1-2 インサイダー



 こっちは書庫であっちは倉庫。あっちとこっちとそっちも実験室でそこは研究員の部屋。しっかりと、それでいてスムーズに、研究なんかには疎いエルザ達にもわかりやすくアルテは研究所を案内していく。きょろきょろと不審な点を探している一行に、そうとは知らず詳細な解説を行うアルテ。興味があるわけではないのにそんな説明を……とウェンディは申し訳無ささえ感じていた。
「そして一番の目玉がここ。温室だ」
「わぁ……!」
「これは……」
 三人が息を呑むのにも納得がいく。室内に作られた温室、太陽光など届かないはずなのにそこは春のような柔らかい陽光で満ち溢れていた。ここが湿っぽい石造りの屋内であることを忘れてしまうほどだ。水耕栽培だろうか、大量の植物が茂っている。どうやらこれが先程お茶として供されたらしい。
「これなら天候に左右されないから。これも魔水晶ラクリマの応用だ。天井にはまってる大きいやつ。ついでに水と空気の方も調整に使ってるな」
 へぇ、と今までは適当に相槌を打っていただけの3人も、こればかりは心から感動していた。
「素敵なものね。研究所ってもっとこう……陰鬱なものかとばかり思ってたわ」
「失礼だよシャルル!」
 そんなやり取りをしながら、一行は見学を続けている。天空の滅竜魔導士ドラゴンスレイヤーであるウェンディがイキイキとしているくらいきれいな空気の中、任務を忘れてもいいと思ってしまうほど。そんな和やかな雰囲気を打ち砕いたのは、他ならぬアルテだった。
「貴女方は、ここの調査に来たんだろ」
 単刀直入な指摘に流石のエルザも顔を凍りつかせる。しかしこれは所謂「カマをかけている」状況なのではないか? と黙ったまま。ウェンディもエルザの発するピリ、とした空気に口を噤んでいる。
「証拠は……そうだな。実験対象者と、研究データでいいだろうか」
「待て、どういうことだ? 話が見えん」
 トントン拍子に話を進めていくアルテに、3人はどう対応すれば良いかわからない。今回の任務は、いわばスパイだ。スパイが、自分の潜入先の人物に協力されるという流れであれば、まずは自らの不手際を疑うだろう。素直にはいそうですか、と従うようではスパイ失格である。
「人体実験の証拠を掴みに来たんだろ。そういう人は、今までに何人もいたから」
 アルテの言葉に、エルザはまだ黙ったままだ。
「その。あまり見せるようなものではないのだが……私は実験体の一つでさ」
 ブラウスをたくしあげ、彼女は腹部をわずかに露出させた。本来ならばすべらかであるはずの白い肌は、まるでパッチワークでつぎはぎされたかのように縫い目だらけだった。
「そんな、」
 ウェンディは思わず口元を覆う。
「すまない、私は大丈夫だから……実験データもここにある」
 しかしながら平然と、アルテはスラックスのポケットから平たい魔水晶ラクリマを取り出した。エルザたちには馴染みが薄いが、これは研究所でよく使われている記録媒体だった。この人差し指ほどのサイズに、魔導書数百冊分のデータが入っている。
「ま、待ちなさい。これが罠じゃない証拠はあるの?」
「……そ、そうだ。ここから逃げ出したいのならば何故今まで動かなかった? 調査は何度も行われてきたはずだ」
「ちょっと、シャルルにエルザさんも」
 声を震わせながらそうきつい物言いをしたシャルルとエルザに、ウェンディはおろおろしている。シャルルの言い分もわかる。なにせアルテは表情があまりに変化しない。嘘をついているのかどうか、全くわからなかった。それでもあの傷跡を見てしまったら、それだけで証拠にしてしまっていいんじゃないかとウェンディは思ってしまう。
「……こんな身体じゃあ外に出ても生きていけないから、もう一生ここにいるつもりだったんだ。だが、今日来た魔導士のリストに、もう死んだと思っていた奴の名を見つけたんだ」
 近くに生えていたハーブの葉を一枚ぷちりと千切り、アルテはそう言葉を紡いだ。ところどころ詰まりかけたその台詞は、感情が欠如していてもわかるほどに苦しい独白は、演技で表現できるものではない。
「それなら私も、動くべきだと思った。同姓同名の別人だって構わなかった。思考停止してる場合じゃないのかもしれないと思って」
「ザミェル、何をしているのですか」
 そうかそれでは、とエルザが切り出そうとした矢先、背後から声がする。音もなく温室へと入ってきていたのは、所長のドロシナだった。
「それは持ち出し禁止のデータであるはずなのですがね」
 あんなに柔らかく優しかった声色が、今この瞬間だけはあまりに不吉だった。アルテは研究所の不正を暴こうとしている側かもしれない。しかしながら、所長がそうであるわけがない。隠蔽を行う側の人間だ。す、と何か合図をするように彼が右手を挙げれば、周囲から拘束具のようなものが飛び出し、エルザとシャルル、ウェンディの手首にがしりと嵌まる。付属している鎖の先は天井や床に繋がっており、三歩も動けないような設計になっていた。
「さあ、お渡しなさい。ああ魔導士の方々。それは魔封石ですから足掻いても無駄ですよ」
 今にも剣を手にしようとしたエルザを制するようにドロシナはにっこりと笑ってアルテに詰め寄る。アルテは震える手で小さな魔水晶ラクリマを彼に渡した。
「良い子ですね。彼女たちの記憶を消しましょうか」
 ギリリ、とエルザの歯ぎしりが聞こえる。脅し文句を脅しとも思っていない様子のドロシナは、その第一印象とは裏腹に冷徹で非道な人物だった。
「……わかった。ただ、少し話をさせてほしい。彼女は私と同郷かもしれない」
「あの滅んだ街の。ええ、構いませんよ」
 珍しい、とドロシナは言う。緊張感があるのかないのか、恐ろしいことに変わりはない。彼を背にして、アルテはエルザに耳打ちをした。
「……そうか」
 エルザは、そう優しい表情でアルテに言う。先程までのひりついた表情ではなく、あくまで仲間や妹分に対する顔で。
 アルテは静かに息を吸い込んだ。そうしてエルザに付けられた手枷に手を触れ指先を。バキン、と音がしてエルザの両手が自由になる。
「な、」
 虚をつかれたドロシナは何もできず立ち尽くしている。その隙にエルザは剣を召喚し、彼の首元へ突きつけた。
「お前は。ろくに魔法も使えない失敗作で、」
 ドロシナは呆然と言う。僅かに痺れる手首を摩りながら、エルザは彼へ歩を詰めていく。
 彼の言う通り、アルテは失敗作だった。滅竜魔導士ドラゴンスレイヤー化用の魔水晶ラクリマを埋め込んだにも関わらず一度も魔法を使えなかったのだ。
 そもそも彼の目標はアルテを滅竜魔導士ドラゴンスレイヤーにすることではなかった。研究者たちの間でまことしやかに囁かれていた噂があった。魔法開発局で人体実験の結果、魔力の増強に成功し王国一とも言われた設備を全て破壊して逃げ出した子供がいる、と。彼は当時から優秀な研究者であったから、自分はそのようなヘマはしない、と研究をスタートさせたのである。何の素養もない子供を簡単に滅竜魔導士ドラゴンスレイヤーにしてしまうほどの力がある魔水晶ラクリマを埋め込めば魔力を増やすことは容易い。そこから更に研究を重ねれば、例えば時を戻せるような、例えば死者を生き返らせるような、そんな禁忌にさえ手が届くかもしれない。それを発表すればきっと評価されるだろうし、そうでなくともこの国を掌握することだって可能かもしれない。そんな、よくある欲望を彼女という実験体を使って叶えようとしていたのだった。
 けれどもアルテは、一向に魔法を使う素振りを見せなかった。それどころか魔力量が増えないのだ。だから彼女と同じような子供を集めて、ずっと実験を繰り返していたのだった。
 一方で、実験体であるアルテもただされるがままになっているわけではなかった。彼女が研究所に連れて来られたのは十年ほど前。まだ幼いながら、ここで行われている実験が非道なものであることは理解していた。けれどどうすれば助けてもらえるかわからない。彼女は自分が役立たずになれば捨てられて自由になるんじゃないかと考えたのだ。書庫の魔導書を読んで、自分の魔力を隠す魔法を身につけた。そうすればきっとここから出られると思って。けれど実際はより一層実験が激しくなるだけだったけれど。魔力だけが増大していって、様々な魔法を覚えて、いつかここから出られることを願って、人の役に立つ治療の魔法ばかりを覚えながら。
 そうしてやっと訪れたチャンスが今回だった。研究所から出ることは叶わなくとも、妖精の尻尾フェアリーテイルというギルドの存在とその暴れっぷりは新聞から伝わってくる。彼らならば或いは、と思ったのだ。
「既に評議院が待機している。素直に投降した方が見の為だ」
 エルザの言葉に、ドロシナは膝をつく。鎖で彼を拘束し、その手から魔水晶ラクリマ式の記録媒体を奪い取った。その様子に安堵して、アルテはウェンディとシャルルの拘束を解いていく。解く、というよりもエルザの時と同じように破壊する、といった方が正確だが。
「氷、ですか?」
「あ、ああ。これは初めて使ったんだけど……上手くいって良かった」
 アルテに埋め込まれた滅竜魔導士ドラゴンスレイヤー化の魔水晶ラクリマ。その属性は氷だった。指先に魔力を集中させて枷を凍らせ砕く。魔封石は対象の魔法発動を防ぐ効果があるが、反面外部からの力には弱い。特に一般に出回っている程度の純度のものであれば。
 アルテはふ、と安堵のため息を吐いた。彼女にしてはかなり大きな賭けであった。被験者の記憶が消えていたのは彼女が出していたハーブティーに魔法薬が混ざっていたからだったし、今回に限ってそれをしなかったことが途中でバレやしないかと動かない表情とは裏腹にドキドキしていたのだ。それに、エルザ、ウェンディ、シャルルにも怪我はない。ああ良かった、本当に良かった。 

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