03



 公園の街灯が着き始めるくらいの時間。夕刻は毎日ジョギングの時間に充てている。ヒーローを志す者、やっぱり身体が資本だし、少しでも怠けるとすぐに体力は落ちる。まあそれに、何か悩みがある時は身体を動かすことにしている。いや悩みがあるってわけでもないんスけど! と動揺したせいで少し呼吸が乱れた。

 今考えてるのは、先日保健室で出会った先輩のことだ。ヒーロー志望ではないけど、個性を使って人の役に立つという最終目標は同じ。素直にかっこいいと思ったし、そんな選択を迷うことなくできた先輩は素晴らしい。直接人を助ける個性に限られるから俺にはできないことだけど、だからこそすごいと思う。そんな役立ち方もあったのか、と。

 あと、ほんの少しだけ、彼女そのものが素敵だと思ったのだ。なんというか、あの柔らかな表情とか、口調とか、雰囲気とか。どんな怪我をしていたって彼女が対応してくれたら心が落ち着くだろう。背の高い俺に対しても首を痛めるくらいに上を見てしっかりを目を合わせてから喋ってくれたし、なんというか、彼女を一言で表すなら「安心」とか「平穏」になるんだと思う。でもそれで驚いたのは、彼女が遥かに小さくて柔らかいということだ。ちょっと言い方が変だ。彼女もヒーローを志す先輩だと勘違いして手を取った時、その手が小さくて柔らかかった。俺は周囲に比べたら背も高いし手も大きいんだけど、それにしても彼女の手は他の人より小さいんじゃないか、と思う。そんな小さい手が傷を癒して、周囲を安心させる。全く新しい価値観に思えた。大きく強くなくても人を守れるし、笑顔にできる。こんな素晴らしいことは無いだろう。

 でも彼女のことを思い出すたびに心拍数が上がって、あの手の柔らかさを反芻するたびに何かいけないことをしてしまったような気持ちになって、もうどうしようもなくなるのだ。自然と顔に熱が集中するし、何も考えられなくなるような感覚に取り乱しそうになる。

「う、うおおお!」

 だから、というわけではないが。あれから、ジョギングの距離が自然と増えている。こう、悩みというほど暗くもないけど簡単にどこかにはいかない春霞のような感覚をどうにかする術は知らない。だから自分なりに昇華すべく、ただ只管に走っている。こうすれば少しは落ち着くし、何より体力づくりにもなるし悪いことはない、はずだ。もしかしたら乙母里先輩の個性の副作用かもしれないし、怪我をして治療してもらうたびに聞いてみなければと思うんだけど、その度同じような症状が出て聞くに聞けず保健室を飛び出してしまうのだ。今とは比べ物にならないくらい心臓は高鳴って、簡単な返事しかできなくなってしまうんだから仕方がない。早くどうにかして克服しなくては。

 そんなことを考えながら全力ダッシュをした先に、件の先輩の姿が見える。公園の外、車道を挟んだ向こう側。ワ、と声が出そうになるのを、荒い呼吸音で誤魔化す。偶然っスね、と声をかけよう。荷物を両手に持っているから多分買い出しの帰り。先輩も確か寮暮らしだから行き先は一緒のはず。

「センパイ、」

 おおい、と手を振ったところで、誰かが彼女に話しかける。若い男……知り合いだろうか、それとも道を尋ねているのか。確かに先輩は話しかけやすいタイプだし、と納得しかけたところで何やら様子がおかしいことに気付く。いや、何か不穏な予感がする。先輩の顔があそこまで引き攣ることがあったか。ただ道を聞く相手の腕を掴むことがあるか。どさりと荷物が落ちる。不安はみるみるうちに現実になっていく。まずい、ここから全力で走ったとして時間がかかる。先輩たちの近くに停めてある車で連れ去るつもりか!

「乙母里先輩!」

「っ夜嵐く、」

 俺に気付いた先輩はこちらに手を伸ばす。助けなければ。先輩を救わなければ。個性を使わなきゃ叶わないことなら、個性を使ってしまえ。先輩を救うことが大前提、どんな罰だって受けて良いだろ!

 ドッ、と足首に意識を集中させる。風を推進力に、半ば空を駆けるように一足飛びで街路樹も車道も飛び越える。あと少し、あと少し。

「先輩!」

 車に乗せられる一瞬の隙をついて、先輩が解放される。それを見逃さず彼女だけを風で絡めとる。浮遊感に瞬きをしながらほっとした顔をする彼女を見てやった、と一安心。いやまだだ、先輩を誘拐未遂した奴らを捕縛しなければ……いや、相手の個性がわからない以上下手に手を出すのはやめた方が良い。住宅街のど真ん中で爆発なんかの個性を使われたらひとたまりもない。幸い、舌打ちを挟んでエンジン音が響いた。男たちは逃げて行く。

「わ、わ」

「先輩! 大丈夫っスか!?」

 地上二メートルに浮かせたままだった先輩。スカートを片手で抑えながら、ふにゃりと笑っている。どこにも怪我はなさそうだ。彼女をゆっくりと地面に下ろす。

「あ、ありがとぉ……!」

 ととっ、とローファーの音を立てて、体勢を立て直した先輩は、そう言いながらこちらの手を取った。

「本当に助かりました……」

 先輩の小さく柔らかい手が、俺の骨張った大きい手を。まず彼女に怪我がないか聞いて、それから落とした荷物を持ってきて、ああいやこんな怖い体験をしたんだからまずは安心させて、誘拐未遂だから警察とか学校にも連絡を入れてやらなきゃいけないことは多いのに、どっどっと心臓が速くなって何を言えばいいかわからなくなる。まずい、まずい! こんなことあっちゃいけないってわかってるのに、いつだって冷静じゃなきゃいけないのに!

「あ、あの……夜嵐くん?」

 先輩に下から見上げられて、顔に熱が集中する。きっとこれは誘拐未遂なんて非日常に遭遇したからで、個性を使ったから怒られるかもしれないなんて考えているからで、今取り乱してるのはそういうことなのだ。ああもう支離滅裂!

「っけ、怪我、無いっスか!」

 やっと絞り出した声はめちゃくちゃ裏返っていて、先輩は頷いた後に少し笑っていた。まあ、先輩が無事笑えてるならそれで良いんスけど!

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