4-1 炎天下に沈んだ



「グレイ、アルテちゃん見てないかしら?」
 ことり。先程までしっかりと冷やされていたのだろう、冷気を纏うサイダーの瓶を栓抜きと共にグレイの前に置いたミラジェーンはグレイにそう質問した。
「アルテ? 見てねぇけど……」
 彼は片手間に王冠をポンと外し一気に音を立てて飲んでいく。刺さるような日差しを先程まで浴びていたその身に清々しい刺激を伴って染み渡っていくサイダー。その快感の最中にありながらも、軽く返したグレイは、ミラジェーンの世間話をする体でなく深刻な表情に一抹の不安をおぼえる。アルテとは確かに幼馴染だしよく連んではいるが、それだけだ。彼も仕事でギルドを開けることが多いし、むしろあまりクエストに出ない分ミラジェーンの方がアルテの動向には詳しかった。
「何かあったのか」
「今日ね、あの子来てないのよ。来る予定なのに」
 そもそもアルテは毎日ギルドに顔を出しているし、それがアルバイトの日となればなおさらだ。風邪や病気の類でもキッチリギルドに連絡を入れるタイプである。クエストに行っているのであればミラジェーンが把握している。誰に連絡も入れずアルテが見当たらないというのは、それだけで不可解だ。
「朝からいろんな子に聞いてるんだけど……誰に聞いても見てないって言うから」
「探してくる」
 サイダーの残りを一気に呷って、グレイはそう言うが早いか駆け出していく。放ったシャツだけが後に残されている。しかしミラジェーンも「また脱いじゃって」などと独り言を言う気にすらなれなかった。嫌な予感がする。思い違いだと良いのだけれど……と顔を曇らせるのだった。

 □□□□□

「ッハ、あ……」
 ぎゅう、と胸元の布地を握り込む。この下にあるのは、心臓。そうだ、心臓だ。今もなおドクドクと規則的に、随分と走り気味にリズムを刻んでいる。これは、私。当たり前だ。皮膚と骨と薄い肉を挟んで動くこの心臓は私のものだ。それが、例え、改造されきって人体のその様相を留めていなくとも。だって私には、もう、これしか私が存在しないのだから。
 元々、私は実験体である。魔力を増大させる目的で体内に魔水晶ラクリマを埋め込まれ、その機序に関する非道な実験の類を山程受けてきた。まあ最終的にはそこらの氷でつぎはぎのできる肉体の耐久テストのようなものに成り果てていたのだが。その記憶だけは確かだ。週に一度のペースで手足のどれかをすげ替えられていて覚えていないわけもない。
 昨晩、実験レポートにやっと目を通した。「個体番号百二十一に関して」とタイトルのついたそれは、わたしが受けた実験の記録だった。自分が何をされていたのかを見るなんて正直気分の良いものではないが、きちんと把握しておくべきだと思った。どんな改造を受けているのかを知らないと、思わぬところで足を引っ張ることになりかねないし、逆に今まで知らなかった強みを得られるかもしれない。
 資料についてはギルド加入前に申請していたのが、天狼島で何やかんやあったせいでいろいろと滞ったらしく(評議院のことはわからないので抽象的に言うしか無い)先日やっと私の手元に届いたのだった。まあ大体自分のされたことは覚えているし。そうたかをくくっていたのが幸か不幸かはまあさておき。私は正直取り乱している。
 だって本来の私は、もう心臓しか残っていない。
 個体番号百二十一の心臓画像データ及び心臓移植手術に関する記述、という項目を見つけた。歪に魔水晶ラクリマが突き出した心臓。柔く赤い筋肉と鋭く青白い水晶のコントラストが目に痛く、脳裏にこびりついて離れない。まずそんなのが私の体内で拍動を続けているというのが恐ろしいじゃないか。
 更には、その心臓を、タンパク質脂肪その他でできた私の身体から、私を象って作った氷の人形に移し替えた、というのである。手足だけを挿げ替えるというのであれば何度も経験していたので自分は混ぜものであるという認識はあった。その認識は間違っていなかった。けれども、ただその割合を少しばかり勘違いしていたらしい、それだけ。脳も臓器も瞳も、全部そこらの氷と同じだった。ただ、それだけ。
 それだけなのに、こんなにも心が痛い。心が心臓に無いのならそんなものもう無いんだっけ。頭すら私のものでないなら、この記憶すら私のものだと言っていいのか。何もわからない。けれどただ一つ確信できたのは、私はバケモノだということだ。それだけは間違いがないと思った。心臓を残して無機物の身体で、残った心臓も歪に改造されている私の、どこが人間だと言うのだろう。
 何よりも嫌なのは、こんなバケモノの癖に仲間がいるということだった。バケモノはバケモノらしく独りで生きていなければならないのに、そんな暖かい存在を知ってしまった。私を受け入れてくれた人々を、今まで騙していた。もちろん今までだって人間離れした自分であんなに幸せな場所にいるのが苦しく感じる時もあった。けれど、そんな人間離れしたスペックでいることで仲間を守ることができたから、どうにか目を瞑っていられた。でも、でも。気付いてしまったからには無視できない。
 もう既に人間でない身体で、人間のように振る舞って。模造した内臓がすべてひっくり返るほど気持ちが悪い。自己嫌悪でどうにかなってしまいそうだった。お前は生き別れの友人も、愛おしく思う仲間でさえも裏切っていたのだ。自分なんかが人並みに戻ろうだなんて考えてはいけなかったんだ。私は私程度に不幸のままでいればよかったんです。あの研究所にいるままで。
 トッ、と軽い音を立てて欄干の上へと立つ。見下ろすと昼間だというのにゆらゆらと底も見せず暗くゆらめく水。十センチも前に足を出せばその中に落下できるだろう。自分で考えておきながら、間抜けな方法だ。熱く刺さる直射日光により弱り緩くなった身体は、常温で流れる水の中へ飛び込めば今日のうちに溶け切ってしまうだろう。コップに入れた氷がいつの間にか消えているのと同じ道理。泳げなくてよかったなあ、なんてネガティブに自分を褒めてみたり。
 ギラリと太陽光を反射した水面が牙のよう。がぱりと地に口を開けた怪物に呑まれるというのも、バケモノの最期としてはまあ乙なものだろう。
「アルテ!」
 グレイが私を呼んでいる。馬鹿だなあ、こんな時まで彼の声を聞くなんて。こんな私でも未練なんてものがあるんだ。
 とーん。ベッドに飛び乗るのと同じ感覚で跳んだ。行き先は地獄だけれど、まあそれもいいだろう。

 □□□□□

「アルテ!」
 街中を駆け回り漸く見つけた目当ての人物は、手を取る寸前に川へ飛び込んでしまった。これがアルテでなかったならば、まあ今日暑いしな、で済んでいたかもしれない。けれど彼女であるがために、この光景は深刻度を増す。第一に彼女は泳ぐことができない。そもそもこの街を通る川はすべて運河として利用されている。よほど泳ぎに自信のある者でなければ飛び込むなどしない。第二に、身体が氷の彼女がこんな炎天下にあって正常なわけがないのだ。
 必死に走って手を伸ばすも能わずとぷん、と小柄な身体なりの音を立てて沈んだ彼女を追いばしゃりと飛び込んだ。川の真ん中に沈む彼女を引っ張り上げ腕に抱える。案の定ぐったりとした彼女は、やはりこの気温で弱りきっていたのだろう。
「アイスメイク・飛槍!」
 一刻も早く彼女を陸に上げるべく土手に鎖の付いた氷の槍を突き刺し自分ごと引き上げる。橋の下の日陰に彼女を運び、とりあえず意識の確認をする。
「アルテ、おい、アルテ!」
「…………グレイ?」
 頬を叩き、名を叫ぶ。何故こんなことをしたのか、問い詰めるより先にギルドへ運ぶべきだ。ギルドに行けばウェンディもいる。冷静な理性はそう言っていても、激情に任せきった身体は言うことを聞かない。微温い彼女を揺さぶる。
「アルテ、お前なんで」
「嫌、嫌だ、触れないで、こんなバケモノだぞ、消えたほうがいいんだ触るな、やめ」
 弱々しくも言葉はしっかりと出ている。意識はあるからとりあえずは大丈夫か、なんて現状把握すら上手くいかない。彼女の言動は完全に正気を失っている。
「落ち着け。落ち着けアルテ。ゆっくり話せ」
 彼女の触れるなという言葉を無視して背中を擦る。
「わ、私は……私は! バケモノなんだ……なあ、グレイ。君、いつも手足を作ってくれただろう、手足だけじゃなかった、元々の私は、もう、心臓だけしか残ってない、人間じゃないんだ。だって、氷と、水晶と、臓器一つだ。こんなの、バケモノじゃなかったら、何なんだよ……」
「な……」
 珍しく取り乱して語るアルテに、自分も動揺を隠せない。彼女の身体の特異性は知っていた。彼女はたとえ身体を欠損しても、氷で補えば元通りになる。魔法の特性的にはジュビアに近いんだろうとばかり思っていた。すべてを知ったつもりになっていた自分が恨めしい。
「ッアルテ、それでも、お前はお前だろ」
「グレイ」
 小さく濡れた身体を抱きしめる。冷えていても、きちんと温い。今オレの腕の中にあるのは、慣れ親しんだ氷ではない。昔共に街を駆け回ったあの少女だ。
「氷でできていようが人間じゃなかろうがバケモノだろうが、お前はお前だろ! 簡単に消えるとか、そんなこと、言うなよ……」
 ぐしゃ、と視界が揺れる。彼女は同じギルドの仲間だ、家族だ。それ以上に、せっかく生きていたとわかった幼馴染を失いたくない。親しい相手を喪うのは恐ろしい。炎天下だというのに腹の底から冷えて、背筋が凍る思いだ。
「……グレイ」
「何だ」
 はくはくと何か言いたげに彼女は何度か息を吸い、言葉を探している。彼女も迷っているんだろう。何を言えばいいのかわからないんだ。
「ギルドに、帰るか」
「……うん」
 結局言葉を飲み込んだ彼女は、オレの言葉にゆっくりと頷いた。

 □□□□□

「…迷惑を、かけました」
 妖精の尻尾フェアリーテイルギルド内医務室。真っ白なシーツの上に座るアルテは、そう周囲に向けてぽつりと呟いた。入水未遂ゆえにぐずぐずに濡れていた服はカーテンレールに掛け、彼女は病衣がわりのワンピースを身に纏っていた。
「いいのよ。でも死にかけるのはちょっとダメかな」
「そうですよアルテさぁん……何があったんですかぁ……」
 アルテのまだわずかに濡れている髪を撫でながらミラジェーンは困り顔。治療を行ったウェンディに至ってはべそべそと鼻を啜っている状態である。
「そ、それは」
 アルテは言葉に詰まった。真実を伝えなければならない、これ以上騙し続けてはならない。けれども。いきなり自分はバケモノでした騙しててごめん! などと遅刻してきた言い訳のように軽く言えるわけもなく、重々しく過去を語るのも憚られる……自分だけで背負うべき過去を、他人にあけすけと語ってその思い出の片棒を担ぐ役目を押し付けていいものではない。そうぐるぐると考え倦ねて、言葉が一つも出てこなくなってしまったのだった。
「熱中症みたいなもんだよな? アルテ」
 気を遣って代返してくれたグレイの言葉にすら、アルテはどうすればいいかわからなかった。申し訳なく思うけれど、それを上手く利用できるだけの心の余裕がなかったのだ。
「うんうん、話せないならそれでいいわ。だってここはそんな人達の寄せ集めだもの。みんな人に言えないことの一つや二つあるものよ」
「あの! わ……私、心臓以外、が、氷で……元の身体残ってなくって、こんな、バケモノですので、このギルドには、そぐわないと、思って、死のうとしたというよりは、混乱してしまって、」
 辿々しく、それでいて早口でアルテはそう言った。破綻しているとさえ解釈できるその言葉に、ミラジェーンは瞬きを一つして、それからアルテの冷たい頬に触れた。
「言ってくれてありがとう。でもね、昨日までのアルテちゃんと今のアルテちゃん、違うところなんか無いでしょう?」
「アルテさんはアルテさんじゃないですかぁ」
 ウェンディも同調して、頷きながらアルテの手を握る。アルテはどうすればいいかわからない、と傍に立っているグレイを見上げた。ここまで心の内に入り込まれたことがなかった。だって、出会って実質一年も経っていない、そんな彼女たちがこんなに自分のことで泣いて、心配している。まるでおとぎばなしの英雄譚ようなことが現実にも、自分にもあるのかと夢でも見ている気分だった。
 アルテは泣けもせず微塵も笑顔を見せられない自分が恨めしかった。けれども、見上げたグレイの笑みに、すっかり安心しきっていた。もしかしたら、彼女たちは、このギルドは、私を受け入れてくれるかもしれない。アルテはそんな期待を胸に抱く。彼女が例えば明るく愛されるのが上手な娘であれば期待ではなく確信だったかもしれない。けれど彼女にとって、自らの存在を肯定するそれらの言葉は、虚偽ではないか、私を気遣ってゆえではないか、と安堵する頭の隅でぐるぐるネガティブな思考を開始させていた。彼女たちはアルテを受け入れてくれる。それは紛れもない事実なのだが、アルテがそれを認識するにはもう暫く、時間がかかる。

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