4 幻覚ラヴァーズ!



 脳裏に少女が住み着いている。
 昔から女性というものにあまり縁が無かった。同郷の同年代といえばシルバーくらいしかおらず、入学したナイトレイブンカレッジも男子校。だというのに、出会ったこともない少女がずっと頭にこびりついている。顎のラインで切り揃えられた黒髪はふんわりと広がり、ゆるやかなウェーブのかかる長い横髪は白。左右に結えられたリボンはシンプルでありながらひらりとしていかにも可愛らしい。トカゲの瞳のように真っ黒で艶やかな玉が耳元に揺れる。黒目がちではあるものの瞳孔はきちりと縦に長い。そんな少女がこちらを見ては、はにかんで頬を染めるのだ。
「セベクくん」
 僕は彼女を知らないはずだ。彼女の声も、顔も、まったく覚えがない。それなのに知っている気がして、しかも一緒に過ごしたことがあるような錯覚さえしている。
 彼女が微笑むと、完璧を目の当たりにしている気分になる。いや、彼女を見たことなんか一度たりともないのだが、その姿はとてつもなく魅力的だ。特徴的な容姿であることは間違いない。それでも彼女が美や可愛らしさや、愛や恋の擬人化だと言われればそうだろうな、と納得してしまう。
 夢でもない。ただ、一日の終わりになるとありもしない彼女との記憶が幻覚として再生されるのだ。それも酷く曖昧で、例えば一日中座学を受けていたはずなのに、幻覚の中では彼女と一緒に野原で寝転がっていた。僕は肌が白いせいで気分の高揚はすぐ顔色に出るし、心拍数だって上昇した。以前オンボロ寮の監督生に薦められた物語の主人公に類似している症状は、そのフィクションの中では恋と形容されていたか。そんなことばかりが続き、そのせいで日々夢現なものだから対策を思案している。彼女の存在というよりも、問題は彼女にすっかり心を奪われているらしいことだ。どこの誰ともわからぬ奴に惑わされるなど、若様の臣下が聞いて呆れる。
「レト、お前色恋沙汰には詳しいか」
「……色恋沙汰?」
 書き上げたレポートの最終確認をしながら相部屋の彼に問う。午後十時十八分、ベッドに腰掛けて図書館で借りた魔導書を読み耽る彼はこちらの呼びかけにぱたん、と少しだけ乱暴に本を閉じた。入学してからというもの同じクラスということもあり一緒に行動することの多いレト。彼は随分人当たりがよく、誰に対しても笑顔を振りまいている。女子が黙っていないというやつじゃないのだろうか。兎に角親交のある中で一番、そういった類の話に詳しそうだと思ったのだ。それに、彼がサイエンス部の問題児たる由縁も、惚れ薬を作るためだという。少なくとも僕よりは詳しいはずだ。
 そもそも僕は若様の騎士という任務を負っている。そんな中で恋愛まで手を出すのはかなり無理があろう。僕のような青二才が両方を選ぼうなどあまりに無謀だ。だからまず、これが本当に恋かどうか。恋だった場合どう対処すれば良いか。もしも彼女が実在するのならば思いを告げるだけ告げてしまっても良いかもしれない。不可思議な行動ではあるもののこれも若様のためと言えばきっと理解してくれるはずだ。
「副寮長には聞かないんだ」
「リリア様に聞くわけには……これは僕の心の乱れだからな」
「そう」
 またいつものように曖昧に笑うのかと思ったが、レトの声色は存外に冷たい。もしや過去、恋愛絡みで嫌な思い出でもあったか。それならば悪いことをした。
「きみ、好きな子でもできたのかい?」
「いや、あー……まあ、そんなところなのかもしれないが……よくわからない」
「へえ?」
 一瞬、ほんの一瞬だけ、そんなレトの返事が二重に聞こえた気がしては、と彼の方を見る。いつもどおりの彼のはずだ。それなのに、まるで靄がかかったように彼の顔だけが視認しづらくなっている。ジジ、と古い映像記録がズレるように、彼という存在だけが現実とは違うテクスチャにあるように。それどころか、脳内に住み着いた件の少女の幻覚さえ、彼の輪郭がブレる度に重なっているではないか。明らかにおかしい。精神や視角に干渉するイタズラ魔法でもかけられたか、五時限目の魔法薬学で使用したものにはいずれも幻覚作用など無かったはずだが。
「……レト?」
 彼が、わからない。それこそ瞬きした瞬間に消えてしまいそうだと思って、ゾワリと背筋に嫌な汗が流れる。この現象に理由をつけるならきっと魔法のせいなのだが、もっと悪質なもの、例えば怪異に相対しているみたいだ。入学してからずっと親しくしているというのに、そもそもレト・ファンデルスという生徒はいないと言われたらどうしよう、とまで考える。
「ぁ、ああごめん、ちょっと今日は体力育成があったし疲れちゃったのかも」
「大丈夫か?すまない、明日は一時限目から飛行術だからな。もう寝た方が良い」
 僕の質問なんか忘れて、と部屋の明かりを消すように促す。相部屋といえどプライバシーは最低限守られており、ベッドには天蓋がついている。全て幕を下ろしてしまえばベッドの上に一人だけのスペースも確保できるのだが、やはり遮光性には欠ける。どうせこちらも明日の予習は丁度終わったところだし、若様の予定は既に頭に入れている。少し早めに休んだとて問題ない。
「うん、ごめんね。君の恋は応援できないや」
「こ……ッ、ああ。それはこちらで、どうにかする。お前は大切な友人だ、何かあっては困る」
「…………っおやすみ、セベクくん」
 そう言った彼の顔は青白い。彼のトレードマークとも言える柔和な笑みさえ消えているあたり、余程の寝不足だったのだろう。それならそうと僕に構わず先に眠っていて良かったのに、こちらを気遣ってくれていたのか。彼の優しさは何人も真似できないほどだが、少しばかり自分を犠牲にするきらいがあるようだ。もちろんそれが良いとも悪いとも言えないのだが。
「おやすみ、レト」
 ざっ、と閉じた柔らかな仕切り越しに告げた。さて、解決しなかった問題はどうするか。

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