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 板張りが軋む。そんなに弱い心をしているわけでもないのに、脚は少女の部屋に向かっていた。

 夢に惑わされて思考を巡らせた結果だった。全部、全部少女がいるからいけないのだと似合わない責任転嫁をしている。そんなことあるわけがない。少女と"彼女"は他人の空似、何の因果も存在しない。そんなことわかっている。きちんと弁えた理性はそう語るのに、身勝手な自分は全て少女がいるせいだなんて結論を振り翳していた。彼女と一緒にいた頃だって"アルベル"の頃だってそんなに傍若無人ではなかった。もうどうすればいいかわからない。幼子であれば泣き叫んで駄々を捏ねていただろうが、生憎大人なので無理に結論を出してしまったのだ。

 

 シャロという少女を、殺してしまいたかった。

 

 少女を殺したところで何が解決するでもない。その程度でこの懊悩が消えるくらいならおれは少女を既に殺している。その程度で迷っていられるほど甘くない。情はない。切り捨ててきた。彼女の屍と同じ氷の下に置いてきた。そもそもそんな軟弱な男であればおれはあんな夢を見ていない。それでもその衝動に駆られずにはいられなかった。

 仮に少女を手に掛けたとして、おれは同じ顔の女を二人殺した罪悪感を背負っていくだけだ。そんなことわかっている。わかっていて、身勝手な理性は少女を殺す手立てを考えていた。一刀両断してしまえ。片手で握れば簡単に彼女の脊椎を折れる。海に放り投げてしまえば良い。丸呑みにしてやってもいいやめろ。おれは少女シャロまで殺したくない。それでも歩みは止まらないまま、襖に指を伸ばした。

「私、私。キング様、のことがすき、で……っひ、う」

 指が触れないまま、ぴたりと動けなくなる。少女が泣いているのだとわかって、酷く動揺した。

 "酷く動揺した"? 

 自分でも困惑する。何故少女が泣いている程度で動きが止まっている。人生の半分以上、そんなことで惑ったりしなかった。たとえここが戦場でなくとも、僅かな隙も見せてはならない。無意識下ですら感情を殺すようになって久しい。"彼女"ではない。ただの、海賊団の料理人。少し名前と身の上を知っているだけの少女。それが泣いているだけで、どうしてここまで不要な思考を繰り広げている。内容が悪いのか。少女がおれを好いていると言ったから? それこそ唾棄すべきものだ。恋愛感情を理由にする涙なんかで絆されるほど、おれは甘い男ではない。いや甘い以前に。だから何だというのか。少女が泣いているだけなのに。ああクソ、思考が空回りしている。

「でも、っそんなの、駄目だから、う゛わぁ……!」

 少女はおれを好きらしい。ああそうか。だからあの晩過剰に照れていたのか。そうか、そうか。我ながら酷いことをしてしまったものだと、似合わぬ感想を抱く。おれが少女を呼び出さなければ、少女は泣かずに済んだだろう。要らぬ感情を抱かずに済んだだろう。おれのせいだと思ったし、あの程度で好きになるなど弱いにも程があると思った。おれは顔すら見せていない。ただ呼び付けて話しただけのこと。そんな相手に恋をするなんざ愚かが過ぎる。あまりに愚かで、可哀想で、憐れで愛しいと思った。

 そこまで考えが至って吐き気すらおぼえた。仮におれが少女にそんな感情を抱いてしまったら、それは"彼女"に対する冒涜に、少女に対する愚弄に他ならない。おれはどう足掻いたって少女を、"彼女"を通さずには見られない。それでは少女が居た堪れないではないか。昔の女に似ているからと無関係の男に呼び出され、その男に恋をした挙句「可哀想だから愛でていたい」などと。そもそも少女がおれを好きになったのだって、あの年齢だからだろう。恋という感情そのものに憧れたから、おれのような男に心を寄せている。通常であればあり得ない。顔もわからない、自分のことを全く喋らないような奴のことを好きになるなんざ気が触れている駄目だ、違う。こんなことを考えるためここまで足を伸ばしたわけではない。

 では少女を殺しにきたのか? 

 脳内で冷酷な声がする。簡単なことじゃねェか、とせせら笑っている。そうだ、そのはずだった。今まで数多の人間にしてきたように、少女を縊り殺してしまえばいい。身勝手なおれを赦してくれととでも言えばいい。そんな馬鹿らしいことを考えては首を振る。少女を殺したいわけがない。ああクソ、思考すら纏まらない。

 不意に、足元へ軽い衝撃が走る。随分長い間立ち尽くしていたらしい、目の前の襖が開いたことにすら今気付く始末だ。待て、であるならば、と目線を下へ動かす。

「……っあ、えと、あの、その……っキング、さま……何の、ご用事、でしゅ、か」

 少女が転がっていた。尻餅をついて、案の定泣き腫らした目でこちらを見上げている。口を開こうとしたが、おれは丁度良い答えを持っていなかった。殺しに来たなど例え本音でなくとも言えるわけがなく、かといって他の理由はどこにもない。仕方がないので黙ったままで少女を見ていた。嗄れた声、擦ったせいで赤い目元。誰かと出会うとは全く思っていなかったのだろう、思い出したように袖口で顔を拭う様は、小動物の毛繕いを見ているような気持ちになる。

「た、立ち話? も何ですし、あの、お部屋に……あっお茶も出せないんだった」

 あたふたと大ぶりのジェスチャーをするシャロに、どうしたものかと首を捻る。先程まで少女を殺すだの考えていたのが馬鹿らしく思えてきた。そんな血生臭い概念とは程遠い。春色の少女は何の危機感も持たずにいるんだから。

「水を飲むんじゃなかったのか」

「あっそ、そうでした……え、えと」

「持ってくる。顔洗って待ってろ」

「へ……あの」

 流石にそれは申し訳ないとくるくる動く目が語る。勝手に押しかけたのはこっちなんだから、それくらい受け入れるべきだろ。まあ良い。屈んでシャロに目線を近づけ、口を開く。

「その顔でいいのか、好きな奴の前で」

「っ、あえ、!? ひゃ……は、はい!」

 少々ずるいことを言った。シャロは弾かれるように跳び上がり、タタタッと軽い足音で廊下を駆けて行った。

「…………はァ」

 溜息を吐き、シャロの後ろ姿を見送る。走り慣れていないであろうその背中は、記憶の中の"彼女"とは似ても似つかないものだった。

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