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「失礼、します」
 まったく、この屋敷は広すぎる。この土地が限られた星でここまで広大な家に住んでいるというのは権力の誇示であることに違いないのだが、ここまで広いと逆に不便ではなかろうか。私に与えられた客間から彼の自室へ辿り着くまで道を聞くこと数度。ノックをして重いドアを押し開ける。
 あの食事の後、泊まっていくよう言われてしまったのだ。時間も遅いし、とハイレインは言っていたが恐らく私に思考を整理する時間を与えているつもりなんだろう。彼と真正面から話し合うタイミングなんてなかなか取れないしありがたいことにはありがたいんだけど。誰かの思惑があれどなかれど利用できるものは利用しようと彼の部屋へ押し掛けている。
「悪くないな、サイズも丁度良いようで何よりだ」
 ランバネインが言っているのは私の服装のことだろう。急に泊まることになったのであちらに用意してもらったものだ。これまた手触りの良い生地でできたワンピース、ついでにレースも細やかなものが多用されており遠目に見ただけで高級ということがわかる代物だ。確実に既製品ではない上にぴったりのサイズであることには目を瞑っておく。本当に、この家は全てが規格外だ。そこらの貴族とはてんで比べ物にならない。吸い込む空気ひとつとっても数段上の生活に眩暈がする心地だ。あんな大浴場、大衆浴場であっても及ばないくらいだ。
「……単刀直入に言うけど。本当に私で良いのかい」
「悪い理由がどこにある?」
 マグカップ片手に彼は言う。さも当然、何の不審点がある、と言いたげなその挙動は流石、としか言いようがない。つくづく思うのだが、彼は自分の行動に凄まじい自信を持っている。いや、常に自信に基づいて行動しているらしいのだ。だから今回もそう。端から端まで彼がルールのようだ。
「確かに私の頭脳は有用だよ。だが婚約者、というと随分過剰じゃないか。養子とか……ベルティストン家お抱え研究者として雇うのもアリだな。兎に角、一夫多妻制の認められないこの星じゃ勿体無い戦法では?」
 貴族社会は常に火花が散っている。私の育ての親はそこまで権力闘争に興味がなかったから目の当たりにしたのなんて数えるほどもないが、会話する相手一人とっても格付けの対象となるような世界だ。そんな中で一番のステータスとなりうる婚約者なんて、もっと慎重に選んで然るべきだ。というかそのために皆、大枚を叩いて豪奢なパーティを連日繰り広げているのだし。彼ならば少なくともミラくらいの強さと家柄でないと釣り合わないだろう。私では階級が三つも四つも違っている。そもそもそれでも良い、と言わせるだけの私の魅力は頭脳しかない。特別見目麗しいわけでも家が鉱山を持っているだのというわけでもないのだ。
「……確かに私にとっては良いことばかりだ。私はかのベルティストン家の後ろ盾と財力により自由な研究を行えるし発言力も高まるだろう。だがここにランバネインのアドバンテージがあるのか?身を切ってまで国力の発展に貢献するのは良いこととしても……君ほどの家柄だったら結婚相手なんか選び放題だろうに」
「選び放題だからお前を選んだ」
 まるでこちらの会話がわかっていたかのように飛び出した彼の台詞に、ひゅ、と発するべき言葉を見失う。何を言っている。客観視くらい十分にできるが、どこをどう勘定したって私を選んだ方が得策だ、なんて解にはならないはずだ。彼の頭には致命的なバグでもあるのか?
「言っただろう、お前にすっかり惚れ込んでしまっていてな。その頭脳はもちろん、クロンミュオンという存在そのものを好ましいと思った」
 何を言っている。いつもより数十倍の速度で思考を繰り広げてもエラーばかりだ。私のどこが良いのだ。だって常に私は「頭以外は三流以下」だと社交会じゃ蚊帳の外だったじゃないか。興味本位で近付いてきた相手も曖昧に笑って去っていく。それが私だし、それが周囲の判断だった。勿論私はその扱いに疑問を抱かなかったし、それで良かった。私のことを他がどう扱い論じようと私には何も関係のない話。そんな奴らと無理に話を合わせるくらいならばトリガーと向かい合っていた方が、私にとってもこの国にとってもずっとマシだ。幸い育ての親はこの私を肯定してくれていたし、残念ながら貴族の花である政略結婚はしないと言った時もそれでいいのだと言ってくれていた。あの二人は優しすぎて貴族社会に向かないから、多分私の代で家がなくなっても良いとまで考えているらしいのだ。ベルティストン家に何やら恩があるようで財産はそちらに、と話し合っているのを聞いたこともある……いやまさかこんな形で縁が繋がるとは思っていなかっただろうが。閑話休題、思考が脱線を繰り返すくらいには正常に作動しない頭に半ば苛立ちすら覚えていた。このポンコツ、今に限ってマトモに動かないじゃないか!
「いや何、道理や打算だけでは到底理解できん直感だ!利口なお前にとっては理解し難いかもしれんが」
 何なんだ。本当に調子が狂う。情報から的確な判断を下す彼の口から出てくる言葉とは思えない。ロマンチックと戦闘狂が同居するなんて有り得るのか?
「……それはそうと、騙してここへ連れて来たことに対して非難の一つでもあると思っていたが」
「騙していた確信が?」
「半々だ。賢いお前のことだから全て理解していると思っていた一方で……なんだ、少し急いてな」
「む」
 現在進行形で彼の戦術に嵌っている。嵌ったことに気づいた時にはもう遅い。彼は、私が理解できないことを許せないと知っていてこう言っているのだ。そんなこと知っていたさと言わせたいのだろう。そうすれば私は納得していたことになる。そしてそこを指摘しようものならば「騙してまで私を婚約者にしたかった」という証左になるのだ。どちらに転ぼうが彼にとってはプラスでしかない。
「無論、お前には拒否権がある。損得勘定の上で一年待っても良いし、断ってもらっても構わん」
 この言葉だけ聞けばごく優しい譲歩的な提案だ。彼と結婚することで私が受けるデメリットはほぼない。寧ろ私に断る理由は無いのだ。躊躇っているのは彼のことが理解できないからだ。この男が、本当に恋だのという感情で動いているのか?何か裏があるのではないか?そう勘繰ってしまうくらいには都合の良すぎる話なのだ。
「ただこれだけは覚えておけ」
 ごく紳士的な言葉は至極攻撃的に締め括られる。
「俺はお前を逃す気なんかさらさら無い」
 ぎらりと光る金色の瞳は、まるで神代の怪物のようだ。逃げ場どころか、次に打つ手さえ封じられている――なんて、これから死ぬでもあるまいに、吊り橋効果さえも伴わない心臓の高鳴りに唾を呑んだのだった。

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