(番外編)リターンストローク1



 初めて彼女を見た時、氷のような奴だと思った。
 十歳をやっと過ぎたか、というくらいの見た目の彼女に抱くには少々そぐわなかったかもしれない。身体が氷でできていて表情も無く成長も止まっているのだと彼女は語ったが、オレが彼女を氷のようだと思ったのはそこではない。纏う空気、顔付き、その態度。精巧な氷細工のように燦めいて、凛としている。何度も言うが、当時の彼女は童女の外見をしていた。歳は十六といえど、女でもまして少女でもない。そんな彼女なのに何故か、心惹かれて仕方がなかった。世間的には可愛い、或いは美しいとされる奴もごまんといるこのギルドでどうしてだか、アルテという女に目を奪われてしまったのである。
  
 ◇◇◇
 
「君、宿無しだろ」
 カウンター越しにアルテは言う。魔導士ギルド青い天馬ブルーペガサスに加入して二週間あまり。やっとこのギルド独特の仕事(なのかはよくわからない)の回避方法を覚え始めた頃だった。オレよりも一週間ほど早くこのギルドに入っていたアルテはなんだか先輩風を吹かせている……ような気がする。もう遅い時間ということで客もいない。後片付けがてら氷をじゃくじゃく食べながら彼女は何故か上機嫌だ。
「何でお前がそれ知ってんだヨ」
「だって君、明日帰ってくる予定だっただろ?」
 残念ながら彼女の言葉通りだ。本来ならば明日まで仕事だったし、そのすぐ後に新しい部屋に入居する予定だった。それがあまりにも手応えのない依頼だったせいで早く帰ってくる羽目になっている。だが近隣の宿は軒並み観光シーズンとかで埋まっている始末で生憎の宿無し。このままギルドで時間を潰すか、それとも修行がてら他の街に行くか。まあこの時間じゃ汽車も動いてないか。とにかくなるようになるかと諦めて酒に浸っていたところだったのだ。それを彼女に見透かされているとは思わなかったが。
「フリードたちも別の仕事だって聞いてさ」
「ったく……」
 彼女はあくまで無表情だが、案外感情はわかりやすいほうだ。声色は簡単に変わるし、なんならくるりと飛び出たアホ毛が口ほどにものを言う。ちなみに今は「ニマニマしている」くらいだろう。
「ウチなら泊まって良いぞ」
「いやいい」
「即答かよ!」
 かちゃりとグラスを棚にしまいながら彼女の発した言葉に、素直に返す。いやそりゃそうだろ。泊まって良いと女に言われてそれは助かるとか返答する男の方がいろんな感覚が欠如してる。もちろん助かることは助かるんだが……それで頷くほど安い面子はしてない。
「んーむむ。困ったな。君に魔法見てもらいたかったんだけど」
「それが目的なら早く言え」
「ついでに言えば明日の夕飯奢ってもらえると嬉しいなーとか考えてる」
 畜生、こいつオレのことを見通してやがる。オレが好意をそのまま受け取るわけがないとわかって、こちらに大量の頼み事をする。そんな戦法を取られたらじゃあ仕方ない、と言う他ないワケだ。多分ミラあたりの入れ知恵だろう。
「…………昼飯も奢ってやる」
「やったー!」
 髪の毛がぴょこぴょこ跳ねる。全く、わかりやすいんだか何なんだか。
 
 
「適当にくつろいでてくれ」
 で。そう言われたのでとりあえずソファに腰掛けるが、案内された彼女の部屋はかなりアンバランスだ。一人暮らし用の部屋らしくあまり広くない。問題はその部屋に馬鹿みたいなサイズのベッドがあることだ。どう見てもキングサイズ。彼女であれば五人くらいは横になれそうだ。馬鹿か、馬鹿だろこいつ。
「なんだよその顔! ベッドはデカいと楽しいだろ」
「…………そうだな」
 飛び乗れるしこんなに転がれるんだぞ! と実演付きでやってみせる彼女に、ため息を一つ。妖精の連中よりは多少聞き分けも良心も落ち着きもある奴だと思ってたのは間違いだったらしい。年相応どころか若干幼くはしゃぎ倒すその姿は確かに微笑ましい。微笑ましいのだが。
「見てほしい魔法って何だ」
「あ、そうだったそうだった。ちょっと待っててくれるか」
 建前だったのかよ、と言いかけたのを飲み込む。彼女はたたたっと走って他の部屋に入って行ってしまった。
「どうだろう? やっぱり誰かに見てもらいたくてね。手足のバランスとか胴の長さとか変じゃないか?」
 そして一分も経たないうちに彼女はそう言って飛び出てきた。洋服が似合うかどうかを聞かれるかのような口ぶりだが、そこに立っていた彼女はいつもより背が伸びて顔つきも僅かに大人びている。思わず瞬きをした。
「そんなことできたのかお前」
「ああ。ガジルが腕を剣にしてたのと同じ要領でさ。まだ慣れてないんだけど……ほら天馬ってみんな背が高いだろ? こうしないと目立つし……見た目が幼いってマスターにも言われてさ」
 彼女はその場でくるりと一回転して見せる。随分とまあ美形に仕上がったもんだ。あのギルドにいても違和感のないくらいには。変なところがないか、と言われたのでじっくりと頭の頂点から爪先まで見るが……特に見当たらない。一点気になるとすれば。
「胸を作りたいのは山々なんだがいきなり胸を作るとな……バランスが取れなくてな……」
 こちらの視線で察したのか、はたまた一番気にしているところだからか。胸部を押さえながら言うアルテ。少女というよりも中性的であるが、問題は無いだろう。
「良いんじゃねェか? オレ好みだ」
「………………君も冗談言うんだな、驚いたぞ」
 へらりと笑って言えば、アルテは数秒フリーズした後にそんなことを言った。表情がないせいでわかりづらいが、実際飛び出たアホ毛で大体わかる。今回はかなり面食らっているらしい。というかもし表情があったらコロコロ表情を変える忙しない奴だったに違いない。
「ともかく助かったよ。見た目って誰かに見てもらわないとわかんないだろ?」
 アルテは隣に腰掛けて言う。以前より近くなった顔はこちらを見上げている。ああ困った。冗談のつもりだったのに、案外これは。
「……君、予後はどうだ。発作があるだろ」
 咳払いを挟んで、彼女はそう切り出した。彼女が言いたいのは魔障粒子のことだろう。冥府の門タルタロスとかいう悪魔のギルドとやったときに負った病だ。もちろん今こうして生きている以上なんともないのだが、時折発作として内臓がギチリと痛むことがある。まあ、それだけだ。しばらく耐えれば落ち着く程度のもの。
「ああ。バアさんとこで薬は貰ってる」
「本来その程度じゃ済まないんだぜ、それ。発作も常人なら気絶してるレベルだぞ」
 アルテのおかげでオレたちは一命を取り留めたんだと聞いた。血清ができるまで、戦闘の最中にも関わらず彼女が絶えず魔力を注ぎ続け魔障粒子の働きを弱めていたのだと。それを知った時既に彼女はギルドから姿を消していたので、そういえば礼を言いそびれていた。
「……助かった。命の恩人だな」
「は、話を逸らすなっ」
 頭を撫でれば彼女は両手を上げて抗議を現している。小動物か何かか、こいつは。彼女は撫でられる度にこんなオーバーリアクションをするもんだからつい飛び出た髪束を弄るように撫でてしまう。それに撫でやすい位置に頭があるのも良くない。
「それを言うなら私だって君に救われてるからな。おあいこだ」
 こちらの手を掴んでこれ以上撫でさせまいとしながら彼女は言う。恐らく天狼島でのことだろう。まあギルドは家族だし、当然といえば当然なんだが。
「というか……その。君には謝らなきゃいけないくらいで。魔力の供給、君だけ遠隔でも接触でも間に合わなくて……口でしたからさ」
「口?」
 首を傾げれば彼女は申し訳なさそうな声色で説明を続ける。どうしても魔力の供給量が足りず、唾液に魔力を含ませて経口で与えたのだと。今更そんなことを謝られても、というか謝る必要もない。その時はそれが必要だったんだろうし、そもそも悪いと思っていても口に出さなきゃいい。どうせ当時のオレは意識がなかったんだから、言わなきゃわからん話だ。
「わ、私がもっと鍛えてたらそんなことせずに済んだと思うんだ。悪かった」
「何か問題でもあるのか」
「も、問題って……そりゃあ。口と口だぞ。別に深い関係でもないのに」
「人工呼吸みたいなもんだろ」
「そ、そりゃそうだけど……私、心臓しか残ってないバケモノなんだぜ。表情もないし傷痕ばっかりで」
 飛び出た髪束もへたりと元気がない。別に気にしていないんだが、彼女は思うに自己肯定感が低い。自己犠牲のように見えるが、実際自分よりも他者の価値が高いだけだ。本人が気にするほど彼女は劣っていないし、存在を忌避される存在でもない。まあそう言ったところで彼女は納得しないだろうが。
「アルテ」
「うん?」
 隣に座った彼女の頬を掴み、こちらを向かせる。年相応の見た目になっているとはいえまだ小さく、片手で掴める頭蓋に不安な気持ちになりながら。その唇に噛み付いた。
 氷でできているという彼女の身体は、やはり常人より体温が低いらしい。ひんやりとしてかつ柔らかな感触がクセになりそうだ。熱い舌で不躾に小さな唇を辿る。融けてしまいそうで恐ろしい。嫌がりそうだと思ったが、存外素直に受け入れている。苦しいのか僅かに開いた口へ舌を滑り込ませれば、彼女は閉じかけた口を開き直す。どうした一体、お前らしくもない。てっきりお留守の手で抵抗されるとでも思っていたのに。バチリと視線がかち合う。エメラルドグリーンの、キラキラした瞳がこちらをしっかり捉えている。まさに氷だ。ウイスキーに浸るグラスの中で照明を乱反射する、あの輝きに似ている。
「これで文句は無ェな」
「馬ッ鹿じゃないのか、君!」
 口元を押さえながら彼女は言う。まずい、これはやりすぎたか。言ってもわからないのならば行動で示すのが一番手っ取り早いし、大義名分の伴わない行為をすれば、彼女の負い目もなくなるはずで。彼女が気にすると言うのならこちらから、と思ったんだが。少々手荒だったかもしれない。少なくとも目の前の少女については。
「……か、勘違いするだろ」
「何がだ」
「まるで君が。私を、好きみたいなこと、するなよ」
 しどろもどろ。彼女は大きな瞳を泳がせる。
「好きだと言ったらどうする」
「そ、んなこと。あるわけないだろ!」
 この時ばかりは彼女の感情が読めず暫し考えた。幸い、彼女はよく喋る。次の言葉を待っても悪くない……なんて、随分とずるい手段を取っている。
「君みたいに強くてかっこよくて、どんな相手もよりどりみどりみたいな奴が私を好きなんてありえないだろ それともアレか? 君、性的倒錯者か? こんな薄っぺらでみすぼらしい身体に欲情するなんざ可哀想にな!」
 そう来るか。彼女の必死の弁明を内心心待ちにしていたのだが、飛び出てきたのは賞賛とも罵倒ともつかぬ早口の台詞だった。
「へえ?」
 さも売り言葉に買い言葉を演じて掴んだままだった彼女の頬を圧迫する。睨み合いを続けるが、彼女は折れる気がないらしい。
 厄介な奴。オレが本心を告げたところで信じやしないし、かといって行動でもまだ信じない。絶対に自分は人に好かれないという自信があるのだから、逆に見上げた性根だ。もちろんこれは彼女のこれまでの環境によるものなのでじっくりと待つしかないんだろうが。彼女を融かしてやりたいのに、本当に厄介な奴。
 するりと彼女を抱き上げて、広すぎるベッドにとさりと置いた。先ほど彼女が飛び込んでいたが、確かにかなり上質なものらしい。
「本当に、可哀想な奴……!」
 アルテはこちらを見上げて、そう弱々しく吐き捨てた。

 ◇◇◇
 
 ふと目が覚める。
 広いベッドのいつもより左側に眠るのは、少しだけ不思議な感じがする。窓側を向く。いつもひとりのベッドに、今夜はふたりだった。彼も目が覚めてしまったのか、窓の外でも眺めている。ちょうど月光が差し込んで、彼の金髪がきらきらと輝いている。
 綺麗な人だ、と思う。
 彼のような大男に使うのはちょっと変かもしれない。けれど、がっしりとしてバランスの取れた肉体は彫刻のような筋肉がみっちりとついているし、整った顔は大きな傷が入っているのに逆に色気を醸しているし、暗く青い瞳は海の底のよう。私は鼻が良いのでわかるのだけれど、彼は魔法のせいで雷の匂いを纏っている。ペトリコールと焦げ臭さが共存するその匂いは、至極美しいものに思えた。彼はあんまりにも綺麗だ。だからこんな私が隣にいるのが、不思議に思えて仕方がない。
 彼は私に口付けをした。多分、きっと、私が経口による魔力の譲渡を行ったことを謝ったからだと思う。大義名分の伴わない戯れの行為をしてみせることで、魔力の譲渡を正当化させるために。或いは「この程度のこと」と思わせるために。どうしても抗えなかった。私は彼に恋心を抱いているらしいから。他でもない彼からの、親愛や恋を示す行為を拒めるはずがない。だからなされるままに受け入れたし、わからないなりに応じてみせた。けれどもやはり、彼は全てが完璧だったから泣きたい気持ちになった。彼は私なんかでなく他の、もっと素敵な人とこうあるのが良いのだと思った。彼が夜空で一等輝く星ならば、私はそれに焦がれる蛍に違いない。
 彼が私に好意を伝えたのは、実はこれが二度目だった。とはいっても一度目は大宴会の後だったし出会ってすぐのことだったし、何より揶揄っているような口調だったから世辞として受け取る他無いじゃないか。けれど今夜改まって面と向かって言われて酷く混乱した。そんなことあるわけがない。だって彼みたいな素晴らしい人が私みたいな不良品を。仮に私の身体に何もなければ彼の好意を真っ当に受け入れることができたんだと思う。ちゃんと表情があって魔法を使わなくても年相応で、傷ひとつない身体だったら。でも、残念ながら私の表情筋はまともに機能しないし誤魔化してやっとこの薄っぺらい身体だ。だから思わず彼を罵倒したのだ。いや、そんな軽口や冗談を挟まなければ到底耐えられなかった。すでに正常な判断を見失っていたとも言える。だって彼がそういう趣向であるとでも仮定しなければ彼の矢印を正当化できなかったのだ。
 流されるままの情事はあまりに甘美で、あまりに極上で、あまりに苦しかった。きっと夢なんだろうな、と思いながら与えられる快楽だけが現実的で。愛おしげな彼の視線が苦しくて目を閉じていた。でも断らなかった。たとえ欲求を消費するためだけだとしても、好きな相手から求められることは心地良かったし、快楽に抗えるほどの意志の強さもない。「行為の中だけでも彼に愛されている」という非日常は、溺れるくらい気持ち良かった。決して満たされてはいけないアンダーグラウンドな欲望が私を支配して、彼に愛されている錯覚で世界が眩んでいた。
 彼は月でも見ているんだろうか。此方を見ないでくれ、と思う。彼は例えば月のようなものに恋い焦がれるのがよく似合う。彼が焦がれるものなんてそんな手に入らないものしか似合わない。決して私ではない。私なんか視界にも入れずにいてほしい。私はそんな彼を眺めているだけで十分だった。確かに私は彼へ恋をしている。倒れた彼を隣で見ていてやっと思い当たった。でもこれは、例えばジュビアがグレイに抱いているような、或いは幼い頃の私が抱いていたようなものでは断じてない。あんなにきらきらしたものじゃない。表現するなら邪恋が良いところだ。恋は恋でも、道理を外れた恋。シーツの隙間を満たす彼の体温があまりに熱くて肌が焼けそうだ。まるで私への罰みたいだと、そう心の底から思っていた。

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