02
イデア・シュラウドは悩んでいた。
そんなモノローグでまとめられるわけがないくらい、僕は今悩んでいる。悩んでいる、というかひどく不安というか。
内容は珍しくも僕の友人になりたい、と言ってきたカヴュというクラスメートのことである。最初はどうしてこんな完璧な陽キャが、と僕の方からから遠ざけていたが、話せばなんだか割と変人で、どちらかといえばこちら寄りということがわかった……なんていう陰キャ的身内判定の甘さで彼との付き合いにそこそこ前向きになってきたところ。元々彼はかなり良い奴で僕が出なかった授業の資料もくれるしペアにもなってくれるし、何よりオルトを助けてくれたし。だから、とても助かっている。友人どころかまともに話せる相手ができるかどうかすら怪しかった僕の学生生活に差した光、みたいなものだった。これはちょっと大袈裟な表現だけど。
まあ別に片利共生ではない。僕がカヴュに問題の解説をすることもあったし、部活に悩んでいた彼をボードゲーム部に招待したりした。いや招待っていうか頼まれた形だけど……歌が好きだから軽音楽部に入るつもりだったのに思ってたのと違った、だからお前の部活に入れてほしい、とか。いや一年生の僕にそんな権限あるわけないんだけど、幸いボードゲーム部は来るもの拒まず去るもの追わず、週に一度顔を出せば良いなんて緩さなので当然カヴュの入部も認められたわけで。カヴュは時々顔を出しては派手に場を盛り上げてリアクションして帰っていくのでまあまあ歓迎されているようだ。
で、そんな殺伐だけどウキウキライフを送っていた僕に突如として押し寄せる不安。それは、学生生活なんて四年間だけの付き合いに過ぎない、というやつだ。こんなに楽しくても、いつか終わる。終わった後でその光を思い出してあの頃は楽しかったと焦がれるくらいならば今のうちに遠ざけて引き篭もった方が良いのではないか。割と粘着質な自覚があるから、多分僕は記憶でも消さない限り彼のことを思い出してはノスタルジーとか望郷の念に駆られたりしてしまいそうで。あ、この場合の望郷ってアレね。二度と戻らないものとかどこにも存在しないものを求める気持ちとか憧れの概念って解釈の方ね。オタク用語だもんねこれ。
というかそれ以前に、僕の家のいろいろに巻き込まれたら大変だってこと。まあ直接関わることはないだろうけど「あのシュラウド家と仲良くしてる」とかでカヴュが損を被ったりしたらコトだ。あいつもそれなりの家の子らしいし、最悪ご実家から怒られたりしたら? そんなことを考えるともう、カヴュとの付き合い自体放棄した方が良いのでは? という気持ちになる。もちろん彼に言ったら「んなことねェって! 気にすんなよ!」と強めにこちらの背中をばしばし叩くのだろうが。僕はそこらへんまで気にしすぎてしまうタイプのチキン野郎なのだ、畢竟。
「なるほどなぁ」
前述の不安を、ほんの少しだけいつものシニカルにのせてカヴュに言ってみたら彼は存外にフラットな反応をした。拙者家の噂とかあるし大丈夫? みたいな軽い聞き方だったけど。僕は一狩りしながら、彼は動画サイトで音楽を聞きながら。
「んー、じゃこうしようぜ」
思ってたのとは違う反応をしながら彼は言った。
「俺さ、亜人なのよ」
「え、人魚とか獣人とかってこと?」
「そそ」
亜人。正式名称デミ・ヒューマンは人類の大きな括りの一つだ。人類は純粋な人間と、妖精、そしてデミ・ヒューマンに分類される。まあこれはあくまでこの世界のマジョリティたる人間の自分勝手な分類だし、混血が進めばこの区別もなくなるとは思うけど、ここではそういう人権問題はさておいて。亜人といえば人魚や獣人が主だが、例えば鳥類型や昆虫型、甲殻類型、爬虫類型(いわゆるリザードマンやナーガ)も少数ながら存在する。半分人間、半分それ以外の生物種という形だ。彼らは大抵変身薬を飲むことで人間と同様に暮らしている。このナイトレイブンカレッジにも結構多いようで、サバナクローには獣人、オクタヴィネルには人魚の生徒がそこそこいるらしい。もちろん種族による分類なんて今どきナンセンス、あくまで魂の素質を見極めるのでそれ限りではない。誰がどの種族、なんて対面コミュニケーション能力が死んでいる僕にとっては必要ない情報なので全く入手していないけど。
「俺が何の亜人か当てられたら、要求通り関わんのやめる」
え、と声が出る。モンスターの狩りはソロだったのでとりあえず一時停止して、彼の方を見る。当然、今彼の見た目をまじまじ見たところで何のヒントになるわけでもない。獣人は獣耳に尻尾程度だから変身薬を飲まないことが多いけど、それ以外で絞るとしてもめちゃくちゃ候補は多い。当てずっぽうで言ったところで当たるはずもない。
「あ、学校のサーバハッキングとかアングラなやつはナシな! オルトに聞くのも。イデア一人で当ててみせてくれよ?」
ヴィランじみた意地の悪い笑顔でカヴュは言う。
「え、あ、ほんと、に?」
正直信じられなくて、聞き返した。彼の正体を探る条件が、ではない。カヴュが友情をすっぱり切ると提案したのを、遅れてやっと理解して驚いている。彼が僕の思惑を汲んでくれたのは確かだ。それでも、それなりに心地良い関係を条件次第で諦めると言ったのが、意外だった。彼が案外ドライなのはうっすらわかってたけど、ここまでとは思わなかったかも。いや失望したとかそういうのじゃなくて、驚いてしまった。
「ああ。猶予は……そうだな、三日でどうだ」
「わ、かった」
本当はここで「やっぱり僕とずっと友達でいてほしい」なんて言えたら良かったんだろうけど、コミュ障な僕はそんなこと言えるわけもなく、そう頷いたのだった。
で、三日後。
特に何のヒントも得られないまま今に至る。
亜人の特徴とか種類とかを論文でも書くのか? ってレベルで調べたし、僕には珍しく図書館に顔を出して埃を被った本を読んだりもした。まあ結局何もわからなかったけど。昔話の悪魔のように機嫌を良くして自ら歌わないかといつもより彼にくっついて耳を澄ませてみたけど駄目だった。まあ、カヴュの歌がめちゃくちゃ上手いことはよくわかった。無駄に、というか自己紹介がてら歌いたがるわけだな、と納得できるくらいには。
「答えを聞こうか」
ぞわ、と背筋に寒気が走る。なんというか、彼はかなり演技派だ。表情豊かで、そのどれもがオーバーリアクション。彼としてはジュブナイルの悪役じみて言ったつもりなんだろうけど、割と怖い。本気で怖い。本当に同年代? って気持ちになる。なんでつかこの圧迫感。
「ええと、その」
どうしよう、答えを言えない。ふひ、と気持ち悪い笑い声を出して誤魔化してはみるけど、彼の表情は変わらない。
「なーんてな! イデアちゃんのことだしもうわかってんだろ」
と、しばらくの沈黙を挟んで冷たいままだった彼がぱっと笑顔になる。
「へ」
呆気にとられる。口の中が乾いて仕方なくて、無理矢理唾を飲み込んだ。
「お前のことだ、もうあの当日にわかってたんじゃねェか?」
僕の肩を組んで、彼は囁くように言う。
「何で知って、」
やっぱりー、とへにゃへにゃ笑って彼は言う。
そうだ、わかっていた。彼が何の亜人かなんて、もうその会話をした日にわかっていた。簡単な話だった。どうやって調べるかを考える。特定なんて煽られたときくらいしかやらないけど、まず第一に本名で検索をかけた。彼は王族みたいなもの、と自分で言っていたし、まあファミリーネームからならヒントが得られるかな、くらいで。ワンチャンSNSアカウントでも引っ掛かるんじゃないか、とか。そうしたらもう一瞬で答えまで辿り着いてしまった。ソースにするには些か不安なマジペディアがヒット、そこから三つほどホームページを見ればもう完璧。百点満点の解答を出せていた。ヒントは得られていなかったけど、答えそのものはしっかり得ていたのだ。だけどなんだかそれじゃあ良くない気がして、僕としては至極無駄な調べ学習をしていた。まるで検索結果を無かったことにしたように。
だからそのまますっと、売り言葉に買い言葉、そもさんせっぱと答えてしまえばよかった、よかったのだけれど。ここで即答したら僕がまるで、まるでカヴュとの友情を心から切ってしまいたいようじゃないか。いや確かに彼との付き合いをやめたい旨の発言はしたけど……あくまでそれは僕の事情というよりも僕と関わることでカヴュが何か損害を被る可能性があるからだ。大事な、友人だ。こんな僕なんかにできた友人。彼と関わるのは楽しいし、できることならずっとこのまま仲良くしたい。でも、でもそれで彼に何かあったら? そんな葛藤。どうせ別れが来るのなら早いほうが良いんじゃない? そんな保身。そういうのがごちゃ混ぜになって、答えられないでいた。ハリネズミのジレンマじゃないけど、思考がぐちゃぐちゃでどうすれば良いかわからなかった。
「うわははは、イデアちゃんらしい」
からからと彼は笑う。
「じゃあ俺からの問いはギブで良いか」
「……うん」
彼は本当に優しい。優しくて、残酷だ。僕に関係を断つ余地を与えた上で懊悩させてきた。多分カヴュも決して、僕を面倒なんて思っていなかったに違いない。そう思いたい。そうだよね? うん多分そうだ。だってそうでもなければ彼の方から近付いてこなかったし、こんな猶予も与えなかった。そもそも、僕は押しに弱いから、それこそ「俺とダチやめるなんて言うなよ」と簡単にガキ大将ムーヴでもかませば良かったんだけどさ。
「んじゃ答え。知ってると思うけど俺はヤシガニの亜人だ」
カヴュは軽く手を振るう。そこにあったのはよく日焼けした大きく肉厚な五本指の手のひらではなく。彼の髪と同じ色をした特大のハサミだった。
「ココナッツなら軽く割れるぜ」
「ヒェ……」
こちらの反応に何故か気を良くしたカヴュはもう一度手を振る。元の人間的な手に戻っていた。
「完全に戻ったら脚も増えるぜ、十脚類だかんな」
「それマジなんだ……いやいろいろ調べたけど甲殻類の亜人少ないっぽくて画像も少なかったんだよね。やっぱり人魚に比べたら少数派?」
「一つの家系だけって世帯も珍しくないからなァ」
へえ、と自分にしては楽しそうな声が出ている。ここまで他人に興味を持ったの、初めてかもしれない。まあ学術的好奇心が先立っていることは否めないけど、そもそも僕が興味あるのって魔導工学とか電子の世界のことだし。今の状況は、ちょっとだけイレギュラーだ。
「まあ、俺が言いたいのはさ」
「うん?」
「迫られない限り、知り合いのことなんか調べないだろってこと」
ああそうか。それを言いたいがために、カヴュはこんな面倒な駆け引きを。呪われたシュラウド家、なんて評判は人の口にもネット上にもかなり多い。でもいざ面と向かって知り合った相手をすぐに検索するなんて、普通はやらないのだ。まあ僕たちみたいなギーク野郎なら時と場合によってはやるかもしれないけど、普通はしない。というか僕だってそういう検索をするのって煽られて特定するときくらいだ。
「それに噂なんざ無責任だし。あることないこと書かれてんのを鵜呑みにして誰かを避けんの、馬鹿の極みだろ」
「うわー言えてる。それインターネット利用者全員に叩き込みたいっすわ」
けらけら笑っているカヴュに、今どうしようもなく僕は救われている。確かに僕の方から人との関わりを絶ってきた人生だけど、この学校に入ってからは特に避けられることが無かったわけじゃない。まあその程度のリテラシーというか道徳観の奴はこっちから願い下げなんだけど。
「……あ、ありがと」
「何が?」
うわーヤな奴! 褒め言葉としてそう思う。自分が感謝されて然るべきことをしたのに、それをさも当然のように思ってる。その一方で、頼もしさを全面に押し出したこの得意げな表情! エメラルドグリーンの瞳をきらっとさせて、ああもうやっぱこいつ主人公の兄貴もしくはラブコメにおける主人公の友人ポジじゃん!
***
「どうよ、俺結構良い奴だろ?」
「その自分で言っちゃうところっすわ」
自慢げな顔のカヴュに、ため息を吐くイデア。そんな様子を見ながら監督生は口を開く。
「か、カヴュ先輩って王族だったんですか……?」
確かにこの学校には王族に貴族、大金持ちの家の子なんて珍しくないくらいいる。それでも、この今まで気軽に接してきた相手がそんなどえらい身分の人だったなんて、かなり心臓に悪い。この世界のことをまだうっすらとしか理解できていない監督生にとっては特に。
「違う違う、小さい島の長の息子ってとこ。レオナとかマレウスとかとは比べるのも烏滸がましいくらい」
「『マンダラット家は代々常夜の島の長を務めているが、その歴史は古く神話の時代まで遡る。世界の王族の中でドラコニア家に次ぐ長い王族の家系である。』Magipediaより引用」
「イデア!!!!!」
にやにやしながらカヴュの情報を読み上げていくイデア。カヴュは急いでその口を塞ごうとするが、イデアの逃げ足は早い。監督生を挟んで睨み合いになっている。
「いや別にビビってるわけじゃないんですけど……なんか色々納得したっていうか……カヴュ先輩結構面倒見いいからそういうカリスマなのかなって」
カヴュは面倒見が良い。イグニハイドらしからぬ厳つい見た目とは裏腹に、寮や学年が違ってもよく頼られているのを見かける。イデアからは「褒めると気前良く頼まれてくれるから困ったら褒めると良いよ」とまで言われるお人好し。その根源が王族としての責任やそういったものに由来するものなら、まあ納得がいくところではある。
「いや、俺はただ頼られたいから兄貴分やってる」
「カヴュ氏褒められるの好きですしおすし。ギャルゲだったら割と攻略チョロい枠」
「幼馴染ギャル枠カヴュ様だぜ」
目元でピースサインをして、ついでにウインクと舌ペロをやってみせるカヴュに監督生はぽかんとしている。やっぱり彼ら独特のテンポは難しい。イデアとカヴュが仲良しなのはよくわかったけど。
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