2-6 帰還



 一件落着大団円。そんな雰囲気を一瞬にして消し去った音に、場の全員が焦燥を覚えていた。この天狼島を熟知しているマスターでさえ何が起こったのか(或いは何が起こるのか)わからない、という顔をしている。
「ドラゴンの鳴き声……」
 サイレンの如きけたたましい声の中であるというのに、ウェンディがぽつりと口に出した呟きはあまりに響いた。ドラゴン。既に消失しているその声を聞くことは叶わず確かめるすべもないのだが、ドラゴンに育てられたウェンディが言うのなら間違いはないだろう。尋常でない状況にルーシィたちがドタバタと簡易ベースへと戻ってくる。
「あそこだ!」
 パンサーリリーが空を指差す。剣を幾重にも重ねたかのような翼、異国の武器のように変形した尾、そして何よりも不吉なまでに黒いその身体。確かに、ドラゴンだ。ドラゴンが、上空を舞っていた。
「黙示録にある黒き龍、アクノロギア」
 マスターの言葉に、周囲は固唾を呑む。あれは、戦って勝つとか負けるとか、そんな単純なものではない心の底で、アルテはそう感じていた。実験から逃げるように没頭した書籍の中にあった姿と、まるで同じ。そんな恐怖を増長させるように、アクノロギアはその巨体を島に降ろした。降臨した、という表現の方が正しいようにも思える。そうして先程と同じように咆哮する。場の全員が「恐怖」を感じていた。アクノロギアは、恐怖そのものだった。
「船まで急げェ!」
 体当たりの要領で攻撃をしかけるアクノロギアに、ギルダーツはそう叫んだ。ギルド最強と言っても過言ではない彼が一度過去に戦い、酷い怪我を負った相手だ。あのギルダーツが焦っている。それだけで、ギルドメンバーの恐怖はより増していく。
「船まで走れ」
 殿の如く最後尾を走っていたマスターが、そう告げた。ギルドメンバーが無事帰ることができるよう、足止めをするらしかった。場の全員がそんなことは無茶だと足を止め、中には加勢しようと言い出すものまでいた。マスターほどの魔導士であっても、万全の状態ではない。実際、ハデスから受けた傷がアクノロギアの体当たりで開いており出血も激しかった。
「最後くらいマスターの言う事が聞けんのかぁ! クソガキが!」
 その気迫に押されるものの、ナツだけは依然としてアクノロギアと戦おうとしていた。それをぐい、と引っ張り走るよう促したのはラクサスだった。彼も苦渋の決断のうえだった。走る、走る。相変わらず、アルテは自分の無表情が憎らしい。天涯孤独、バケモノの私を何のためらいもなく迎え入れ、家族のように暖かく接してくれたマスターが命を張ってくれているというのに、眉を顰め悲しさを表に出すことすらできない。ごめんなさい。とんだ「親不孝者」だ。皆で走る。船まで、もうすぐ。しかし。しかしながら、皆どうしてもマスターを捨て置くことはできなかった。
 アクノロギアに地面へ倒されたマスターの横を、ナツが駆けその腕をよじ登っていく。それに続き、エルザの掛け声とともに皆銘々の方法でアクノロギアに攻撃を仕掛ける。攻撃が有効であるかどうかなど問題ではなかった。もはや意地のようなものだ。アルテも漏らしたくても出てきやしない嗚咽の代わりに咆哮を浴びせた。けれど。これだけの人数で総攻撃を仕掛けて、足止めにすらなっていなかった。
「っ飛んだ……?」
 バサリ、と魔法の嵐をものともせずアクノロギアは浮かび上がり口を大きく開いた。
「咆哮だ!」
 ガジルの声に慌てる全員を宥めるように、エルザが防御魔法の展開を命じる。使えるのはフリード、レビィ、ウェンディだ。その三人に魔力を集めるべく手を繋ぐ。アルテも手を繋ぎながら、その三人に先程ハデスと戦ったときと同じ要領で魔力を接続する。二度、三度と試みて漸く接続できた矢先、上空から高濃度の魔力が接近する感覚がして世界は真っ白になった。

 □□□□□

 目が覚めると、七年が経過していた。
 妖精の尻尾フェアリーテイル初代マスターであるメイビスがアクノロギアの攻撃から守ってくれたこと、そしてその防御魔法の解除に七年もの歳月がかかってしまったこと。そう既に亡くなっているはずの彼女本人から説明を受け、迎えに来てくれたメンバーと共にギルドへ帰還した。まるでおとぎ話のようだなとアルテは思った。アクノロギアに襲われたことも、生きていたことも、こうして戻ってくれば七年が経過していたことも。
 幾分小さくなったギルドでも、アルテのやることは変わらない。七年の空白を埋めるように連日宴会を続けるギルドで料理を作り酒を注ぎそれらを運ぶ。ミラジェーンはアルテに休んでていいのに、と言ったが、彼女が働いているのだから自分が休んでいるわけにはいかない。アルテもせかせか動き回っていた。もちろん七年間の話を聞きたくもあったが、今だけはこの喧騒の中くるくる働くのがとてつもなく懐かしく、それに浸るのがどことなく幸福で満足だったのだ。

 □□□□□

 騒いでいる者も一人二人と潰れて静かになっていく零時過ぎ。本来破門されている身でここに滞在するべきではないのだが、フリードたちに言い負かされて連日無法地帯のような宴会に顔を出していた。今日もそうだった。ただ、今日だけは目的があってここにいる。いびきと寝言が響く中、かちゃりかちゃりと食器類の後始末をしている女。オレのいない間に加入したアルテは、オレと同じ魔水晶ラクリマによる滅竜魔導士ドラゴンスレイヤーだった。色々と聞きたいことがあったのだが……なんだかんだ彼女も給仕として忙しなく動いていたので結局話すのは天狼島以来だ。
「お前、宴会には混ざらないんだな」
「ん? ああ……私はここに入って日が浅いしな」
 かちかちと陶器が触れ合う音。どうも、この女には表情が無いらしかった。どんな状況であろうと彼女の口角は上にも下にも動かない。アクノロギアの声を聞いたときも雑事をこなしているときも同じ顔をしている。
「……あの」
「ラクサスでいい」
「じゃあ遠慮なく。ラクサス、私と喋っていても楽しくないと思うのだが……ほら、微塵も表情が動かないだろう?」
 両手の人差し指で無理やり口角を上げてアルテはそう言った。
「いや別に。オレはお前の話が聞きたい」
 私の話? と首をひねる彼女に過去だの魔法だの何でも良いから言えることだけ、と促した。
「物好きだなぁ君。気分の悪くなる話だが……そうか。何から話そうか」
 片手間に後片付けを済ませていきながら、アルテは自らの過去をぽつりぽつりと語っていく。嫌なら良いと言ったのだが、彼女はおそらく過去を洗いざらい紡いでいった。グレイの幼馴染であること、ここに入るまで研究所の実験体だったこと、身体を氷で継ぎ接ぎできること、正直滅竜魔法よりも回復の方が得意であることそんなセンシティブであるはずのことを、つらつらと語っていくその心情は全く読み取れない。辛いと思っているのか、過去と割り切っているのか。それすら不明だった。
「……つまらん話だったろ? まあそういうわけでここまで捻くれてるし表情筋も死んでる。平均より小さいしな」
 瞬きと言葉を紡ぐ以外に動かない顔というのはやけに新鮮だ。幼くもありながら常に冷たい印象すら与える容貌は、可愛らしいと言うよりは変に大人びて美しいとでも表現した方が良いか。このギルドにいるせいで霞んではいるが、一応それなりの顔立ちではあるはずだ。
「っはは、本気で言ってるのか、君」
 ふと、目の前で皿を拭いているアルテに向かって何を思ってか甘ったるい言葉を投げかけていた。オレらしくもなく酒で上機嫌になっていたのだろう。いや、少々飲みすぎてしまったか。というか彼女は女というよりも少女だし、更に言えば少女というよりも童女だ。こんなのに冗談でもそんな言葉を浴びせるなんざ、気が狂ってしまったのかもしれない。
 冗談の通じない相手だったら悪いな、と頬杖をついて彼女を見れば、赤面すらせず表情を変えないままそう笑った。仮に彼女の表情筋がマトモに機能していたならば傑作だ、と半ば軽蔑……いや自嘲を浮かべて破顔していただろう。
「君、もしかして幼子が好きなのか?」
 笑いながら作業を中断して、アルテは給仕のエプロンを外しグラスを片手にこちらへ来て隣へ座る。職権乱用じゃないのか、それ。
「言ったとおり、私傷だらけだぜ」
 ぺら、とまるで握った手を開くような気安さで彼女は着ていたシャツの裾を捲った。声には出さぬまでも返答に詰まる。すべらかであるはずのその肌は、考えうる限りの傷痕で覆われていたのだ。
へのお世辞として受け取っておくよ」
 そう自虐しながらも、アルテはへらりとしてグラスを呷った。中身は普通の水らしい。ただ氷を大量に入れており、じゃくじゃくと噛み砕いている。
「ご覧の通り表情も無い。デートも夜も相手にするには退屈だろ?」
 ふ、と笑いが零れる。気難しい奴だと感じたのは間違った認識だったようだ。べらべらと自虐とシニカルがよく溢れ出る口だ。
「面白い奴だな、お前」
「む、下品という言葉を期待していたがそう来るか」
 けらけらと、声色だけで彼女は笑う。ああ、表情がない程度どうってことはないらしい。

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