5-1 治療と劣情



 大魔闘演武が終わってしばらくして。
 竜の襲来やら王国一位になったざわめきもかなり落ち着き、ギルドは普段通りの騒がしさに戻っていた。皆それぞれでクエストを見つけては仕事に出ていたし、特に大魔闘演武に出ていたメンバーについては名指しの依頼が来ることもあった。七年前よりも遥かに忙しいのではないだろうか。と考えるアルテも、今日やっとマグノリアに戻ってきたのだった。今回は一人でのクエストだったけれど、首尾は上々。この調子ならもっと他のクエストもこなせるかもしれない。自分の人間離れした異常性を役立つものとして認識するためにも、アルテは魔法の研鑽に精を出していた。
 今日はクエストクリアの報告だけで済ませようか、などと考えながらギルドへと到着したアルテは、底知れぬ不安感に襲われる。例えるなら交通事故の現場のような、悲惨さの伴う声の数々。怪我人でもいるのか、と人だかりをかき分けて医務室へと急ぐ。大事なければ良いが、と虫の知らせのような心のざわつきを殺すように奥歯を噛む。
「アルテさん! 良かった、今すぐ治療をしなきゃ」 
 ウェンディの声が響く。彼女はアルテと同様、回復魔法を使える。そんな彼女がアルテの帰りを「良かった」と言ったのは、きっと彼女だけではどうしようもなかったから。余程の重傷か、未知の症例か。そんなわかりきったことをじっくりと分析するくらいには、アルテはこの光景の認識を無意識に拒んでいた。ベッドに横たわっていたのは。ぐらりと目眩がする。駄目だ、一番そこに似合わない奴らじゃないか。
「フリード! 何があった!」
「おい落ち着けアルテ!」
 グレイの静止も聞かず、アルテは唯一意識のあるフリードに縋り付いた。普段は静かな医務室もこのときばかりはざわついており、そんな中にあってもなお、彼女の声はあまりに悲痛に響いていた。ベッドに横たわっているのは五人。フリード、エバーグリーン、ビックスロー、ラクサス、そして元評議院でマスターの知り合いであるヤジマ。全員が全員、彼の経営するレストランで冥府の門タルタロスを名乗る者から襲撃を受けたらしかった。
「……っ、魔障、粒子だ……! ラクサス、が酷い、治療、を……!」
「魔障粒子……!」
 息も絶え絶え、自らも瀕死であるというのに、ラクサスの治療を優先させるようフリードは吐き出すように言葉を紡いだ。それに対して普段は表情どころか顔色も変えないアルテが、つぅと冷や汗を垂らしている。
「……ウォーレン、さん、ジェットさんに。魔障粒子だと伝えて、はやく、」
「お、おう! ……おいジェット! 今どこだ? ポーリュシカさんは
 意識不明の患者がいるというだけで詳細を聞かず、神速のジェットはポーリュシカの元に向かわされていた。アルテの指示に従い、ウォーレンはジェットへ念話を繋ぐ。
「治療を、行う」
 ふらふらと今にも崩折れてしまいそうに虚ろなアルテに、周囲は何も言えないでいる。
「……いいか、ポーリュシカさんを呼んだ。絶対に助かる。頼むから諦めるなよ」
 アルテの言葉に、フリードはゆっくりと頷き目を閉じた。魔障粒子に侵された場合、体内の魔障粒子が魔力を汚染するよりも早く、大量の魔力を注ぎ込む治療法がある。原始的で効果が薄い、けれども現状ポーリュシカが到着するまでにこの場で可能な応急処置はそれだけだった。そう逸る思考で結論付けたアルテはほとんど無意識のうちに魔力を解放する。途端、普段は認識されないアルテの膨大な魔力がぶわりと気配に表れ、そのあまりの大きさに窓がカタカタと揺れた。キィン、とその接続が光となって目に見えるほど強力な魔力パスが五人へ繋がる。どくんどくん、と魔力を注いでも魔障粒子は端から食い潰していく。これを魔障粒子が許容量を超えるまで続けていくのだから、アルテほどの魔力量でなければ治療はできなかっただろう。その実現不可能性ゆえに机上の空論だったものを、彼女は無理矢理実行したのだった。
 フーッと一際大きい息を吐き、それまでゼエゼエと苦しそうだったフリード達の呼吸が楽になる。魔力供給のスピードが遅いという嫌味も、彼女の弱さを的確に指摘する笑い声も、術式構築の視点から魔力の効率の悪さを暴いた冷静な声も聞こえない。なんだよ、あれだけ厳しく教えてくれたのに。アルテは脳内で反論する。
 そうしてアルテは、最も症状が重いというラクサスの元に立った。彼らしくもなく浅い呼吸を繰り返す様子を、アルテはただ写真でも見るような浮遊感でしか受け入れられない。
 ラクサスの手を取り、アルテは目を閉じる。接触により魔力を流した方が効率が良い。修行でわかったことだった。それを気付かせてくれた相手にこんな形で使うことになろうとは思ってもみなかったし、できればそんなことは避けたかった。アルテの魔力は十分だ。それでも、これでも足りない。もっと一度に大量の魔力を供給しなければ追いつかない。ラクサスは魔障粒子汚染が他四人の比ではなかった。
「絶対に、絶対に助けます。席を外してもらえますか」
「……わかった。ポーリュシカが来たら通すが良いか」
「はい。お願いします」
 アルテの突飛な頼みにも、マスターは頷いた。加入して日の浅いアルテではあるが、彼女の魔力量と回復魔法については信頼している。
「アルテさん、私は」
「大丈夫。ウェンディが外傷を塞いでくれたんだろ。おかげでこっちに集中できる。助かった」
 それでも何かできることは、と言うウェンディに、アルテはそう告げた。これで少し微笑みでもすれば彼女を安心させられただろうにな、と思う。言葉通りだ。倒れている彼らには戦闘の形跡があった。ウェンディがその回復を先に行なってくれていなければ、アルテは魔力供給だけでなく治療にも意識を割かねばならなかった。
「助かる。絶対に助かるからな」
 人のいなくなった医務室で、アルテはそう呟いた。昏倒している彼らに伝わっていてもいなくても良い。何より自分に言い聞かせるためでもあった。私は彼を助けることができる。絶対に、絶対に。助けられなかったらギルドにいる意味がないじゃないか、とまで思っている。
「許してくれ」
 もう一つ呟いて、アルテはラクサスの口を自らの口で塞いだ。
 お姫様のキスで目覚める、なんてメルヘンなものでは決してない。魔力の譲渡を行うに当たり、最も効率的な方法だっただけなのだ。
 なんとか目を通した自らの実験記録。彼女の体液には魔力を含ませることができるという記述があった。魔水晶ラクリマが心臓と癒着している以上、血液が魔力含有量が最も多い。けれど今の彼女には血液が存在しない。だから次点の唾液を媒介することにした。咆哮ブレスという形で魔力を口から出すことが多いので、口内で魔力を生成することには長けている。魔力をそのままの形で与えては拒絶反応を起こしかねないので、唾液に溶かし込む。忌避すべき行動だということは十分に理解している。医療行為だとしても、許されるべきでないとわかっている。それでも、彼女に現状できる最善策はこれだけだったのだ。
「苦しいよな、ごめん、飲んでくれ」
 ゲホ、と濃度が高いため、ラクサスは反射的に吐き出そうとする。彼の口元に添えた親指で拭い口内へ入れ込んだ。苦しいことはわかっている。火にかけて水の蒸発しきった鍋へ冷水を注ぎ込むようなものだ。体内では魔力が瞬間的に食い潰され、その度体が悲鳴を上げる。しかしながら、彼の生存率を上げるにはこれしか方法が無い。自分にもっと知識があれば、或いは魔障キャンセルなんて高度な魔法を覚えていれば。アルテの後悔は尽きない。
「……こんなことで死ぬなよ、君。強いんだろ」
 つぅと伝う唾液を乱暴に手の甲で拭い、アルテはほんの僅かに息の落ち着いた、意識のないラクサスにそう語りかける。彼女にとって彼は既に憧れに成っていた。同じように魔水晶ラクリマを埋め込まれて滅竜魔導士ドラゴンスレイヤーになった彼が、仲間を十分守れるくらい強い彼が。こんなにも弱りきっているのなんか見たくなかった。
 
 □□□□□

「全員、応急処置として常に魔力の供給を行っています。外傷は治癒完了しています。他にやることがあれば」
「続けとくれ。しかしまあよくこんな乱暴な処置をしようと思ったね」
 てきぱきと薬草や薬品の類を広げていくポーリュシカにアルテは俯いてそう告げた。彼女の感覚からして決して弱くはない彼らが、こうも呆気なく倒れ生死の境を彷徨っている。それに加え、自身の行ったことは適切であったと自分ではそう思っているけれども、それが専門家の目線からすればどうであったのか、そう問われれば途端に自信がなくなってしまうのだった。
「す、すみません……できる処置として、これしか思い当たらず」
「いや、アンタの判断は正しかったよ。こちらも打てる手としては症状緩和の薬草程度のもんだからね」
 アルテ周囲の空気は落胆を示していた。ポーリュシカであれば特効薬やより有効な処置方法を知っているだろうと安心しきっていたのだ、無理もない。
「病人の前で辛気臭い顔するんじゃないよ、治るもんも治らない。血清って手はあるんだ。血の気の多いあいつらなら仇討ちだのなんだのですぐ仕留めてくるだろうよ」
「……そうですね」
 コリコリと乳鉢でいくつかの薬草と液体を混ぜていたポーリュシカはそれをアルテに押し付けた。
「ギルドの奴らに説明してくるよ。固体がなくなるまで混ぜ続けとくれ」
「はい」
 なめらかな陶器の中には、薬然とした緑色の液体と、浮かぶ葉片。これを完全に潰してしまえということなのだろう。ぱたん、と軽い戸の音を立てて出ていった彼女の言ったとおり、アルテはくるくると乳棒を動かす。陶器の擦れる音と五人分の苦しげな呼吸音、遠くからの、恐らくナツの怒号。それだけが響くこの部屋の中で、アルテはふと、自らの心情などという対して面白くもなく、自己嫌悪すら増長させうるそんなことに思いを巡らせ始めた。
 
 私に、まだ動揺するような心が残っていたのだな、と素直に驚いていた。何故私はこうも、心を掻き回されてしまっているのか。過去の経験から探るに……一番近いのは両親が他界したときだったろうか。あの頃はまだ感情豊かできちんと表情筋も動く普通の女の子だったけれど。
 私の両親は交通事故で死んだ。隣町へ買い物へ行った帰り道。私は両親には同行せず遊びに行っていた。街の外れに秘密基地を作っている途中だったからという子供らしい理由だったと思う。そうして夕方になって街に戻ったら……何故かグレイのお父さんが迎えに来てその日は泊まることになって。両親の死を告げられはしたけれど実感がなくって。翌朝になってやっと、二度と会えないとわかってグレイに泣きついたのだった。
 そういえばナツは、ギルドのメンバーは全員家族だと言っていたっけ。だったら多分、この感情も彼らを失いたくないというものだ。私は、二度とあの喪失感とも絶望ともつかぬ感情を味わいたくないだけなのだろう。皆、何だかんだと私を気にかけてくれている。家族に等しいと認定しているのだろう。それに、私には長らくそんな頼ることのできる相手がいなかったのだから、彼らを、ギルドの皆を愛しているのだ。
 家族。けれどもなんて不遜な考えなんだろう。私はいまだに、このギルドに自分のようなものがいて良いのだろうかと時折考える。グレイもミラさんもウェンディも言ってくれた通り、私は私だ。でもそれは、わたしがバケモノであることと共存する。バケモノであるのに、という自己否定。それと、バケモノでもなければきっと今倒れている彼らの治療はできなかっただろうという自己肯定。二つがどうにかバランスを取っている。本当ならこんな、仲間が死にかけている状態で己が存在の肯定なんかしたくなかった。
 乳鉢の中の固体はもう殆ど無くなっている。私が彼らを心配するのは、彼らを愛しているからだ。家族のように、友人のように。信頼と友情と、親愛と尊敬と、憧憬。そのようなものをごちゃまぜにしたものこそが愛だ。それこそ今私の手の中にある薬のように。ごりごりとそれぞれの感情の境目がなくなるまですり潰して、とろりととろけているもの。それがこの動揺の真意だろう。
 きっとジュビアや他の一般的な女の子であれば「恋心」なんてものもそこに混ざっていたのかもしれない。私である以上、決してそんなことは、無い、と信じたい。そんなもの、既に滅んだあの街に置いてきてしまった。優しくて強い幼馴染に抱いていた感情が恋だったのだろう、今思えば。でもそれは昔の話で、分別のついていなかったが故のもの。今の私にはそんなもの無い。存在しないし、存在しない方がいい。
 ラクサスの容態を最も気にしてしまうのは、彼が一番重体だからだ。万が一、恋なんていう独善的で不純な感情を動機としているのならば、それこそ不遜で烏滸がましい。彼の強さを目にして、魔法の練習を手伝ってもらって、数度同じクエストに行って。それだけの関係なのだ。それで彼に抱いた感情に恋心が混入していたのなら、それは、それは
 ぐ、と腹の底から自己嫌悪が吐瀉物の形をしてせり上がってくる気分がする。すっかり完全な液体になった薬をベッド横のテーブルに置き、口を抑える。気持ち悪い。「もし私が彼に万が一恋心を抱いていたら」と仮定しただけでこれだ。きっとそんなことはない。絶対にそんなことはない。精神が幼いままの私が、恋だなんて複雑怪奇なことできるはずがない。そうだ、そのとおりだ、と弱々しい脳内反論に同調し、なんとかドクドクと不穏に蠢く心臓を落ち着ける。「恋心を持っているという自覚があるからそこまで嫌悪するのだろう」という至極冷静な考えに行き着かなかったフリをしたままで。

prev next

back
しおりを挟む
TOP



人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -