6-5 彼女のヒストリア



「……気をつけろ」
 ピリ、と張り詰めた空気をいち早く感じ取り、ラクサスはアルテにそう声を掛ける。確かに嫌な空気がする。空気中に漂う魔力の質は明らかに異質。かなりの広範囲に渡る、まるで墓地の只中のような感覚にアルテは顔を顰める。ここハルジオンに残るスプリガン12はまだ姿を現さない一人。その一人の魔法だとすれば厄介だ。
 アルテとラクサスは先ほどスプリガン12の一角であるワールを倒している。その疲労はまだ癒えていない。外傷であればアルテの魔法で完治しているが、魔力も十分ではない。そんな状況でこの魔力を発するものを相手取るとなると骨が折れるどころの話ではない。
「おや。久しぶりですね、ザミェル」
「あ」
 背後から響く声にアルテの動きが止まる。この声を知っている。彼女の呼吸が乱れ、は、と短い息だけが溢れていく。彼女そのものが融解しているかのような冷や汗を流し、カタカタと震え出している。その様子にラクサスは疑問でしかない。エルザほどではないが、彼女はいつだって気丈な方だ。表情が変わらないせいもあろうが、声色も口調もどんな相手でも滅多に怯むことはない。どんな強敵であってもシニカルに煽り文句でもぶつけるのが彼女だったはずだ。そんな彼女が、何もできずに震えている。先までの戦闘でかなりのダメージを負っているとしてもそのせいではない。肉体ではなく精神が、完全に怖気付いている。
「いや、こう呼んだ方が良いですかね、百二十一番」
「は、はは……貴様、死んだと聞いていたが。どういうことだ、ドロシナ」
 振り返りながらアルテは言う。そこに立っていたのは白衣を纏った老人。人畜無害のような顔付きとは裏腹に、その言葉には残虐が覗いている。
 ドロシナとは、アルテで人体実験を行った張本人だった。彼女に滅竜魔導士ドラゴンスレイヤー化の魔水晶ラクリマを埋め込み、繰り返し魔力増大の手術を施し。けれどアルテが自らの魔力を隠蔽する魔法を実行し、それ以外には魔法を使う素振りを一切見せなかったため、子供を対象にした狂気の実験を行い続けたのだった。妖精の尻尾フェアリーテイルが依頼を受けた調査でようやく証拠を押さえたので、評議院に連行されていたと聞いていた。それが八年前の話。けれどアルテが天狼島にいる間に死亡したと聞いていたのだが、それが何故だかここに立っている。
 どういうことだ、とラクサスは立ち上がる。アルテが怯えているのは確かだし、件の魔力が目の前の老人からする。彼女が何もできないでいるのならばどうにかしなければ。けれど彼の歩みは止まる。冗談きついぜ、と思わず言葉が漏れた。そこに立っていたのは、その魔力量は。天狼島で斃したはずのマスターハデスではないか。妖精の尻尾フェアリーテイル二代目のマスターでありながら、闇ギルド悪魔の心臓グリモアハートのマスターとして立ちはだかった男。それがどうして、今ここにいる。あの男は既に、死んでいるはず。そうか、と合点が行く。アルテの言っていたように、今自分達の目の前にいるのは死者だ。死者が何者かの魔法により蘇り、今敵として立っている。ラクサスはそう納得して武者震いする。恐ろしい魔法を使う奴がいる。先程自分が戦った錬金術師がまだマシに思えるくらいだった。
「アルテ!」
 繋がっていたはずの魔力の接続が切れている。ほぼ無意識で行えるようになったのだと自慢げに語っていた接続ができていないということは、彼女にとってあの老人はかなりトラウマを伴うような相手だということだ。けれどアルテを助けられるほど、ラクサスの前にいる男は甘くない。
「既に死んだ奴を怖がってんじゃねえ!」
 ラクサスはアルテにそう告げて駆け出す。この場所で闘っては確実に彼女を巻き込む。彼女は戦闘どころか防御体勢すら取れない。
 は、とラクサスの言葉に我に返ったアルテはやっとの思いで立ち上がる。膝が震えて止まらない。けれど、ハデスを相手にしているラクサスを目にしたら立ち上がらずを得ない。早く援護に向かわなければ。そう思いはすれど、魔力炉の連結すら上手くいかなかった。
 ドロシナが既に死んでいることはわかっている。そもそも彼女は全て過去のことだと割り切っているのだ。それでも、それでも彼女の記憶から研究所の出来事は薄れてくれない。日々施される実験は決して痛覚のある生命体に行っていいものではなかったし、成果の上がらない苛立ちは全て暴力として彼女に向けられていた。魔法の使い方も覚え、幾たびの戦闘を乗り越えてきた彼女なのに、ドロシナのことが恐ろしくてたまらなかった。戦わなければならない。ここは戦場で、彼は死者であり何者かによる魔法に過ぎず、立ち止まっている暇なんかどこにもない。それなのに、彼女の頭は真っ白になる。殴り飛ばしでもすれば良いのに、一歩も動けない。
「お前のせいで悲しい獄中死ですよ、全く」
「それは。よかったな」
 こう軽口を叩いて見せるが、彼女の声は震えている。ドロシナは魔導士ではない。ただの研究者だ。彼女が一息咆哮ブレスでも浴びせればすぐに沈黙するだろう。そんなことはわかっている。精神と肉体と魂が全てバラバラになってしまったような感覚に、アルテは立っているだけで精一杯だった。
「馬鹿な奴だったよ、お前は。お前が素直に協力してくれれば」
「私程度でこの国はひっくり返せないぜ」
「お前一人の実験で済んだだろうに」
 ドロシナは言う。アルテが魔力の隠蔽さえしなければ、アルテ以外の子供に実験をするつもりはなかったのだと。お前が協力しなかったから、モルモットを増やさざるを得なかったのだと。ドロシナはアルテのことを理解している。彼女がどう言えば傷付くか、動けなくなるかを熟知した上で彼女を追い詰める。
「今からでも遅くはありませんよ、協力してくれませんかね」
 にっこりと笑ってドロシナは手を差し伸べる。
「簡単です。随分強くなったようですから……お前の魔法で妖精の尻尾フェアリーテイルの魔導士を消せ」
 表情とは裏腹にそう冷たく言い放つドロシナに、アルテは何も言えないでいる。そうして彼の手を取った。
「良い子ですね。ではまずあの男を」
 ドロシナの言葉が止まる。アルテに軽く掴まれたはずの手が動かないのだ。
「どういうつもりですか」
 パキ、と凍りつき始める腕に彼は焦りを顕にする。アルテはドロシナに逆らえない。それなのに何故、と攻撃を加えられているドロシナは焦りを見せ始める。
「家族を消せるわけが無いだろ」
「家族? そんなものお前にはいないでしょうに」
 声が震えたままのアルテは、ドロシナの手を離すことなく徐々に凍りつかせていく。ギルドがいかにあたたかいか、家族であるかをこんな奴に説明する義理もない。
「チッ……その魔法を授けてやったのは誰だと思ってるんですか! 百二十一番、私はおまえの弱点も知って」
「例えそこに恩を感じていたとしても、お前は家族の、敵だ!」
 胸元から拳銃を取り出そうとしたドロシナの全身を、アルテは即座に凍り付かせる。魔導士でもないドロシナに太刀打ちはできない。はーっ、と息を吐いて、アルテは心音を整える。身体の震えはやっと治りつつある。
「……連結ソイェディニャツ
「遅えよ」
 アルテは背後からの声に振り返る。そこには満身創痍ながら、やっと意識を保っているラクサスがいた。彼女が過去と訣別するよりも早く、決着をつけていたらしかった。
「すまない、援護にも回れず」
「……回復を頼めるか」
 ラクサスがアルテに言ったのはそれだけだった。アルテの過去は聞いている。けれどその全てを知っているわけでも、まして彼女がそれにどんな感情を抱いていたかなんて知る由もない。どんな言葉も彼女を慮ることはできない。であるならば、彼女にしかできないことを頼むべきだと思った。もちろん何も言わずとも、アルテは彼を回復させるだろう。それでも敢えて言葉に出して頼むことで、アルテの気を紛らわそうと思ったのだ。ギルドの仲間の家族として存在する自分を自覚させるのが一番だろう、と。
「ああ!」
 アルテはそう元気よく返事をして、彼へ駆け寄る。
 彼らを襲った魔法、屍のヒストリアはの術者であるナインハルトは倒された。すなわちハルジオンを制圧していたスプリガン12の三人は全て沈黙していた。ハルジオンは無事、奪還できたのである。
 
 ◇◇◇
 
「やっぱり、んぐ、グレイの氷は美味しいな」
 ハルジオン奪還作戦が無事に終了して。拠点とするテント内では怪我人の治療と僅かばかりの現状報告が行われていた。アルテとウェンディはスプリガン12との戦闘の直後だったにも関わらず、きりきりと治癒魔法を使用していた。それで、アルテは魔力源となる氷をグレイから作ってもらっていたのだ。
 じゃくじゃく、もぐもぐと氷塊を咀嚼するアルテに、ジュビアはじとりとした視線を向けていた。いくら戦闘の後だからってグレイ様に甘やかされるなんてずるい! そんなことを考えているのだろう。実際さっきまでは手ずから食べさせてもらっていたいわゆる「あーん」をされていたのでそれよりはマシなのだけれど! という温度にして四十二度くらいの嫉妬を渦巻かせているのだった。
「お疲れさん」
「んーん。全部ラクサスだぜ」
「それでその怪我になるかよ」
 その怪我、とグレイは指摘したものの既にアルテの身体は元通りだし、外見も年相応のそれにきちんと仕上げている。けれど彼女の衣服はその戦闘の激しさを物語るようにほとんど焼け焦げている。焦げているということは彼女の苦手な炎属性の攻撃を浴びたということで、すなわちその下の肉体も無事ではなかったということだ。グレイとしてはアルテもきちんと戦えるようになって嬉しい反面、いくら戻るからと言って無茶はしてほしくなかった。
「そうだ、オレたちは今からギルドに戻るが……お前はどうする?」
「もう暫く残る。ラクサスの目が覚め次第一緒に戻るさ」
 ラクサスは未だ眠っている。スプリガン12の後に死人といえどかのマスターハデスを相手にしたのだ、無理もないだろう。ラクサスの魔障粒子はワールの手により消去されたとはいえ、まだ不安が残る。それに彼はまだ魔力も回復しきっていない。ラクサスは強いから一人でいるときに敵に襲われてもまあ心配ないだろうけれど、どうしてもアルテは彼が心配だったのだ。まあ本人に言えば「まず自分の心配しとけヨ」なんて言うんだろうけれど。
「わかった。ギルドで待ってるからな」
「もちろん」
 グレイとアルテはこつん、と拳を突き合わせる。あまりにも仲睦まじいその様子に、ついにジュビアは声を上げた。
「ずるいです! ジュビアも!」
「こ、こうか?」
 しかしジュビアが何故声を荒げるかわからなかった二人の前では無意味だったようだ。首を傾げながら突き出されたアルテの拳にぷくうと頬を膨らませて、それからしぶしぶ彼女もまた拳を突き合わせたのだった。

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