「アルテちゃーん、お手紙が来てるわよ」
マスター・ボブはこちらへひらひらと手を振っている。私宛てに手紙とは珍しい。研究所関連のことならば家に直接届くはずだし、ギルド宛てになっているということは私が
青い天馬に属しているということしか知らない相手ということ。不思議に思いながら受け取り、ピリリと封を開く。雨の匂いがする。ジュビアからの手紙だ。便箋はところどころ文字が滲んでいる。
「……マスター、急ですみません。ちょっと三日ほどお休みを頂いても良いですか」
手紙は、ジュビアらしからぬめちゃくちゃな文章で綴られていた。グレイがいきなりいなくなってしまったということ。予兆はあったのに止めることができなかったこと。どこを探しても見つからないということ。ひどく混乱しているんだろう。唯一行き先のわかる私を頼みの綱にしたのだ。グレイとジュビアはENDを倒すことを目的として共に行動していたはずだ。あのグレイが、ジュビアに何も告げずいなくなってしまうなんて。
残念ながら私にも心当たりは無い。あの日別れてからこっち出会ってもいないし、ジュビアのように手紙が来たこともなければ風の噂すら届かない。
「あら、急用?」
「ちょっと、友人が行方知れずみたいで」
とりあえず、ここからもジュビア達の生活する範囲からも遠い
蛇姫の鱗へ行こう。あそこにはグレイの兄弟子であるリオンさんも、ウェンディとシャルルもいる。もしかしたら何か知っているかも知れない。
「それは大変! こっちでも情報集めるわよ」
「ありがとうございます。元妖精のグレイなんですけど……」
魔導士ギルドという性質上、王国中に仕事へ行く。確かに皆に知らせておけば情報も集まるだろう。マスターへことの説明をしながら、ジュビアの無事を祈る。文面だけでもかなり憔悴しているようだったし、体調を崩していなければ良いのだけれど。
◇◇◇
「久しぶり、ウェンディ」
「あ……アルテさん
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」
魔導士ギルド
蛇姫の鱗。やっぱりギルドごとに雰囲気が違うんだな、なんて思いながらこちらを向いていたウェンディに声を掛ける。彼女は数秒不思議そうな顔をしてから、少し驚いた声を上げた。
「すみません、アルテさん大きくなってたから一瞬わかんなくて……」
「あ、ごめんね。最近はこの格好なんだ」
そうか。
妖精の尻尾にいた頃とは外見をかなり変えている。私としてはほぼ半年間この格好だったから慣れてしまったけれど、この姿になってから彼女の前に立つのは初めてだった。魔法で変形してるだけだからいつでも戻れると説明すれば何故か彼女はほっとしたような顔をしている。
「リオンさん、いる?」
「呼んできますけど……どうしたんですか?」
「グレイの居場所知らないかなって」
ウェンディにことのあらましを説明する。グレイのことは彼女も知らないということだったし、噂も聞かないという。
グレイのことだから、決してジュビアを蔑ろにするようなことはしないはず。もしも彼女に黙って去ってしまったのなら、彼女に危険が及ぶからとか、そういうどうしようもない理由があったに違いない。まあジュビアに言え、という話なんだけど……そもそもグレイはかなり一人で背追い込もうとするきらいがある。彼が危険な目に遭っていなければ良いのだけれど。
「すまないアルテ。こちらもグレイの話は聞いてないんだ」
「そうですよね……いきなり押しかけてすみません」
リオンさんは申し訳なさそうに言う。そういえば彼はジュビアのことが好きなんだったっけ。心配するのも当然か。
「こっちでも情報集めてみるね!」
リオンさんの影からひょこりと顔を出してそう言ったのはシェリア。確かウェンディの友達で、一緒に天空シスターズなんてアイドルもやってるんだとか。快活な彼女はどこにいても太陽のように周囲を照らすんだろう。深刻な悩みがあったとしても、彼女がいれば全て解決しそうだな、なんて思ってしまうくらいには。
「……ありがとう、シェリア」
「んーん、誰かの愛を応援するのは素敵なことでしょ?」
シェリアはそう微笑んでいる。彼女がよく口に出す「愛」が一般的な愛と同じなのかどうかはよくわからないけれど、とにかく素敵な概念であることは間違いない。
愛、愛かあ。少し考える。グレイがジュビアに向ける感情が愛ならば、ジュビアのための行動で他でもない彼女が傷付いているのは果たして愛なんだろうか。
「ねえシェリア。愛って何だろうね」
ふと、口をついて出ていた。
「相手の命を守るためなら、相手の心を痛めても良いんだろうか。何も言わずにいるのは愛なんだろうか、逆に相手を危険に晒したとしても全てを話すのが愛なんだろうか」
答えが出ないのはわかっている。そんなの、何百年も昔から哲学者が頭を悩ませてきた問題だ。けれど問わずにはいられなかった。グレイが何をしようとしているのかはわからないけれど、きっとジュビアのために黙っているのだと思う。グレイの気持ちもわかる。けれどやはり、ジュビアの気持ちも痛いほどわかるのだ。自分の知らないところで相手が危険な目に遭うかもしれないと、考えるだけで胸がつきつきと痛むのだから。
「あっ、ごめん。変なこと言って」
「ううん。えーっと。愛はね、相手を思う気持ち全てだと思うの」
シェリアはむむ、と難しい顔をしてから言う。
「でもね、相手を思うばかりに自分を悪者にしてしまったり、何も話さないのはちょっと違う……恋とかかな? 愛って、誰もが幸せになるものでしょ?」
呆気に取られてしまった。シェリアの回答は、ただ個人の思想に過ぎない。でもこれが真理だと思った。
「例えばウェンディが私のために、一人で戦ってたらとても悲しい。でも、危ないとしても言ってくれたら一緒に戦えるし、二人なら簡単に解決する問題かもしれないじゃない?」
「わ、私はちゃんとシェリアに言うよ?」
「ほんとかなあ、結構背追い込んじゃうじゃんウェンディ」
「そうね」
例え話といえど、シェリアとシャルルにそう言われて立つ瀬無しなウェンディはそんなことないはず……と少しだけ頬を膨らませている。そんな二人と一匹の様子に微笑ましい気持ちになりながら、彼へ想いを馳せる。
「とにかく! ちゃんと全部話すべきだと思うよ。まあ、どうしようもない時もあるだろうけど」
「シェリアも大人になったな」
「こ、これはあくまで持論だよ!」
しばらくきょとんとしてシェリアの言葉を聞いていたリオンさんは、そう言いながらシェリアの頭を撫でた。恥ずかしいのか、シェリアは頬を真っ赤にしている。ウェンディもその様子をくすくすと笑っていて、彼女は本当に良い居場所を見つけたんだな、と思った。
「これからどうする?」
「ジュビアのところに行きます。ちょっと心配だし……もしもグレイのことがわかったら、
青い天馬まで教えてください」
「わかった……必要だったら食糧も持っていって良い」
リオンさんの言葉に首を傾げつつ頷く。グレイがいなくなったらジュビアがどうなってしまうか想像したのだろう。最低限度の生活すらできていなかったらどうしよう、と考えるのは自然なことだ。
「お言葉に甘えます」
「じゃあまた遊びに来てくださいね、アルテさん」
「もちろん!」
そうやってギルドを出た後で、ああしまったウェンディにトロイアをかけてもらうんだった、と後悔する。駅のホームで気づいた時にはもう手遅れで。
滅竜魔導士として強くなると乗り物酔いが酷くなるらしいけれど、嬉しいような、悲しいような。
◇◇◇
「ジュビア、いる?」
「アルテさん」
手紙に記された住所を頼りにたどり着いた先は、土砂降りの雨だった。ジュビアの匂いが微かにする。そういえば彼女は元々かなりの雨女だったと言っていたし、それを当時敵対していたグレイが晴らしてくれたのだと何度も頬を染めて言っていたっけ。彼がいなくなって、彼女も気分が落ち込んでいるどころではないのだろう。ざあざあと降り止まない雨は、彼女の心の内そのままだ。
「ごめん、突然押しかけて」
「いいえ、良いんです……ジュビアもいきなりお手紙送っちゃったから……」
案の定彼女は憔悴しきっている。家の中も食べ物の匂いがしないし、彼女がきちんと生活できているか不安になってきた。リオンさんの予想は当たってしまったらしい。
「グレイのことは知らないんだ。
蛇姫でも話を聞いてきたけどわからなかった。一応皆に少しでも情報を掴んだら教えて、とは言ってるんだけど……」
「そうですか……」
より一層雨脚が強くなる。
「グレイは。多分意味もなくジュビアを置いていくような甲斐性無しじゃないと思うんだ」
ジュビアは自分の想いが一方通行だと思っているが、私は実際そうでもないと思っている。あの強くて優しい彼が涙を見せたのは他でもない彼女の前だった。グレイも、彼女のことを一番に気にかけていると思う。けれど。だからこそ、彼女のために行方をくらませてしまったんじゃないだろうか。
「でも何も話さないのはどうかと思う」
ぐす、とジュビアは啜り泣いている。彼女をこんなに泣かせてまでしなきゃいけないことって何なんだろうか。確かに彼はENDを倒すという使命を背負ってしまった。それでも、それでも。
「グレイ様、戻って来るでしょうか」
「戻ると思う。だって君がいるんだぜ」
「……そう、ですよね」
ジュビアはそう、ほんの少しだけ微笑んだ。やっぱり彼女は笑っていた方が良い。
「何かあったら、また連絡してくれ」
本当は彼女と一緒にいてやりたかった。もちろん、彼女がそんなに弱い女じゃないこともわかっている。でも、大事な人が、恋をしている相手が生きているかすらわからない不安を抱えたまま過ごすのはあまりにも苦痛だ。私程度の存在でそれが薄れるわけもないだろうけれど、一人と二人では大違いだ。
「はい」
こんな彼女を置いて、グレイは何をしているんだろう。少しでも情報が掴めたら良いのだけれど。