4 どーなっつ・ぱらだいむ・しふと



「まずいな」
 一言、クラッカーさまの呟きにまどろみから覚醒する。急いで時計を見ると夜の十二時すぎ。普段ならすっかり眠っている時間だが、今日は非常事態なので頑張って起きている。シャーロット家の皆様が頑張って戦っているのに一人眠るのはあんまりしたくなかった。
「ど、どうされたのですか」
 クラッカーさまに聞く。結局素直に休むことにした彼は、ベッドでずっと電伝虫の通信を聞いている。私にはあまりわからないけれど、「ぼうじゅ」というやつだ。昨日の午前中からずっと聞こえてくるざわめきは、私にも一大事を簡単に伝えてくれる。結婚式がめちゃくちゃになったことも、ホールケーキアイランド周辺は戦場になったことも。彼は骨が折れているとは言えすぐに戦場になったホールケーキアイランド周辺に戻るつもりだったらしいが、カタクリさまを含むごきょうだいから止められていた。満身創痍の彼が出なければならないということは他の方が頼りないと言うことに他ならないのだという。それに一度負けたひとがすぐ戦いに出るのはビッグマム海賊団の面子に関わる……らしい。クラッカーさまは言葉を選んで説明してくれたけど、私の中にはない考えだったからちょっとしか飲み込めていない。でも多分、怪我をしてるきょうだいには休んでほしいんじゃないかなあ、と思う。
「兄貴と麦わら、まだ勝負がついてねェ」
「え、だって戦い始めたの、もうずっと前じゃないですか」
「だからまずいと言ったんだ」
 カラメルの失敗作の苦すぎる部分を舐めたみたいな顔をしてクラッカーさまは言う。今日になって初めて知ったんだけれど、今回の結婚式は結婚式じゃなかったらしい。まだ機嫌の悪いクラッカーさまが昼過ぎに説明してくださった。プリンさまの結婚相手は科学の国の王子様。その国の科学を独り占めするために、結婚式に参加した科学の国の王族を全員殺すつもりだったそうだ。そうか、だからプリンさまはあんなに悲しそうだったんだ。殺人は良くないことだってあのとき言わなくちゃいけなかったんだ。
「万が一があればおれは出る」
 クラッカーさまはそう言う。けれど今でも、ベッドの上から指示を飛ばしていた。彼は動けなくても彼の配下である兵士さんたちは命令を待っている。一応昼過ぎに全員、カスタードさまの指揮に従うように指示はしていたし度々鳴る電伝虫に対応している。あの話ぶりからして相手は兵士さんたちだ。裏切りが出たからその対応に追われていると言っていたけれど、聞けば女王様が食いわずらいを起こしてしまったらしい。だからホールケーキアイランド周辺の島々は大惨事なのだそうだ。島と島とがかなり離れているのにコムギ島にも有事特有のざわめきが伝わってくる。
「わかりました」
「止めないのか」
「わ、私にも一大事くらいはわかります」
「へえ?」
 クラッカーさまの笑顔は楽しそうだけれど少し攻撃的だ。普段ごきょうだいの前でもビスケットの鎧を纏っているので表情を見るのはかなりレアなのだけれど。あ、そういえばあの鎧はちょっと怖いから、幼い弟さんや妹さんの前ではちょっとかわいい鎧を用意しようとしているのを見たことがある。でも結局不気味になって企画倒れになってしまったのだ。能力が能力だし、かわいいビスケットを作って渡したらそれだけで良さそうなのになあ、とも思う。だって鎧がどんなに可愛くてもクラッカーさまは背が高いから。それにクラッカーさまの手から飛び出すビスケットはどれも美味しい。お腹いっぱいになるまで食べたって飽きないくらいだ。
「とりあえず一時まで待機だ。お前に召集がかかることはないだろうが…準備しとけ」
「はっはい」
 私の能力はきっと戦闘向きだ。たとえば地面を組み替えて大きな壁を作ることだってできるし、鉄板から武器を作ることだってできるはず。でも私が一番優先しないといけないのは生き延びること。兵士さんもたくさんいるこの国で、わざわざ前線に出て怪我なんかしたら大変だ。適材適所、というやつだ。カタクリさまもよく言っている。私も戦えるように能力の練習を頑張ります、といえばいつも、お前にはお前のすることがあるからそんなことは考えなくて良いと言うのだ。カタクリさまはずっと海賊として生きてきたし、負けたことがないのだから多分彼の言うことは正しい。だから私は武器を作るのではなく、壊れたものを直すことばかりやっている。そんな私に出番があるのなら嬉しいことだけれど、一方であんまり喜んでいいことではないのもわかる。怪我をしているクラッカーさまが戦場に出ず休めと言われるのと同じで、私程度が出なければならないほどとなれば今戦っている方々が力不足ということになる。
「お前、海賊についてどう思う」
「海賊…ですか」
 万国を治めるのは女王様。けれど彼女はビッグマム海賊団の船長でもある。この国は海賊が作った、海賊が治める国なのだ。けれどそれが歪だと思ったことはないし、歪だというのならば私が元々いた島の方が歪だ。島でたった一人、人間なのにかみさまの代用品をさせられていた私からすればそれくらいしか思いつかない。時々シャーロット家の方と結婚する海賊の人もいるから、ビッグマム海賊団以外の海賊についても特別「悪いひと」と思ったことはない。一方で新聞の中には海賊の起こした悪いことがたくさんあって、それはやっぱり怖いと思う。ビッグマム海賊団が新聞に載るようなことをするのは女王様の機嫌を損ねたからだし、国民を守るためだから仕方がないと聞いている。あ、そうか。今回、ビッグマム海賊団も科学の国の人たちを皆殺しにしようとしたんだった。
「わかりません」
「そうか」
 クラッカーさまは戦況を伝え続ける電伝虫を見ている。嵐の前の静けさみたいに、向こう側から聞こえてくるのはピリピリした会話だけだ。
「誰から見ても良い人がいないように、誰から見ても悪い人はいないと思います」
 上手く説明できない。ビッグマム海賊団はたくさんの島を潰したし、人も殺している。私のいた島だってそうだ。それでも、私は彼らがいなければ今でもあの島で、人間になれないままだった。今この場において海賊という存在について聞かれたのが何故かもわかっていないままでそんなことを思う。クラッカーさまは生まれたときから海賊だった。であるならばどうして、自らの存在を問うのだろう。
「お前、海賊には向いてねェな」
「そ、そうですか…」
「思うに。いついかなるときも自分が正しいと思わなきゃいけない。それが殺しだろうと略奪だろうと、自由に振る舞う自分が絶対だ」
 クラッカーさまの言うことに首を捻る。私は海賊に向いていない。そのとおりだと思う。でも、そこから先がわからない。私に理解できることが少ないからか、それとも単純に会話が下手だからか。
「まあ良い。お前に回ってくるのは後始末だろう。休め休め」
「?準備は……」
「休むのも準備だと知らんか」
 口をへの字にして言うクラッカーさま。緊急事態だから感覚としてはあまり眠くないのだけれど、気を抜くとふっと倒れるように意識が飛びそうになるもの確か。さっきだってうっかり居眠りしてしまっていたし。私としては全然バレてないつもりだったけれど、彼からは丸わかりだったみたいだ。
 
 ***
 
「ワラビ。救急箱と包帯持ってきなさい」
「っは、い!」
 鏡台から聞こえたのはブリュレさまの声。大きなソファに座って例の如くうとうととしていたところだった。返事をしてから少し、その言葉を噛み砕く。時計の針は午前一時をケーキ二切れ分すぎたくらい。クラッカーさまはこちらに、目線だけで行ってこいと言っている。多分既にどんな状況か説明を受けているのだろう。
「これで良いですか?」
「ええ。鏡世界に行くからついておいで」
 ブリュレさまの表情は、よくわからない。悔しそうだとも思えるし、それでいてなんだか肩の荷が降りたような清々しさも感じる。目元には泣いたあともあるし、でも今はとても落ち着いている。騒ぎが遠くから聞こえるのはきっとまだすべて解決していないせいだ。 
「お兄ちゃんが負けたわ」
「カタクリさまが」
 ブリュレさまはそれ以上何も言わなかった。私なんかよりもずっと近くで、長い間カタクリさまを見てきた彼女だから、感情の整理がついていないのだ。たった数年一緒にいるだけの私だって、カタクリさまが負けたなんて信じられないし何を言えばいいかわからなくなっているのだから。負けたことがない、完璧で完全無欠なみんなの憧れ。それがカタクリさまだった。それでいて私にはよくお菓子を食べさせてくれたし、ごきょうだいのことを大事に思っている優しいひと。この国に連れてきてもらって、きっと何も知らないだけの私は足手纏いだっただろう。それに加えて人間的な振る舞いもわかっていないし(これは今でもそうだ)、ほとんど生まれたばかりと大差なかった。そんな私を傍に置いていたのだから、カタクリさまはとてつもなく優しい。モンドールさまにもそんなことを言われたっけ。私は本来、モンドールさまの本の中に保管するはずだったという。それをカタクリさまが否定したから、自由に出歩いているのだと。何かしらの理由があってのことだろうが、私からすればそれは優しさとしか認識できない。彼は優しくて強いひと。それだけだ。
 ぐにゃりと曲がった世界は相変わらず目が回る。何度も転びそうになりながらブリュレさまの隣をついていく。いつもより割れた鏡が多く、ところどころ壁がえぐれている。きっとここでカタクリさまは戦っていたのだろう。
「背をつけて敗けるお兄ちゃんなんて、見たくなかった」
 倒れたままのカタクリさまは傷だらけだ。頭がくらりとする。たとえば海が全部干上がってしまったような、ケーキが甘くなくなってしまったような違和感。救急箱を広げるブリュレさまの指示通り、持ってきたガーゼで血の跡や汚れを拭っていく。カタクリさまの体はとても大きい。初めて出会ったときは顔すら見えなくて怖かったし、それは彼に保護されてからもしばらく慣れなかったっけ。カタクリさまを見下ろすのは初めての体験だったけれど、それでも特別彼が違って見えるわけじゃない。当たり前はもうここにはない。でもそれで世界が全部すり替わってしまってはいない。
「無事で良かったあ……」
「全ッ然無事じゃないわよ!」
 負けたのはショックなこと。でも何も変わっていないのがわかって安心したのか、思わずそう口に出ていた。ついでに片方だけの視界もゆらゆらと揺れて、ぼろぼろと涙が溢れる。カタクリさまが負けたのに悔し涙でも悲しい涙でもないのは良くないことだとわかっている。それでもブリュレさまが指摘したように彼が完璧な男を演じていたのなら、それをやめるきっかけになるのは喜んでいいのだと思う。今まで雁字搦めになっていたものから解放されるのは、とても幸せなことだから。
「融けないのか」
 頬を拭う。カタクリさまはそう聞いた。多分、自分の顔を見ても怖くないのか、と言うことだろう。私は驚くと融けてしまう。特にこの国に来たばかりの頃は融けてばかりだったので、そのことを言っている。ぎざぎざの突き出した歯に、頬まで裂けた口。確かにカタクリさまの口元は怖い。でも私はカタクリさまが優しいことを十分に知っているからそれで怖がって怯えたりはしないのだ。見た目の印象は大事でも、それがそのまま真実かどうかはわからない。素敵な王子様の国が戦争屋なように、海賊が少女の命を救ったように。
「カタクリさまはカタクリさまなので」
 今ここで怖くないと言えば嘘っぽい強がりになってしまう。だから少し震える声でそう言った。それに対してカタクリさまは、ふ、と息を吐いた。彼にしては随分リラックスしている。それがなんだか嬉しい。カタクリさまといえばいつでも落ち着いていて完璧な、人間味の薄いひと。そんな彼がちょっと隙のある動作を見せるのはとてつもなくほっとするのだ。私だけではなくて他のごきょうだいも同じ感想を得るだろう。少なくとも今のブリュレさまはそうだ。ああそうか。カタクリさまが私によくお菓子をくれたのも、こういうことなのかもしれない。
「ワラビ、消毒薬をこっちに頂戴。白い瓶があるでしょう」
「はい、これですね?」
 鏡の破片からは外のざわめきがまだ聞こえている。麦わらと呼ばれている海賊が女王様の縄張りを抜けたそうだ。彼はカタクリさまを倒して、結婚式も何もかもめちゃくちゃにしていった主犯格だ。でもそれを聞いたカタクリさまは笑っている。それを理解できる私ではなかったけれど、ブリュレさまも同じ気持ちらしい。
「ワラビ。島の損害が大きい。お前の能力を借りたいがいいか」
「もちろんです!がんばります」
「お兄ちゃんはまず自分の身体のこと考えて」
 ブリュレさまに言われて少ししゅんとする(ように見えているだけかもしれないけれど)カタクリさま。負けたはずだ。この一大事件の全ては見えないけれど、ビッグマム海賊団史上一番の失態かもしれない。それでもこの結末がバッドエンドだったかどうかはわからない。島が蹂躙された結果私が人間になったように、この大失態の結果彼が人間になったのなら。大きな犠牲があったとして誰かが幸福を得られたのなら。それは多分、最悪の事態ではないのだ。海賊とは多分、そういうことなんじゃないだろうか。クラッカーさまの言葉を噛み砕いたつもりではいるけれど、やはり難しい。
「ワラビ、それは巻きすぎ」
「うわわ、すみませんっ」
 そんなことを考えていたせいか、必要以上にカタクリさまの腕を包帯でぐるぐる巻きにしてしまっていた。
「……ありがとう」
 そう言ったカタクリさまは、また未来を見て言ったのだろうか。あんまりに返事になっていない返事だからとブリュレさまを見れば曖昧に肩を竦めてみせたのだった。


夜更けの鏡は本当のこと。
お菓子と火薬の香りの中で
人間の姿を取り戻す。
少女の瞳は未来だけを見て
ただ曖昧に笑うのみ。

無知ゆえの残酷か、残酷ゆえの無知か。
綻ぶ笑みの側仕え、散る花の一つも覚えない。

実を結んだのはアンノウン。
未知を歩んだその先へ。

地獄において人間と成る。
楽園においてひとを成す。

地獄のお茶会、これにて終焉。

らぷそでぃー・めいど・ひゅーまん 終

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