2 温室デイドリーム!



「んー、ここは居心地が良いね」
 ナイトレイブンカレッジ内、温室。魔法薬学の授業で使う薬草のためか、ここは年中湿度も気温も高くなっている。正直ずっと留まるにはじっとりと汗ばんで気持ちが悪く、ふと聞こえてきたそんな意見に振り向いた。声の主は先日、オンボロ寮を綺麗に掃除していったレトだろう。あの間延びして人当たりの良さそうな声色は間違いない。彼のおかげで爆上がりしたオンボロ寮のQOL、最近よく眠れるし戻ってきたゴーストの皆さんもかなり喜んでいた。
「そうだな!非常にリラックスできる」
 そしてこちらまで響いてくるこの声は、レトと同じディアソムニア寮のセベクだろう。つんとした態度と真面目な性格、何よりも「若様」を慕っているらしい彼は少し、いやかなり付き合いにくい。それこそレトとセベクを足して二で割ったらちょうど良いだろうにと何度も思う。
「そんなの絶対ありえないんだゾ……」
 そんな二人の会話に呟いたのは、グリムである。火属性の魔法を得意とするからといって、この毛むくじゃらの体では熱がこもって仕方がないのだろう。確かに運動服であるとはいえ、この気候は耐え難い。外が寒いから嬉しいな、くらいに思っていたのは最初の五分くらいで、もう後はしんどさが勝っている。そして少しのノスタルジー……ああ懐かしきかな、日本の夏。
「人間!課題は捗っているか!」
「ま、まあそれなりに……」
 セベクはいつもどおりこちらを人間と呼んで、ほんの少し見下して言う。別に彼が本心からこちらを見下しているわけではないのだけれど、声の大きさと身長、言葉の堅苦しさからそんな印象を持ってしまうのは致し方ない。一方で素直な性格なので、そのまっすぐさのまま褒めてくれることもままある。その度に少し恥ずかしかったりする。けれどこちらに気付いて歩み寄ってきたのは予想に反して彼一人だけだ。レトの声が近くでしたはずなのに、と首を傾げる。
「あ、この姿見せるの初めてだっけ。お久しぶり、監督生くんにグリムくん」
「うわっ蛇が喋ったんだゾ
 レトは、と口を開こうとした途端、彼の首回りに緩く乗っていた蛇がこちらへ鎌首をもたげて口を開く。先が割れてちろちろと動く舌、鋭い牙。ピンク色の口内とはうってかわって黒く艶やかな体表。胸のあたりが大きく広がっているあたり蛇は蛇でもコブラのようだ。グリムのいかにもテンプレな反応に、セベクとその蛇は顔を見合わせてくつくつと楽しそうに笑いを漏らしている。そうしてしゅる、となめらかに地面に滑り降りた蛇は瞬きの間に人間の姿をとっていた。黒と白の髪にへらっとして人当たりの良さそうな表情。いつものレトだ。ただしその服装は運動服ではなく制服である。
「ちょっと運動服をクリーニングに出しててさ。制服でも暑さは問題ないんだけどちょっと目立つだろ?」
「蛇の方がもっと目立つと思う」
 そうだそうだ!と驚いたことに少しムッとしているグリムが飛び跳ねるのを落ち着かせる。今日の授業に運動服が必要だという通知が来たのが昨晩だったせいで一応どの服装でも良いということにはなっている。けれどレトの言うとおり運動服でない生徒はごく僅かだったのだ。
 ううむ、それにしても蛇になれるのか。ジャックのこともあるし、これが彼のユニーク魔法だろうか。もしかしてこの世界では変身魔法というものはそこそこ見られるものなのかもしれない。いや、一応名門校だしこれはナイトレイブンカレッジだけのことなのかも。一応元の世界でファンタジー世界の話を読んだことはあるけれどそれがどれくらいこの世界でも通用するかはわからないのが不便だ。世界の常識は日常で学んでいくしかないのでなかなかに大変だったりする。
 本来、D組である彼らと同じ授業を受けることは滅多に無い。それこそオリエンテーションを兼ねた飛行術の最初の授業くらいだったか。今回は、トレイン先生が急用とのことで(ルチウスの調子が悪いためというのがもっぱらの噂だ)急遽魔法薬学の授業が学年合同になったのだ。けれどいつもの実習教室にはそんなキャパシティが無いので、以前学んだ魔法薬の材料を探してくるというのが今回の課題だった。普段のペアごとに割り振られた魔法薬はそれぞれ違うので協力もしにくく、かつ指導も少なくて済むという、いかにもクルーウェル先生らしい内容だ。それにしても薬草と用途は覚えていても、その植生までは覚えていない生徒が多いだろうに。あと人数の関係で「グリムと監督生は二人で頼む」と言われてしまった。まあ確かに今回はそこまで魔法を必要としないから問題ないんだけど。いつも二人で一人換算をされるので少し新鮮な気分だ。
「監督生くんは……ああ、この魔法薬かぁ。ほとんど温室の外にあるよ」
「レト!」
 こちらの課題プリントを覗き込んだレトはにっこりと笑ってそう言った。
「えーいいじゃん、ぼくらもう終わっちゃったし……」
「こいつらのためにならんだろう!」
「オマエらもう終わったのか
 よくあることだけれど、一つ一つ丁寧に返していきたい言葉が多すぎて始末に負えない。レトありがとう!とか、セベク声が大きい!とか、二人が早すぎるだけだよグリム、とか。どれも口に出すタイミングを見失って、ただあはは……と曖昧に笑うしか無かった。この世界、会話の中心になる難易度が高すぎる。
「早いね、レトたちは」
「そうだろう!レトは魔法薬学が得意だからな!それに加え見ただろう?先ほどの蛇の姿!変身魔法を使いこなしてかつあの素晴らしい鱗の輝き……」
 セベクはそうつらつらと褒め言葉を並べ、レトの背中を叩いている。セベクは少し威圧的だけど、すごいと思ったことは素直に褒める質だ。それが彼の良いところの一つだし、調子を狂わされそうになる点でもある。だって素直に真っ向から褒められるなんてなかなか無い。当然、急に褒められたレトも顔を赤くして「せ、セベクくん……!」と困り顔だ。正反対のタイプがペアになっているなあと思ったが、存外二人は息が合うのかもしれない。ふたりとも感情が表に出やすいのだ。
「早く終わりすぎちゃったなぁ。終わったら自由時間って聞いたし……暫く温室で散歩でもしようか、セベクくん」
「ああ。一度先生のところへ行ってからだな」
 オマエら手伝えー!と跳びはねているグリムに柔らかに手を振った二人はこちらの横を通り過ぎて、温室の出口へと去っていった。まだ一時間以上残っているというのになあ、と思ってレトを目で追えば、ジジ、と一瞬だけ彼の姿がブレた。まるで、古い動画のように、レトロゲームのバグのように。
「あれ……」
 それが、白く長い横髪をなびかせる女子のように見えた。後ろ髪は黒くふんわりと広がったボブ。カラーリングは普段のレトと同じだけれど幾分低い身長に、誰もが振り向くだろうスタイルの良さ。こちらの声に気付いたのか、彼/彼女はこちらをすれ違いざまに視線を寄越した。縦長の瞳孔がじっとりと見つめている。爬虫類、それも捕食者の瞳だ。隣にいるセベクも同じ瞳をしているが、なんだろうこの嫌な汗は。可愛らしく色気ある女子の見た目をして目を細めて、ついでに細い人差し指を薄い唇に当てて「ひみつ」と口だけを動かすなんて、随分と魅力に溢れたワンシーンだろうに。
「頑張ってね、監督生くん」
「……は、はいっ」
 スローモーションだった時が元の進み方になれば、レトは元通りの彼だ。白いのは襟足だけだし、普段のにこやかな表情。あんな蠱惑的な面影なんかどこにもないし、そもそも彼は女子ではない。だってここは、男子校だからだ。
「どうしたんだ、ネッチューショーか?」
 オレ様の水筒から飲んでいいゾ!と得意げに笑う小さな親分に、うん、と頷いた。あれは一体、何だったのだろう。何の変哲もない男子学生二人。ただその後ろ姿を見送るしかできなかった。

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