10 覚醒トール!



 微睡みは心地よい。そんな当然のことを実感しながら、けれど目を覚まさねばならない苦痛に顔を顰めた。眠りが死なら、覚醒は生だ。安定している眠りから離れがたくとも、生きている以上は覚醒しなければならない。産まれたばかりの赤子が泣くのは、その不安定が故だ。そんな哲学に近い理論に触れたのは、誰の話だったか。
 眠りに落ちる前の記憶が混濁している。普段通り寮の部屋へ戻ったはずだった。明日の若様の授業は座学だけなのでお昼をご一緒できるだろうか。それともまたガーゴイルをめぐる散歩がしたいと行方を晦ましてしまうだろうか。そんなことを考えていたら、レトがお疲れ様、と言って暖かい飲み物を差し入れてくれたのだ。柑橘の味がするそれはとても美味しくて、それから。
(レト)
 最近の彼の様子がおかしかったのは否めない。彼のほうが疲れているだろうことは火を見るより明らかだった。あの晩から体調が優れないらしく、ここ数日はずっとベッドの上に引き篭もっていた。いくら心配しようとも「大丈夫」「試験前に済ませたい実験があって」「気にしないで」と繰り返すだけ。朗らかな彼の面影もなく、思いつめた様子は見ていられなかった。力になりたいと言っても曖昧に笑うだけ。
 やけに暑い周囲を不審に思う。今は冬だし、室内は常に快適な温度に保たれている。それに僕は寧ろ暑いくらいが動きやすく感じるのだが、それにしてもこれは暑すぎる。温室でもここまで無かったはずだ。
「……レト?」
 ついに目を開けた。どうやら自分は、まだ自室のベッドに横になっているらしい。普段と違うのは部屋の気温と、こちらを覗き込んでいるレトの存在だ。彼はこちらの視線に気づくと少しだけ面食らったような表情をして、あの晩のようにまた輪郭を揺らした。いつもの彼と、件の少女、そしてこちらに擦り寄る巨大な蛇(広がった白い胸はコブラだろうか)。多すぎる視覚情報に目眩がするようだったが、不思議と嫌悪感は無かった。
 だからその頬に触れた。思い詰めた様子の彼が熱を出していないか/彼女は空想の中だけの存在ではなかったのだ/惑う蛇を落ち着かせてやりたかった。誰に言葉を紡いで良いかわからなかったので、ただ触れたのだ。
拒絶して(隣にいたい)
 頭の中に声が響く。彼の声で、彼女の声だった。
友人なのだから(好きでいられないのだから)
ぼくのことなんか忘れてよ(私は、きみに恋をしている)
「レト!」
 叫んだ。これが夢だったとして、この声で全て消えてしまっても良いと思った。だってこんな苦しそうなレトを見ていられない。これは友としてでもあるし、想いを寄せる少女に対してでもあった。こんなのあんまりだ。大蛇がぽたりと雫をこぼしている。
「僕はお前を拒絶しない」
 本心だった。どんな姿であろうとも、どんな中身であろうとも。彼がこちらへどんな感情を抱いていたかはわからない。彼の本当の姿が何であるのかも不明だ。でもそれはこれから話し合えば良い。
 レトはこちらの言葉に随分混乱した様子で、暫くこちらを見つめた後にふらりとこちらへ倒れ込んだ。普段より小さく見えるのはきっと、彼が彼女になったからだ。
 ふう、と息を吐く。緊張の糸が解けたのかこちらまで意識が遠のいてしまいそうだった。こんなことでは、若様の護衛なんか務まらないじゃないか。何故か僕たちの部屋にいるリリア様にシルバー、監督生を視界の端に確認したところで意識はぷつん、と途切れた。

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