6-6 ギルドへ



「一体何だって言うんだよ……」
 何も理解できないのでとりあえずそんなことを一人呟いた。突然空が光ったかと思えば、テントの中から弾き出されたのだ。いや、瞬間移動させられた、と言うべきか。その証拠に立っていたままの姿で荒野にいるし、隣で寝ていたラクサスもそのまま地面に横になっている。ただ、他にテントの中にいた魔導士たちの姿は見えないし、逆にハルジオンにはいなかったはずの魔導士(紋章を見るに剣咬の虎セイバートゥースだろうか。あのギルドは確か北方の担当だったはずだ)の姿が見える。確かに空が光る前、地面から僅かに魔力の気配がしたがそれだけだ。まさか土地全体に魔法をかけるなんて大魔法を使える魔導士がいるとも思えないし、もしいるとしたらアルバレス帝国側だからあまりに気が滅入る。
「……何があった」
「目が覚めたか」
 ラクサスの声に安心する。あれだけの強敵、しかも二連戦だったことを考えるともう少し休んでいても良いのだけれど……ああいや。私が騒いで起こしてしまったんだろうか。それなら悪いことをした。
「ここがどこかわかんないんだよ」
「は?」
 まあそうなるよな、その反応で正解だ。私だってわけがわからない。気付いたらこの荒野にいるし、見る限り地形もおかしなことになっている。ハルジオンは港町だった。それなのに今どの方角を見ても海は見えないし、けれどハルジオンの時計台がすぐ近くに見えるのだ。
「他の皆は先にギルドに戻った。私たちも戻ろうと準備してたところにこれだ」
 幸い食糧や代えの洋服をかき集めた鞄は持っているから助かったものの、どこに向かえば良いかすらわからない。ウォーレンさんのあのレーダーやら端末があればよかったのにな。彼の横に座って、衣服を渡す。治療のためにボロボロだった服はすっかり破ってしまっていたのだ。まあ彼のサイズに合うかはわからないけど、無いよりはマシだろ、多分。
「君、大丈夫か。私も体力の回復はできないから……」
 彼は横になったまま。流石にまだ起き上がれないはず。それでも意地で起き上がりそうなのが彼だけれど。
『ギルドはここから南西の方向』
 頭の中に声が響く。聞いたことのない少女の声だ。彼の顔を見るに、彼にもこの声が聞こえているらしい。どこから、いやこれは誰だ。
「聞こえたか」
「ああ」
 彼にも心当たりは無いらしい。信じて良いのか、敵の罠ではないのか、という疑念が晴れない。そもそもギルドのあるマグノリアから南方へ移動したはずなのに、ギルドが何故南西にあるんだ。
『メイビスがピンチなのよ!』
 メイビス。初代のことを出されるとこちらとしては少女の言葉に従ってギルドへ向かわざるを得ない。アルバレス帝国……いや、ゼレフは初代を狙ってこの戦争を起こしているのだから。
『本当に初代の友達なのかよ』
「ガジル!」
 念話に突如入ってきた聞き覚えのある声に歓声に似た声が出る。ガジルが共にいるのならば、少女は味方で違いない。彼女の言った通り南西へ向かえばきっと、ギルドへ辿り着けるのだ。
「行くぞ」
「わかった」
 いざ南西へ。私は妖精の尻尾フェアリーテイルに加入して年数が浅い。それでも初代のピンチとあれば、自然と足が動いていた。絶対に間に合わなければ。
 
 ◇◇◇
 
「氷竜の咆哮!」
 まさかギルドに籠城されるとは思わなかった。どうやら地形を改変されたらしく、マグノリアのあたたかな街中にあったはずのギルドは岩山のてっぺんにまるで城のように聳えている。その周辺にはただ平地が広がるばかりで、しかもそこにはアルバレス帝国の無数の兵士が整列している始末。ただギルドに戻るのがこんなにも大変だと思わなかった。咆哮ブレスで兵士を薙ぎ倒しながら前進するも、数が多すぎるせいで焼け石に水。このままでは保たない。いくらこちらにエルザやラクサスなんていう一騎当千の魔導士がいるとしてもこの兵力差は覆らない。それに加えて兵士たちは痛みすら無視して進軍してくる。諦めてはいけないなんてわかっている。わかっているのに、心が折れかける。妖精軍師なんて呼ばれる初代の指揮があったとしても、これでは。
「なりません!」
 初代の声が響く。マスターに向けられたものであるらしいその声があまりにも悲痛で仕方がない。周囲の反応を見るに、マスターの発動しようとしている魔法は妖精の法律フェアリーロウ。レビィから聞いたことがある。確か、術者が敵と認識したものを広範囲に攻撃・無力化する魔法。そうか、そんな魔法があれば戦局は容易に覆る。けれど何故初代はそんなに焦っているのか。だってそんな魔法があればこんな状況。
妖精の法律フェアリーロウは対する敵が多いほど自らの命を削るのです!」
 そんな。じゃあ、こんな大軍相手に使ったら、マスターは死んでしまうじゃないか。でもそれしか手がないのだと皆わかってしまっている。けれど、私たちギルドの父であるマスターを喪うなんて選択をできるはずがない。どうにか、どうにかできないか。
 思わずマスターに魔力炉を接続した。消費されるのは術者の命であって魔力ではないかもしれない。けれど、どうにか少しくらい肩代わりできないか。私の命なら削れても構わない。マスターは、マスターは私たちの親だ。あたたかい家で私たちを見守ってくれる優しい父親だ。そんなことあってはならない。
「アルテ、やめろ」
 後方から飛んできたラクサスの声に振り返る。彼は私がマスターに手を翳しただけで私が何をしようとしているか理解したらしい。
「でも、っでも、マスターが、」
 彼の表情を見て確信する。一番辛いのは彼だ。肉親であるマスターが死のうとしているのを一番止めたいのは彼のはずだ。けれど彼はマスターの覚悟を見て、見送ると決めたのだ。だったら私が無様に縋っているわけにもいかない。ああどうして。どうして私は涙も出ないんだろう。泣く代わりに、マスターの周囲の敵を蹴散らした。これくらいでしか恩返しができなくてごめんなさいマスター。生き場所のない私を暖かく迎え入れてくれて、私の魔法を褒めてくれて。ありがとうございました。マスター。
「みんな、仲良くな」
「…………はい」
 瞬間、周囲が光に包まれる。なんてあたたかくて、なんて優しい光だろう。
 波が引いたように、敵の兵士は倒れている。ああ、ああ。これで良かったと思えない。生き残って嬉しい。みんなが無事で嬉しい。それなのに、それなのに。思わず脱力して座り込んだ。立ち上がらなければならない。まだ戦争が終わったわけではない。これを好機と進軍せねばならない。わかっているのに、身体が動かなかった。
 
 ◇◇◇
 
『アルテ、アルテはいるか!』
「ここに!」
 脳内に響く念話に声で返事をする。この声はウォーレンさん。その魔法と技術で戦況の把握を任されている彼からということは、この荒野の戦場ではなくどこか別のところで私が必要とされているということなんだろう。
『ここから東に行くと石造りの家がある! そこにポーリュシカさんがいるから向かってほしい』
『わかりました!』
 ポーリュシカさんは魔法が使えない。安全なギルド内で待機してもらっていたのに、どこかへ弾き飛ばされてしまったから適当な建物を医務室がわりにしているのだ。彼女は人間嫌いではあるけれど、私であれば良いと判断したのだろう。それに怪我人がいれば私も治療を行うことができる。
「っあ、?」
 駆け出したはずだった。足が動かない。いや、違う。抗いようのない感覚が全身を支配している。動け、動け。痛みではないのだから動けるはずだ。でも、これは。全身が融けてしまう。熱い。けれど不快ではない。寧ろ逆で、ああこれは、快楽。ドクドクと心臓が激しく脈打っている。倒れ込む。頬に当たる礫が痛いはずなのに、それよりも快楽の方が強い。腰あたりが甘く痺れる。頭の隅までビリビリと鈍っていく。肚の内側がびくびくと痙攣しているのがわかる。あの晩の数倍の快楽に飲み込まれてしまう。は、と呼吸が荒くなる。周囲のことを気に留める余裕すらないけれど、かなりの人が倒れるか膝をついている。まずい、まずい。立ち上がらなきゃいけないのに、どうしたってこんなに気持ち良いのか。このままここで全てを放棄して身を委ねてしまいたい。駄目だ。頬の内側を噛む。ずり、となんとか這って進む。擦りむいた痛みよりも、すでに快楽の方が大きい。
「……っは、はあ、戻、った?」
 どれくらいの時間が経過したのかわからない。びっしょりと汗をかいているが、件の魔法からは解放されている。何だったのだろう。これほど広範囲に、人間の根源的欲求に干渉する魔法が存在するということが恐ろしい。確実にこれが敵だというのだから、背筋が凍る思いだ。なんとか立ち上がり、東へ駆け出す。ポーリュシカさんのところに向かわねば。
 
 
「ちょうど良いところに来たわね」
「エバ!」
 ウォーレンさんに指示されたとおりに進み、辿り着いた建物の中。そこにはポーリュシカさんだけでなくエバもいたし、グレイとジュビアが横たわっていた。ウェンディの匂いがする。きっと彼女が手当てを行ってくれたのだろう。
「こいつらの手当を頼むよ。魔力消費が激しいからね」
「はい」
 ポーリュシカさんは私の魔法を理解している。傷の手当てはすでに終わっているから、魔導士の生命力となる魔力の回復を行わせたいのだ。本当はこのまま休ませてやるのが道理なんだろうけれど……すぐにでも回復させなければならないのがつらいところだ。でも回復しなくても彼らはきっと目覚め次第戦地へ駆け出してしまう。仲間のために命を張れるのは良いことだけれど、自分も誰かにとってその大事な仲間であるということを理解してほしいなあと思う。
 接続。魔力の供給はゆったりと行う。飢餓状態で大量の食べ物を与えると命に関わるように、魔力もいきなり大量に与えると身体が拒否反応を起こすのだ。グレイもジュビアも強敵と戦ったのだろう。腹部の傷が痛々しい。グレイは既に一度目を覚ましているみたいだけど、ジュビアはもう少しかかりそうだ。
「何これ」
「あの時と同じ光……」
 周囲が輝き始める。この光は、ハルジオンで見たものと同じ。どこかわからないところへ弾き飛ばされたものだ。それがもう一度起こっているようだ。まさかまたランダムな場所に送られるのでは
「マグノリアだ」
 目を開けてあたりを見回す。ここは路地裏だけれど、まっすぐ先に見知った時計塔が見える。それに街並みも、どこの通りかはすぐにわからないけれど確かにマグノリアだ。魔法が解除されたらしい。
 ずり、と壁を伝う音に振り返る。グレイだ。グレイが目覚めている。ここには私と彼しかいなかった。他の皆とははぐれてしまったらしい。
「グレイ、君はまだ動いちゃだめだ」
 傷は完治している。けれど蓄積した疲労は取れないし、痛みだって残っている。それに魔力だってほぼ空っぽのままじゃないか。今の状態で動くなんて自殺行為だ。
「アルテ」
 こちらに気付いた彼は一瞬だけ申し訳なさそうな顔をした。壁伝いになんとか歩いている状態の彼がどこに向かおうとしているのかはわからないけれど、こんな彼を進ませるわけにはいかない。彼の前に立ちはだかる。
「……ごめん」
「え」
 最初は、彼の力が抜けてしまったのかと思った。抱き締められているのだと気付くまで数秒かかる。囁くような彼の謝罪は一体何を意味するのかわからない。
「オレは行かなきゃならねえ」
 私にしなだれかかってやっと立っているのにグレイはそんなことを言う。声だって掠れている。でもやめてくれ、と言えなかった。彼はもう既に覚悟を決めている。
「……ジュビアを頼む」
 そんな切なく言われたら、彼を通さざるを得ない。彼が十分動けるだけの魔力を与えなければならない。幸い、接触面積が増えるほど効率良く魔力の譲渡ができる。抱き締められているのを利用して彼へ魔力を渡した。
 彼を喪いたくない。彼には幸せに生きていてほしい。私は彼がジュビアを愛していることを知っている。言葉や態度には出ないけれど、ジュビアへ向ける彼の視線が柔らかく優しいものだとわかっている。そんな彼が、ジュビアを頼むと言っている。彼は死ぬつもりなんだと思った。ここを通したくない。通したくないのに言葉が出てこなかった。
「ありがとう、アルテ」
 彼は私へ微笑んでいる。優しいところが彼の長所で、短所だ。あまりに優しすぎる。愛する人のために全てを捨てて良いと覚悟できる。マスターの最期を思い返している。ああ、私は。私は見送ることしかできないのだ。
「馬鹿……」
 やっと言葉が出た時には、既に彼の足音さえ聞こえなくなっていた。
 
 ◇◇◇
 
「アルテ!」
「シャルル……」
 ギルドへの道を一人歩くアルテに、背後から声がかけられた。まだ傷が癒えないのだろう、シャルルは飛ばずに地面を歩いている。
「グレイ、見てないかしら」
「…………多分、ギルドに行った」
 エバの声にアルテはそう、小さく呟いた。アルテは先ほどまでグレイと一緒にいた。彼女は本当なら止めなければならないのをわかって見送っている。
「アンタ、正気かい」
「どうして、どうしてグレイ様を止めてくれなかったんですか!」
 ポーリュシカさんからの静かで冷たい言葉を遮るように、ジュビアが声を荒げる。ついさっき目が覚めたらしく、グレイがいないことに大層焦燥していたのだ。しかも聞けば「今歩くのは自殺行為」なんて状態で。
「わかってたんですよね グレイ様が死ぬかもしれないって! いくら貴女の魔法があったってどうしようもないって!」
 ふらふらとしながらアルテに歩み寄り、その肩を掴んだジュビアの言葉にアルテは何も返せないでいる。ジュビアの怒りも最もだ。グレイは彼女にとって一番大事な人。そんな彼を死ぬとわかってみすみす見送ったとあれば、たとえ仲間といえどアルテにはそんなきつい態度を取らざるを得ない。
「私、私だって、止めたかった」
「じゃあなんで、」
「アイツだって、一番大事な君と一緒に生きていたいって思ってるんだ……でも、でもそんな未来を捨ててまで、他でもない君の生きる未来を選んだ、止められなかった」
 アルテは叫ぶ。彼女にとってもグレイは大事な存在である。もう彼以外に同じ街の生き残りはいない。唯一無二の幼馴染であり、今はギルドという同じ家に属する家族である。そんな彼が死んでもいいなんて、アルテには到底思えなかった。けれど、彼の覚悟を見せられてしまったら。あり得る未来を全て捨ててまで皆の未来を願われてしまったら。もう彼女にはグレイを見送ることしかできなかったのである。
「あんな優しい目で、ジュビアを頼むって言われたら、従うしか、無いだろ……」
「グレイ様……!」
 がくん、とジュビアは崩折れる。自分は愛されているのだとわかったからという以上に、彼の底無しの優しさを見てしまったからである。為さねばならないことがあるのなら、誰にも告げずに去ってしまったっていい。ジュビアのことなんか放っておいてしまったって良い。それなのにわざわざ、アルテに自分のことを告げた彼があまりにも、あまりにも哀しくて愛おしかったのだ。
「……とりあえず、ギルドに行きましょ」
 シャルルの提案に、ジュビアは泣きながら返事をする。もう戦争の終わりが近いのだとしても、どうしても受け入れられないことばかりだった。

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