8



「じゃあ、気を付けて」
 見送りというものは苦手だ。何を言えばいいかわからなくなるし、考えているほどの時間もない。社交会へ行く両親、休暇がてら実家へ戻るお手伝い、うちで食事をしてから農場へ向かう労働者。どれもこれも幼い頃の記憶だし、どれもそこまで命の危険が伴うものではなかった。だからこういう、別の星への遠征へ向かう兵士への言葉なんてのは、それはもう下手だ。ある程度のことは卒なくこなせるけど、こういう試行錯誤や反復ができないコミュニケーションは苦手。だって私の感性で言葉を掛けると大抵相手は変な顔をするのだ。今日だって「出発時、身内から気を付けるよう言われると事故の確率は減るそうだ。まあ今回君は操縦しないし私の改造でぐっと安全にはなっているはずだが……」などと先ほどまで言おうとしていたのを飲み込んだところだ。
「玄界で役立ちそうなものがあったら教えてほしい。向こうは確かここ数年で軍事力を増強させてたろ?偵察だったら同行して見物でもしたんだけど」
 随分と見上げて言えば彼はきょとんとしている。もしやこれでもズレているのか。彼は私を好きだと言っていたし、私の魅力である探究心も好いているとばかり思っていたがそうでもないらしい。やはり恋愛小説をもっと読み込まねばならなかったか。
「……ごめん忘れて」
「良い、お前らしくていいなと思っていただけだ」
 なんだか調子が狂う。なんだかんだ言いながら、彼は私の扱いを殆ど変えなかった。婚約者という立ち位置に収めてしまえば何の心配も無いからだろうか。流石に以前よりは私のところへ来るようになったし、こちらの食生活が[[rb:最低限健康を維持するもの > サプリメント中心]]だとわかれば無理矢理にでも食事に連れて行ったり、絶対に何かをしながら食べるものではないような差し入れ(ローストビーフと生野菜がふんだんに使われたサンドイッチとか、聞いたこともないフルーツが入ったケーキとか)を持って来たりした。ありがたいことはこの上ないのだが、じゃあ私は彼に何か与えているのか?という疑念は捨てきれない。もちろん彼に与えられた依頼は百点満点中百二十点でこなしたし、遠征艇のメンテナンスもちゃんと行った。その傍らでいくつかレポートを作成したし。ただ、彼本人へのフィードバックとしては不合格点なんじゃないか。彼はあれだけ私の世話を焼くのに、これといって私の行動も研究内容も制限しない。まあ流石に倫理的にアウトなことはやめるよう言われたけど。普通ならある程度研究に口出ししてくるんじゃないのか。過去、私を研究チームに引き入れたリーダーは工業用のアイデアを最終的に軍用兵器にまで引っ張っていったこともあったし。
 彼は私に惚れ込んでいる、と言った。これは恋愛的な意味だとも。じゃあ私は何か、そういうことをするべきではないのか。ここまではいつも思い当たるのだが、ここから先がてんで駄目だ。口だけで好きだと言っても取ってつけたようだし、キスなんていうプライベートな身体的接触は公の場でするものではない。そもそも私自身に彼への恋心がないとそれは嘘になる。不誠実は極力避けたい。
 そもそも恋心、というのは何なのか。私にはそれがわからないので彼と同じフィールドにすら上がれない。研究も兼ねて何人かのサンプルに聞き取り調査を行ったり脳波を測定したりしたけれど特に何を解明できるわけでもなかった。好きな相手を考えさせた時と滅多に食べられない嗜好品としてチョコレートを食べさせた時はほぼ同じ結果になったし。数値だけで判断するならば、恋愛というのはそういった食事やランナーズハイとなんら変わりがない。なんなら無理矢理エンドルフィンを分泌させればいいし、麻薬でも大体同じ効果だ。大層気分が良いということはわかれど、私にはそこまでだ。仮に最高にキマった状態で彼へ好きだのとほざいてみろ、恐らく自分を実験台にするなとかで説教コースだ。フェネチルアミン誘導体でなく、他でもないランバネインでそんな状態になれたら良いのだろうけど……生憎、未だそこには至れていない。あと半年以内にそうなるような未来も残念ながら見えない。どうせなら遠征の間これを研究してみようか。いや、結局麻薬より安価な娯楽として世に出たうえすぐさま規制されるのが関の山だ。面白くはあるけれど。
「今回の遠征は特殊でな。お前が嫌うものになるだろう」
 私が嫌う?何の話だろう。雛鳥を玄界から拉致して国の礎にするなんてのは、それが最善の一手だからすることだ。私程度の頭から出るアイデアでどうこうできようものなら彼らは危険の伴う遠征には出る必要なんかなかった。というか彼は何が言いたい。私が嫌ったとて作戦は決行されるし、そんなのはやめろと私がこの場で駄々を捏ねたから中止にするほど彼も頭の茹だった馬鹿ではない。
「それは兵士に投薬して士気と戦闘力を上げる案より破綻してるの」
 彼らが何を画策しているかなんて、私の知るところではない。私程度に悟られるようならば敵にも見破られるだろう。
「あとあれ。火葬システムを利用した農作物の増収とか……ああ、無限増殖する変異体を使った食糧補給構想とか」
 今まで思いついたものの研究室からすら出してもらえなかったアイデアたちを羅列していく。良いアイデアだと思ったんだけどな、どれもメンバーの顔が赤くなったり青くなったり卒倒したり大変だったんだ。
「かもしれないな」
「そう」
 てっきり「いやそれよりは……」と顔を引き攣らせて言うと思っていたのだが。また言葉選びを失敗したか、本当に私のアイデアじゃ足元にも及ばないほど非道な作戦なのか。
「私が嫌うことで何の問題がある?」
「そんな家に入ることへの躊躇いは?」
 前提がわからず投げかけた疑問は質問で返ってきた。なるほど、至極真っ当な勘案だろう。いくら最上級の地位を得られるとはいえそれで罪の一端を担うことになるにならば躊躇する者もいるだろう。特に貴族は身内のステータスに敏感だし。
「無いね。毒を喰らわば皿までじゃないが……ここまで巻き込んでおいて逃げ道を作るのはちょっと陰湿じゃないかい?」
 彼らしくない言葉と話術だと思う。恐らくハイレインに言われたのだろう。秘密を共有した者が逃げ出しては困るので事前の承諾を得ようとしているのか。そんなことなら洗脳でもなんでもしてしまえば良いだろうに……まあ良い。作戦内容次第で尻尾を巻いて逃げ出すほど真っ当な倫理観やら感覚を持っていたら私は今頃、優秀な科学者として研究チームのトップにでも据えられていた。
「そもそも君、何があろうと逃がすつもりは無いと言っていたじゃないか。仮に私が逃げても追いかけて来るだろう?双方結末が変わらないならそれは無駄だよ」
 まあ彼からは逃げられないことがわかっている、というのもある。彼は随分頭の切れる男でパワーもある。それに加えて自分の持てる権力やらを全て駆使するのも厭わないタチだ。だからもし私が婚約を破棄するなり別の星へ逃げ出すなりしたとしても、結局はまた彼の隣にいることになる。なんてこういうのは全て私の妄想だから、悪しからず。彼のことだしもっと紳士的ではあるはずだ。
「それに。必要不可欠な作戦程度で君を嫌うんなら、あの晩その場で婚約破棄したさ。君の隣は居心地が良いんだ」
 彼は私を否定しない。それでいて才能があるからと遠ざけもせず、利用しようとやたら近づくこともない。家族以外では彼くらいしかその立ち位置にいないのだ。彼の用意する環境や境遇以前に、彼が近くにいると喜や楽といった感情が多くなる。人間誰しも引力のように周囲へ影響を与えるのだが、彼から私の場合は良いものしか与えない。なんというか、できることならば極力彼と近くにいたいと思ってしまうような。言葉や数字では表現しづらいが、そんな感覚が確かにあるのだ。
「そうか、そうか!」
 彼の返事がなかなかないことにまた言葉を間違えたかと不安になって見上げれば、彼はそう笑った。特に感情を見定めるのは得意じゃないけど、多分これは良い意味での大笑だ。
「いやあ安心した!そこまで聞けるとは!」
 彼の喜びように首を捻る。やはり私は試されていたのだろうか
「う、わ」
 ぐわん、と身体が揺すぶられる。彼に抱き上げられているらしいというのは比較的すぐ理解出来たけれど、何故いきなりそんなことをするのかというのはわからない。これが仮に恋愛に関する進歩だとしても、まだ手も繋いだことが無かったじゃないか!
「はは、続きは戻ってからだな!では行ってくる!」
 何が楽しいのか私を抱えたまましばらく笑った。すとん、と存外優しく地面に降ろすと彼は、そのまま遠征艇へと歩いて行く。一体何だったんだ、今のは。感情が昂るとそんな気分になるんだろうか?
「ああそうだ、クロンミュオン」
「何」
「お前が艇に設置していた観測機器の類は全て外しておいた!隊長の命令でな」
「……マジか」
 肩を落とす私に、ランバネインはもう一度行ってくる、と言った。ああもう、玄界の情報を仕入れたかったのになあ!

prev next

back
しおりを挟む
TOP



人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -