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「俺は彼女を娶ろうと思っている」
「ふむ」
「あら」
「…………え」
 食事の席。低温調理でじっくりと加熱された牛肉を切っていたナイフを取り落としかけた。彼、ランバネインの言う「彼女」とは私のことだろう。何せ彼の手はこちらを向いている。鳩が豆鉄砲を食ったよう、とはまさにこのことで、何故そういう話になっているのかがわからない。彼から食事に誘われたのは事実。そしてその場に家族を含む数人もいることに対しても了承していた。食事は一人よりも複数人の方が効率が良い。料理人のことを考えてそうなったのだろう。実家ではそれを考えて使用人も含めて大勢で食事をしていたし。それが私の紹介を主目的とするとは思っていなかった。そもそもこんな、結婚相手として紹介されてしまうとは。いや、確かに食事に招待されてそれが相手の家となるとそんなこともあるのか。世俗に疎いのが仇となったか。なんにせよ、予想だにしないこの展開に少々どころでなく、戸惑っている。こんな冷静な分析を展開してみてはいるが実際「それしかできない」状態なことが異常だ。普通なら大抵の言葉は適当にあしらっている。研究リーダーだかに揶揄されたときもここまで慌てはしなかった。
 そもそも、彼の家がここまで立派なものだったというのも知らなかった。立居振る舞いといい彼の話といい、かなりの家柄だろうなとは思っていたけれど、まさか四大領主の一角、ベルティストン家だとは夢にも思うまい。そんな家柄ならば危険な最前線なんかに出ないのが常じゃないのか。兵士になるのは中流から下流貴族の子らの役割ではなかったか。世間知らずがとてつもなく仇になっている。そりゃあかのベルティストン家、パーティに参列したことはあるけれど、私の家では顔がわかるほど近付けるわけもないしそもそも十年近く前の話だ。それに貴族の中では姓が重要視されるせいか名前はろくに聞かない一方で、日常では家柄に関係なく活躍できるように、と姓は使用されない。だから彼のこともただの一軍人だと思っていたというのはかなり悔しい言い訳だ。私がアンテナを張っていなかったせいだろうから。調べようと思えばいつだって全兵士職員のデータなんて手に入れられたわけだし。
「彼女クロンミュオンの噂くらいは聞いたことがあるだろう?」
「ええ。国立研究所の異端児、若き天才。ラービットの開発にも関わっていたかしら」
「すっかり惚れ込んでしまってな!そろそろ婚約者を見つけろと五月蝿い周囲も黙るだろう」
「そうだな。それはそうと同意の下ここに連れて来たか?」
「ああ。三日前に頷いたさ」
 私抜きでどんどん進む話に思考を続ける。彼が私に惚れ込んでいるなんて思いもしなかった。彼はそんな素振り見せていただろうか?確かに時間さえあれば研究所に顔を出していたしいろいろ意見はくれたけど……彼は根っからの武人なので例えば他の兵士や部下に対してもそれくらいやっているとばかり。どの分野においても才能あるものは育てなければならん、というのが彼の方針のはずだ。
 というか、私は彼のプロポーズを受けたことになっていたのか。三日前、と彼は言ったがあの早朝のことだろう。私が頷いたのならば彼の「百年後の夜明けを共に見よう」という言葉だが……これにそんな意味があったんだろうか。いや、聞き覚えのある言い回しだなと思ったことに違いはないんだけど。帰ったらとりあえず恋愛小説やドラマの類を見てみるとしよう。手遅れだってことはわかってるが、それはそれとして彼の発言の意図を汲めずに頷いてしまったことには自分で納得がいっていない。
「ランバネイン殿には良くして頂いてます。彼の話から着想を得て改造したトリガーも少なくありません。先日発表した蝶の盾の後続型もその一つです」
 とりあえず、私が黙ったままではまずい。ハイレインの目線はこちらを品定めするものではなく訝しむものに変わっている。と言っても彼の前で下手に口を開けば失言してしまうことはわかりきっているので、兎にも角にもこちらのフィールドの話をさせてもらう。社交としては平均点以下だが、この場においてはギリギリ合格点の最適解だろう。それになにも、嘘を吐いているわけではない。今述べたのは全部事実。それなのに嫌だ嫌だ、まるで蛇が獲物をじっとりと見つめているかのような視線じゃないか。ランバネインも時折こんな瞳をするけれど、ここまで生命の危機すら感じるもの(悪く言えば陰湿、だろうか)ではなく、縄張り争いをする肉食獣のような視線だ。性格の違いというやつか、よく似ているのにてんで異なる。つまりまあ、大変に居心地が悪いのだ。私だって決してただ食われるだけのネズミではないというのに。
「彼の存在は大変に有難い。彼の隣に居られれば私の幸福は満たせるだろうと思い、ここにいます」
 にこり。笑い方だけは上手になれない。そこそこの社交会に連れ出されたことはあるとはいえ、こういううわべだけの挙動は苦手だ。まだ年若い、という理由で見過ごしてくれないだろうか。くれないだろうな、彼の兄なんだからそんな甘っちょろい考えが通用するわけがない。ミラに対してもそれは同じ。さんざ国民から恐れられている彼女であるからなんて俗な考えじゃない。彼女だって相当な手練れのはずだ。ランバネインの口からも何度か聞いたことがあるし、その度に彼の表情は苦々しくなっていたので間違いない。
「まあなんだ。彼女の頭脳をうちに引き入れるのは悪いことではなかろう。先に他の家に取られては面倒だ」
 感情だけで色恋沙汰がまとまるような世界じゃない。政略結婚に陰謀にいろんな圧力が絡まっているのだから、メリット/デメリットで話を進めるのも有効打のはずだ。そもそもハイレイン(今思ったが、様とかつけたほうが良いんだろうか)が恋愛結婚を許すとも思えない。ランバネインは上手く話を進めている。いや、結婚することになっていたのは愚かこれが恋愛だということすら寝耳に水なのだが。
「わかった。ただし条件がある」
 少し考えてからハイレインは言う。私が仮に大衆喜劇のヒロインだったら愛を試す試練が与えられるし協力して乗り越えるんだろうけれど。無理難題の可能性もあるから身構える。どうしよう、それこそタイムマシンの実用化なんて言われてしまったら。
「結婚は一年後だ。それまで気が変わらないのなら好きにするといい」
「随分と易いな、良いのか」
「ああ」
 良かった、と胸を撫で下ろす。いや待て、私はほとんど勘違いでここにいるじゃないか。そもそも彼と結婚するということがどんなことか、想像はすれど覚悟ができていない。もちろん彼といるのは楽しいし、どうせ誰かと結婚しなければならないのなら彼が一番好ましいと思う。だがこれは私の願望というよりも目の前に現れた二択問題に過ぎないのだ。彼と結婚したいか、したくないか。結局はそこに収束するとわかってはいるが、それに至るには些か一足飛びだ。こういうのは多分、出会って数年が経過した男女が考えるもので……ああ、そういうことか。ハイレインはそれを見越している。私の咄嗟の話も見透かしていたわけだ。まあこれがバレないようであれば遠征を多くこなしてきた隊の隊長なんかやっていないだろう。
「わかりました」
 先ほどから黙っているミラの方を見る。にこりと笑ってみせる彼女は、こちらをどう思っているのだろうか。確かランバネインかハイレインと結婚することが決まっていると言っていたが……私が現れたことで少なからず影響を受けるのだから、嫌言のひとつでもあるのかもしれない。
「どうしたクロンミュオン、食が進まんか」
 ランバネインは普段よりも遥かに上機嫌で言う。この状況でお肉おいしー!なんて食べっぷりができると思っているのだろうか。いや彼ならするんだろう。彼からすれば好きな相手(にわかには信じがたいが私を好きだと言うのだから不思議だ)との結婚がほぼ確定した状態。それも相俟って最高の食事になっているに違いない。
「……いや、とても美味しい。ただ普段の食事よりも豪華だったもので驚いてしまい」
「そうか!気に入ったものがあれば言うと良い。すぐに作らせる」
 戦闘時以外にここまで嬉しそうな彼は珍しい。ハイレインとミラはといえば既に静かにカトラリーを動かしている。一応ものにしているとはいえ、周囲が所作一つ取っても完璧な空間というのは少なからず緊張する。彼にはありがとう、と告げてまた手を動かした。甘酸っぱいベリーソースがかかった牛肉のステーキ、付け合わせの蒸し野菜。これらがどれだけ高級なものなのかなんて、できれば考えたくないな、なんて考えていた。

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