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 端末を徒に眺めている。良い調子、とはとても言えなかった。
 何も体調の話ではない。パフォーマンスの話だ。今までと同じ睡眠時間に生活リズム。それなのに全くと言っていいほど、捗らないのだ。以前はアウトプットが追いつかないくらいに多方面のアイデアが湧いてきたというのに、最近は思いつこうとしなければ出てこない。何と言うことだ、これでは天才の名折れ。別に焦ってはいないし、まあ最近は過剰に考え事をしていたしその反動だろうな、程度だ。私の愛すべき才能(武器)だから、たまには休息を与えてやっても良いか。
 なーんて自己暗示はさておいて。大体はランバネインのせいなのだ。男一人に惑わされるなんて私に適応されるのかと懐疑的ではあるけれど、多分これが真実だ。彼が隣にいると調子が良いし、こうも長期間関わらないと気分が上がらない。確かに彼の話を聞くのは好きだし、差し入れはどれも美味しかったけど、そこまで彼の存在は私にとって大きかったのか? 不可解極まりない。どうせなら彼が近くにいるときの私のデータでも取っておくんだった。分析もできやしない。
 彼の「逃がすつもりはない」という言葉を思い出している。彼もなかなか上手い……いや、あんな戦闘の天才(バトルジャンキー)を相手に逃げるなんて到底無理な話だろう。というのも、私の思っていた彼の戦法といえば、私の逃げる素振りから先回りして行く手を塞ぐようなものだった。ボードゲームのような一進一退で、一手一手詰めていく。随分暴力的かつスマートな戦略を、彼のイメージと相俟ってそうするだろうと思っていた。でも実際はどうか。そもそもあの男、私を盤上に上がらせようとしないのだ。つまりは、逃げようと思わせない。或いはもっと悪辣な逃げるという選択肢を消す。結局人間は天秤の振れた方に動くものなので、相手を意のままに操りたければ相手の感覚を完璧に把握して、デメリットを少しずつ消していけばいい。更に確実にしたいのなら「選択しないことによるデメリット」を大きくすれば良い。なるほどその通りだ。道理ではあるのだが、それを実際にできるかどうかとなると別問題だ。そもそも相手の感覚を完全に理解するなんて余程の観察眼が無ければ無理だ。それをランバネインは前段階としてやってのけているし、自分がいないと私の調子が狂うように仕向けている。こんな状況を見越して、遠征後に返事を聞くと言っていたのだろう。ああ、あんなのと戦闘なんて訓練でも御免だ。玄界の兵士が少し可哀想になる。まあこんな分析を今更したところで例えば逃げの一手になるわけでもない。後の祭りというやつだ。彼のことだし、寧ろ最初から最後まで私が気付かないことすら視野に入れていたかもしれない。ああいや、逃げるつもりは無いんだけれど。彼の用意する環境ほど最上級のものもないし、ランバネインという男は好ましいし。
 せめて玄界の様子……艦内の様子だけでもわかればここまで退屈しなかっただろうに。あのランバネインよりも数段完璧な当主殿は本当に気がおけない。隊員のメンバーは陰湿だのと言っていたけれど、それで十分なのだ。人間性としては面白みに欠けたとて、この国の四分の一を握る者としては最適な性格をしている。駆け引きをするにあたり、貴族社会においては冗談が通じないと思わせる方が得だ。そもおとなしいのがデフォルトであれば、その場にいるだけで相手を牽制することができる。あれはなるべくして当主になった男なのだ。あの蛇みたいな視線で見られることも増えたけれど、未だ慣れそうにない。あれ、あの人私の義兄になるんだっけ。
 サプライズ的な臨時報酬として玄界の物質やら戦闘記録データでもくれないだろうか。十分な臨時報酬を既に支給されているのでそんなありもしない妄想はさておき、またキューブ加工された兵士を持って帰ってくるだけだ。私がデザインに加担したウサチャンもといラービットへ勝手にあの技術を搭載するんだから憎いったらないね!最高のものとしてお出ししたものが更に良くなっていくのなんて悔しいけれど堪らなく嬉しいのだ。私が好き勝手やったせいでチームを外されて、その後加えられた改良だから完全にブラックボックスな技術なのも含めてワクワクする。というかあれを良しとしておいて私のアイデアを「倫理観がない」と一蹴する上層部はかなり節穴なんじゃないだろうか。やっかみなんてとんでもない、私はあの技術ほど素晴らしいものはないと思っている。そこの部門は秘匿性が高いからどんな機序かどうかも公表していないんだけど。いや流石にランバネインに強請って特権で閲覧するなんて真似はしない。多分。
 ブルーライトを無駄に浴びて、文字の羅列は意味を拾えない。集中力が切れている。糖分不足かと口に入れた飴は今朝から十個目。糖分のせいなんかじゃないとわかっていてもなお口寂しくてパッケージを開く。人工的な果実風味とざらつく口の中。別に無くたって生きていけるし問題ないのに、一度口に含んだ後に無くなった時の虚無感といったらない。なんだかあの男のことを言っているみたいになっちゃったな。見事彼の作戦の渦中にいるんだし、これくらい茹だった発想をしても良いのではそんなことを考えてやはり、こういう思考は私に向いていないなと含んだばかりの飴を噛み砕いた。
 そうして私はただ只管、私は恐ろしい男に好かれてしまったんだなと思うのだ。

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