07



 結局。少女はただ気を失っただけという間抜けなオチだった。そうだよな、人間はそこまで雑な作りじゃない。だが万が一ということもあるし……と医者に診せれば大丈夫ですよ、と笑って帰っていった。十億と少しの金額が首にかかっているとどうも、普通の人間の塩梅というものがわからなくて困る。ただでさえ種族的に丈夫なのも相まって、軽く小突いただけで殺した、なんてことが起こってもコトだ。
 すうすうと穏やかな寝息を立てている少女の顔を見ないようにして、少女が持ってきていた手紙を読んでいる。「嘆願書」と銘打ったそれには、いかに少女が兎丼にとって重要な存在であるかが綴られている。真打ちの連名で、看守長から副看守長まで全員揃っている。ああ、少女がおれに呼びつけられたと聞いて何かやらかしたのかと思ったのか。おれは案外部下どもに怖がられているらしい。そこまで大事に捉えなくとも良いのだが……一つだけ。文中に彼女が悪魔の実の能力者であると記載されていた。それも動物系古代種。アースロプレウラ、つまり古代の大型のヤスデである。ヤスデと言いながらも変身すれば十メートルはゆうにあるムカデのようになるとまで書かれていた。
 ムカデ。
 ああやめろ。そこまで彼女の要素を持ち出すんじゃない。彼女の白い肌をのたうつ赤い虫けらが瞼の裏によぎる。透き通るような肌に、毒々しい虫が絡みついている。あまりにも気味悪く扇情的だったそれが、まるでこちらの腕にまで顎を向けている心地になる。
 ハ、と吐いた息が思ってもみないほどに焦燥を表している。
「う……」
 意識を逸らすように彼女へ目をやる。額に置かれた濡れた布巾を取りながら上体を起こす緩慢な動作。ぱちりと目を開く。勘弁してくれ。瞳の色まで寸分違わず同じ色をしている。
「……天、使?」
「おれが天使に見えるか」
「…………ッも、も! 申し訳ありませッあだっ」
 敷かれた布団から弾かれるように飛び出した少女はそのまま背後に一回転。全く、犬か何かの方がもっと注意深い。そんな、少女と彼女の明確な差異を見つけながら少女の向かいに腰を下ろした。
「何をしても殺さないから安心しろ」
「うう……すみません……兄者にも言われるんですけど治らなくてぇ……」
 この体たらくで本当にあの嘆願書通りの働きができているのか不思議でならない。まあ仮にも大看板宛の文書、虚偽申告をすることなど無いのだろうが。
「あの、ご用件は、何でしょうか」
「……特には、無いのだが」
 言葉に詰まる。体の良い言い訳でも用意しておくべきだった。適当に嘆願書の内容から話を見繕っても良いか。
「知り合いに似ていた」
「私が、ですか」
 少女の返答に思わず口元を押さえる。真実を告げる奴があるか、と冷静な自分は脳内で警鐘を鳴らすのだが、いかんせん少女に見上げられると口が滑ってしまう。生き写しだった。だから仕方がない、弱みを曝け出しても良いとは絶対に思えないのに、彼女への懺悔が少女への吐露になってしまう。ああ知らない。おれはこんなに弱くない、弱くなどないのに、どうして、見た目が似ているだけの女に、ここまで本性を出してしまわねばならない。
「大事な人だったんですか」
 そうだ。
「好きだったんですか」
 違う。わからない。
「それは、きっと」
 その目で。その顔でこちらを見るな。
「あんまりにも、悲しい」
 その言葉を皮切りに、少女の小さな瞳から大粒の涙が溢れる。理解ができなかった。どうして他人のくだらない思い出に、お前はそこまで感情を動かしている。たった今年端もいかぬ少女が目の前で泣いているというイレギュラーな状況を無視できるほどに、少女の行動はただひたすらに不可解だった。
 泣き虫なのだ、この少女は。今思えば部屋の戸を開けてやったときから目に涙を浮かべていた。だから少女が泣いているのは、別におれのためでも、まして「アルベル」のためでもない。ないというのに。
「何故お前が泣く」
 そこまで御涙頂戴の話をした覚えもない。少女はしゃくり上げるばかりでろくに喋れもしない。海賊になった以上、カイドウさんの右腕になった以上女子供といえどそういった思いやりは捨てたのだが、まるでおれが泣かせたみたいで気に食わない。その白く傷ひとつない頬に指先で触れた。
「それはおれへの憐憫か」
 少女は何か言いたげにこちらの指を掴んだ。まだ泣き止みそうにない。そんな少女を見ながら、ふと最後に泣いたのはいつだったかと考える。少なくとも思い当たらない。
 ふと、少女が泣くのはおれの分まで泣いているのか、とも思った。そんな突飛な思考をするくらいには動揺していた。泣くことで心の澱を流すのならば、泣くのなんか御免だった。彼女のことは、この澱みごと墓場まで持って行く。
「お前は彼女の代わりではない」
 まして、おれの代わりに泣いているわけでもない。
 言い聞かせるように言う。少女はこくこくと頷いている。少女は少女で、彼女は彼女だ。そんな当然のことを、わざわざ口に出さねばそんな当然のことを呑み込めない。それでも僅かに、例えば少女が彼女の生まれ変わりだったらいいのにとか、そんなメルヘンなことを考えている。彼女と同じ髪と瞳をして、体に虫を宿して。彼女とは違う泣き虫な少女が。
「シャロ」
 少女の名前を呼ぶ。少女は彼女ではない。彼女から逃げられないから生き写しの少女に心を乱されている。息を吐く。
「すまなかった」
 とんだ迷惑をかけたと少女を労う。もしかしたら彼女が、と縋りたかったのだろう。でももう、十分だ。十分だった。
「あ、あの、私の、能力のことなんですが」
「ああ」
「秘密にしてもらえませんか、私も、今日のこと、秘密にするので」
 存外強かな少女の発言に瞬きを一つ。そうしてにっ、と笑ってみせた。
 ああ、やはり少女は彼女に似ている。

prev next

back
しおりを挟む
TOP



人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -