2 あぶだくしょん・でぃあーな・ぶらうえん





 ワラビという少女が何者であるか。
 彼女は万国に数いるメイドの一人、ではない。彼女は、ビッグマム海賊団のために飼い殺しにされている存在である。とはいってもそれは彼女には告げられておらず、彼女本人の認識としてはただ新しい住処と仕事を与えられたに過ぎない。
 悪魔の実というものは、同時代においては世界に一つきりしか存在できない。つまり、現状能力者となった者がいる悪魔の実であれば、その能力者が死ねば悪魔の実は世界のどこかへ再出現する。これを踏まえると、どうしても敵に回したくない能力があるのであれば能力者を殺すよりも飼い殺しにする方が得策である。例えば、ビッグマム海賊団の大きな戦力を担うホーミーズを無効化できる能力があるとしたら?その能力を持つのが無垢な少女であり、簡単に確保できるとしたら?その理論で彼女は万国で生活をすることになっているのだ。だから彼女の一番大切な使命は何があっても生きること。彼女がメイドの姿をしているのも、目立たないようにするためである。メイドらしい仕事は一切していない。せいぜいが子供のお手伝い程度だ。
 彼女がカタクリの傍で生活しているのは、彼女を確保したのが彼だからである。もちろん、未来を視ることができるうえにビッグマム海賊団の最高戦力の彼の隣というのは世界で一番安全な場所であることは間違いないのだが。

 ***

 少女の世界は、社の中で完結していた。
 つるりと磨かれた大理石でできた祭壇、ごわりとした敷物の上にただ座っている。時折やってくる島民の祈りをただ笑って聞いて、恭しく置かれた供物に小さく礼をする。それが少女の日常だった。白く透き通る長い髪に血の赤をそのまま宿した左の瞳。右目は儀式に使われたために欠損していたしその周囲には粗悪な治療の結果である火傷の痕があったけれど、それを隠すための眼帯は藍染に金の糸で刺繍が施されてきらきらと光っていた。片方だけ伸ばした前髪は御簾のように宇宙を描いた眼帯を覆っている。片目に人間の象徴たる血の色を、片目に虚ろと宇宙を光らせた少女は神の端末と称するに相応しかった。纏った質素な作りの着物とは裏腹に頭につけられた金属の飾りは豪奢で、少し首を振るだけでしゃらん、と神々しい音を立てる。崇められるには十分なほど異質な見た目をして、この島の誰もが疑いもしない概念として少女は存在していた。少女自身でさえこの生活に疑問はなかった。物心ついたときからこうだったのだ。自分は神の依り代である。民草の願いを聞くことが役目である。神よりお借りした力で島を幸福にしなければならない。その三つが、少女に与えられた義務であり、存在理由であった。少女には人権がない。知識がない。名前がない。自由がない。人間としての自覚がない。だから今日も彼女はただ、座っているだけなのである。少女の存在は、神としてしか認識されていなかった。
 
 その日はやけに外が騒がしかった。毎日夜が明ける頃やってくる敬虔な老婆の姿がすっかり周囲が明るくなっても見えることはなかった。ただ一方通行に村で起こったことを喋っていく彼女は少女にとって唯一社の外を知る術だったから、少女も彼女の顔は覚えていたしそれが少女の中の一日の始まりの合図だった。鳥のさえずりや木々のざわめきしか聞こえない社まで届く地面を震わせる音は少女の記憶のどこにも存在しないもの。これが島の異変であるのなら、少女は社の外へ連れ出されるだろう。「神よりお借りした力」は、少女が手を触れただけで全てのものが崩れる力だ。島を災害が襲ったときも、罪人を裁くときも。少女は必要とされればその力を振るわなければならなかった。少女にある僅かな自我は、その力を行使することを嫌がっていた。自分が神であるのなら、どうして壊すだけなのだろう、という疑問は消えなかった。島に住む子らが語る神というものは、才能や無限の食糧といった、望むものを自在に「生み出し」「与える」ものだったから。
 ギイ、と音を立てて開いた戸に、少女は身構えた。逆光の中立っているそれは島民でもなければ、ましてや人間でもなかった。人間の背格好をしたリスが、騎士の装いをしてそこに立っているのだ。獣人といえば良いだろうか、背後に可愛らしいはずの大きな尻尾を揺らしながらも、その右手には血濡れたフランベルジュが握られている。御伽噺の世界から飛び出てきたような、そんなメルヘンな生き物は幼子の悪夢のように立っている。
 あれが島を脅かす者ならば、少女はあれを崩してしまわねばならない。少女にとって殺気や武器などというものは初めて知覚するものであったから上手く現状を理解できなかったけれど、それでも強烈な違和感をもたらしているのだからきっと、斃さねばならぬのだろう。少女にはそれしかわからなかった。
「少女を発見。始末します」
 手元の小型電伝虫に話しかけた騎士はコツ、コツ、と軍靴を鳴らして少女に近づいていく。少女の鎮座する祭壇の前まで歩み寄り白銀の刀身を煌めかせ振り上げた騎士に、少女は小さくごめんなさい、と呟いて冷たい鎧に触れた。目の前で生きていたものがぐずぐずの肉塊になってしまうのはどうしても嫌で、いつも少女はこの瞬間目を瞑っていた。がらん、かしゃん、と金属の音がして漸く目を開けると、そこには肉片でも金属片でもなく、騎士の装備品に囲まれて目をぱちくりさせる小さなリスがいたのだった。

 部下と連絡が取れない。プルプルプル、と待機音を口遊みつづける電伝虫の受話器をがちゃんと置いてカタクリは首を傾げた。彼の部下は手練れである。少女一人を始末することなど両目を瞑っていてもできるはずだ。それに少女を発見したので始末するという旨のメッセージも残っている。ますます気味が悪い。もし件の部下がやられるようなことがあればカタクリが出向く他ないのであるが、だとすれば少女はなんらかの能力者である可能性が高い。様子を見て来る、とだけ周囲に告げて、カタクリは社へと足を進めた。
 カタクリがここを訪れたのは、この島がビッグマム海賊団の支配下でありながらも月々の上納を怠っていたからだ。上質な葛粉を生産するこの島は、粉大臣である彼の管轄でもある。再三の通告にも従わないのなら、海賊である彼らは力を行使するしかない。特にビッグマム海賊団はお菓子とその食材のためであれば何だってやった。ケーキのために町一つ滅ぼすのも茶飯事だ。実際、皆殺しにしても構わないという命さえ受けている。だから抵抗した島民は彼の部下が全員殺した。武器も兵士もないこの島で、スイート四将星に数えられる彼が手を下すまでもなかったのである。半分以下に減ってしまった島民はおそらく、はるかに苦しい生活をすることになるだろう。ささやかであったとはいえ、ビッグマムを裏切ったのだ。このまま全員で死ぬか、奴隷同然に食材を作り続けるか。それしか道は無い。
 閑話休題。カタクリがそこまで少女に固執していたのは、その少女が島における神であったからである。惨めに命乞いをした島の長が彼に言ったのだ。「この島の神を捧げるから自分の命は見逃してほしい」と。その歳になってまだ自分の命が惜しいか、と呆れたので処分は部下に任せておいた。今頃は見せしめに晒し首にでもなっているだろう。何にせよ今回の動乱の責任は取らねばならないからその神がどんなに素晴らしいものであろうと命は助からなかっただろうが。
 神を始末するのは、この島への力の誇示に他ならない。信仰するものが蹂躙された様を見て心が折れない者はいないからだ。
 社へは足繁く通っている者がいるようで整った小道を辿るだけで済んだ。小さく、黒ずんだ木材で作られたその建物は、決して神が住んでいるとは思えぬほど粗末なものであった。カタクリの身長ではどうも中の様子を見ることが難しい。壊してしまうか、と槍を取り出したところで、中から白い少女が転がり出て来る未来が見えた。
「お待ちくださいっ」
 脳裏に描かれたとおりに出てきた少女は、小さな茶色い動物を追いかけていた。リスだ。白い髪は腰まで長く、神の装いをさせられた少女はアルビノのようで髪だけでなくその肌も透き通り病的なまでに白かった。
「……ここに騎士が来なかったか」
 その装いから、少女がおそらくこの島の神なのだろう。可哀想に、この島の宗教は彼女を人間ではなく神として扱っていた。いざ面と向かっても、少女があの手練れをどうにかできるとはカタクリには思えなかった。しかしながら少女が無事で、部下がどこにもいない以上警戒せざるを得ない。
「ひゃっ」
 カタクリの問いに、少女は初めて彼を認識した。腹を震わす低い声に、見上げても顔の見えないほど大きな身体。彼がもう何年ぶりかわからない空の下で初めて話しかけてきた人物であったことも少しだけ手伝って、少女の喉はごく小さな悲鳴を上げるだけで精一杯だった。そうしてその衝撃で力は暴走してしまい、どろり、と少女は蕩けてしまった。どろん、とまるでスライムのように地面に落ちているのである。
 能力者か、とカタクリは立ったまま少女だったものへ槍を向けた。ぴゃん、と少女はさらに小さく鳴いて、すっかり怯えてしまっている。
「元の姿に戻れ。うちの部下をどこへやった」
 怖いという感情は彼女の中になかったしよくわかっていなかったが、怖くて怖くて仕方がなかった。ずっと社の中で生活していたこともあり、少女へ一方的に喋る人はいても意思疎通を図ってくる相手もいなかったのに、こんな剥き出しの敵意をぶつけられるなんて初めてだった。うぞうぞと体をどうにか人間の形に戻した少女は、あの、と小さく言った。正直自分の体がとろけてしまったことも初めての体験であったからもう、彼女の頭はキャパシティオーバーである。
「ぶか?は、わかんないですけど、私がさわったら、この小さいいきものになって、あの、ごめんなさい……」
 いつの間にか足元へ戻ってきていたリスをてのひらに載せて少女は続け、は、と思い当たって社から鎧とフランベルジュを引き摺ってきた。
「お前がやったのか」
 カタクリは静かに言った。これはまずい、と焦りを抱えながら少女へ問う。あの部下はホーミーズであった。彼の母親であり海賊団の船長であるビッグマムの能力で魂を与えられ人間のように振る舞っていた獣。ビッグマム海賊団にはそんな兵士や雑用が数多くいたし、主船であるクイーン・ママ・シャンテ号もホーミーズであった。魂を与えられたものたちは自我を持ち、自在に動く。一騎当千の子供たちほどではなくとも、ビッグマム海賊団を強固にしている要素の一つであった。それを無効化できる能力―恐らく対象を分解する能力だろう―があるというのならば、それは彼らにとって脅威でしかない。
 こくり、と恐る恐る涙目で頷いた少女にカタクリは眉を顰める。少女がただの少女であったのなら、このまま殺してしまって良かっただろう。けれども彼女はどう見ても悪魔の実の能力者で、しかも己の脅威となりうるのである。悪魔の実は主人が死ぬと世界のどこかにランダムに出現する。ここでこの少女を葬ってしまえば、敵となる者がこの力を手に入れる可能性がある。力を操りきれていない少女を保護し、味方につけてしまうのが最もリスクが低いのでは無いだろうか。カタクリはそう考えて、少女に向けた槍を下ろし屈んで告げる。
「お前はおれの国へ連れて行く」
 少女はきょとん、として首を傾げるばかりである。この大きい人が途端に敵意を消したのは何故だろう、くに、とは何なのだろう。でもやっぱり従わないとこわいめに遭うのだと少女は思って、抱え上げられてもなお震えて耐えているのだった。

 少女にとって、全てが初めてであった。海という大きな水瓶、船という海に浮いて人を乗せる家。捕虜の身だから、と説明されて海楼石の手錠を付けられたのは身体が怠くなって気分が悪かったけれど、与えられた部屋には柔らかい寝台があったからそこまで気にならなかった。祭壇よりも明らかに居心地の良いそれはふかふかとしていて、きっとこれは上等なものなのだろうな、と少女は思った。勿論捕虜を入れておく部屋のものである、安価で質素、寝心地もあまりよろしくなかったのだが、少女にとって寝台を与えられたのは初めてのことだったからすっかり気を良くしてしまった。少女の存在していい場所は木の床か、大理石の祭壇だったからだ。それに食事として与えられたのも、少女が見たこともないものだった。神様が食べて良いのは、島で取れた果物だけだった。湯気を上げるシチューは船員用の余りでろくに具材も入っていなかったし、添えられたパンも乾燥して硬くなってしまっていたけれど、とろりとしてあまじょっぱい味は舌から脳へ直接幸福を伝えて、その温かさは身体の内側を満たしたものだからへにゃりと力が抜けてしまった。それまで少女が与えられていたのは果物だけであったので塩味や脂には少しだけ驚いてしまったけれど。きっと海楼石がなければまた身体を蕩けさせていただろう。
 少女は心を躍らせると同時に戸惑っていた。きっと素敵なところへ連れて行かれるのだという期待感は勿論あるけれど、初体験ばかりの外の世界は少女に刺激が強すぎた。それまで少女が生きてきた世界は本当に箱のようなものであったという現実も、未だふんわりとしか受け止めきれていないのである。結局自分を担いでこの部屋まで連れてきたあの大きい人、もといカタクリのことはまだ怖かったけれど。

 ***

「情でも湧いたの?」
 珍しいこともあるものね、と鏡の中から聞こえた声にカタクリは何だ、と短く返した。声の主は彼の数多くいる妹の一人、ブリュレである。彼女はミラミラの実の能力者であり、鏡の中の世界に入り込むことで鏡から鏡へと移動することができたのだ。壁掛けの鏡から肩までを出し、枠に肘をついて彼女は話を続ける。
「あの白い子。島からわざわざ連れて帰ってきたんでしょ」
「事情が事情だからな」
 カタクリは続けて少女の能力について語る。ホーミーズを無効化する能力であること、少女を殺してしまえば敵になる者がその力を手に入れてしまうかもしれないこと、少女を生かさず殺さずこの国で保護した方がリスクは小さいこと。先程母親であるビッグマムに対して説明したことを端折って聞かせた。
「…モンドールの管轄下に置かなかったのは、あの牢に閉じ込めて万が一脱出された場合に敵対するリスクが上がるからだ。能力をきちんと使いこなせればこちらの兵力にもなる」
 未来視で飛んできた疑問に、カタクリはそうさらりと返した。実際、あの少女を懐柔するのは容易いだろう。何せ捕虜用の船室と粗末な食事に目を輝かせていたのだから。人間としてあつかわれていなかった以上、きっとあまり良い生活はしていなかったはずである。
「で、どうするの。メイドにでもする?」
「…そのつもりだ」
 国をひとつ作ってはいるが、彼らは海賊である。血の気の多い者がばかりなのも事実。だからあの少女は常に自身の側に置いておくべきだとカタクリは考えたのだ。ビッグマムからもモンドールに任せないならアンタが世話するんだよ、と言われていたのもあるが。
「じゃあ首輪でもつけてやっといた方がいいわ、それも犬用の」
 面食らった様子のブリュレは少し考えてそう返した。
「お兄ちゃんは妹たちの憧れよ。女の子を拾って側仕えにしたって聞いたらその子、すぐにでも殺されるでしょうね。首輪でもつけて表向きはペットとして扱うのが良いんじゃなくて?」
 説明してわからないほど弟妹は愚かか?と聞き返そうとするものの、実際兄弟全員に説明する時間も機会も存在しないのだ。
「…忠告感謝する」
「いいのよ、てっきりお兄ちゃんが光源氏計画に乗り出したのかと心配してたところだったから」
 ブリュレはそうにっこりと笑って、鏡の世界へと帰って行ったのだった。ヒカルゲンジケイカク?と首を傾げるカタクリを鏡の前に残して。

「すてき…」
 少女はカタクリの部屋で生活することになった。彼女のプライバシーに配慮すべきか、と思ったが一番大切なのは彼女を生かすことなのでそこは気付かぬフリをして無視させて貰った。ひとまずこれからの普段着となるメイド服を着せ、妹からの忠告通り大きな革の首輪を着けた。かなり不自由な格好であるはずなのに、彼女はくるくると回ってフリルのついたワンピースがひらひら広がるのを楽しんでいた。
「お前は今日からおれの側仕えだ」
 そう告げれば少女はぴゃっと小動物のような声を上げて一瞬だけ蕩けて元に戻る。カタクリの声に驚いてしまったらしい。
「あっあのっそばづかえ、ってなにすればいいんですか」
 すみません、と一生懸命に謝ってから、少女は素朴な疑問を投げかけた。それに対してカタクリも首を傾げる。何も知らない少女にさせることが周囲にあるほど、彼は未熟な人間ではない。じゃあ掃除でも、と思ったが部屋はいつもホーミーズが綺麗に保っている。少女にさせられることが思いつかなかった。
「…とりあえずはおれの側にいればいい」
 わかりました、と言った少女にふと、カタクリは思い当たる。彼は少女の名前を知らなかった。そしてそういえば自分の名前すら告げていなかったな、とも。
「おれはカタクリと言う。お前の名前はなんだ?なんと呼べばいい」
 少女は数度瞬きして不思議そうにカタクリを見上げているだけだった。
「…何と呼ばれていた」
「かみさま…」
 カタクリは頭を抱えた。この少女には名前が無いのだ。更にいえば名前という概念すら知らない様子である。名前は後で決めよう、とカタクリは少女の頭をぽんぽん、と撫でる。拍子に驚いてどろりと蕩けてしまった少女を見て彼は思う。あまりにも、前途多難だ。

 ***

 懸賞金十億五千七百万。スイート四将星の筆頭に数えられ、見聞色の覇気を極めて未来視すらできるシャーロット・カタクリにも得手不得手は存在する。例えば、少女へ名前を付けること。名前とは人間が一生背負っていくものである。下手な名前は付けられない。名前で不利益を被ることもあってはならないだろう。小一時間考えても良い案は浮かばず、結局彼はきょうだいへ頼ることにした。八十五人の子すべてに名前を付けたママにはやはり頭が上がらないな、と心の底から思う。
 「食べ物の名前から取るといい」と上機嫌に言ったのは長男のペロスペロー。我々きょうだいもそうなのだから、名前から共通点を植え付ければ忠誠心やら連帯感も生まれるだろう、というのが彼の意見である。ペロリン♪と戯けた語尾をきちんと付けながらもその理論は確かに打算的で真っ当である。
 「折角だから自分に関係ある名前にしてしまえばいいんじゃないか」と二人揃って腕を組み熟考してから言ったのは三つ子であるカタクリの弟のオーブンとダイフク。真摯に考えてくれたらしいが、やはり同時にこの世に生まれ出た仲である。カタクリ同様そこまで得意ではなかったようで悔し紛れのようにそう絞り出したのだった。
 「植物の名前なんか可愛らしいわ」と即答したのは長女のコンポート。フルーツ大臣である彼女ならではのアイデアだろう。残念ながらこんなのはどう?と挙げられた名前は確かに可愛らしかったがあまりに難解だったので紙に書き留めるだけに留めたが。ついでに子供用の植物図鑑まで手渡されてしまった。姉にとって、弟であるカタクリはいつまで経っても子供であるらしい。
 「短い名前の方がいいに決まってる」と少し呆れて言ったのはブリュレ。あんまり難しい名前だと周囲にも覚えてもらえないでしょう、それに一応「飼ってる」んだから。と、彼の部屋の隅でちょこんと座っている件の少女を一瞥して彼女は続けたのだった。
「……ワラビ」
 そんな兄弟姉妹の意見を総括して、カタクリは寝台にずっと正座している少女にそう呼び掛けた。頭の上にクエスチョンマークを浮かべる少女にお前の名前だ、と続ける。
「なまえ」
 いまいちわかっていないのか復唱する少女に、カタクリはそう言われたら返事をしたらいい、とだけ伝えておいた。食べ物の名称である。可愛らしいかどうかは微妙なところだがごく短い植物の名称である。ワラビ餅というものがあるのだし、モチモチの実という自分の能力と僅かではあるが関係があるはずだ。弟のアイデアを無碍にできなかった結果ゆえのこじつけではあるが。きょうだい仲の良い彼らは互いに対しては優しいのである。
「ワラビ…」
「そうだ、お前はもう神様じゃない」
 少し間をおいて、にへら、と少女は笑ってからありがとうございます、と礼をした。少女は知らないことがあまりに多すぎる。けれども自分を通した神でなく自分自身に何かが与えられたということが嬉しかったのか、もう神様をしなくていいと理解したからなのか、はたまたそれ以外の感情であるのか。カタクリにも少女自身にもあまりわかっていなかったけれど、とにかく喜や楽の感情であるのは確かであった。
「そしてそれは座るためのものではない」
 一段落ついたところで、とカタクリはワラビに言う。横になっていいんだぞ、と言うと彼女はとんでもない!と言いたげにわたわたと焦りを見せた。
「だっ、だって、こんなやわらかくって、あったかいんですよぅ」
 だから何だ、とカタクリはささやかな抵抗をするワラビを片手で抱き上げて(もはや持ち上げて、と言っても遜色ないくらいだったが)とす、と静かに寝台に寝かせた。
「はゃ…ふこふこ…これ起きられなく……」
 ワラビの言葉は途切れてしまった。突然の無言にそろりと様子を見れば、既にすよすよと寝息を立てているではないか。その様子に対して降って湧いた「可愛い」という心を突き動かすような感情に、カタクリは自分でも訳がわからないまま、先程の彼女のようにクエスチョンマークを浮かべているのだった。

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