9 熱情メタモルフォーゼ!



「……随分と立派な姿になったのう」
 駆け込んだ寮の一室。いつもちょうど良い室温に調整されているはずのそこは、まるでその年一番の猛暑日とでも言うようにジリジリと焼けるようだった。理由は明確。天蓋付きベッドをぐるりとひとまわり囲むように鎮座した巨大な蛇のせいだ。見上げるほどもあるコブラが、身体のあちこちから汗のように炎を滴らせている。広がった胸に描かれているであろう目玉模様はこちらから視認できないというのに、まるで部屋中が監視されているかのような緊張感が漂っている。蛇に睨まれた蛙とはこういうことなんだろうな、と場違いな感想をいだきながら、額の汗を拭う。
「あなたは、ディアソムニアの」
 リリア先輩がその蛇に話しかけている。どうにかして円満に解決しようとしているのだろう。
「うちの寮生が迷惑をかけたようじゃな」
「それ以前に、レトは友人なので」
 ディアソムニア寮は皆魔法全般に秀でているというし、実力行使に出ても問題ないだろうに。そうできない理由でもあるのだろうか。
「あれ、オーバーブロットしてるのか
 グリムの声にはっとする。やけに静かで、既に人の姿を失っているものだからそうとは思えなかったのだ。あれは、オーバーブロットだ。しかもこちらは、あの蛇の正体を知っている。以前温室で見た姿を少し禍々しくして、大きくしただけ。レトだ。あの人懐っこいレトがどうしてオーバーブロットなんか、とまだ真実を受け入れきれないでいる。
「今は下手に刺激できん」
「リリア様。しかしこのままでは……」
 表情をさほど変えず、けれどいつもよりはいくらか焦りの見えるリリア先輩の一方で、部屋に入ってきたばかりのシルバー先輩はマジカルペンを手にとっており臨戦態勢である。グリムもわからないなりに、ふなあ、と威嚇するように毛を逆立てていた。
「おおシルバー。戻ってきたか」
「はい。学園長に校内放送でディアソムニア寮に近づかないように呼びかけてもらっています。彼らはレトの友人だということで……」
 リリア先輩の言葉も既に聞こえていないのか、レトは少しも動かない。くるる、と猫が喉を鳴らすような上機嫌な音だけが響いているだけだ。
「なんで攻撃しないんだゾ?今なら簡単に……」
「グリム。蛇の頭のところ」
 青い炎をぽっと吐いて言うグリムに、そろりと指を指してみせた。蛇は頭をベッドの上に載せている。幕が降りているせいでよく見えないが、誰かが横たわっているらしかった。レトの近くにいる生徒と言えば、もう一人しか思い浮かばなかった。
「……セベク?」
「たった十年想いを募らせた結果がそれとは……いやはや侮れんな」
 ああそうか、とリリア先輩の言葉ですべてが繋がる。レトは惚れ薬を作ろうとするくらい誰かへ恋をしていた。てっきり彼の想う相手は女性で学校の外にいるのだとばかり思っていた。彼ほどのルックスとコミュニケーション能力があればそんなもの必要ないだろうに、彼はそれをしなかったのではなくできなかったのだ。同性だから。良き友人だから。いろんなしがらみが彼を雁字搦めにして、結局、相手からの好意が向かねば正当化されない感情だと結論付けてしまった。だから彼は躍起になって惚れ薬を作っていたし、その惚れ薬をランダムな生徒で試した。眠り薬が惚れ薬の範疇に入るかどうかはさておいて、そんな曖昧なものを使うほどレトは追い詰められていたのかもしれない。
「これ、どうするんですか……」
「マレウス様が手を打っている、既に拘束の魔法は効いているのだが……」
「何、拘束は無くとも落ち着いておる。セベクへの危害も今のところは無い」
 そう言うリリア先輩の表情は苦々しい。オーバーブロットしている時点で命の危険がある。けれど今の状況では何もできないのだ。下手に刺激してさらに暴走するのは今一番避けるべきこと。けれどこのままにしておいてはレトの命が危ない。
「あの、セベクの目を醒ますことはできますか」
「ふむ。解毒と覚醒か……やってみよう」
 リリア先輩にそう提案する。リドル先輩ですら対処できない問題だから今すぐに目覚めさせるのは難しいだろう。けれどほんの少し、和らげるくらいはできないだろうか。
「シルバー。わしはセベクを覚醒させる。後は頼むぞ」
「はい」
 多分。少なくとも、セベクが目を覚ませばレトに多少の影響が出るはずだ。彼の心情はわからない。けれど、彼だって悲しかったはずだ。仲の良い友人でもあるセベクを暴走したまま手にかけたとあれば、一番悲しむのはレト自身なのだ。
「人の恋路を邪魔する奴は、というやつか」
 リリア先輩はそう呟いてマジカルペンを振るう。シルバー先輩も臨戦態勢を解かないし、グリムだってそう。そんな中、当のレトはくるる、と上機嫌に喉を鳴らしていた。

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