように優雅に。ショートパンツからすらりと伸びるその脚は振るえば鞭のようにしなるだろう。ちゃり、と耳に下げたダイヤ型をした銀のピアスが揺れる。明るい茶髪は目の下で切り揃えられ、彼女が歩くごとに隙間からアイスグレーの瞳が覗いた。見え隠れするきらめきは、うっかり見てしまえばきっと逃れられなくなるだろう。横髪を片方だけ編み込んで、後ろは乱雑に、それでいて美しいバランスを保ってうねるボブ。側頭部には白いアモン角が生えており、時折女のシルエットを悪魔にした。特徴的でありながらも十人中十人が美しいと評価するであろう彼女が、ただ一点落としているとすれば、頬や手足に入っている陶器の罅割れのような傷だった。ただ、それらを差し引いてもなお彼女は氷のように、重金属に汚染された水が綺麗な色をしているように、魅力的であった。彼女の名はベータ・フェム。フェムはジェルマ66のクローン兵たちの指揮官だった。屈強な兵士たちを率いるのがこんな細い女でいいのか、と彼女を知らない者は言うだろう。けれどもこの国の王子や王女が美男美女の見た目をしながら一騎当千であるように、彼女もまたその身を改造されて見た目からは想像できない強さを誇っていた。その外骨格は上手く形成されていないため本人が闘うことは王族たちほど多くはなかったが、それでも幼い頃から指揮官として育てられた彼女である。冴えた軍略は冷徹と言われるほどに的確で、取り零すこと無く最高効率で勝利を掴んでいくのだった。事実、現国王でありジェルマ66の総帥であるジャッジも、彼女にすべての作戦の指揮を一任している。才能だけではない。彼女は、戦場を愛している。儚いものを愛でるならば花よりも兵士の命を。動かすならば盤上の駒よりも戦場の兵士を。踊るのならば殿方ではなく銃弾や剣と共に。纏うのならば香水よりも血と硝煙の香りを。全てが彼女の掌の上、その様子を見てフェムはただ、恍惚と微笑むのだ。何よりも喜ばしいのは最速の勝利。パズルのピースがパチリと嵌まるように完全なる勝利をあげられたのなら、それは彼女にとって最高の甘露だった。ベータ・フェムという女は、何よりも戦を愛していた。
 ベータ・フェムが何者であるか。彼女もまた、戦闘に特化した改造人間であった。王族の子たちが生まれる前に手を加えられ先天的に特異体質を得たのに対して、彼女は後天的にそれらを得ていた。孤児であれば戦争の続く北の海では掃いて捨てるほどいる。拾ってきた子供たちのうちの一人が彼女だった。彼女らにこの国はとある手術を施した。子供といえど後天的に血統因子を弄ることができたのならば、それは躍進である。幼くも強力な兵士を大量に生み出すことができれば、ジェルマの戦闘力は更に勢いを増すだろう。そんな目論見だったのだが、実験は難航する。まず幼い身体が手術に耐えられない。出来上がった命という完全なものに手を加えるのはきっと神への冒涜なのだろう。例え手術が成功しても何故か不具合が生じてサンプルは破棄せざるを得なくなる。結局、ろくな成果も挙げられず予備実験の段階で計画は頓挫した。二十人はいた被験体の唯一の生き残りが、彼女だった。外骨格は上手く形成されず、感情の切除は歪。ただただ闘いを何よりも楽しむその性格は、感情を欠損させられている王子達からすら異常だ、と言われる始末である。当初は捨て駒にしても良いようにと暗殺の類を教え込まれた。彼女にそれ以上の利用価値があるとわかれば(ジェルマ王国にとって)失敗作の第三王子の担うはずだった役割を背負わされた。それよりも得意なことがわかれば国は彼女を指揮官として育成した。それでも彼女は自身を憂いたことはない。自らを客観視できないほど愚かではないが、客観視したとて己の境遇が不幸であるとは思えなかった。望むもの全てがそこにはあったし、この国が歪であると思う真っ当な感性がどこにもなかったのだ。
「フェム」
 上機嫌の彼女へ男が声をかける。王子たちの中でも一番背の高い彼はヨンジ。へらりとした不謹慎な声色はいつだって変わらない。
「お早いお帰りごくろーさま」
「何、お前との時間には間に合わせると言っていただろう」
 棒読みで労うフェムに、ヨンジはまるで恋人に向けるような甘ったるい返しをした。断っておくが、彼らは決してそんな関係ではない。そもそも正常な感情が削がれた彼らには恋心という最も人間らしい挙動が残っているかどうかすら不明だ。おそらくは残っていない。もちろん見目の良い人間に心惹かれることはあっても、それまでだ。そこから愛を育むなどという考えには至らない。せいぜい、「自らの所有物にしてしまおう」程度。そんな彼らのことであるし、この会話すら彼らの常だったからもう既に誰も不審がる者はいなかった。まあ、クローン兵士が疑念を抱くかと言われれば曖昧なところだが。
 ヨンジとフェムは、幼い頃から近くにいるという点ではまさに「幼馴染」だ。仮にこれが甘酸っぱい恋愛小説だったならば恋や愛に発展しただろう。だが生憎、彼らにはそんな機能が実装されていない。更に言えば三大欲求に並んで闘争本能が強い彼らだ。じゃあそんな二人がわざわざ時間を作ってまで何をするか、といえば。
「訓練中悪い、フィールド空けて。アタシ達がやってる間は休憩で良いから」
 フェムの声に、屈強な男達がざざ、と海を割るようにスペースを空ける。そうして休憩で良い、と言われたにも関わらず、フェムとヨンジを囲むように半径五メートルほどの円を作り座り込んでいる。「本日も見れるとは」「今日はヨンジ様だろうか」「昨日のフェム様はすごかったな」などとざわめきながら。
「今日のルールは」
「カウント一先取。鼻より上への攻撃なし」
「よし来た」
 ヨンジはゴキゴキと関節を鳴らす。フェムは開始の合図よろしく、と近くにいた兵士に小型の空砲を投げ渡した。彼は少し慌てながらも立ち上がり真上へ銃口を向ける。タァン、と軽い音が響いた。
 そう、彼らが行うのは、格闘技とも言い難い薄っぺらいルールを纏った殴り合いである。

「…ッハ、今日は、私の勝ち、だな」
 ドッ、と一際大きな音を立てて土へ叩きつけられたフェムはぐ、と一つ呻きを漏らした。一カウント以内に起き上がれなければ負け、という厳しいルールであるがしかし、そうでもしなければ彼らの試合に勝負はつかないのだ。単純な力やリーチでは劣るものの、多種多様な格闘技を極めたフェムが全く太刀打ちできないわけではない。寧ろ戦果は拮抗しており、最近は徐々に「試合」時間も伸びているのでまた新たなルールを設けようか、などと話し合っている始末だ。
「でも息が上がってますね王子様?」
「もう一ラウンドやるか?」
 仰向けになりながらもニヤリとして煽るフェムに、ヨンジは売り言葉に買い言葉。もう一回叩きつけてやるよと先ほどフェムに蹴り上げられた顎を乱暴に拭いながら言う。
 肉体同士のぶつかり合いとは思えぬ速度と音でもって、彼女らの「試合」は執り行われる。まるで小規模な戦争だ。拳は弾丸の如きスピードで叩き込まれ、蹴りは鞭のようにしなりサーベルのように肉を削ごうとする。常人であれば一ミリとて動けないホールドは外骨格でさえ歪ませる。今回の決め手になった土を割るほどに叩きつける投げ技であっても、通常であればたん、とその勢いを反射に利用し返す刀で脛を狙いに行く。ひしゃげた腕では不可能だっただけで。
 そんな激しいものでありながら、彼女らの試合は美しく完成されたものである。鳩尾へ入る拳は最も相手にダメージのある速度と角度で。それに飛ばされ片手だけで逆立ちをして繰り出されるフェムのケイシャーダはスパァン、と小気味良い音を立てた。そのまま流れるように腕力だけで飛び上がりくるりと首へ巻き付く白い足は蛇のよう。ずるりと引きずり下ろそうとするもそれはガシリと掴まれて逆に背から叩きつけられたのだった。
「馬鹿、アタシも君もプレス機行きだよ」
「私はハンマーで十分だ」
「はいはい」
 ごきり、みしり、と互いの歪んだ部分を曲がった鉄棒のように手で戻しながら、ヨンジとフェムは軽口を叩き合う。そうして、フェムの方は兵士たちへ最低限の指示を残して研究所へ向かうのだ。
 これが彼らの、この国の日常茶飯事だった。指揮官はヨンジ様と暇を見つけては毎日のように打ち合っており任務時以外は常に隣にいる。通常の国であれば王族が身分に差のある異性と懇意にするのはご法度のはずだが、この国においては、いや彼らに限っては目を瞑られていた。なにせやっていることが打ちあい一辺倒だからだ。それに彼らの試合は兵士の士気をプログラム以上に上げるうえ、この船の上においては珍しく健全な娯楽となりうる。これに関してはジェルマ王国の総帥でありヨンジの父親であるジャッジも黙認している。そもそも、彼らをデザインしたのはジャッジ本人だ。だから彼らの間に仮に何らかの情愛が湧いたとして、それは取るに足らないものだとわかっている。それに加えて、彼らは並大抵の人間より優れている。ことの分別は弁えているし、科学者であった自分よりも遥かに優秀な面さえある。根本的な問題として、とっくに成人した子にはとやかく言うものではない。その考えがジャッジにあるかどうかは不明だったが。基本的に彼は放任主義である。何せ子らは自分の命令には逆らえないようになっているので。

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