1-4 「生きている。」



『百二十一番、時間だ』
 ひゃくにじゅういちばん、それが私の名前だった。いいや、本当の名前はある。けれどもその名は、こんな実験台の私が名乗ってはいけないんじゃないか。もう、ここには「アルテ・ザミェル」はいない。いるのは「ひゃくにじゅういちばん」。硬く狭いベッドから目覚め、繰り返される実験を享受して、それ以外は書庫に篭り、また硬く狭いベッドで眠る。それだけの生活を送る私が、人間な訳がないのだから。
 ああ、今日の実験は何だろう。また身体を刻むんだろうか。いくら私の身体が氷だからって、流石に氷に変化させる前に切ったりつぶしたりしたら痛いのに。それとも手術をするんだろうか。何度「改造」を行っても一向に魔力量が増えることのない私に頭を掻き回す研究者はなかなかに滑稽だったけど。私がわざわざ隠蔽しているのも知らずに、可哀想だ。あ、もしかしたら実験でないのかもしれないなあ。けがをしてもなにがあってももんだいないからって。うん、氷だから損傷部分取り替えたら良いだけだから、まあ便利だ。回復魔法も覚えたし、その気になれば痛みも気にならなくできるし。鬱憤を晴らすためか、研究者は私を嬲る。もうとっくに表情筋も動かないくらいなのに、表情が変わらず面白くないと言いながらもこちらを打つのだ。面白く無いのならしなきゃいいのに。そんなことを考えながら、壁のヒビを数えている。

「……っ、は、あ……!」
 じとり。真夏でもないというのに全身に汗をかいている。身体にはりついた部屋着が気持ち悪い。研究所の狭苦しい寝台に飽き飽きして購入したダブルベッドに、柔らかで弾力のあるマットレスも贅沢に付けた。私なりの幸せ。そんな中で眠っても昔の夢を見るのだから、どうにもうまくいかない。
 カーテンの隙間から射し込む光に、ぼおっとした頭が段々と醒めていく。カラカラの喉が鬱陶しい。鬱陶しい、そうか、生きている。アルテ・ザミェルとして、私は存在している。無感動で不感症な日々だけは終わってくれたらしい。
 さあ今日もギルドへ。給仕としてアルバイトをしているから基本的に毎日顔を出している。攻撃ができないわけじゃないけど体力も実戦経験もないし、どうしてもサポート役に徹するのが一番。だから誘われない限りクエストには行かない。チームを組んでいるわけでもないし、誘われれば比較的誰とでも一緒に仕事はする。回復役って珍しいし。とはいっても、グレイとジュビア、それにウェンディからもよく誘われているからまあ、月に十日ほどはクエストに同行しているんだけど。アルバイト、本当はある程度生活資金を得れば止めても良いと言われたんだが……何もわからない私に一から仕事を教えて例外的に賃金を日払いにしてくれたミラさんには感謝してもしきれないから、ずっと雇ってもらうことにした。もちろんここでもサポート。いきなりクエストに行くこともあるからあくまで雑用の、抜けても良い仕事をさせてもらってる。特に忙しい時期や時間帯が多いか、という感じだ。
 感謝してもしきれない、と言えばエルザさんも同じだ。私の住む場所が決まるまで、つまり資金が貯まるまで寮の一部屋を貸してくれていた(エルザさんは複数部屋を借りていて、鎧の展示スペースのようにしている。その一室を私のために空けてくれた)。他にも事あるごとに気にかけてくれるのでどうして、と聞けば「昔の私のようでな」とだけ返された。彼女もどこかで私と同じような境遇にあったのだろう。それ以上は追及しなかった。
 白のワイシャツにカットタイ、黒のショートパンツ。これにロングブーツで基本装備。クエストに行くときはパイロットゴーグルも装着して、更に上には紺のモッズコートを羽織る。グレイからのおさがりなのでかなりのオーバーサイズだが、これくらいが体型も出ず落ち着くのだ。おさがり、と言うほど草臥れてもいないのだけれど、彼はどうせ脱ぐからと言っていたっけ。しかしグレイ、いつの間に脱ぎグセなんかついたんだ? どうせ脱ぐからって意味もわからなかったが脱ぎグセって更に意味がわからんぞ。

 □□□□□

 借りた部屋はギルドまで歩いて十五分。少し遠いが道すがらの店は充実しているから飽きないし、この街は活気にあふれていてただ歩くだけでも明るい気分になる。今日は帰りにあの店でケーキでも買ってみよう。あ、そういえば石鹸がもうなくなりかけていたな。そう頭の中にトゥドゥリストを追加していると、何やら騒がしい。寄り道する時間くらいはあるか、といつもは曲がらない角を覗き込む。ああ、火事だ。
「消防士はまだか!」「もう魔導士を呼んだ方が早い!」そんな声が飛び交う中、「おかあさん」と泣き叫ぶ子供が目に入る。燃える家に住んでいる子で、中にはまだ母がいるのだろう。そこまで考えが至った瞬間、走り出していた。親がいなくなる恐怖ったらない。悲しさも、虚しさも、あの幼い子が背負うには大きすぎる。自らと同じ境遇の子には、どうにも特に甘くなるのは誰でも同じらしい。
「消火する! 下がれ!」
 座り込んだ子供を抱えそう叫んだ。一瞬遅れて人の波が引いていく。さて。炎を氷で冷やすのは愚策だ。水蒸気爆発の危険性があるとかなんとか。曖昧な知識ゆえに決定打に欠けるが……しかし仮に、それならば圧倒的威力でもってして、氷が蒸発する前に凍らせてしまうだけ。我ながらかなり脳筋だな。だがそれしか手がない。
「氷竜の、咆哮!」
 ゴォ、と凄まじい音を立てて吹雪が炎上する家屋を襲う。加減やテクニカルなことなんかは苦手だが魔力のままにぶっ放すのは得意だ。ウェンディに教わったとおり確かに一々技名を叫んだほうがかなりコントロールも行いやすいな。目論見通り、火の勢いは眼を見張るほどの速度で収まり、ついでに崩壊しかけている建物の補強も完了する。外壁に触れても熱くない、よし。
「お母さん、探しに行こうか」
 そう子供に声を掛けると、ぽかん、と口を開けたままにしている。周囲に頼むか、と見回せば……あれ、皆同じような表情をしている。おかしいな、ここ妖精の尻尾フェアリーテイルがある街なのだからこれくらい見慣れているんじゃないのか? と首をひねる。この子供、しかも緊張していてがっしりと私の服を掴んだままだ。流石にこのまま家に入り母の怪我を見せるわけにもいかないだろう。
「すまない、そこの青い服と緑の服のガタイの良い男二人! 怪我人を運んできてくれないか」
 オレか? と顔を見合わせた二人に頷く。ドタバタと転けそうになりながら入っていった男たちは、五分もせずに女性を担いで出てくる。きっと母親だろう。ようやく正気に戻った子供を近くの老婆に預け、母親の元へ向かう。意識はないが心音は安定している。気絶しているだけだろう。顔や手足に火傷の跡。服の損傷も少ないため火傷はここだけだろう。治療を行う。自分以外に回復魔法を使うのにも慣れてきたな。すう、と手を翳し魔力を送れば傷は治る。ついでに魔力も少しだけ譲渡しておく。魔導士でなくとも、ほんの僅かであれば魔力は生命力となる。
「おにーちゃん、ありがとう……?」
「ああ。お母さんの怪我は治したが、一応病院に連れて行ってもらえ。あと私はおねーちゃんだ」
 何が起こったかまだ理解していない、けれど自らの母が助かったことだけは把握しているらしい子供は私にそう礼を言った。うん、これ以上私ができることはなさそうだ。
「まどうし?」
「ああ、新人だけどな。妖精の尻尾フェアリーテイルにいるぞ、ほら」
 右太ももの内側に刻んだ紋章を見せればわあ、と子供は声を漏らした。
「じゃあ私は行くからな」
 ぽんぽん、と頭をなでてギルドへの道に戻る。時計台が十時を告げる。相変わらずいい音色……と耳を澄ませたところで思い出す。あれ、今日のアルバイト、十時からだったような……。
「あーーーっ!」
 ミラさんだけは困らせたくないのに、とギルドに激突する勢いで駆け出した。 

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