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「し、しぬかと、おもった……!」

 手の中でべちゃべちゃと泣きながら少女は声を絞り出した。そっと地面に下ろしてやれば少女はそのままがくんと膝を折り、仰向けに寝転がってしまった。

 ここは鬼ヶ島、屋上。岩が乱雑に転がった殺風景な場所だ。立派な庭があるわけでもない、ただの荒地。更に言えば昨晩から気温が低かったせいで雪まで積もっている。こんなところに少女を連れてきたのは、人気のない場所を探した結果である。そういうことにしておく。室内ではどこにメアリーズがいるかわからないし、バオファンはあれで口が軽い。島内全域におれが少女を呼びつけていたことを放送されでもしたら面倒だ。そこまでやましい感情もないが、邪推する奴はどこにでもいる。おれのような面白みのない男であれば尚更。

「き、キング様は。いっつもあんなに高いところを、あんなスピード、で……?」

 屋上まで飛んで来た。少女を手の中に抱えて。もちろんプテラノドンの姿ではなく背中の翼を使って、緩やかな飛行だった。それでも少女にしては恐怖であったらしい。少女が怖がりなことは知っていたが、まさかそこまでとは思わなかった。それともおれの感覚が小さな人間の少女とはかけ離れてしまっているだけか。後者だろうな、人生の殆どを闘いに費やしているのだから。

「大丈夫か」

「だいじょぶ、です……」

 はひ、と息も絶え絶え言う少女に安堵をおぼえる。少女が気絶しなかったことでも、無事なことに対してではない。少女が飛行に対して恐怖したことだった。そんな当然の反応で、おれはああ良かったと心底安心したのだ。

 少女は"彼女"ではない。そんなわかりきったことが一つ判明する度、やっと呼吸ができる心地がしていた。少女と"彼女"の共通点を三つ見つけて焦り、やっと一つ差異を拾い上げて息を吐く。ずっと、ずっとその繰り返しだった。焦燥に駆られるくらいならば少女のことを見なければ良い、少女の存在なんか脳内から追放してしまえば良い。それなのに躍起になってノットイコールの証明を欲している。今日だって移動で疲れたであろう少女をここまで攫ってきた。必要のない世間話を毎夜させた。他人の空似であれ見間違いであれと呼び付けた全て、全て少女が"彼女"とは全くの無関係であると安心するため、当然のことを再確認するために。馬鹿だ。小指の先ほどの心弛のために数多の不安を抱えていた。世界一の、愚か者だった。

「わ、星が綺麗ですね……これを見に来たんですか?」

 少女の隣に腰を下ろす。星も雪もどうでも良かったが、少女がそう解釈するならそれで構わなかった。鬼ヶ島に限らず、ワノ国の夜は暗く標高が高い。星はいつだって綺麗だった。おれの自己満足を説明するわけにもいかない。

「星は柘榴、望月は蓮、か」

 暫くの無言ののち、気づけば口走っていた。もうメロディなんか忘れている。仮に覚えていたとて歌なんかキャラじゃない。彼女と少女が違うことの証明に、自ら思い出を踏み荒らすような行為をしてしまっていた。いつもは感じないはずの寒冷ゆえの痛みが、鼻の奥をツンと刺す。

「星は柘榴、望月は蓮、頬に風。百年ももとせの後もただ君を恋う一夏の恋にはあらじ、常春よ 桃あひ食はむ、出し風の君」

 遥か下から響いた声にぎょっとする。歌声まで彼女と瓜二つなのだから、もう勘弁してほしい。おれがあの記憶を美化してしまって、もう何であれ彼女と認識してしまうのかもしれない。そうであってくれ。そうでなければおれは、おれは。

「……っご、ごめんなさい! えと、あの、ええと……」

 このシャロという少女は存外察しが良いらしい。おれが詩的なことを呟くというイレギュラーに、おそらく"彼女"を感じたんだろう。こんな、年端もいかぬ少女に気遣わせるなんざ。

「構わねェよ」

 少女を思ったはずの返答のはずが、あまりにも冷淡だったので自分でも驚いた。案の定少女は雪の上で縮こまっている。おれは彼女のことがそんなに大事だったのか? 本当に嫌になる。

「……流行りの歌か」

 恐怖夜間飛行をした挙句ビビらせてしまっては元も子もない。説明を促した。シャロは(おそらく一般的な女と同じように)話すのが好きらしい。いつも電伝虫越しでも嬉しそうにニコニコしているのが伝わっている。

「む、昔っていうか五十年くらい前にできた曲なんですけどずっと人気で……あの、私の故郷の島で有名な歌劇……ミュージカルのワンシーンでですね」

 ああ、"彼女"が歌っていたのはそういうことだったか。今となっては知る由も無いが、彼女が海賊から教わったというのは少女の島の音楽だったんだろう。少女の育った島というのは新世界に位置したはずだし、距離的にも無理はない。

「一番盛り上がるところなんです。島の外から来た青年が女性に告白するシーンで……」

 少女はそこまで楽しそうに話して、は、と何か思い出したようにこちらの顔色を窺う。このまま続きを話しても良いかと言いたいのか。別に良い、と頷いてやった。

「さっきキング様が言ってたのは、青年の告白の歌なんです。柘榴と蓮の実って結婚式で食べるものなのでプロポーズ。で、それに対する女性の返事がさっきの歌で」

 得意げな少女を見下ろしている。少女の横顔を少し下から拝めないのがせめてもの救いか。己の体がこれほど大きくなかったら、きっと耐えられなかった。

「柘榴も蓮も夏のものだから、その恋心も一過性のものでしょって。だから桃……あ、桃って不老長寿になれる伝説があるんですけど、永遠に一緒にいる覚悟はあるの? っていう、一枚上手なお返事です」

 ちょっと重いですよねー、とにへらと笑う少女をよそに、"彼女"のことを考えていた。

 "彼女"がこの歌の背景を知っていたのかとか、何を思って口遊んだのかとか、既に答えの出ていることをつらつら思う。知っていたはずがない。彼女はただ星空から連想しただけのこと。それなのに、例えば彼女の遠回しな好意だったのかもしれないとか、あのときこの返歌を返せていれば良かったのかとか、そんなことで彼女が死ぬ運命は変わらなかっただろうとか。こんなことを考えたって仕方がない。仕方がないのに、勝手にこの頭は彼女への想いを募らせていた。

「結末は?」

「家柄とか身分とかそういうの全部ぶち壊して二人結ばれてめでたしめでたし、です。まあ名作なのでいろんな人が続きを書いてて、死に別れちゃうバッドエンドもあるし、二人で冒険する話もあれば幸せな家族のドタバタ劇も……私が好きなのは二人で小さな料理店を開いて幸せな暮らしをするやつ」

 生憎芸術には疎い。彼女の語るあらすじはテンプレートな話に思えて仕方ないのだが、きっと素晴らしいものなんだろう。実際観劇したとて素直に感動できるかどうかも怪しいが。

「よく知っているな」

 スレた感想を少女に勘付かれるわけにはいかないと、そう極力優しい声で言った。自分が少女と同じような環境で育ったとして、ただ有名なだけの作品をそこまで覚えているだろうかと思ったのは事実ではあるが。

「通ってた学校で劇をする予定で……でも途中で悪魔の実を食べちゃって、結局出られなかったんですけどね」

 あはは、と泣きそうに笑って見せる少女を抱き締めたい衝動に駆られた。辛かったろう苦しかったろうなんて憐憫ではない。自分でもこの感情に説明がつけられない。少女に手を伸ばしかけて、止める。もう染みついたはずの体躯の差に、今やっと気づいた。少女といるとあの冬島にいる心地になって仕方がない。いや、おれが普通の"人間"で何もしがらみが無いように錯覚してしまうのだ。どうしたってそんなのは叶わないくせに。少女の語った劇のスピンオフのように数多の未来が存在したとしても、おれがただの人間になれるなんてことはあり得ないのに。

「そ、そんなことはどうでもよくってですね!」

 思っていたよりしんみりしてしまった空気に焦ってか、少女は手を大きく振り回してさまざまなジェスチャーをしてみせる。

「好きに話せ」

 どうせまた「私ばかり喋っても良いのか」の顔で見上げられるに決まっているので、先手を取ってそう伝える。彼女の話は聞いていて飽きない。せめてこの夜だけでも普通の人間になってみたかった。"彼女"に想いを馳せていたかった。

「あの、何回も聞いて申し訳ないんですけど……その。私の話聞くの、退屈じゃないですか? あと、やっぱり、どうして私にスマシくんをくれたのかな、とか」

 少女には一から十まで説明せねばならないらしい。いや最低限しか伝えていなかったおれにも非はある。口を開こうとして、明確な理由が無いことに気付く。確かに"彼女"との違いを躍起になって探そうとしていたのは事実だが、少女の声を聞くのはむしろ好ましかった。変な話、彼女の存在は世界きってのアウトロー集団の中において、あまりにも平凡すぎるのだ。砂漠の中のオアシスのような、雷雨の中見つけた洞窟のような。癒しであるとは言い切れない。けれど彼女の言葉はどこをどう切り取っても平和で、退屈で、穏やかで。血濡れた手で電伝虫を握っていても何十人と殺しても船を沈めても島を潰しても、少女と話せば自分も平々凡々なんじゃないかという気になる。けれど、そんなことを包み隠さず伝えるわけにもいかない。そんなの気狂いじゃねェか。

「わ、私、そこまでの価値ないですよ」

「卑下するな。お前はお前の認識以上に好ましい」

 困ったような愛想笑いの少女に、自分でも無意識のうちにそう口に出していた。まあ、悪くない言葉のはずだ。

「ふぇ」

 前言撤回。少女は情けない声を出し、完全にフリーズしてしまった。まずいな。頭から湯気の出る勢いで赤面しているところを見るに、少女は余程褒められ慣れていないらしい。いや、感情が表に出やすいのか。

「っきょ、恐悦しご……っくしゅ!」

 瞳をぐるぐるさせた少女はなんとか言葉を紡ごうとして、可愛らしいくしゃみを一つ。そうか、いくら着込んでいようと筋肉も脂肪も少なそうな少女にこの屋上は堪える。自分の気がそこまで回らなかったことに歯噛みしながら、少女を掌の上に乗るように促した。

「ま、また飛ぶ、んですか……?」

 顔を赤くしたり青くしたり面白い奴だ。飛んでいった方が早いが、少女のことを考えるとそれは避けてやったほうが良さそうだ。

「いや。お前の寝室には階段から行った方が近い」

「か、階段があったんですかー!?」

 騒がしい奴。手の上でじたばたするなと言いたいがそれで少女一人落とすほど非力では無いので好きにさせておいた。

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