08



 目を覚ますと、視界の端に羽が映った。
 黒い羽。でもあんなに大きいものは見たことがない。であるなら神様か天使のそれだろう。あれ、神様って羽が生えているんだっけ。わからないから、天使なのか、と声を掛けた。
「おれが天使に見えるか」
 低く、地を這うような声。ああやってしまった。そうだ、私は彼に、キング様に呼び出されてこの部屋にいる。少し緊張して気絶してしまったんだ。頭にきつく絞ったタオルが載せられているあたり、彼が医者を呼んでくれたのだろう。その感謝と申し訳なさで勢い余って後ろへ転がる。私はドジというよりも緊張しいというか……つまりまあドジなんだけど。あまりこういう、偉い人と話すのは得意ではない。そもそも初対面で襖を開けられない、ずっこける、気絶するというてんでダメな三コンボを決めてしまっているので今更何をやっても名誉挽回は望めそうに無いけど。
「知り合いに似ていた」
 用事が何であったのかを彼に問えば、しばし沈黙を挟んだ後にそんな言葉が飛んできた。キング様といえば大看板。そんな彼なのに、やけに細く少年のような声だった。瞳しか見えないのだけれど、彼の赤い瞳が炎のように揺らぐ。ほんの僅かに揺らいで、それ以降の言葉が止まってしまったのでつい、口を出した。
「大事な人だったんですか」
「そうだ」
 きっともう既に、その人は死んでいるのだろうと思った。私にそっくりの誰かが彼の何であったかはわからない。でも、彼の返答を思うにとても大事な人だったんだろうとは察しがついた。例えば恋人のような、例えば家族のような。ほんの僅か視界に見つけた私程度を気に留めて呼びつけてしまうくらいには、忘れられない人なんだろうと。
「好きだったんですか」
「違う、わからない」
 その回答に、ああ本当に大事な人だったんだと思った。人間の根底には好きと嫌いしかないのだと昔聞いたことがある。でも、大事になればなるほど好きなのかどうかがわからなくなってしまうのだと。
「おれが殺した。おれは一人で生きなければならなかった」
 それは違う、きっと違う。私にはキング様のことはわからない。彼がどんな人生を歩んできたのか、どんな身の上なのかも知らない。それでも、一人で生きるのは苦しい。
 昔のこと。うっかり悪魔の実を口にしてしまった私は村を追い出されてしまった。仕方がない。小さな子供とわかっていても、いきなり大きなムカデに変身してしまえばそうするしかなくなる。一人で生きていくべきだと思った。でも決してそうではないのだと兄者は言っていた。一緒に行動するうちに、兄者は盗みもするし決して良い人間でないことはわかったけれど、その言葉は正しいと思ったのだ。わからない。私を利用しようとして口をついて出た根拠のない慰めだったのかもしれない。でも確かに、その時の私は救われた。もうずっとこのまま化け物として生きていくんだろうと思っていた私には、とてつもなく嬉しい言葉だった。だから、というわけではないのだけれど、誰だって誰かを救えるのだと思った。
「それは、きっと。あんまりにも悲しい」
 素直な言葉が溢れた。あんまり他人に感情移入をするものじゃないと常々言われているのだけれど、彼の言葉にはそう思わざるを得なかった。何があったのかはわからない。きっと私とは比べ物にならない孤独と悔しさがあったのだと思う。仮に彼の口から全てを聞いてもそれは推し量れない。それでも、それでも。彼の無念を思うと、彼女のことを思うと、涙が止まらなくなってしまう。
「何故お前が泣く」
 キング様は瞳に不可解を浮かべて言う。おかしな話だ。だって私は彼の言葉をいくつか聞いただけだ。それでこんなに泣いてしまうなんて、泣き虫にも程がある。
「それはおれへの憐憫か」
 そうかもしれない。でもそんな冷たい言葉を放ちながらも、キング様はこちらの頬へ指先を触れた。皮の手袋はつるりとしている。涙で汚れてしまうけれど、私程度の力では引き離せない。彼の指を掴んだままで言葉を続ける。
「お前は彼女の代わりではない」
 わかっている。そんなの当然だ。私はたまたま、彼の大事な人と姿形が似通っているだけ。それで彼女の代わりをやりますと言えるほど不遜でも恥知らずでもない。それでも彼の言葉はどこか縋るようで、苦しそうだった。まるで私ではなく自分自身に言い聞かせているような。
「シャロ」
 キング様はこちらの名前を呼んで、一つ息を吐いた。
「すまなかった」
 なんだか憑き物が落ちたようなその表情(見えないけど、そういう雰囲気がした)に、こちらもほっと安堵の息を吐く。やっと呼吸が落ち着いてきた。そうしてひとつ、思い出す。
「あ、あの、私の、能力のことなんですが」
 そうだ、結局思い違いだったとはいえキング様には私が能力者だということが伝わっている、というか自己申告してしまっている。キング様はきっと嘆願書を受け入れてくれたようだけれど、もし他の人に伝わってしまったら大事になる。
「ああ」
「秘密にしてもらえませんか、私も、今日のこと、秘密にするので」
 そう言って笑ったところで、もしかしてこれはめちゃくちゃ偉い人に取引を持ち掛けてしまったんじゃないか。キング様はおそらく笑っておられるけれど……ああまた気が遠くなってきた。

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