5-3 追憶



「っあ、あれ?」
 床に飲み込まれたはずだった。誰かが術を解いたのか、動けるようになっている。いや、それだけじゃない。宙に浮かんだ要塞の中にいたはずなのに空が見える。冥府の門タルタロスのギルドが破壊されている? 現状把握が追いつかない。ひとまず、ラクサスたちのカードが無事であることと魔力のパスが未だ繋がっていることを確認し、グレイと顔を見合わせる。
「ルーシィが近くに……血の匂いもする!」
「どっちだ!」
 目の前の正体不明の敵よりも味方のピンチを優先すべきだ。駆け出せば、ガキン、と金属のぶつかり合う音が聞こえる。ガジルだ。ひとまずは大丈夫か、いや。先ほどまで戦っていた髑髏面の姿が見えない。まずい、と思った矢先。水飛沫が見える。
「ジュビア!」
 やっと彼女たちの元へ辿り着く。ルーシィはほぼ意識がない。ひとまず火傷の治療を行わなければ。ルーシィに手を翳したところで、視界に、ここに到底いるはずのない人物が映る。
 あの氷を使う魔導士は。黒髪に、鎧を纏った男は。
「アルテ!」
 ナツの声に我に返る。背後からの炎を、ルーシィを抱え込んで転がり、すんでのところで回避する。いけない。ルーシィの治療に集中しなければならない。冥府の門タルタロスの、幹部らしき人物が四人も集結しているのに、そんなことできるのか。やらなければならない。褐色肌の男からは、僅かに魔障粒子のあの嫌な匂いがする。あいつを倒せば血清を作れるだろうか。意識を割く先はたくさんある。それなのに、それなのに。あの男が気になって仕方がない。敵として私たちの前に立ちはだかっている、黒髪の男。私は彼を知っているのだ。
 ナツとガジルの指摘も最もだ。グレイとあの男の匂いが似ているのは当然。だって、だってあの男は、あの人はグレイの父親だ。
 優しくて、頼もしくて。そんな憧れの父親だった。そんな人がどうしてこんなところに、どうして冥府の門なんていう闇ギルドなんかにいるのか。いいやそもそもグレイはあの街唯一の生き残り。両親とも死別しているはずだ。動揺が手の震えに出る。
 あれが自分の父親であるとグレイもわかっているだろうに、彼は黙ったままでいる。匂いや思い出なんてそんなもの以前に、あれは紛れもなく彼の父親なのだ。戦ってはいけない。何があってこんなところにグレイのお父さんがいるのかはわからない。それでも、駄目だ。
「グレイ!」
 思い付くが早いか、グレイと彼の父親の間に立つ。自分が数人分の命を背負っていることも忘れて、本当に愚かだと思う。それでも、そうせざるを得なかった。
「っあ、ぐ……!」
 グレイの父親が、シルバーが。グレイに向かって突進を仕掛けた。彼をどこかへ連れ去ってから闘うつもりだったらしいが、そんなことは予期できない。彼と父親が争うなんてあってはいけないと立ち塞がった結果、どっ、と脇腹に衝撃が走る。遅れて風が起こり、横髪が靡く。スローモーションの世界で男の顔を見る。意外にも動揺が見えるその顔は、まるでお前まで攻撃するつもりはなかったと言っているようで。ああやっぱりあの人は。
「は、……!」
 遅れて激痛が走る。まずい、腹部の右側三分の一ほどが削れている。がくんと視界が揺れ、ああ、右の腿も割れているじゃないか。
「アルテさん!」
「大丈夫、大丈夫だ!」
 急いで崩れた右脚を拾い、接着する。多少削れたところはあるが歩けないほどではない。脇腹も氷に変化させ、痛覚を遮断する。こうすればまだ、なんとかなる。フーッ、と息を吐く。
連結ソイェディニャツ……!」
 グレイと魔力炉を繋ぐ。繋いだ直後に彼はシルバーと消えてしまったが、まだ魔力の繋がりはある。そこまで遠い場所ではないらしい。それに、こうしていればある程度の状況は察知できる。
「すまない、援護は。できそうにない」
「問題無ェよ」
「ルーシィを頼んだ!」
 万全の状態であれば彼らの援護と病人への魔力供給、ルーシィの治療を並列で行えただろう。けれど、さすがに今回ばかりは難しい。氷でできているからいくら削れようが無事なはずなのに、頭はぐらぐらするし視界は霞んでいる。バケモノならもっとバケモノらしく振る舞えよ。けろりと立ち上がってみせろよ。脳内で鼓舞するも、現実はそう上手くいきそうにない。
「アルテ、あんた……」
 呼吸がままならない。息も絶え絶えのルーシィに心配されるようでは世話ない。私が彼女を治療する役割だというのに。
「ふ。心配するな。私は丈夫だからな」
 空元気でそう答え、彼女の肌を手でなぞる。手元がおぼつかないが、外傷を治療するくらいはできそうだ。皆が頑張っているのに、私だけ無理をしないわけにはいかないだろ。
「アルテさん! ルーシィさんを連れて避難してください!」
「わかった」
 ルーシィに手を差し伸べる。こんなところで動けないままでは戦闘の邪魔になるだろう。
「アルテ。あたしは大丈夫……っていうか動けそうにないんだ」
「肩を貸す、ルーシィ」
「いいの。あんた、ラクサスたち連れてるんでしょ? 早く休ませてあげて」
 胸元を指差してルーシィは言う。そう言われては仕方がない。幸い、彼女の治療は完了したし、あとは体力と魔力が回復するのを待つだけだ。そんな彼女の手をとって、ぎゅうと握る。
「……少し。魔力を渡しておく」
「うん、ありがと」
 微笑むルーシィに、ああやはり彼女の笑顔は人を安心させるんだなと思う。自分もせめてこの顔くらいはできたら良いのに。
「その男が、ラクサスたちをやった奴だ! 倒したら私のところまで血を頼む!」
「おう!」
 そう言って戦闘から離脱する。できるだけ他のギルドメンバーのいる場所へ、そして敵の少ない場所へ。すん、と鼻を鳴らす。誰かの匂いがしないか。できれば開けた場所の方が良い。とにかく五人を寝かせてやれる場所。ふらふらと足元までおぼつかない。くそう、しっかりしろポンコツ。こんな程度で動けなくなるなんざ情けないだろ。
 ぐらり。倒れ込んでは拳を握り締める。木の根に躓いたか。それにしてはおかしい。違う。これは、魔力が。
「グレイ、お前」
 魔力炉が悲鳴を上げている。彼が全ての魔力を賭けて、何かしらの魔法を発動しようとしているのだ。やはり父親と闘っているのか、という悲しみだけではない。氷属性で、ここまで魔力消費の大きい魔法といえばもう一つしかないじゃないか。
絶対氷結アイスドシェル……」
 駄目だ、駄目だグレイ。その魔法は命を犠牲にする。そんなことしていいはずがない。畜生、彼の元へ駆けつけるだけの脚が、魔法が、翼があれば。念話でも何でも良い、彼に言葉を届けるだけの手段があれば。その全てがここにない。私には備わっていない。そんなことするなと呟くことしかできないでいる。私は無力だ。本当なら私は殴ってでも彼を止めなければならないのに。
 地面に爪を立てる。悔しい。私には何もできやしない。このまま、どうにか彼がそんな手段を取らずに済むように祈ることしかできない。ギルドの仲間を探すという自らの使命さえ疎かにしてなお、それしかできない。
「あ、れ」
 フッ、とグレイの魔法が中断される。良かった、良かった。私は彼を失わずに済む。彼が未来を生きていられる。
『大丈夫か』
 やっと立ち上がった私の脳内に声が響いた。
「グレイの、お父さん」
『ああ』
 やっぱり。念話の相手はシルバー……グレイの父親だ。どうして彼が生きているかはわからないけれど、そんなことを聞いている暇は無さそうだ。
『悪かった。お前まで傷付けるつもりはなかった』
「大丈夫です、グレイに補ってもらえますから」
 そう答えると、グレイのお父さんは少し寂しそうに笑ってから黙ってしまった。もう時間がないのだろう。わかっている。彼はもう、とっくに死んでいる人間のはずだ。
『……グレイと、仲良くしてやってくれ』
「わかってます、わかっています」
 念話だというのに夢中で頷いた。あの人の優しさを知っている。本当は私に話しかけている暇なんか無いはずだ。私を攻撃したことだって気にしなくたって良かったんだ。敵と味方に分かれていた以上仕方のないことだし、そもそも私が勝手に間に入って勝手に傷を負っただけ。
 じゃあな、アルテちゃん。それを最後に念話が切れる。そんなこと言わなくたって良かった。本当に優しすぎる。親子揃って、どうしてそんなに優しくあれるのか。
 立ち止まってはいられない。私は私の任務を思い出すべきだ。皆の匂いを辿れ。僅かでいい、誰かの声を拾え。
「いた」
 息を一つ吐いて、たっ、と地面を踏む。駆け出す。敵の気配は近くにない。あそこまでいけば皆がいる。やっと彼らを寝かせてやれる。
「う、あ……っ水
 二歩目を踏み締めると同時に、ざぱりと波に飲まれる。ジュビアの魔法ではない。ごぽり。口から息が漏れた。まずい、溺れる。焦れば焦るほど身体は言うことを聞かなくなり、水を嚥下した途端、意識は消失した。

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