(番外編)デイドリームトラベラーズ2



 元の世界に戻る手立てが全く思いつかないまま一週間が過ぎた。あまり見知った人に接触し続けるのはどうかと思ったが、生憎他に行くあてもない。未来での私と同様にギルドでの給仕をしながら生きていくことになってしまった。急いで戻るべきではあるのだが、それなりに情報収集に東奔西走しているものの本当に何も掴めないのだ。
 ただ、少しだけわかったことはある。この世界……過去におけるルールのことだ。私が干渉したものは元に戻る、ということだ。皿を割っても次の日には元に戻っていたり、幼いラクサスの傷を治したはずなのに傷が元通りになっていたり、とか。良くも悪くもこの世界で私が行ったことは無に帰すらしいのだ。少なくとも、私の行動が原因で未来が変わってしまうなんてことは起こらないようになっているようだ。あくまで全てが推測だが。
 他にも不思議な点はある。マグノリアから出られないのだ。せっかくだし、と故郷に行こうとしたことがある。何をしようと未来に影響がないのならば、もう既に無い街を見物したって問題がないだろうと思ってのことだ。マグノリア内でのヒントが見当たらなかったから、というのもあるのだが。汽車に乗ったまでは良いが、気付けば再びマグノリア駅に着いている。その上、時計塔に登っても遠くの街並みすら見えない。ぼやけていると言ったほうが良いか……あまりに不鮮明なのだ。やはりこの街に元の世界へ戻るヒントがあるということだろうと前向きに捉えるしかないのか。
「どうしたの?」
「うん? ああ、いや。ちょっと考え事」
 幼いラクサスは私に懐いてしまったらしく、こうやってよく話しかけてくるようになった。ギルドというのは大人ばかりの場所だし、比較的話せる相手がいるというのは嬉しいのだろう。まあ、彼も彼で引っ込み思案というか、誰にでもせっつくような子でもないようだけれど。
 それにしても、彼の幼少期がこんなに違っているとは。確かにこの頃から顔は整っているし、口数が少なめなところも変わらない。ここからあそこまで鍛えたんだろうか。それならすごい努力だな……いや。彼は魔水晶を埋め込んで滅竜魔導士になった第二世代。その影響も少なからずあるだろう。筋肉は微弱な電気で動くというし、副作用的に筋肉が増強される可能性もあるか。
「わ、それ何?」
「サマー・ディライト。ライムとザクロのソーダだ」
 幼いラクサスの前へグラスを差し出す。少し背伸びしたいお年頃だろうとノンアルコールカクテルを時々振る舞っている。芸は身を助けるとはこのことか。おかげで他のギルドメンバーからもそれなりの信頼は得ているし。まだ若いマカオさんにナンパされた時は流石に参ったけど。
「もう少し甘い方がよかったか?」
「ううん、大丈夫」
「そうか、それなら良か、……ッ」
 ぐらり。視界が揺れる。この感覚は、ギルドから過去へやってきた時と同じ。これで未来に戻れるんだろうか。依頼書が残っているはずだし、レビィやフリードが解呪してくれたのかもしれない。それなら良いのだけれど、と思いながら意識が消えていく。頭を押さえる私を見て焦る幼いラクサスを止める視界は閉じていった。
 
 ◇◇◇
 
「おい、まだか」
「……っあ、え?」
 目の前にいる少年はこちらを急かしている。金髪にヘッドフォン、右目を突っ切る稲妻のような傷。自己紹介をされずともわかる、彼はラクサスだ。少年、と表現したように、彼はあくまで十二、三の頃だろう。態度は私のよく知る彼よりも些か刺々しい。年頃特有のものだろう。そんな彼に、私は何を頼まれているのか。いや違う。今気に留めるべきは今は何年か、ということ。元の世界に戻ったと思ったのに、十年ほど進んだだけらしい。
「……ソーダで良い」
「あ、ああ。すまない」
 どうやら私はまだ、妖精の尻尾で給仕をしているらしい。タイムトラベルはまだ終わらないのか。それともこれは時間旅行ではない別の何かなのか。とにかく、怪しまれないようにただの給仕に収まるほかない。
「ハルジオンに行ってくる」
「……マグノリアの外に、出られるのか?」
「は?」
 彼は怪訝な顔をする。まずい、怪しまれないように、と言ったそばからこれだ。仕事に行くのだから当然ハルジオンに行くことができるに決まっている。では以前、マグノリアから出られなかったのは何だったのか。
「……私も同行して良いか?」
「ンでだよ……保護者同伴ってか」
「いや……ああほら。あそこは港町だろ。珍しい酒が輸入されるんだ」
 適当に誤魔化すが、彼は首を縦に振らなかった。周囲の反応を見るに、これが彼の常らしい。確かに彼は人付き合いがあまり得意ではなく単独行動が多かったと聞く。
「それオレが行こうとしてたやつ!」
 ギルドから出ようとしたラクサスへ声をかけたのは黒髪の少年グレイだ。時期的にはこのギルドに加入してしばらく経ったくらいだろうか。
「あ? 知らねェよ……」
 面倒臭そうにグレイをあしらうラクサス。そしてグレイの視線は私の方へ……ああまずい。私はハイティーンの見た目をとっているとはいえ、幼い頃からあまり顔が変わっていない。この時代のグレイも私のことを幼馴染のアルテだと気付いてしまうだろう。そうなるとこう、とてつもなく話が拗れるというか……。必死に言い訳を考える。
「次は譲らねェからな」
 予想と反して、グレイは私を一瞥しただけに留めた。寧ろただの通行人を見るような目付きだったじゃないか。
「あ、あの君。私に似た子に見覚えは無いだろうか。髪色とか」
 思わずグレイに問いかける。もちろん避けるべきだとはわかっているけれど、記憶喪失でもないのにグレイが私を知らないなんてことはありえないのだ。
「……いや? 初めて見る色だ」
「そ、そうか。人違いだったみたいだ、悪い」
 どうなっている。首を傾げて、演技でもなく心の底から私の髪色を知らないと言ったグレイ。どう考えてもおかしい。
 
 この世界は、本当にただの過去なのか?
 
 情報を整理する。
 時系列は過去である。ラクサスやグレイ、マスターの過去に接触した。少し大人びてはいるが、私がグレイの顔を間違えるはずがない。
 私が行ったことは影響を及ぼさない。皿を割っても、何をしても元通りになっている。
 そして最後に。マグノリアから出られなかった。ここが変なところだ。過去といってもその行動は制限されないはずだ。ある場所から出られず、マグノリアの外がぼやけていたのなら、ここは過去そのものではないのではなかろうか。例えば誰かが再現した過去のマグノリアとか。それならば世界を丸ごと複製することになるし、そんな大魔法を行使できるわけがない。あの呪文も無しに発動した魔法程度で。
 そもそも「過去に行く」なんてできるわけがないのだ。あの依頼書で発動するような魔法で過去に行けるのなら、人間はタイムトラベルを理想になんか据えない。世界を疑似体験しているだけじゃないのか。物体を質量のあるものとして再現するよりも幻覚を見せるほうがかかるコストは低い。つまり今の私は精神体だろうか。そして元に戻るとはいえこの世界の物体に干渉できるのなら、この世界も実態の無いものだろう。例えば誰かの思い出の中なんていう曖昧なものではないか。
 飛ばされる前をもう一度思い返す。私とラクサスが同時に依頼書に触れたことで魔法は発動した。彼が持っているときも、私が拾い上げたときも発動しなかった。つまり一番可能性としてありうるのは、ここがラクサスの思い出の中という線だ。
 そうなればある程度説明はつく。幼いラクサスの世界はマグノリアで完結していたから、私はこの街から出られなかった。少年になれば行動範囲も広がる。恐らく彼を追いかけて汽車に飛び乗れば無事ハルジオンに到着する。グレイが私を知らなかったのは、この頃のラクサスは「グレイにはアルテという幼馴染がいた」ということを知らなかったからじゃないのか。あくまでこの世界は彼の思い出。彼の知らないことは再現されないと考えるのが自然だ。
 じゃあこのままこの世界にいれば、いつか戻れるのではないだろうか。さっきみたいにいきなり未来に飛ばされて現在に追いつけば、もう思い出は存在しない。
 
 ◇◇◇
 
「そっちはどう? フリード」
「……残念ながら」
 いつも騒がしい妖精の尻尾ギルド内だが、今日は一段とざわめいている。というのも、S級魔導士であるラクサスがいきなり倒れたからだ。苦しむ様子もなかったし、意識がないだけで容態は安定しているけれど、あんまりにもイレギュラーな事態だ。それに加え同様の状態なのがアルテ。二人が倒れた近くに古代文字の綴られた紙が落ちていたというので、術式に詳しいレビィとフリードが対応に当たっていたのだ。
「仕組み自体は簡単なんだよ。ほら、前にあったチェンジリングのほうがずっとややこしかったの」
「効果も相手の心の中に入るというだけだ。この程度であれば半日以内に意識を取り戻すだろうが……」
 彼らは周囲を安心させるべくそう説明をする。大事ないのなら一安心だが、できる限り解決は早いほうが良い。二人とも口には出さなかったが、心の中というのは曖昧な世界だ。思い出を追体験するようなものかもしれないし、心象風景そのままの世界かもしれない。迷路のようになっていて抜け出せなくなった場合、或いは精神体が攻撃的であった場合が厄介だ。もちろん、ラクサスとアルテは互いに信頼し合っているギルドのメンバーである。そんなことはありえないはずだが。
「内側だけに鍵穴のある部屋みたいなものなのよねー。外側からはピッキングすらできないっていうか……その部屋がどういうものかっていうのはわかるんだけど」
「部屋を壊してしまうのは簡単だ。だが心だからな。どう影響があるか……くっ、オレがちゃんと注意していれば……!」
「内側からなら簡単に開くから多分大丈夫だよ。二人とも互いの心に長居するような人じゃないし」
「っそ、それはそう! そうなんだが!」
 そう会話するレビィとフリードに、ミラジェーンはそっとコーヒーを差し出した。ラクサスとアルテの二人は医務室に寝かせているし、ビックスローが見ているから問題ないだろうけれど。
「あんまり根詰めないようにね」
「うん、ありがとミラさん!」
 元気良く返事したレビィの隣で、フリードは未だうめきながら古代文字を綴っていた。
 
 ◇◇◇
 
 終わりの見えない洞窟に辟易する。
 太陽の光が射し込んでいるあたり天井に当たる部分をブチ抜けば外には出られるんだろうが……少々乱暴な気がする。そもそもここがどこかわからないのでそんな滅茶苦茶をやって取り返しのつかないことになる、なんて可能性も捨てきれない。
「あ?」
 と、どこからか足音が響く。笑い声も含む軽い音は子供のそれだろう。こんなところに誰が、とあたりを見回せば数メートル先を子供が横切っていく。おかしい、横穴なんか見えないのにどこから出てきたのか。まあ良い。ここが何か知っているかもしれないとその子供に接触する。
「おい、お前」
「なに?」
 振り返った子供は、飛び出た髪束をぴょこぴょこと動かしながら振り向いた。見覚えがありすぎるその動作に、一つの疑念が浮かぶ。今目の前にいるのは、どう見たってまだ幼い頃のアルテだ。だとすればここは過去、もしくは幻覚ありうるとすれば彼女の精神世界だろうかのどちらか。あの依頼書もどきによって発動した魔法なら、過去に飛ばすなんて大魔法は不可能。であるならば後者の線が強いか。
「出口はあっちだぞ!」
「あっ、おい!」
 少女はこちらの手を引っ張りながら正面を指差した。何が楽しいのか、にこにこと笑っている。そうか、彼女は笑うとこんな顔をするのか。やはり表情筋がマトモに動けばくるくると顔が忙しない奴らしい。ここはひとまず彼女に従うしかないか。彼女はあまり人を騙したり陥れたりするような奴ではないし、仮にここが彼女の精神世界なら尚更。
「……何だその目は」
「君は背が高いから、見晴らしが良さそうだと思って!」
「何が言いたい」
「かたぐるま!」
 にまーっと嬉しそうにする少女は断ったところで諦めそうにない。いや断れば素直に従うんだろうが、隙を見てこちらの身体をよじのぼってくるくらいはやりそうだ。この顔は絶対にやる。後々面倒なことになるのは目に見えているので、彼女のご期待に沿うことにした。
「うわ、わ」
 頭の上から彼女の高い声が降ってくるのは少し新鮮だが、この声ははしゃいでいるのか怖がっているのか。揶揄うように降りるか、と聞けば大丈夫だと言い張った。嘘つけ、声が震えてるくせに。
「道は」
「わかれ道までまっすぐ!」
 上機嫌そのものの声が頭上で揺れる。何だって子守りなんかしなくちゃならねえんだか。
 
「へへ。君は、夏のはじめの匂いがするね」
 しばらくはしゃぎ倒して疲れたのか、アルテはそんなことを言った。オレの頭に抱き付いて、髪に頬擦りなんかしているようである。何がしたいんだか。
「夏の初め?」
「うん。緑と、雨雲。好きな匂いだ」
 ふへへ、と気の抜けた笑いが聞こえる。常々抽象的な物言いをする奴だと思っていたが、この頃からだったか。そりゃあ治らねえよな、と適当に頷いた。
「オレは雷の魔導士だからなァ」
「雷の魔法かあ、かっこいいなぁ」
 何を思ってか、アルテはオレの頭を撫でながらそんなことを言う。いつもこれくらい素直だったら可愛いもんなのに。まあ良い。
「どっちだ」
 と、そんなことを喋っていたら彼女の言った通り別れ道に辿り着く。よくあるダンジョンのようなわかりやすい分岐だ。片や明るく広い道、片や暗く湿った道。ここが本当に彼女の精神世界ならば、正解は暗い方。いや、正しくは「出口は明るい方だが正解は暗い方」だ。単純にさっさとここから出るのなら出口へ向かえば良いはず。彼女もそれを許すはずだ。だが生憎、それは最善策ではない。アルテという女は、本当に望むことを表に出すことは滅多にないのだ。寧ろ希望が叶うことを本能的に忌避しているまである。心から欲しているのに、いざそれを与えられるとこんなもの自分にはそぐわないと突き返す。それがアルテだった。彼女も面倒な女だと自称していたがまさしくその通りだと思う。だが決して幸福を求めていないわけではないのだ。
「知ってるんだろ、君」
 とっ、と地面に降りた幼い彼女は、似合わない大人びた表情で言う。どうやらオレの考察は当たっているらしい。すぐに出るのならば明るい方へ、サービスしてやるのなら暗い方へ。
「君は素敵なひとだな」 
 頷いて暗い方へ一歩進めば、彼女は満面の笑みと共に言った。
「ここはお前の心の中で良いのか」
「うん」
「……お前は」
「君は勘が良いね、全部正解だよ」
 こちらの言葉を遮って彼女は手を振っている。自分の案内はここまで、ということだろう。案内らしい案内もされていない気がするが。何しろ彼女と出会ってからずっと一本道だったので。寧ろこっちが肩車してやったくらいじゃねえか。えへへ、と幼さの残る笑い声にこちらも手を振りかえす。
「私のこと、よろしく」
 その声に振り返れば、すでに彼女の姿はなかった。

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