(番外編)デイドリームトラベラーズ1



 思うに、私はまだ彼のことを知らない。
 例えば日常や戦闘中の癖とか、好きな食べ物とか、言葉遣いとかいうものはまだわかる。それは今から観察していけば良いし、変化していくものだ。けれど現在や未来でなく、過去はどうだ。私は彼に出会って三年くらい(年号だけで見れば十年といえるのだろうが)しか経っていない。彼の全てを知りたくて仕方がないというほど傲慢でもないけれど、好きな相手のことはできる限り知っておきたいに決まっている。決まっている、というよりも「相手の過去を知っておけば、相手のトラウマを刺激せずに済む」が正解か。あの男にトラウマなんてものがあるのかは不明だけど、まあ細かなものは誰にでもあるはず。つまり何が言いたいかというと、私は彼の過去をあまり知らないのだ。
 長くギルドにいる人、例えば同世代だとグレイやエルザなんかは、少年だった頃のラクサスを知っている。彼が破門される前であればルーシィやジュビアでも少しは。ここにどうにも凄まじい隔たりがあるらしく、再加入した彼というのは別人に近いらしいのだ。だからこう、私の理解は今の彼だけでは不十分な気がするというか。もちろん彼が話したくないのであれば聞かないけれど、そもそも彼はあまり喋る方ではない。どんなことだって必要最低限の言葉で済ませるような奴だから、面と向かって教えてくださいと言ったところで答えてくれるかどうか。グレイにも聞いたけれど、なんだかんだはぐらかされてしまった。タブーな話題ではないようだけれど、あまり場に出すようなものでもないらしい。
「君、落としたぞ」
 そんなことを考えながらラクサスの背中を目で追っていると、彼の手元から紙がひらりと舞う。ここはギルド内。カウンターへ向かうその足取りから、彼はあの大量のクエストを一度にこなしてしまうつもりなんだろう。普通依頼書って紙束にならないだろ。彼は立ち止まるが、依頼書はこちらの足元まで滑ってきてしまったので拾い上げる。
「……依頼書か? これ」
 確かに紙質とサイズ、体裁までもクエストの依頼書と相違ない。だが書かれている文字が全く意味を成していないのだ。それどころか、古代文字や異国の文字すら混ざっている。ギルドは誰でも立ち入ることができるし、誰かの悪戯だろうか。ミラさんは近所の子供が貼っていくことも多いって言ってたし。
「なんだそれ」
 彼は私の手から依頼書を受け取りながら首を傾げる。彼が取ってきたとはいえ、彼にも見覚えがないらしい。やはり紛れ込んでいたのか。比較的ちゃんとした彼が内容を見ないままで依頼書を取ってくるなんてありえないし。
「イタズラだろうな。こういうのいっつもどうしてるん、だ」
 彼が依頼書を掴んだ途端、ぐらりと視界が揺れる。ああまずい、これ古代文字が入ってるってことは呪術の類だったか。それとも。考えている暇はないのだけれど、指はもう紙から離れない。これ気絶するやつだ。何回か経験してるからわかる。見れば彼も同じような状況らしい。面倒なことに巻き込んでしまったな、と思いながら、案の定意識は消失した。
 
 ◇◇◇
 
「ここは……マグノリア?」
 ずきずきと痛む頭を押さえながら立ち上がる。幸いなことに見覚えのある街並みに一安心。さてはあの依頼書、空間転移魔法でも作動させるものだったか。私はマグノリアだから良いとして、もしも彼がアラキタシアあたりに飛ばされていたらどうしよう。いや、あんな無造作に貼られていたイタズラだ。せいぜいギルドの外に飛ばすくらいしか効果がなかったんだろう。一年前の戦で経験した空間転移は、もっとふわっとしていたような気もするが……あれは西の大陸一の魔導士によるものだったらしい。ずさんな魔法をイタズラに使われていたのだ。ギルドに戻ったら犯人探しでもしようか。
「ギルドは……っと」
 見たことのない店もあるから、ちょっと遠くに来てしまったか。まあ良い。カルディア大聖堂を基準にすればすぐに着くだろう。そう歩き出した矢先、目の前を横切った子供がずてん、と転んでしまった。五歳くらいの男の子だ。走っていたわけでもないのだが、マグノリアは石畳の街。躓く子供も少なくない。近くに親はいないようだし、他に人も見当たらない。擦り傷の手当てくらいは私にもできるしな、と子供に近寄った。
「君、大丈夫かい」
 うつ伏せになったままの子供を助け起こす。泣いてないあたり強い子らしい……まあ必死に堪えてはいるが。
「膝小僧擦り剥いちゃったな。治しとこうな」
 黙っている彼の膝に手を翳す。これくらいの軽い傷ならば一瞬で治せるようになっている。よし。
「魔導士?」
「ああ。まだまだ駆け出しだけどな。家まで送って行こうか」
 こちらを見上げる瞳は青。金髪に青なんてまるでラクサスみたいだな。今はあんなにいかついけど子供の頃は案外こんなふうにかわいらしかったのかも。なんて余計なことを考えながら男の子に手を差し伸べる。
「まだ痛いよな……おぶさるか?」
 男の子は素直に頷いた。ギルドに入ったばかりの頃は体力も筋力もなかったけれど今は違う。男の子一人を背負うくらいはどうってことない。流石にナツやエルザみたいに片手で荷物が盛りだくさんの荷台を引くなんて出来ないけどまあ、一般人よりはあるつもりだ。
「家はどっちだ?」
「家は向こう、だけど。家族がいるのはギルド」
 背中から男の子が指差したのは我らがギルド、妖精の尻尾の方だった。あの方向に商人や他の団体のギルドは無いし、彼も魔導士の家族なのだろう。あまり彼のような子を見かけたことはないのだけれど、メンバーの誰かの子供なんだろうか。ああ、こっそり親のいる場所に行こうとしてたとかだろうか。まあ微笑ましいじゃないか。
「ちょうど良い。私も向こうに用があってな」
 ふふ、と声色だけで笑って歩き始める。あのイタズラ依頼書のおかげで人助けもできたし、案外悪いことばかりでも無いらしい。
 
 ……なーんて思っていたのだけれど。
 ギルドの形が違う。ぱっと目に入った限りでも、ギルド内にいる面々のどの顔にも見覚えがない。掲げる旗も表記もどう見たって妖精の尻尾だ。私の記憶が確かならミラさんはパンケーキを焼いていたし、レビィは何やら魔導書を積み上げて頭を抱えていた。大樽を抱えていたカナも、グレイを模した人形を作っていたジュビアも見当たらない。まずい、これはどうなっている。並行世界は確かに存在して実際に行ったこともあるなんてルーシィが言っていたけれど、これもその類だろうか。いや、並行世界といえど我々と対になる存在がいるはずだ。おかしい。
「すまんな、迷惑をかけた」
「あ、ああ。いえ。ちょうど私もこちらに用があったの、で……」
 男の子と手を繋いで現れたのはマスターだった。そう、よく見知ったマスター・マカロフだ。どうしよう、ひとまずマスターに相談するか。いや、何故マスターだけが変わらないのか。
「ほれ、礼を言わんかラクサス」
「あ。あ……ありがとう、ございました」
 ぺこり。金髪の男の子はお辞儀をする。待て。今ラクサスと言ったか。この幼子が。同名異人か? いやマスターがラクサスと呼ぶのならば、この子は私のよく知るラクサスで間違いない。金髪に碧眼、特徴も付合するのだけれど……。
「ラクサス」
「そうじゃそうじゃ。ワシの孫での」
 ちと病弱じゃがもう魔法を使えてのぅ、とニコニコしながら喋るマスターにふと、嫌な予感がよぎる。
「あ、いえ。ええと……すみません、今日って何年の何日でしたっけ」
「今日はX768年の九月六日じゃが」
「違うよじぃじ、九月の七日だよ」
「そうじゃったそうじゃった!」
 そんな陽気な会話をする二人を前にして、眩暈がする。私がいたのはX793年。今からざっと二十五年前の話だ。天狼島のことも考えれば体感では十八年だがそんなことはどうだっていい。
「っそ、そうでした! 私よく日付忘れちゃって」
 はは、と笑い声を挟みながら言う。怪しまれちゃまずい。未来から来たなんて気付かれると厄介なことになる。
 というかあの依頼書は何だったんだ。仮にイタズラではないにしろ、タイムトラベルがあんな一枚の紙切れでできるとは思えない。事実。大魔闘演武の裏で行われていたエクリプス計画も大きな設備と多大な魔力を使った一大プロジェクトだったはず。
 いや今こんなこと考えても仕方がない。どうにかして元の世界、元の時間に戻らなければ。
 
 ◇◇◇
 
「ここは……」
 全く見覚えのない地形に少々戸惑う。さっきまでギルドにいたはずだ。それが何故か洞窟にいる。洞窟というよりは氷河をくり抜いたトンネルのような。僅かに透ける陽光が氷に乱反射してきらめいているせいで、幸い明かりに困りそうにはない。壁面に触れると確かに氷らしく冷たいのだが、不思議なことにただ歩いているだけでは寒さというものは感じない。情けなくも低体温症、なんてことにはならないようだ。
 ここに飛ばされる前のことを思い返す。クエスト受注のために依頼書をミラに渡す途中だった。それが一枚落としたとかでアルテに止められて……ああ。あのよくわからない紙のせいだ。依頼書に紛れ込んでいたらしいそれは、確か古代文字ばかり綴られていた。よくあるイタズラの類だと思っていたが、空間転移魔法だったとは。いや、あんな簡易式のものでそこまでの魔法が発動可能だろうか。まあ良い。ここで考えていたって解決するものでもない。あの手のものならフリードがなんとかしてくれるだろ。

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