14 灯火の夜



 拝啓、名も知らぬ君へ。
 彼らしい、大振りで角張った字をトップにするその便箋は、もう何度読み返しただろう。シンプルというか飾り気がないというか。絵柄も何もない、罫線が入っただけの紙に彼の字が踊るのは見ていて飽きない。彼の字は随分主張が激しいので、装飾なんかない方が映えるのだ。本人がそれをわかっているかどうかは微妙なところだけれど、もう読めば読むほどに心の奥底がくつくつと煮立つようで、大変にこそばゆい。心臓あたりの炉心がオーバーヒートしそうな不快なものではなく、ただストーブの上で木苺を煮詰めているような、穏やかな心地良さなのだ。
 この手紙の差出人は、セベク・ジグボルト。そして名も知らぬ君というのは私。私の魔法が不完全だったせいでそこに見えていないはずの少女を幻視し、挙句彼女に心を奪われたらしいのだ。それで恋を昇華するために自分の気持ちを手紙に綴ったのだという。いつ渡せるともわからない、そもそも実在するかどうかすらわからない相手への想いを一段落させるには妥当な方法だろう。いや彼の場合、恋愛の第一歩がそれだと信じていたみたいだが。
 正直、舞い上がっている。どうにか彼の隣にいるために姿を変えたし、呪いもかけたし、性別すら変更してこの学校に通っている。もう十年想いを拗らせている。それが知らず成就していたとあれば、それは大層喜ぶべきことだ。結局どんな魔法でも薬でも、相手の心を動かすことは不可能だった。いや、無意識のうちにそんなことは避けたかったのかもしれない。魔法はいつか解けるもの。そんなものによらず相手の心を動かす方が確実だからだ。だから本当に、言葉では言い表せないほどに浮かれている。
 けれど一方で、これはあって良いことなのだろうか、とも思う。私の所業を鑑みれば身に余るように感じられるしどうにもこれをこのまま享受していいのかという少しのひっかかりがある。それに加えて、何よりも彼が可哀想だ。入学してできた良き友人でありルームメイトが、知らず惑わされた少女と同一存在であった。彼の気持ちを慮れるほど人間の機微には聡くないけれど、少なくとも手放しで喜べる状況でないだろうことは想像できる。それに友人であれ想い人であれ、それが自分に執着してここまで追い掛けてきた人外なのだ。それに対して恐怖や不快感をおぼえたって当然だ。更にその存在が、自分も他も巻き込んだ騒動を引き起こしたとあればなおのこと。
 とんとん、とペンの頭で便箋を叩く。そんなこんなを考えながら、綴る言の葉はいかにも凡庸で甘酸っぱい。
 〈お手紙、ありがとうございます。〉
 何日も迷って決めた書き出しから、つらつらと返事を書き連ねていく。毎日ほとんど一緒にいるし、相部屋の相手と文通をするなんて可笑しな話だ。けれど彼がそれを望んだのだから、その方法で恋と感情を擦り合わせていく方が良いに決まっている。彼の恋した少女のレト・ファンデルスは手紙の中に存在させてしまおう。日常生活ではナイトレイブンカレッジ生のレト・ファンデルスとして過ごすのだから、これまで通りだ。もちろん、彼といつか逢引のようなことをするようになったら、少女の姿をとるつもりだ。ここは一応男子校だし、彼とどうこうなる前にこの学校を追い出されたら元も子もないからだ。それに彼も規律を重んじるタイプ。私情を優先するのは避けたいと考えるはずだ。
 〈私は夜を歩くのが好きです。よろしければ今度、一緒にどうですか。〉
 ここまで書いてペンを置く。少し急いたかもしれない。いやでもただの散歩だし…と首を捻る。元々人間ではないし人間から遠い生活をしていたのでこういう距離の詰め方はわからない。とりあえず彼からの恋文の返答であるから、彼の気持ちが嬉しいことと自分も心底彼を好きである旨を綴った。そこからデートの誘いをするのは、やはり早いのか。本来ならばここで自分の趣味なんかについて述べて、三通ほど手紙のやり取りを重ねた後で誘うべきなのかもしれない。読書好きの彼と違って物語の類は一切読まなかったから、たとえフィクション基準であってもそこらへんは測りかねる。魔法薬だったら割と勘でどうにかなるのに。あ、こんなこと言ったらクルーウェル先生に怒られるんだった。本来魔法薬学はきっちりした計算に基づく再現性のあるものだから先生の言い分もわかるけれど…時には直感が大事なのだ。学問はトライアンドエラーだし、トライするためにはひらめきが必要だ。閑話休題。
 〈お返事、楽しみにしています。レト・ファンデルス〉
 結局、誘いの言葉はそのままにしてそう締めた。彼は言うに言い出せないタイプじゃないかとも思うし、早かったら早かったでまた次の機会に、ということになるだろう。セベクという男は正直なので、きちんと明言してくれるはずだ。それは手紙の中でもそうで、いまいち恥ずかしさが滲んでいる詩的表現も、恋文にしては実直すぎる言葉も、セベク・ジグボルトがそこにいるみたいで愛おしい…なんて、それこそ手紙に書くべきだったのでは、と思える感想が湧いて出てくる。けれどこれは次の手紙で。小さな青い花の描かれた便箋を丁寧に折って、封筒に差し込む。彼ほど主役級の字は書けないので、シンプルというよりは物足りなさが出てしまうのだ。揃いの封筒に魔法でもって封をする。彼以外には開けられないとか、開くと花火が出るとかそういうものじゃないけれど、強力であるけれど綺麗に剥がれるようにはしている。ううむ、次までにいろいろなパターンの魔法を習得するのも悪くないかもしれない。
 
 ***
  
 拝啓、セベク・ジグボルト様。
 するりと流れるような文字で綴られたそれは、手紙だというのに一つの完成された芸術作品のようだ。通常、手紙というものは文字が主役である。遠い相手に気持ちを伝えるためのもの。だからそこには識別可能な文字列と、最低限紙としての役割を果たす便箋があればそれで良い。けれど彼女からの手紙は、その見た目だけで完成している。まだろくに中身も読んでいないのに、ああこれは素晴らしいものだと胸のあたりがぎゅうと締め付けられる感覚になる。ここに何が綴ってあるのかと、視線を下げればすぐにわかることなのに全力疾走の後のように心臓が煩い。
 これは恋文への返事だ。だからきっと、こんなにも緊張してしまうに違いない。手が震えてうっかり手紙に皺をつけることがないよう細心の注意を払う。
 〈セベクくんの気持ちを非常にうれしく想います。何故なら私も、貴方に恋をしているからです。〉
 この文章があることはわかっていた。だって直接、彼女がそう言っているのを聞いたからだ。それなのに、こうも、紙に書かれた言葉という明確なものに残されると、気でも触れてしまいそうになる。元々、僕は誰ともわからない女に手紙を書いた。ただ脳裏に住み着いて、存在するかどうかすら不明な彼女にうっかり恋をしてしまったからだ。まず文通から始めるべしというリリア様の教えも当然あるが、抑えきれない感情をどうにかするには文章に出力してしまうのが一番だと思ったのだ。だから、仮に彼女が存在しなくてもこの手紙を書くことで区切りをつけるつもりだった。若様の守護を務めるのに、架空のものにうつつを抜かすわけにもいかない。 けれど彼女は実在していた。僕が常々見ていた彼女の正体は、日頃一緒にいる友人だったのだ。彼は元々女性だったのを魔法で誤魔化していたらしい。それも、姿そのものを変えるものではなく周囲の認識を変えるもの。だから隣にいることが多い僕は彼女の姿が記憶に染み付いてしまったのだ。性別変更の魔法薬を用意できなかったために魔法を使う羽目になったのだというのは彼女の言だ。
 彼女、もといレト・ファンデルスの存在には、どうも僕が大いに関係しているらしい。元々人語を解する程度の魔法生物だった彼女は、溺れたところを僕に救われたのだという。生憎僕があまりに幼い頃だったせいでもう覚えていないのだが。それから、その姿を蛇や少女や青年に変えて隣にいようとしたのだと。彼女自身はその行動を気持ち悪いと評価した。確かにそれは正しいのかもしれない。けれど僕は、そう思うことができなかった。何より既に彼女を好きになっていたことも理由ではあるものの、彼女の努力を無碍にはできなかった。僕は若様の護衛として日々研鑽を積んでいる。それが役目である以前に、僕がそうありたいと望んだからだ。本質的にはそれと同じだ。他人のそばにありたいという願いを、僕は否定できない。それにそれが直接危害になるわけでもない。だから僕は、彼女を許容した。ああ、こんな論理を展開するつもりは毛頭なかった。ただ僕は、彼女を好いている。だから彼女の行動をプラスに捉えただけだというのに。例えば。魔性の女がいたとしてそれに恋をした男はただの被害者か?そこにあった恋も偽物か?それは違う。確固たる感情が存在したのを、その属性だけで悪だの善だのと断じてしまうのはあまりにナンセンスなのだ。現実世界はお伽話の世界ではないゆえに。
 〈夜の透き通った空気の中で貴方とお話しするのは、きっと素晴らしいことだと思うのです。〉
 知らず火照る顔のせいか、頭がふわりとする心地だ。これは、いわゆるデートの誘いだ。日頃一緒にいるからデートも何も無いだろうと思われるかもしれないが、僕とレトは文通する仲以前に学園生活を送る友人同士なのである。公私を混同するのは避けたかった。だからレトが彼女の姿になるのは滅多にないことだった。これまで通り、彼は気の良いクラスメートとして存在している。彼が彼女になるのは僕の前だけだった。それがどうにも嬉しかった。彼女を独占しているせいか、夢見心地になる。
 〈セベクくんが良ければ、一週間後の金曜日、午後十時に。〉
 そうして結びの挨拶とサインで締め括られた手紙に、やはり芸術作品のようだ、という感想を漏らす。それ以外にも思うことは多々あるのだが、感情がオーバーフローしてしまって何から述べて良いのかわからないのだ。嬉しくて仕方ないことは確か。もう飛び上がってしまいたいくらいだ。どこかにこの感情を溢したてしまいたいのを我慢して、また一枚目へと目を戻したのだった。
 
 *** 
  
「ちょっと外、冷えるかも」
 カーディガンを羽織った少女が言う。普段使いのそれは、彼女の今の体格には余るようで第二関節まで覆ってしまっている。
「心配ない」
 完全にオフの装いの彼女に対して、そう応えたセベクはキッチリとした佇まいである。なでつけた髪は午後十時だというのに乱れていないし、ジャケットとタイだけを取っ払った制服姿。おしゃれな部屋着と言っても良いくらいの彼女とは対象的だった。
「行こっか」
 待ち合わせは寮の自室。別に悪いことをしようというわけでもないというのに、この時間から外出する僅かな背徳感は二人を浮足立たせる。ということにしておきたかった。誰から見ても、好きな相手との時間だからどこかぎくしゃくして見えるくらいに感情が振れているというのに二人ともそれを知覚するだけの余裕を持ち合わせていなかった。だって、これが晴れて初めてのデートというやつだったからだ。
 デート、と言ってもこれはあくまで散歩に過ぎない。ディアソムニア寮の領域内、その端をただ歩くだけ。寮棟をぐるりと取り囲む広大な薄暗い森は、決して迷うことはないものの寮生もなかなか足を踏み入れない。昼間でさえ不気味なほどに暗いのだから、夜などなおさら。もちろん、学園内だから危険な魔法生物もいないのだけれど。今は少女の姿を取っているレトはよくこの森を散策していた。ここは茨の谷に環境がよく似ている。それに森というものは彼女にとって安心できる場所であった。
「灯火は使える?」
「ああ」
 柄に黄緑色の宝石を宿すマジカルペンを振るって、先に柔らかな光を灯す。カンテラでも用意したほうが風情があったかなあ、とレトは思う。仮にも自分が提案したのだし、もう少し凝れば良かった。けれどもまあ、これはこれで。灯りが二つもあれば彼の顔もよく見える。
「レト。今日はその姿で、良いのか」
「うん、きみと私だけだからね」
 闇に目がなれたせいか、木々の隙間から漏れる月光が明るいくらいだ。レトは常々、男子の姿を取っている。ここが男子校であるし、レトはその姿で入学の権利を手にしたからだ。それでも今は、少女の姿を取っている。セベクと恋人のような行為をするときはそうあるべきだとレトは考えていた。セベクはレトのその姿に恋をしたのだからそれが道理。なんて理詰めにしてみたけれど、実際はそんな冷徹なものではない。ただ、好きになった彼が喜んでくれるから嬉しい。そんな単純な思考回路だった。
「……あのさ、その。私に文通のハウツーはわからないんだけど……早くなかったかな?初回の返事で会う約束なんて」
 ざくざくと土になりかけた落ち葉を踏む。ここの気温は季節に関わらず常に一定で、一年を通して秋口のような心地良い気候が続いている。校舎のように精霊の力を借りているのもあるが、更に歴代寮長が魔法を重ね掛けしているという理由もあった。実践魔法に秀でたディアソムニアならではである。だから気候は不変なのに星空は季節ごとにきちんと移り変わる。明かりも少ないので、度々サイエンス部の天文班が天体観測をしに来るのだとか。
「……リリア様は。三回に一回写真を忍ばせ二十五回目の満月が来たら会うようにと仰っていたが……それでは僕たちには遅すぎるような気もしていた」
 不安げなレトの問いにセベクはそう返答する。リリア様の教えは極力守りたいが、彼の年齢を考えると我々にとっては時間がかかりすぎることも時折ある。文通のことなんかその極みで、丸二年も文通だけをしていればそれだけで学園生活の半分以上が終わってしまう。それはどうにも、耐えがたい。彼女を脳内に映してから一分一秒を惜しむような感覚に陥っているセベクとしてはその考えが大きかった。早く触れたい、言葉を交わしたい。それが敬遠すべき思考なのだろうということもわかって、けれど抑え込めなかった。未熟なせいだと自戒はすれど、それが世の健全な男子高校生の思考だと言うことを彼は知らない。
「しかしこちらから言い出すのはどうも飢えているようで気が引けていてな。誘ってもらって良かった。ありがとう」
「良かったあ、私も早くこの姿でセベクくんと喋りたくて」
 ぽわ、とペンの先に灯る仄かな明かりは幻想的。いつもと違う環境からか、少女の姿でいるからか。通常とても恥ずかしくて口に出せないような言葉をレトは紡いでいく。
「ねえセベクくん」
 だからふと、思い付いてそう声を掛けた。時間は有限、それも彼と二人きりの場となれば尚更。そうなればちょっと、急いても良いかもしれない。
「手、繋いでもいい?」
 足を止めて、一歩だけ先に進んだ彼が振り返るのを確認して。レトはそう口に出した。自分の、人間の少女としての見た目は理解している。この暗い中であってもおそらく一番、魅力的に見える角度と表情で……なんていうのはただの理想に過ぎなかった。上目遣いも頬を染める動作も、小首を傾げるのも、「こうすれば良い」というのはわかっているのに一切を実行できなかった。欲を素直に言葉にするだけで精一杯で、そんな余裕なんかなかった。頭だけが高速でから回っている。落ち着いて、さも蠱惑するような声色のつもりだったその言葉も、随分上ずっている。一番驚いたのはレト自身だった。確かに彼女の存在はセベクへの恋を前提としている。それでも、いざ対等に恋人のようなことをするとなるとまるで普通の少女だった。恋に恋する、思春期のそれ。
「あ」
 セベクはレト以上に戸惑っている。ろくに意味もなさない母音しか口から出ないくらいには。心底、嬉しくてたまらない。あれほど触れたいと願った少女が、目の前で触れても良いかと許可を取っている。夢だろうと思って頬を抓ろうにも腕が上がらず頬の内側を噛んだ。体質のせいか擦り減らない犬歯が柔い肉に突き刺さる。痛い。夢ではないことを確認して、けれどそれでどうこうなる話でもない。下品な例えをするならば、食べてくださいとメッセージカードを添えられたケーキを目の前にしているような。
「い、いのか」
 そもそも、有無を言わさず彼女の手を握ることも彼にとってそう難しいことではなかった。腕も長いし、力もある。しかしそれではあまりに無作法だ。それこそ手掴みで、口の周りをクリームでベタベタにしながらケーキを頬張るようなもの。そんなの、少なくとも騎士という概念からは程遠いのではないか?そんな混線するはずのない、恋と生き様の思考回路が束ねられてそう結論づけた彼の脳内は正直、ろくに作動しちゃいない。熱っぽく赤くなった顔も、じっとりと汗をかいた首筋も全然認識できないでいる。
「うん」
 ああもう!行動とは正反対に指図ばかりする精神のレトはそう足踏みをしている。さっさと彼に飛びつくように手を握ってしまえばいいし、ついでに何度も鏡の前で練習した魔性の笑みで陥落させてしまえばいい。頭の中でそう指示はしても全く思い通りにいかないのだ。あまつさえ生娘のような、ヒロインのような挙動をしてしまう自分が信じられないでいる。頬を染め、指を震わせ、繋ぎたいと伸ばした掌にはじっとりと汗が滲んでいる。
「レト」
 ゆったりと言う彼の声色が今まで聞いた何よりも心地よくて、彼女はびくりと体を震わせた。いつもはキリリとした彼の表情が、先程までは緊張のせいか強張っていた表情が、今この瞬間に柔らかなものになっているのだ。教会の聖母像、感動フィクションの母の慈愛の顔。赦しと受容を宿したその顔に、レトは思わず懺悔をしたくなった。彼に恋をしたのは彼の優しさゆえ。その思い出に触れたのをきっかけに溢れ出る今までの光景が彼女の脳内を駆けていく。素直に恋をしたのなら、きっと正直に告げるべきだったのではないか。姿を偽り続けた私は、最初から間違っていたのではないか。違う、違う。きっと私はほんの少し遠回りをしていただけ。それだけなのだから、後悔することも何も無い。だから彼に手を取ってもらうのを躊躇う必要なんか無い。
 つ、と彼の指先が彼女の差し出した指先に触れる。混ざり合うように掌同士が触れ、長さも太さも温度も違う指同士が絡み合う。なんということはない通常の、親子や兄弟姉妹だって行う行為がここまで、ここまで愛おしい。深夜徘徊なんかよりも余程日常的な手を繋ぐということが、世界の禁忌に触れているようでドクドクと胸が高鳴る。触れ合った先から互いの存在が混ざり合っていくような、それでいて触れた場所にバチリと電気が走るような感覚に、たった今繋いだ手を離しそうになる。力加減がわからない。このまま歩き出そうにも歩幅がわからない。わからないままで右手と左手を繋いで、そのまま固まってしまっている。
「ふ」
 それがあんまりに面白かった。滑稽だと言うには少し情けない。ただおかしくて、レトの口から小さく笑いが漏れた。
「な、何がおかしい!」
「だって私達、手繋いだまま固まっちゃってる」
 未だドッドッと心臓は全力疾走しているし握った手の温度と存外な柔らかさに気が狂ってしまいそうだ。それをどうにか抑えてレトは言う。正直彼女も現状を冷静に客観視できているわけがない。それでもこのまま膠着状態に陥っているのはなんだか、不格好だ。
「それも、そうだな」
 彼女の指摘から数秒後に彼はそう口に出した。口にした途端、視界も緊張も何もクリアになって、彼女と同じように遅れて笑いが漏れた。
「そろそろ、戻る?」
「いや。もう少しだけ歩こう」
 互いにくっくっと笑いをこらえて言う。夜の森は静かだ。彼ら二人の声と足音の他には、彼らを噂する木々のざわめきもなかったのだ。

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