12 討論エモーショナル!



「レト!」
 こちらを覗き込むオリーブの瞳は、きらきらと揺れていた。
「……セベク、く」
 声が上手く出ない。喉が焼け爛れたように痛みさえ伴っている。
「目が覚めたか」
「……ッあ、う」
 ザザ、とノイズ混じりに断片的な光景が流れこんでくる。自分の体が歪んでいった感覚が追いかけてくるように再生される。
「あ、あああ、」
 全部夢であってほしかった。炎に呑まれた。腹の底に溜めた恋心をこんな無様に吐き出して、見苦しいったらない。絶望だ。彼の隣にいるどころか、もう世界から消えてしまいたかった。そんな私の思惑とは裏腹に、ずしりとした重みが上体にのしかかる。
「よかった……ッ!」
 それがセベクくんに抱き締められているからだと気付くまでにかなりの時間を要した。一切身体は動かないし、声すらまともに出ない。嬉しくてたまらないはずだったのに、今となっては私はこれを受け入れてはならないと思った。だって、彼は被害者で私は加害者だ。私は糾弾されなければならないし、彼はそれをする権利がある。間違っても私の心配なんかしてはいけない。
「セベ、」
 彼はそのまま、ぎゅうとこちらを抱き締めている。仰向けになって動けないこちらの肩に、熱い液体が滴っている。泣いているのか。どうしてだろう。ずきずきとする頭では理解が及ばなかった。
「それがお前の、本当の姿なのか」
 暫くしてやっと離してくれた彼は、やっぱり泣いていたらしく目元を無理に擦ってからこちらをキリリとした瞳で見下ろしている。表情と赤い目元のアンバランスは、普段の私なら笑っていただろう。彼の言葉がこちらを突き刺したのでそれは叶わなかったが。今の私はどうやら、人間の女の形をとっているらしい。そりゃそうだ。常に男の見た目をしていたのは魔法でそう周囲に見せていたからだ。意識を飛ばした以上、認識阻害を起こさせていた魔法の効果は切れる。元々変身薬を使っていたけれど、入学後はずっと魔法に頼っていた。姿を人間にする変身薬の材料は簡単に手に入るのに、性別を変更する魔法薬の材料は手に入らなかったせいだ。性別程度なら、変身してしまうよりも周囲にそう見せた方がローコストだった。それでも常時発動し続ければブロットは容易に溜まる。ああもう、冷静な分析は終わりにしよう。
「……私は」
 彼に対して嘘を吐くのはもうやめてしまいたかった。けれど、私の正体は、と開示してしまうのが怖いのもまた事実だった。今抱きついている存在が人でないと知ったら?妖精族も人魚も獣人もいる学校ではあるものの、純粋な人外はそうそういないはずだ。イレギュラーが重なり合ってできた存在がこの私だからだ。けれど私は正体を明かさねばならない。逃げたまま許されるわけがない。それでも途端に彼の表情が嫌悪になってしまうのを想像してはひく、と喉の奥が引き攣る。口を開けど、その先を口にできない。
「嫌なら答えなくて良い」
「嫌じゃない!でも、私は、蛇でもない、し。元の姿には、戻れない」
 彼の優しさが嫌になって声を張り上げた。ずきりと喉が痛く、口内は鉄の味がする。彼はいつだって優しいのだ。それで救われた命だけれど、今ばかりは苦しかった。彼は哀れな蛙だ。運良く食われなかっただけの。だから今すぐ私を非難して然るべきだと思った。それに加えて、私は彼の望む回答をできそうになかった。私が自分自身にかけたのは呪いだ。蛇の姿から元には戻れない。なんとか彼に伝えるが、言葉の上ではいくらでも嘘を吐ける。今更すべてを信じてもらおうとは思っていないけれど、話せば話すほど嘘のようになっていく言葉が恨めしい。
「呪いを解く条件は」
「……私を、愛する者のキス」
 我ながらいかにもテンプレで、くだらないと思う。呪いという形式ではあるものの、自身にとってはメリットしかなかったので解除できなくて当然のものを代償にした。そもそも、こんな呪いが解けるとすればそれはそれこそ、テンプレなヒロインだけだ。恋を夢見る少女か、悲劇のプリンセス。少なくとも命を拾われた虫けらには適用されない。
「そうか」
 彼は静かに言う。それが落胆なのか、軽蔑なのかを理解できない。
「今の僕では、無理だな」
 彼はこちらを抱き竦めるのをやめて、顔を覗き込んで言う。眉を下げてへにゃりとした、彼らしくない表情だ。彼の続ける言葉が怖くて、先に口を開く。弁明だ。言い訳だ。この期に及んでまだ足掻くかと、我ながらみっともなく思う。
「……もう覚えてないだろうけど。私、貴方に救われて、恋をして」
 出来損ないのサラマンダーはきみに救われて。
「でも似合わないから、きみの望んだ毒蛇になって」
 傍にいれたらと切に願って。
「使い魔はいらないって言うから人の姿をとって」
 恋の定義になんとか収まりたくて。
「ナイトレイブンカレッジに行くって言うから男になって」
 もうきみに縋るしかできなくなって。
「ごめんね、気持ち悪いね。今、すぐに。きみの前から、消えるから」
 情状酌量どころか、言葉を発すれば発するほどに自らの度し難さが膨張していく。言葉の通り、消えてしまいたかった。いや、彼のことを思えば消えるのが一番だ。
「レト」
「……はい」
 思考だけが空回る。ろくに動かない体では魔法を使うこともできなかったので、素直に彼の呼びかけへ返事をした。きっと待っているのは非難で、糾弾なのだから。そう身構えたのに、ぱさりという音とともに置かれたのは、手紙だった。
「読んでくれるか」
 クラフト紙製で飾りっ気のないものに、丁寧に赤い封蝋までしてある。封筒には宛名がない。流れるような彼のサインも封蝋もあるのに不思議だ。彼はそれを開けるように言った。
 拝啓、名も知らぬ君へ。そこから始まるやけに丁寧な文章は、便箋何枚にも及んでいた。
「……これ」
「以前相談しただろう。結局、文を送ることにした」
「なんで、私に」
「レト、お前だったんだ」
 は、と笑いが漏れる。好きな子ができたという彼の言葉に心を抉られたのに、その相手は女の姿をした自分だったのだ。なんて滑稽で、呆気ない真実だろう。焼けつく喉では音を発することすら痛くて仕方がないのに、面白くてたまらない。自分の掘った落とし穴に嵌まるよりもよほど情けないではないか。
 私は、自分自身に嫉妬していたのだ。
 魔力の消費を鑑みれば、いちいち男の姿に変身するよりも「目の前の存在は男である」と認識させたほうが簡単だった。だからずっと、入学以降は少女の姿だった。一年D組のレト・ファンデルスはただそう見えているだけのまやかしにすぎなかった。認識阻害の魔法は魔力消費も少なく安易である反面、長く近くにいる相手には不具合が生じることがある。本当の姿が記憶にのみ残ることがあるのだ。そのせいでセベクくんは私の少女としての姿を見ていたのだろう。本来、正体を見透かす魔法やアイテムが無ければ見えない姿が。
 自身の魔法の杜撰さに自己嫌悪をしながら、彼の言葉に引っ掛かりを覚える。彼は私の少女の姿を好きになったと言う。それは、真実か?惚れ薬も何も与えるまでもなく、彼が、私を?諸手を挙げて喜びたいのに、そんなことあるはずがないと認めようとしない自分がいる。結果的にこのような容姿に調整したのは自分であるし、彼のことを惚れさせたのは私自らの手腕だということに間違いはないのに。
「僕は、お前が好きだ。今のお前には恋をしているし、普段のお前も、良き友人だと思っている。お前という存在が好きなのだ」
 ううむややこしい、と首を傾げながら言う彼の姿を、他人事のように眺めている。きっと私は都合の良い夢を見ているのだと思った。こんなハッピーエンド、私が迎えられるはずがない。けれどもし、これが万が一にでも違うことのない現実だと言うのならば。今まで行ってきたことの大半が無駄になってしまったとしても、受け入れたかった。私の人生だ。生をかけてでも手に入れたかった彼が、自分から掌の上、舌先に乗ってきてくれたのだから。内心、舌なめずりをする。ああやはり、私はヒロインではない。ハッピーエンドの障害たる魔女か怪物にすぎなかった。
「だから!僕とこれから!文通しませんか!」
 そんな仄暗い現実と理想の乖離に嘆いているのを、彼の声がビリ、と思考ごと打ち消した。お辞儀をしたままこちらへ手を突き出す。「付き合ってください!」しか似合わないポーズをしている彼の提案に一度ゆっくりと瞬きをした後、ふ、と笑いを漏らした。まるで今まさに羽を毟られようとする鶏が夜明けを告げているような、そんな滑稽さだった。
「だ、駄目か?」
「いや、なんで文通なんだろうって」
「それが通例ではないのか
 あんまりに彼が不用心で警戒すらしないものだから、可笑しくなってしまった。命の危険さえあったというのに、彼はあくまでいつも通りなのだ。真面目で、素直で、純粋で。それが愛おしくて愛おしくてたまらなかった。ああ、募る、募る。彼への恋が、劣情が。隣にいられればそれで良いと思ったはずの感情だった。それがこうも、彼の心に触れられそうな気がした途端に膨れ上がっていく。きっと本性はもっと可愛らしく単純な好意であるはずなのに、そんな言い訳しかできなかった。もっと、好きな彼と両想いになれて嬉しいのだと、それだけしか考えられないような子だったらきっとヒロインだっただろうに。嬉しくて仕方がない私が九人いれば、それを肯定して良いのかと疑問を投げる私が一人。脳内で論争を繰り広げる住人たちは、現状の幸福を受け入れられないらしかった。幸せの許容範疇を超えているからだ。

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