1 まりっじ・ぶるー・しょこら





 ぱたぱた、ぱたぱたぱた。
 廊下を駆けるメイド服の少女が一人。クラシカルスタイルのそれは決して可愛さも色気も強調せず、彼女を凡庸な見た目に落とし込んでいる。ごく白い肌と髪色、赤い瞳。長くふんわりとした髪で右目を隠したアルビノの彼女は息を切らす。彼女の暮らす万国は多種多様な人種が住んでいるので当然、建物は大きく作られている。そもそもこの国の女王、ビッグマムが身の丈九メートルに近い巨躯を誇るから、という理由もある。そして女王の子らも身体の大きい場合が多く、特に彼女の仕えるカタクリは五メートルの身長を誇る。彼女の人種は人間、しかも通常サイズであるため、屋敷の中を移動するだけでも一苦労だった。
「ワラビです、開けてください」
 とんとんとん、ノックはきっちり三回。ノッカーがぎょろりと少女を見て、どうぞお入り、と落ち着いたアルトで言う。この国は、物言わぬ物も喋る楽しい国。ティーポットもパンケーキも、絨毯も扉も。この国女王がそんな世界を望んだから、物にも命があるし動物たちも人間のように振る舞う。お菓子とメルヘンに溢れた、まるで夢の国。そのカラクリといえばやはり悪魔の実の能力だ。ビッグマムは島民に四皇の加護として安全で楽しい生活を提供する代わりに、税として魂を差し出すように命令している。そうやって集めた魂を様々に移し、ホーミーズと呼ばれる存在に成しているのだ。船に移せば操舵の必要なく命令通りに動く船に、絨毯に移せば空飛ぶ絨毯に。夢のような世界は、人々の命そのものによって賄われていた。しかしこの国には不可欠である。何せ国民の身体のサイズにばらつきがある以上、例えばドアを開けるにも一苦労なんてことが起こりうるのだ。今の彼女、ワラビも大いに助けられている。今し方彼女が開けてもらったドアも、非力な彼女では開けられないほど大きく重い。
「ワラビ、プリンにこれを渡してくれ。結婚式前日からのスケジュールだ」
「カタクリさま、何のご用でしょうか?」
 少女が部屋の中にいるカタクリに声を掛ける前に返ってきた回答。椅子に座って彼女の方へ封筒を差し出す彼は、未来を視ることができたので、質問される前に回答することも茶飯事だった。
「鏡世界を通って良いそうだ」
「はっはい!」
 封筒を受け取ってしっかりと抱え込み、ワラビと呼ばれたメイド服の少女は大きく頷いた。早い話がおつかいである。飛行可能なホーミーズに任せてしまうのが文書輸送の常だったが、今回ばかりは特級の機密を含んでいる。封筒もホーミーズにすることで対象以外には開けられないようにしてあるし、無理に開けようとすれば発火して読めないようにしてある。しかしそういくつも用意できるものではない。まだ幼いビッグマムの子らか、彼女のような忠実な部下に輸送を任せるのだった。
「ほかは何かありますか?」
「無い。ブリュレはいないから迷わないようにな。迷ったら封筒に聞け」
「わかりました。いってきます!」
 ぴし、と姿勢を正したワラビはそう言うと、部屋に用意された姿見の中に消えた。カタクリの妹であるブリュレはミラミラの実の能力者。鏡と鏡を繋ぐことができたし、鏡世界と呼ばれる鏡の中の世界を構築することもできる。彼女の能力は多くの島で構成される万国では非常に有効だった。急な攻撃への対処、万国に不法入国した者への制裁、闇討ち。彼女の能力があれば殆どが最低限の労力で処理できる。一方で彼女の弟妹にとっての遊び場や、訓練場も兼ねていた。鏡世界であれば現実にはさして影響を及ぼさない。
「り?りんご」
「ゴルゴンゾーラ」
「ら、ら……ラビオリ!」
「リエット」
 鏡の向こう側はくらくらな世界。毒々しい紫と白のブロックチェックに彩られてところどころ湾曲した壁と床。簡単に錯覚を起こすこの空間を、メイド服の少女は件の封筒としりとりでもしながら歩いている。彼女が封筒の輸送を担当するのは五回目。しりとりを挑んでくる封筒にはまだ勝ったことがない。なにせこの封筒、もう十年はその役目を務めている。様々な場所を行き来するうえに自身は運ばれるだけなので通常のホーミーズに比べてかなり知識があるのだ。対して少女といえば、この国に来てまだ六年。まだ知らないことの方が多い。
「と、と…あれっ、プリンさまの部屋どっちでしたっけ」
「右。白いレースのかかった鏡だよ」
「あった。こんにちはぁ、ワラビです。おてがみもってきました」
「入っていいわ」
 こんこんこん、鏡の木枠を叩いて彼女が言えば、うっすらエコーのかかった返事。それを聞いてから例の如く足を踏み入れれば、すとん、と現実世界へ。プリンさまと呼ばれた彼女はワラビと身長が近いため、部屋は珍しくワラビにもジャストサイズに仕上がっていた。ワラビが普段過ごしているのがカタクリのいる屋敷だから余計にそう思えたのかもしれないが。
「結婚式前日からのスケジュールだそうです」
 封筒はワラビの手を離れ、プリンを認識すると一人でに開きするりと数枚の紙を彼女の前へ差し出した。
「ありがとう」
 にっこりと笑って言うプリンに、ワラビもまるで褒められたみたいに嬉しくなって、えへへ、と笑いを漏らす。けれど一方で、目を通したプリンの表情が曇るのを見逃してはいなかった。
「ど、どうかされましたか?まだ変更はできるそうなので、要望がありましたら……」
「大丈夫よ、そういうことじゃないから」
 じゃあどういうことだろう?と大袈裟に首を傾げるワラビに、プリンは少し考えてから言葉を紡ぐ。
「それはそうと、ここまでありがとうね。休憩していったら?」
「わ、お言葉に甘えます!」
 ぴょんとワラビが飛び跳ねればエプロンドレスの裾がふんわりと揺れる。ビッグマムの子らはそれぞれお菓子作りのプロフェッショナルであるが、彼女もまたそうである。彼女の担当はチョコレート。ケーキにビスケットにと引っ張りだこな材料でもあるチョコレートを担当する彼女が休憩を提案するのだから、それはもう美味なものが出るに決まっている。それに対してプリンの方もワラビにスイーツを振舞うメリットは存在する。ワラビは好き嫌いせず何でも食べるうえ、全身で美味しいとアピールしてくれるのだ。いくら周囲に腕を認められているパティシエールであっても、素直な気持ちを伝えられるのは嬉しいものだ。おかげでワラビがおつかいついでに餌付けされるのは日常茶飯事だったし、彼女がくるとわかればわざわざお菓子を用意しておくきょうだいすらいるくらいだ。食品に関しては英才教育を受けるシャーロット家の者にとって、何を食べても目を輝かせるワラビの存在は珍しい方だったのだ。なにせ大抵のお菓子は珍しくはないし、まず批評が飛び出すからだ。
 白い皿に載って出てきたのは、まるで宝石のように可愛らしいトリュフチョコレートに、飲み物はホットミルク。本来ならばチョコレートの味を邪魔しうる牛乳は避けたいところだが、残念ながら子供舌のワラビにはこれが丁度良いだろう。
「いただきまぁす……!」
 大きな赤色の瞳にチョコレートを反射させるその挙動だけで心の底がむず痒い感覚になるプリンは、けれどその様子を隠してにっこりと笑ってどうぞ、と言う。彼女自身もチョコレートは大好物だから、一つ摘んでは上出来、とその甘さに表情を僅かに蕩けさせた。
「おいしい…」
 指先のチョコレートをくるくるといろんな方向から眺めて、溶け出したのを見て慌てて、けれど恐る恐る口に含んで、ゆっくりと咀嚼して。幸せを噛み締めてから絞り出すように出たその感想に、プリンは何より、と微笑んだ。チョコレートというものはいくつも食べてきたワラビであるが、何度口にしても幸せを体現したかのようなその強烈な香りと甘さ、脂肪は文字通り頬が落ちてしまうほどだと思う。その様子はまるで、世界一の傑作を味わっているようだ。その様子を見ながらプリンは、ふと言葉を溢す。
「結婚って、どう思う?」
「結婚、ですか?ううん…幸せなものだと思っています。だっていつも見る結婚式はみんな楽しそうで、美味しいものもいっぱいあるし…あっ私は参加したことないんですけど」
 ビッグマム海賊団は単純な強さだけでなく、政略結婚によって繋がりを磐石なものとしてきた。結婚という繋がりがあって更に子を為せば裏切りなどありえない。そんなビッグマムの思想に基づいた戦略を繰り返してきたうちの一つの計画が、プリンだ。彼女もまた、政略結婚の駒だった。愛のない結婚である以上そこに憂鬱が伴うのは当然のことであるが、ワラビにはそれがあまり理解できなかった。なにせ結婚とはすべて幸せなものであるという認識が強い。それに結婚したビッグマムの子らは島を出ることはないし、誰も彼も笑顔を振りまいているからだ。本人同士の仲の良さは二の次と言いながらも家庭円満であるほうが良いと言うビッグマムの前では皆そう振る舞う他なかったのであるが、少女が知る由もない。
「じゃあ殺人は?」
「えっと…多分だめなことですけど、せーとーぼーえー?なら仕方がないと思います」
 カタクリさまもそう言ってましたし!と元気よく言うワラビに、プリンはそう、と小さく呟いた。この反応を見るに多分、あんまり良い発言じゃなかったんだろうなあ、とワラビは思う。見た目の年齢よりも遥かに幼い精神年齢をしている彼女は、会話があまり得意ではない。素直に話してはいけないし、かといって嘘もいけない。カタクリさまのようにあんまり喋らずにいたほうが良いのかな、とも思うが、感情も言葉も表に出やすい彼女のことである。頑張って口を閉じても五分が限界だった。
「なんてね!私の結婚相手は王子様なの!嬉しくないわけがないわ!」
「お、王子様!」
 片方だけの目を輝かせてワラビは身を乗り出す。彼女にとって王子様とは、絵本の中に登場する概念だ。キラキラして、かっこよくて、全てを幸福に変えてくれる存在。それはキスで死すら打ち消して、愛とハッピーエンドの象徴だ。そんな、憧れの存在。この国のことしか知らない少女にとって、王子というのはそういうものだった。だからワラビはプリンのその発言が強がりや憂鬱を内包していることもわからないし、ましてその新郎となる王子様の一家を皆殺しにする計画があることも知らない。表向き幸せな、いつも通りの結婚式にするため戦力にならない者には何も知らされていなかったのである。
「本当に、おめでとうございます!私は当日いませんが、良い結婚式になることを祈っています」
 は、と今の今まで祝福の言葉を発していなかったことに気付いてワラビは少しだけ姿勢を正してそう言う。
「ふふ、ありがとう」
 プリンさまはとっても優しくて、穏やかな人だ。王子様と結婚できるプリンさまも幸せだけれど、彼女みたいな素敵な人と結婚できる王子様もきっと世界一の幸せものだ。ワラビはそう心から思っているのだった。

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