15 異種間問答



「失礼します」
 ノックは三回。他の部屋と全く同じ作りの扉だというのにほんの少し声が上ずってしまうのは、この中にいるのが寮長だからだろうか。マレウス・ドラコニア。ナイトレイブンカレッジの三年生でありながら既に世界中の魔法師の中でも五本の指に入る才能を持つ、次期茨の谷領主。そんな存在に呼び出されたのだから、流石の私も冷や汗を流したりする。まあ呼び出しの内容はわかっているし、そもそもこちらからいつかお話できませんか、とお願いしていたことだからだ。寮どころか学年(学園と言ってもいいくらいかもしれない)全部を巻き込んだオーバーブロット騒動を起こしたことについての、弁明と謝罪。あまり記憶はないものの、寮長とリリア先輩には特に迷惑をかけたとシルバー先輩に聞いた。幸い怪我人も後遺症のある生徒も誰ひとりいなかったし建物なんかへの損害も魔法で修復できる程度だったとはいえ、何もなしでは人間的に問題があろう。いや寮長もこちらも人間ではないとかいう野暮なツッコミは放っておいて。
「一年生のレト・ファンデルスです。お時間いただき、ありがとうございます」
 ああ、どこの部屋とも同じ作りだというのに、彼が室内にいるだけで大変に空気がひりついている。黄緑色の瞳はやけに明度が高いせいで輝いているようにも見えた。
「そんなに硬くならなくて良い。ほら、座れ」
「お気遣いありがとうございます」
 そんなの無理に決まっている。向こうとしてはただ後輩と喋るだけかもしれないけれど、こちらからすれば怒られにいくようなものだ。まあ悪いのは全部こっちなんだけれど…彼の騎士である存在を脅かしたという時点で即座に比喩でなく雷を落とされたっておかしくないのだ。そんなことを考えながら柔らかいソファに腰掛ける。
「先日はご迷惑をおかけしました。それと助けて頂きありがとうございました」
 こういうときは何か詫びのお菓子でも持参するべきだったかな、と彼の顔を見ながら思う。少しだけきょとんとしたような顔をしている寮長の雰囲気は独特だ。時間の流れがそこだけゆったりとしているような、空間自体が帯電しているような。
「理由を教えてくれるか」
 まあそうだろう。誰にとってもこちらの行動は不可解だったはずだ。何故それまで可愛らしい部類の騒動しか起こさなかった生徒がいきなり無差別的な犯行を行ったか。何故セベクを標的としたか。そもそもそのような行動に出たきっかけは、オーバーブロットした理由は。全てが全て、理解に困るのだ。事件数日前から茫然自失だったのはクラスメートから目撃されているから何かがあったのだろうとは皆考えるだろうけれど。
「ぼくは、セベクくんのことが好きです」
 寮長ならこれだけで理解できるだろうとはわかっているけれど、さらに言葉を紡いでいく。自分の生い立ちも、彼との記憶も、私の正体も。寮長に対しては隠し事ができないと直感が告げている。彼の纏う空気が隠し事をしてはいけないとこちらに思わせるのだ。どうせ隠していても仕方のないことだし、私の過去なんて少し珍しいだけのもの。恋をしているという事実も別に曝け出したって構わなかった。それが周囲に観測されたとして、私の感情は何一つ周囲には理解できるはずがないからだ。秘匿性はなんら変わらない。
「彼が誰かに恋をしたと聞いて……あとはご存知の通りです。一言で言うなら嫉妬でしょうか」
 はは、と照れ隠しのように笑いながら言う。我ながら単純で、子供っぽい原因と結果だ。
「それを僕に言って良かったのか?」
「…寮長は優しいんですね。ええ。彼にはもう告げてありますから」
 少し、意外だ。寮長のことだから全て語っても「知っている」とでも返してくるとばかり思っていた。優しいというよりはわからないなりの気遣いのような気もするが、生憎妖精族の思考回路はわからない。
「彼とは今、文通をしています」
「文通」
 そう単語だけを繰り返して、寮長はふ、と笑いを漏らした。セベクくんの提案だしリリア先輩の少しだけ時代錯誤なアドバイスというのはわかっていたけれど、こうも素直な反応が返ってくるとは思わなかった。いや、寮長のことだし自分もそうリリア先輩から教えられたことがあるに違いない。リリア先輩は寮長と同じ三年生だけれど、彼の育ての親でもあるとセベクくんに聞いた。いわゆる年齢不詳というやつなのだ。リリア先輩と相対すると確かに、荘厳な古城のような圧を感じるし嘘ではないはずだ。
「セベクをどう思う」
「純粋でとても優しいひとです」
 すらりと、一瞬も戸惑うことなく出てきた自分の言葉に驚いた。常々自分ではそう思っている。彼の優しさに救われてここまで生きてきた私からすれば、そこが彼の一番の特徴だった。もちろん無制限に語って良いと言うのであればきっといくらでも彼の印象を述べることはできるけれど、寮長の求めているのはそういうことではないのだろう。少なくとも私よりはセベクを近くで見てきた存在だからだ。
「そうか」
 木漏れ日のような柔和な笑みを浮かべて寮長は考える。思っていたよりは会話ができる。けれど彼は、明らかにこちらより上位種なのだ。茨の谷の次期領主である以前に、そもそも彼は妖精族の末裔だ。しかもドラゴンとなれば本能的に逆らえない。茨の谷のただのヤモリからすれば出会った時が命の終わりと思っても良いくらいだ。こんなイレギュラーの体を手に入れなければ一生彼は想像上の生き物になっていただろう。つらつらと御託を並べたが、つまり寮長と会話をするのは恐ろしい。冷や汗で済んでいるのが奇跡レベルなのだ。
「ひとつ言っておかねばならないが、良いか」
「はい」 
 寮長について言及する際に雷という言葉を使う生徒がいる。言い得て妙だ、と思った。穏やかな時の彼しか見たことがないが(穏やかでない時の彼となんか出会いたくもない、命がいくつあっても足りない)ごろごろと遠雷を聞いているような気分になる。これは決して彼の恐ろしさや近寄りがたさだけを言っているのではない。なんとなく心地良いような気分にもなるのだ。雨と土地の肥える予感。そんな言語化しにくい何かを感じている。
「セベクは騎士だ。きっとお前よりも僕を優先するだろう」
 それでも良いか。そう言う彼の感情が読めない。元々人間の感情を察するのも難易度が高いのに、今目の前にいるのは妖精族。わからなくて当然といえばそうなのだが。
「わかっています」
「自分が一番でなくて良いのか」
「恋のために生き様を否定することはできません」
 ああ、試されている。寮長は私を試している。寮生以前に自らの騎士として育てられてきたセベクの隣に、私がいても問題ないかどうか。一度問題を起こした私が二度と彼に危害を加えることがないか。ひいては自らの周囲にレト・ファンデルスという得体の知れない存在をおいていて良いかどうか。
「それでも良いと?」
「ええ。生き様の否定は彼そのものの否定に他なりません。それに、恋が必ずしも生き様を侵犯するわけではないと思います」
 詭弁も詭弁だ。こんなにもへらりと笑って言って見せているけれど、恋が生き様になっている私がやっていい発言ではない。
「わかった」
 彼の発言一つ一つに身構える。この後に続くのが肯定か否定か、そも言葉ではなく魔法が飛んでくる可能性すらある。寮長への勝手な思い込みによる勝手な妄想だとはわかっていても、身体は強張っている。なんでもないような雰囲気を必死で繕ってはいるが彼はそれもお見通しのはずだ。
「セベクに次危害を与えたら容赦はしないぞ」
「もちろんです」
 にこり。笑った寮長は相変わらず読めない。こちらへの牽制かもしれないし、慈悲かもしれない。会話が尽きたのを確認して、ではありがとうございました、と礼をして退室する。ああ、少なくとも拒絶はされていない。満点ではないものの不合格ではないはずだ。
  
「マレウスも意地が悪いの」
「リリア。いたなら出てきてくれても良いだろう」
 とっ、と空から降りてきたかのように現れるリリアに、マレウスは言う。彼にとって私的な場面で誰かと一対一で話すのは苦手な部類なのだ。緊張するわけではないものの、ただ少し言葉が足りずに相手に誤解を与えることも多い。リリアがいればもう少し穏やかに話せただろうに、と呟けばリリアはからからと笑った。
「セベクをよろしく頼む、と言えばあやつも安心したろうに」
「む、そう言ったつもりだったのだが…」
「マレウス。あれはどう考えても牽制じゃ」
 そうか、とマレウスは考え込む。レトは二度とセベクへ危害を加えることはないだろうと確信している。寧ろ彼女はセベクに近づく危険のほとんどを排除しうるだろうとも。だからそう告げたつもりだったけれど…やはり会話は難しい。そうマレウスの考え込む姿に、リリアはやはり笑っていたのだった。

prev next

back
しおりを挟む
TOP



「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -