11 月光モノローグ!



 私が私という自我を持ったのは、あの日魔法石を呑んでからだ。
 
 それまでの記憶なんか朧げで、喉を熱い石が通過したところから始まった。廃墟になった魔法使いの住処なんて茨の谷には珍しくなく、その中のランプの残骸近くに転がっていた石。ただの石にしか見えなかったのにそれがどうにも美味しそうに見えたらしく、人間サイズで言えば小指の先ほどもない小石を呑み込んだ。今思えばあれは瀕死の魔法石が発したフェロモンのようなものだったのだろう。一度加工された魔法石は、何かしらの中に入っていたほうが安定するのだという。たまたま近付いた、ヤモリなんていうありふれた弱々しい生き物に縋るしか無いなんて、ひどく可哀想だ。
 魔法石というものは世界の夢が形になったようなもので、科学では到底到達できないものだった。永久機関と言っても過言ではないその力は、それでいて日常用品に散りばめられることになる。より少量の魔法石で、より大きな仕事を。火を灯すなんていう初歩的な魔法で済むランプにさえ魔法石を入れていたあたり、廃墟の主は随分とものぐさだったらしい。いや、そんな暇もないほど研究に勤しんでいたか。何にせよ、既に空っぽになった小屋からは察せない。何十年も前に死んでしまったのだろう。きちんと作動していれば、天候や時間帯を問わず小屋の中を明るく照らすものだったに違いない。そんなものを矮小な生き物が呑み込んだのだから、それは進化に等しい発達をもたらした。思考と言語を理解するだけの脳、魔法の才能、生命力。寝食やそれまでの生活を忘れるほどに廃墟の知識の残骸に触れた、好奇心。そのうち自分がヤモリであったことすら忘れ、まるで元から炎を司るサラマンダーであったとまで思うようになっていた。事実、呑み込んだ魔法石の属性のせいで炎に関する魔法は得意だった。
 だから自分を過信していたのだろう。小屋の近くを流れる小川にうっかり、足を滑らせた。火は水に弱いなんていう基本的なことすら忘れて。なんともなかったはずの冷たく心地よい水は核となった石をじゅうじゅうと冷却していく。生命の停止していく音だった。いくらブーストされようと元がヤモリ。壁を這いずり回り鳥に啄まれるだけの生だったことを今更思い出して、ごぽりとあぶくを吐いた。
「――大丈夫か
 もう既に諦めた生命にそんな声が響いた。微温く柔いものにすくいあげられれば、命を蝕んでいた水は流れていく。魔力で強化された視界に移ったのは、人だった。妖精族の多いこの谷だから、人間ではないかもしれないけれど、少年が私を椀にした両手に乗せている。
「リリア様!このヤモリ?はどうしたのでしょうか?」
「ううむ……ほれ、温めてやると良い。先程教えた魔法で焚き火を作るのじゃ」
「火ですね!」
 彩度の高いピンクと金色の瞳がこちらを見下ろしている。すとんと石の上におろされたままで、彼らの様子を眺めた。正直、もう動く余力もない。火を与えられれば良いのは本能的にわかっていたから(先程から寒くてたまらない。なにせベースが爬虫類なのでろくに動けないのだ)、素直におとなしくしていた。小枝を集めてきた少年が、宝石のついた棒を振るう。何度目かで、ぽ、と小さく丸い火が灯る。それをそろりと小枝にくっつければ、ぱちぱちと爆ぜる音がした。少し離れた位置でも感じる温度に、ふ、と息を吐いた。固まりそうだった手指が、柔らかくなっていく。どくん、と心臓の鼓動が大きすぎるほどに響き出した。
 ぱちり。閉じていた目を開ければ、件の少年が心配そうにこちらを見ている。そんなに近付いては服が焦げてしまうだろうに、そんなことはお構いなしのようだ。
「目を覚ましました!火属性ということは……サラマンダーでしょうか?」
「厳密に言えば違うが……まあそんなところかのう。ついこの前生まれたばかりではあるが」
「おお……!」
 後ろに立っている瞳がピンクの方は、こちらの正体に気付いているらしい。それでいて私をサラマンダーのようなもの、と言ったのは少年の夢を壊さないためか、はたまた私のことを気遣ってか。あの瞳は全てを見通している。
「ふふ、良かったな!」
 こちらをそろりと人差し指で撫でながら、彼は笑った。細められた目は三日月を描き、口角の上がった口からは八重歯が覗く。ずく、と心臓が蠢いた。核たる魔法石が炎に喜んでいるのではない。魔法石によって生まれて、今まで認識することのなかった感情が稼働を始めたのだ。常に熱を持っているはずの体の奥が、焦げ付いてしまうほどに熱い。文字も基本的な魔法も使いこなせるのに、この挙動だけはわからなかった。未知だ。言葉を発することは容易いはずなのに、焼け付いたように感謝の言葉すら出てこなかった。体は十分すぎるくらいに調子が良い。指の一本も動かせないでいる。こちらを覗き込む新芽の瞳に串刺しにされたようだ。彼から目を離すことができなかった。
「そろそろ良かろう。さ、セベク。火を消してからおいで」
「はい!」
 たっ、と立ち上がった彼は、彼からすればくごく小さな焚き火を消してから去っていった。最後にこちらをもう一度撫で、もう溺れるんじゃないぞ、と微笑んでから。
 
 ああ、思えば。
 彼と出会ってから私の運命は変わってしまったのだ。
 
 
 
「つ、使い魔ですか?」
 あれからというもの、彼のことしか考えられなくなっていた。私の住処となった廃墟には残念ながら人間の機微を解説する書籍の類はなかったので、焼ける心地の理由はわからない。だからもう一度、彼に会えば何かがわかるだろうと彼の元を訪れた。もちろん姿は変えずに。ヤモリという小さい体は抜群の隠蔽性を持つ。彼の住処に忍び込むことは容易だった。それに見つかっても、ただ迷い込んだだけで済まされる。
「魔法士に不可欠という程ではないが……何、いれば何かと便利じゃぞ」
 セベクと呼ばれた少年と、リリア様と呼ばれていた青年が会話をしている。彼は魔法士になりたいらしかった。魔法の才能があるのなら、そう望むのは当然だろう。
「むむ……蛇などどうでしょう!彼らは目でなく熱でものを見ると言いますし、毒も素晴らしい!」
「そうかそうか。セベクは蛇を望むか」
「はい!」
 そう勢いよく返事をした少年に、ふと、本当に小さな思いつきが浮上した。
 
 私が彼の望む蛇になれたのならば、
 彼は私を傍においてくれるだろうか?
 
 廃墟の元主は性格の悪い魔法士らしかった。今まで手を付けていなかった魔導書はどれもこれも呪いに関するものばかり。変身魔法を身につけることができれば良かったのだけれど、無いものは仕方がない。不可逆だって問題ない。何にせよこの小さい体では生存すら危ういことがあるのだから。
 動物に姿を変える呪いはありふれている。技術は必要であるものの、悪意のある魔法の中では初歩的なものだからだ。自分に呪いをかけて、蛇になってしまえばいい。解く必要がないのだから、条件はそれこそありふれた「愛するものからのキス」なんてものにして。大成功とはいかなかったけれど、彼の言っていた毒蛇の姿は手に入れた。おそらく地上で最も強い、彼も満足するはずのコブラという蛇だった。茨の谷には存在しないけれど、まあ問題はない。
 
 
 
「セベク。使い魔は蛇で良いのか?」
「リリア様」
 蛇の姿はやはり警戒されるらしい。以前よりも息を潜めて、また彼らの話を聞いている。
「いえ。身一つで若様を守れるような騎士になるべきだと考えまして。使い魔は不要です……烏滸がましいでしょうか?」
「いや、いや。わしは構わんよ」
 からからと笑うピンク色の瞳がこちらを、屋根裏で姿も見えないはずの私を見つめている。やはり彼は、こちらの正体にも思惑にも気付いている。
 
 ああ、どうしよう。
 彼の傍にいる方法をまた探さなければならない。胸の焦げ付きの解決方法を探すためという名目ももう既に忘れて、ただただセベクという少年に固執していた。私の存在には彼が不可欠なように思った。焼ける心臓は、彼の近くにいれば幾分なりを潜めてくれる。
 呪術に関する書籍の記憶をたどる。愛するものの定義に、恋という言葉があった。爬虫類には残念ながら理解できなかったけれど、「イレギュラーが多く道理では解決できない」と解説されていたそれを、この火傷の理由にしてしまおう。さあ、そうなれば次はどうするか。恋というものは基本的に人間のオスとメスの間で行われるものらしい。すなわち。
 
 人間の姿になれたなら、
 この感情を正当化できるのではないか?
 
 
 
「若様!僕もきっとナイトレイブンカレッジへ入学してみせます!」
 少し時間がかかってしまった。森中に点在する魔法使いの廃墟を巡ってやっと変身魔法についての書籍を見つけ、それなりの人間に化けた。余人に語らせればきっと「類まれな努力」だの何だの美談にされるんだろうけれど、生憎当人としてはそんな実感は無い。ただ彼の傍にいたかっただけだ。それだけで生きてしまった。彼と同じ姿形で、便利な手足を手に入れて、そこらのオスなら振り向く程度の見目麗しさをして。美醜にはこだわるかどうか悩んだけれど美しくて損をすることはないと考えた。それにいざ、彼に近付いたところで見た目から拒絶されては元も子もない。だから、なんでもやった。変身魔法が不安定だとわかれば変身した状態を固定するための魔法薬を作ったし、人間の姿で不都合があるとわかればそれをカバーするための魔法も、人間生活に必要な雑事を片手間でこなせるような魔法も片っ端から覚えた。魔法石を魔力源としている以上、特に問題なく上手くいった。
(ナイトレイブンカレッジ……?)
 彼の言葉を脳内で繰り返す。聞き覚えがある。これは確か……図書館で読んだ本の巻末、筆者の出身校だったか。興味はないけれど、魔導書は全て記憶するつもりで読んでいるので頭には残っている。そうか、そこへ行けば、彼と同じ数年間を過ごすことができる。そうと決まれば話は早い。
 全寮制の男子校、それも入学許可は鏡が出すのだという。それならばと、性別を変更した。人間の魔法士になるためのことを全て学んだ。敵を作らない振る舞い方。箒での飛行術。学園長のところまで押しかけて、人間ではなくとも鏡の選考基準を満たしていることを確認した。元の性別が異なっていてもそれを自らの力で変更できるほどの力があれば問題ないことも。そして彼の元を訪れた馬車を見届けてから、自分のところにも来た馬車に乗り込んだのだ。
 自覚した恋は心の奥底に縫い付けた。最初の望みは彼の傍にいることだったから。
 
 
 
「お前もディアソムニア寮だったな。僕はセベク。若様……寮長であるマレウス様の臣下だ。よろしく頼む」
「私……ぼくは。ぼくはレト。レト・ファンデルス。よろしくね、セベクくん」
 
 今この瞬間、
 全て、
 完璧だ。
 
 完璧なはずだった。
 
 
 
 彼を眠らせてしまおうと思った。そうすればきっと彼を独り占めできたし、どこの馬の骨ともわからぬ少女に惑わされることも無いはずだったから。簡単だった。途中で、寮長とその周辺にいる生徒がやってきたけれどさして問題はなかった。唯一の誤算は、彼が途中で目覚めてしまったことだけ。魔法薬を無理に解毒したのだろう。条件を満たせば簡単に目覚めるというのに、余計なことを。
 もうこうなってしまえば結末は決まっているはずだった。どこかでわかっていたのだ。彼を眠らせたところでそれは永久ではない。ただの化け物になった私は彼に拒絶される。それで終わり。よくある物語の結末だ。一度は結ばれる異類婚姻譚も、最終的にはそんな破滅が待っている。どっちつかずの我儘も、募らせた想いも、彼によって捻じ曲がった運命も。
「僕はお前を拒絶しない」
 だから私の頬に触れた彼の言葉を聞いた時、もうどうしていいかわからなかった。喜びたかった。どうしてと泣き喚きたかった。好きだと思った。離れたくなかった。簡単にキャパシティオーバーした頭では何も考えられなかった。絶望と、希望と、すべてがごちゃまぜになって小さな心を呑み込んだ。まっすぐこちらを見つめる古びた金色の瞳が、ただただ眩しかった。
 
  私はまだ、あなたを。

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