05



 そんな都合の良い生活が続いたのも、数年足らずのことだった。
 いくら辺鄙で人が住んでいるかどうからすら怪しい島であっても、多少なりとも情報は漏れる。それともあのとき撃退した海賊が世界政府へ密告したのだろうか。真偽は今となってはどうだって良い。兎にも角にも、平和だった村は世界政府の攻撃を受けることになる。そこらの海賊であればいつも通り追い払えたのだろうが、流石に政府相手にそう上手くいくわけがない。素直に投降すると島民には説明した。身分を隠していたことへの謝罪と、数年の安寧に対する感謝を添えて。
 本来ならばそれで解決するはずだった。
 だが、無知そのものが罪である、というのが政府の方針だった。ルナーリア族という存在が世界政府、つまり現状の世界全てに対する叛逆である者を匿っていたのだと、民は無実の罪を押し付けられたのだった。平和な良い島だった。無知であることが罪ならばきっと世界の全てが罪なのだろうと、幼いながらに思っていた。輸送される船の中で、遠く聞こえる砲弾と叫び声を耳にしながら。
 
 ***

「悪くねェ島だ」
 ウォロロロ、と高らかに笑いながらカイドウさんは言う。
 悪趣味な研究施設をぶち壊した彼と、おれは一緒に行動することになった。海賊団を作るから右腕になれと言う彼を信頼したのは、おれにも確信があったからである。カイドウさんならば、世界を変えられる。おれの不躾な質問に堂々と答えた彼ならば。彼に救われたおれは、カイドウさんに一生を捧げるだけの道理がある。カイドウさんを海賊王にするためならば、何だってする気概は十分にあるのだ。
 海賊団としての歩みを始めた最中、ナワバリの一つとしてとある冬島を落とした。あの、一時期身を寄せていた島だった。
 ドームの残骸だけがあるそこは、けれど人の気配がしなかった。かなり広い島なのでいくつかの村が点在しているのだが、あの村だけは当時の惨劇がそのままになっている。気温が低いせいか、あの日のまま凍りついてしまっていた。恐らく島民たちも、あの姿のまま雪の下に埋もれているのだろう。
 ここをナワバリにしたいと提案したのが私情だったかと言われれば確かにそうなのだが、武器の生産を行う島としてちょうど良い島は無いか、とカイドウさんに聞かれて一番に思い付いたのがここだった。軍隊もない島、制圧する労力も要らなければ設備は少し修理すれば使えるようなものだろうと踏んでの提案だった。癖のある気候だが攻められにくい。弱い部下でも十分支配できるだろう場所だ。
「どういう因果だ?」
「……昔、いたことがある」
 この島のことを忘れてはいけないと思った。できることならずっと、この島をこのまま支配すべきだと思った。この島はおれが無知だったことの証拠だ。自分は存在するだけで政府に狙われ続ける厄介な奴だと忘れてしまったが故の罰ではないか。それはこれからも変わらない。いくらカイドウさんが最強生物と言われる程の強い男であっても、おれの種族が変わることはない。いつかその脚を引っ張ることになるのだと重々理解していなければならない。だからこの島を、何も知らなかったおれの墓標とする。そうすることでしか、後悔を埋めることができなかった。
「少し、散策してくる」
 カイドウさんにはそう告げて、ばさりと飛び上がる。ドーム内部、彼女の家がそのままに残っている。別に未練ではない。遺体がそのままになっているのであればそれは少し可哀想だなとか、そういうことを考えていた。
 ざくりと雪を踏む。寒いせいだ。全て当時のまま凍りついている。もう何年も前の出来事のくせに。彼女の家の玄関ポーチに腰掛ける。ドアが開けっぱなしになっているあたり、彼女は逃げようとしたに違いない。彼女のことを思い返す。思い返しながらふと気になって、雪に手を差し入れる。ずっとドームが閉まっていたせいか、今日新たに積もった雪はまだごく柔らかい。痺れるような冷たさと、すぐに氷のように硬くなった古い層に爪が当たる。砂地の落書きを消すように、掻き分けた。
 雪の白によく映える、桜色の髪。
 凍りついた血で赤くなった鼻先と頬。
 呼吸を一瞬だけ放棄して凝視する。
 彼女は、彼女は。あの時のままそこに横たわっていた。それはまるで昔話の姫のように、始まりも終わりも無くなった世界そのもののように。氷を叩き割って抱き起こせばすぐにでも微笑みそうな雰囲気で、生命がまるで感じられない温度で。ああ良かった、顔を隠していて本当に良かった。キングではなく、マスクを取ったアルベルとして彼女を見ていたら、きっと、正気でいられなかった。だって彼女はそこにいる。胸にぽっかりと大きな穴が開いて、全身が凍りついている以外は生きているのと変わらない。そんな姿で、安らかに雪の中で眠っている。
 何かを言わねば、と思った。何も思いつかなかった。そのうちにアルベルとしての自分が肥大化してどうしようもなくなった。理性とも本能ともつかぬ衝動のままに素顔を晒し、彼女の頬に顔を寄せる。
 好きだったのだ。愛していたのだ。ただもう、今となっては懺悔のような告白しか溢れなかったので、一つ、氷の彼女に口付けたのだ。

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