(番外編)リターンストローク4



 夜更けにまた、彼を眺めている。ラクサスは修行のせいか以前より傷は増えたけれど、あいも変わらず綺麗だから、参ってしまう。
 こんな曖昧な関係、さっさとやめてしまわなければならない。わかっている。彼という素晴らしい存在が私という一点で汚されてしまうような、彼の評価を地に落としてしまうようなことは。そもそも私と彼じゃなくたってあまり褒められる関係ではない。不健全、というやつだろう。だけどあんまりにも、あまりにも彼が愛おしいから、毎度断れない。毎度求めてしまう。彼が好きだ。好きだからこの行為をやめなければならないと思うし、好きだから微温湯のように浸っていたいと思う。
「起きてんだろ」
 突然響く低い声にドキリとする。情事の甘さの残る声が頭をぐわんと揺らす。どう返事していいかわからなかった。ああこっちを向かないでくれ。君は眩しすぎるんだ。
「……ごめん」
 どうして謝ったのか自分でもわからなかった。思っていたより掠れていた自分の声に驚く。
「なあ、もうやめないか」
 口をついて出た言葉に自分でもなんて不器用なんだと思う。彼もまさかそんなことを言われると思っていなかったのか、こちらを向いてきょとんとした顔をしている。ああ駄目だ。ちかりとする瞳に射止められてしまったように動けなくなる。乱れた金髪が私の意志をぐらつかせる。
「勘違いしたくない。君みたいな素敵な人が、私なんか相手にするはず無いんだ。そんな価値無いから」
 苦しくて仕方がない。私を好きだと言った彼の言葉が嘘だと思っていない。けれど信じることができなかった。他でもない彼からの好意に一割の自分が浮かれれば、残り九割の自分がそんなのあり得ないと糾弾する。きっと夢でも見てるんだと毎度思って、毎度リアルな感覚に茹って。
「本当は。本当はさ、私、君のことが好きなんだ。恋をしている。でも私じゃ不相応だ。君には、つりあわないだろ」
 もう感情がぐちゃぐちゃで、どうすれば良いかわからなかった。だから彼の手を掴んだまま迷って、その手の熱を感じていた。
「悪かった」
 しばしの沈黙を挟んで、彼はそう言った。これで良い、これで良いんだ。元々高望みだった恋はここで終わり。私はただ都合が良くて長い夢を見ていただけ。
「お前は、綺麗だ」
「……は」
 何を言っているんだ、と思った。端から端までエリートの塊みたいなスペックをしておいて、端から端まで劣った私を綺麗だと宣うなんて。それだけに留まらず、彼はあらん限りの言葉を紡いでいく。氷みたいで好きだの、良い性格してるだの。そんな、あり得ない評価は私の耳を素通りしてゆく。受け入れられるわけがない。まだ夢を見てるんだと思ったのに、指先は彼の指先をじくじくと感じている。
「う、嘘だろ。嘘だって言えよ。まだエイプリルフールには早いぜ。だってほら、こんな、傷だらけで、表情だって無いし」
「それでも」
 お前が良い、と続いた言葉を理解できないでいる。は、と呼吸が詰まる。話聞いてないのかよとか、正気の沙汰じゃないとか、そんな罵倒が喉に引っかかったまま出てこない。勘弁してくれよ。眩暈がする。
「なんでそんなこと言うんだよ……私、こんなの諦めなきゃって、恋なんか私には無理だって、わかってるのに、」 
 そんなこと言われたら、期待したくなる。もしかしたら私は恋をして良いのではないかとか、愛されてるんじゃないかとか、そういう不埒なことを考えてしまう。イブさんとシェリアの言葉がぐるぐると頭の中を巡る。助けてくれ、と思った。キャパオーバーした頭からはきっと湯気が出ている。こんなにめちゃくちゃな感情をしていても涙すら出ない私を、どうしたって彼は好きだと言うんだろう。
「お前、なんでオレが好きなんだヨ」
「……君が強くて、綺麗だから」
「じゃあエルザも同じだろ」
「…………わからない」
「オレも同じだ」
 彼が何を言わんとしているか理解できない。いいや、わかるけれどわからないままでいたかった。彼はおそらく、好意に理由がないと言いたいらしい。何を根拠に好きになったとわからないから、彼が私を好きなのも正当化されるべきだと言いたいんだ。
「受け入れらんねえならそれで良い」
 ああだから。だからそんな愛おしげな目をしないでくれ。愛されているらしいという疑念だけで申し訳なくなって、内臓が全てひっくり返りそうになる。こうなってしまったら、彼の好意を受け止めない方が不遜だ。それでもやっぱり、私には受け入れるだけの容量が無い。例え彼が樽いっぱいの感情を抱いていたとしても私が持っているのはごく小さなカップなのだ。それ以上は受け入れきれない。
「あ、あの。時間が、かかる」
 怪訝な顔をするでもなく彼がこちらを見ているので、思わず俯いた。何を喋れば良いかわからなくなってしまうのだ。
「もうしばらく、その。片想い、させてくれないか」
 目を瞑って言って、恐る恐る目を開けた。彼はやっぱり呆気に取られた顔をして……ふ、と吹き出した。
「……ハハハハ! 笑わせるな」
「そ、そんなに、笑うことないだろ!」
 ま、まあ確かに少々、ロマンチックというか、頭に生クリームが詰まっているかのような言い方になってしまったことは否めないけど! これ以外にちょうど良い言い方も無いだろう、多分。私が知らないだけというのならこの笑っている君は用意できるんだろうな、と思ってしまう。
「良いぜ、いくらでも待ってやる」
 ぎらりと。捕食者の目をして彼は言う。揃いのはずの尖った犬歯が、こんなにもぞくりとするものだなんて思いもしなかった。遅れてやってくる恥ずかしさに、溶融けてしまいそうなくらい頬が熱くなっていた。

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