16 彼、或いは彼女の不確定性に関する考察



 期末試験も終わり、ウィンターホリデーまでのロスタイム。学生生活には珍しくのんびりとした期間。魔法薬学のレポートが終わったら、購買に便箋を買いに行こう。もちろん相手はレト。試験一週間前からはやりとりを止めていたとはいえ、彼女との手紙もかなりの枚数になった。好きな食べ物に趣味、先日読んだ本の話。それらを便箋に綴ってはレトのベッドに置いておく。すると数日のうちにまた彼女からの返事があるので、心を踊らせながら読むのだ。彼女の手紙はいつも可愛らしく上品だ。便箋には花が描かれていることが多いし、時折香りを忍ばせているのか封を切った途端に甘い匂いがすることもある。一方で「渡すはずの手紙を汚してしまいました。書き直すべきなのは承知の上ですがどうしても今日読んでほしくて」とレポート用紙に綴られていたこともあったか。内容は今晩の満月を一緒に見ないかというものだった。
 レトは、決して公私混同をしなかった。常日頃からは男子のレトとは顔を合わせているしSNS上でのつながりもある。それでも、少女の姿のレトとして僕の恋人として振る舞う際は絶対に手紙を介した。それがレトなりのこだわりであり、僕への配慮だというのはわかっていた。若様の護衛を柱とする僕にとって彼女とのことは私事。だからだろう、レトが彼女としてあるのは手紙で取り決めた逢引のときだけだった。レトにとって存在しやすい姿はきっと少女の姿だろうに、無理をさせていないか時々心配になる。もちろん、レトはこの学園に在籍している以上常日頃男子として振る舞っている。それでも、レトが少しでも無理をしなければ良いと思っている。
 ペンを動かす手を止める。考えれば考えるほどに、レト・ファンデルスという存在は奇怪である。
 人当たりも良く、人間関係に難もなく。いつもにこにこと笑っている優等生。時折蛇の姿になってクラスメートを驚かせる茶目っ気も持ち合わせているし、こちらの話を飽きもせず楽しそうに聞いている。そんな人格者、すなわち非の打ち所の無い振る舞いをする存在がレトである。
 それでもレトを奇怪だと思うのは、その存在そのものである。彼は彼女であり、彼女は彼である。レト・ファンデルスは性別が曖昧である。それどころか人間/妖精族ですらない。だから奇怪と呼ぶしかないのだ。
 別に彼/彼女の正体が何であろうと構わない。ただ、良い友人である彼を/好きになった彼女を、どう思えばいいのだろうというのが目下の悩みなだけなのだ。僕から彼への親愛も、彼女への恋も変わらないのにそれがうっかり統合されてしまって(元々同一存在だったのだからこれは表現としては間違っている)、それらを足し合わせると何に成るのかがわからない。数学は得意だが、こればかりはそこまで単純な問題でもないばかりに。
「レト、魔法薬学のレポートについてなんだが」
 今日のレトは彼だ。いや、男子校である以上普段はずっと男の姿をとっているので、少女の姿になるのなんて夜中にこっそり二人で出歩くときか、手紙の中だけだ。リリア様に言わせれば恋愛に階段があるとするならその一段目は文通らしい。だからずっと、彼女とは手紙のやり取りをしている。彼女は面と向かうと素直に話せなくなるらしいので、まあ結果オーライというやつだろう。それに存外、毎度便箋やインクを選んで、話の内容を考えるのも悪くはないのだ。
「うん?ああこれはね……」
 トントン、とペンの頭でレポート用紙を打ちながらレトは言葉を紡ぐ。僕のレポートとは比べ物にならない難易度の研究報告を脇にがさりと避けて、相変わらずにこにこして優しい解説をしてくれている。彼は魔法薬学に秀でている。しかもセオリーではなく感覚を大事にしている天才型。だから少々、高尚だったり抽象的だったりしてわかりづらいこともある。僕は思ったことが顔に出やすいので少しでもクエスチョンマークを頭上に浮かべると、彼はなんとか噛み砕いてくれるのだ。
 彼の横顔を覗き込みながら思う。彼と彼女は同一であるけれど、見た目がこうも違うとやはり別人に思えてしまう。そしてこうも思うのだ。彼女に恋をしたのは、彼へ対しての侮辱ではないのか、と。レトは現在に満足しているらしいから僕が気にすることではないのだとはわかるが、それだけだ。先にも述べたとおり、僕は恋と友情をどちらもとれるほど器用ではないのだ。それがレト・ファンデルスという同じ存在に対してのものであっても。
「ああ、そうか!本質は教科書の例題と同じだな?」
「そうそう!」
 残酷だ、と思う。僕は彼女と彼を別物に扱ってしまうから、レトも自身を分裂させているのではないか。違う、きっと違うと思いながらも、ではなぜレトは今もよそ行きの顔をしているのかという疑念がよぎるのだ。
「ありがとう、お前のおかげで課題が終わった!」
「いいえ。でもセベクくんもしっかり理解できてるよ」
 彼はいつも通りの、人懐こい笑顔をする。
 恋というのも、実はまだ理解できていない。読書は好きだし、物語にはつきものの存在である。けれどそれが自らの胸中にあるものと同一であるといわれると首を傾げざるを得ない。幻覚にも等しい彼女を可愛らしいと思った。彼女のことしか考えられないほどに心を奪われてしまった。それは事実だし、恋といえばそんな描写ばかりだ。だけど僕の感情はこれだけに収まらない。例えば彼女のことを手中に収めるのではなくただ愛でていたいと思うし、一方で触れたいとも切に思っていた。相反する感情が交互に、湧き水のように溢れてくるのだ。大切にしたい。花を踏み荒らすように触れてしまいたい。アンニュイに微笑んでいてほしい。笑顔以外の彼女もきっと美しいのだろうか。
 普段の僕ならばそれらを全て劣情であると切り捨てていた。彼女のためならば若様以外の世界の全てを犠牲にしても良いなど、仮に世界が逆回転しようと思わなかったはずだ。彼女への恋は僕の生き様である騎士の領分を侵食していない。寧ろ彼女との付き合いを始めてから、日々の全てにおいて調子が良いとまで思える。騎士の本分を全うするにあたり、恋というものは癌であり唾棄すべきものであると思い込んでいたが、間違いだったようだ。いや、「彼女」でなくとも、レトという存在の隣は楽しかった。レトの正体に気付くまでの生活を考えても彼と僕は良き友人だった。茨の谷にはシルバー以外にいなかった同世代の存在として、レトは良い奴だと思う。あれほど気の合う存在を僕は知らない。シルバーがライバルならば、レトは親友だった。
 だから恋のために、このにこやかに笑うレトという友人を失いたくはない。けれど今更友人のために恋を捨ててしまうことも不可能だった。わからない。何枚手紙を書いたって、毎週末彼女と手を繋いだって、僕はどちらをとるのが正解なのか、後悔しないのかがわからなかった。
「レト」
「うん?」
「……いや。僕はこれから購買に行くが、欲しいものはあるか?」
「んー、特に無いかな。いってらっしゃい、気をつけて」
 手を振るレトをどうにも失いたくなくて、勢いよく廊下に出る。財布も何も持っていないと気づいたのは、鏡の間に着いてからだった。

prev next

back
しおりを挟む
TOP



「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -